第41話 模擬戦 前半
図書館での大捕物から一週間——。
魔導師団の研修最終日は花曇りであった。
研修生同士の模擬戦である。
それなのに、訓練場は見物人で埋め尽くされていた。
魔導師団員のみならず、騎士団員や、文官たちまでが押し合いへし合いして、少しでも見物しやすい場所を奪い合っている。
ユディは詰所の中から、そんな外の様子をそっと伺っていた。
あの中に出ていかなければならないと思うと、緊張で胸が押し潰されそうになる。
「ユーディスさん、緊張してますか?」
背後からヴァルターが心配そうに声をかけてくる。
「なんであんなに人がいるんでしょう……?」
「ユーディスさんは私の肝いりの弟子ですからね。修行しているところをほかの団員にほとんど見せませんでしたし、あなたの実力を知りたいと思う人が多いのかもしれません。それにエミリヤさんも妙に人気らしくて。その二人の対決ということで余計注目を集めているようですね」
ユディは拳を握りしめて、胸に当てた。
きっと大丈夫と自分に言い聞かせるが、やはり緊張するものは緊張する。
そこにひょっこりとハルが現れた。
仮面をつけ、さらに黒い外套を頭から被っている。
「ユディ! 緊張してるみたいだけど、大丈夫だよ。この一月、ぼくとヴァルターとうんと練習したんだから。大抵の相手には負けないはずだよ」
「ええ……そうよね」
「ぼくも近くで見てるからね! 危なくなったら助けるから!」
ユディを懸命に励ますハルの横で、ヴァルターはこめかみを押さえる。
どうもこの王弟は、ユディの前だと特大の猫を被っているように思えてならない。
この間だって、ユディの元婚約者のシュテファンを嫌というほど叩きのめして肋骨を粉砕したというのに、そんなことは彼女の前ではおくびにも出さなかった。
敵と見なした相手にはあれほど容赦のない少年が、ユディの前ではまるっきり別人のようになって、甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いているのが白々しい。
「ヴァルター、おまえ、なんか失礼なこと考えてるだろ」
「いいえ、全く!」
じろりと睨まれて、ヴァルターは首を大きく振った。
ハルはユディに目線を戻すと、最後の忠告とばかりに真摯に語りかける。
「ユディ、敵と闘う時に大事な心構えを一つ教えてあげる。ローグに初めて会った時のこと覚えてる? 目を逸らすなって言ったこと」
「ええ、覚えてる」
「竜だけじゃなくて、山野で獰猛な獣に遭遇しても、目を逸らしたり、逃げようとして後ろを向いたりしたらすぐに襲いかかってくる。闘いもそれと同じだよ。敵と対峙したら、目を逸らしちゃいけない。弱みを見せたらそこを一気に叩かれちゃうから。怖くても、踏ん張るんだ」
ハルの言葉に、ユディは頷いた。
思えば、エミリヤが研修生として王城に現れた時にも、従妹の少女の目をきちんと見ることができなかった。
——怖かったのだ。
「こうしてみて」
ハルが拳を握って見せてくる。
真似して手をグーにすると、ハルが自分の拳をユディのそれにこつんと合わせてきた。
「頑張って」
不思議と緊張がほぐれる。
大きく息を吐くと、気合いを入れる意味で、ハルに向かって頷いてみせた。
「さ、参りましょう、ユーディスさん」
もう時間だった。
※
ヴァルターに促されて訓練場に出ると、曇り空に歓声が沸き起こる。
そこに、どこかで聞いたことのあるだみ声が耳に飛び込んできた。
「ユーディス!! お前は縁談をすっぽかして勝手なことばかりしおって! この試合が終わったら、何が何でも家に連れ帰るからな!」
ユディの叔父の姿がそこにあった。
どうやらエミリヤが連絡して呼び寄せておいたらしい。
この機会に叔父ともきちんと話をしなくてはならない。
だが、すべては試合に勝ってからだ。
「それでは、これより模擬戦を開始する! 第一試合は、エミリヤ・ハイネ対ユーディス・ハイネ。両者、前へ!」
審判として勝負の判定を行うのは、魔導師団長、ユルゲン・シュヴァルツだ。
ユルゲンの合図に合わせて、ユディとエミリヤが訓練場の真ん中へ進み出る。
二人とも、いつもと同じ王立学院の制服姿だ。
砂糖菓子のように可愛らしい従妹はにっこりと微笑んだ。
「お姉さま、逃げずに来たことは褒めて差し上げます。模擬戦で死ぬようなことはありませんからご心配なさらないで。ちょっとだけ、痛くて熱い思いをしていただくだけですわ。うふふふふ!」
甘い声で紡がれる、ねっとりとした悪意。
以前は、怖くて堪らなかった。
仲良しだと思っていた従妹に実は嫌われていたという事実を、受け止めることができなかったからだ。
でも、逃げてちゃいけない。
ユディは顔を上げた。
————敵と遭ったら、決して目を逸らさないこと。
「エミリヤ! あなたに嫌われていたのは全然知らなかった。わたしが何か悪いことをしてしまっていたら謝るわ」
「ふふふ……! 今さらそんなこと言っても駄目ですわ! 皆の前で無様に負ける姿を晒したくない気持ちはわかりますが、ご観念ください、お姉さま」
嘲るような従妹の少女に怯むことなく、エミリヤの目を真っ直ぐに見つめた。
「わかってるわ。もちろん勝負は別。でも、このままじゃあ気になって仕方ないのよ。ねえ、エミリヤはなんでそんなにわたしが気に入らないの? シュテファンと婚約したから? あなたがそんなに彼を好きだったなら、言ってくれたらいつでも代わってあげたのに……」
スパノー侯爵の屋敷でシュテファンが捕らえられたことで、彼女とシュテファンとの婚約は急遽取りやめになったはずだ。
これでハイネ家の女子は二人ともロドリー家と縁がなかったことになる。
今さらこんなことを言っても仕方ないが、こちらも、理由も何もわからないまま、突然嵌められたのを忘れたわけではない。
「……そういうところですわ」
「え?」
「何でもありません! そんな話は私との勝負に勝てたらにしてはいかが!」
エミリヤの言葉にユディは頷いた。
「わかったわ。エミリヤ、悪いけど、倒させてもらうわよ!」
「何ですって……! 戯言を!」
弱気なユディに面と向かって歯向かわれるとは思っていなかったのか、エミリヤの頬にさっと朱が差す。
「始めっ!」
師団長の合図が訓練場に響くのと同時に、エミリヤは胸の前に手を掲げて魔法陣を展開した。
前に見たのと同じ、炎の魔法の術式だ。
ユディは羽根ペンを召喚する。
観客からは「何だ、あれ?」と、驚きの声が上がった。
ユディが空中に向けて、何かを書くような仕草をした。
「炎よ!」
巨大な火の玉が魔法陣から出現して、生意気な従姉に直撃する——はずだった。
完成したはずの魔法陣は、次第に光を失い、やがて霧散する。
ユディが、エミリヤの魔力が術式に回り切るタイミングに合わせて「書き換え」を完了させていた。
「…………!? えっ!? 何、何が起こったんですの!?」
観客に大きなどよめきが広がる。
彼らも何が起こったのかわからないのだ。
傍目には、エミリヤの魔法が失敗しただけのようにも見えてしまう。
だが、幾人かの魔導師団員は事の次第を理解して、驚愕の叫び声を上げている。
エミリヤはわけがわからないという顔をしながらも、再度同じ魔法陣を展開した。
「炎よ!!」
だが、同じことの繰り返しだった。
魔法陣が空中で音もなく消える。
ユディの青紫の瞳は、エミリヤの動きも、魔法陣の術式も、魔力の流れも、完璧に捉えていた。
「書き換え」には、術式に描かれている魔法文字を読む力だけでなく、魔力の流れを正確に追う力が必須だ。
エミリヤと模擬戦で闘うことが決まってから一月の間、ユディはハルとヴァルターと特訓を重ねてきていた。
どのタイミングで「書き換え」を行えばいいのかを徹底的に鍛えたし、魔導書を読み漁り、遠目からでもなんの魔法陣なのかを認識できる修行にも力を入れた。
術の効力を弱めたり、ほかの術に変える練習のほかに、膨らませた風船から空気が抜けるように、魔法陣から魔力を抜いて「何も起こらない」状態にする方法も覚えた。
なんと言ってもエミリヤの動きは、ハルやヴァルターと比べたら格段に遅い。
負ける気がしなかった。
「ほの……!!」
「エミリヤ! もうそれ、効かないわよ! 練習にならないから、別のやつにしてくれない?」
ハルとの練習よろしく、つい思ったことを口に出してしまう。
ユディの言葉にエミリヤの顔が真っ赤に染まった。
「この……! 私の魔法陣に何をしていますの!? こうなったらもう許しませんわよ!!!」
淑女の顔をかなぐり捨てて、エミリヤは新たな魔法陣を展開する。
中級の火炎の魔法は研修生の中ではエミリヤしか使えない、高度な技だ。
魔力をたくさん消費するので、もしかしたら魔力切れを起こしてしまうかもしれないが、どうせこれで勝者は自分に決まりだ——。
これが命中すれば、ユディはただでは済まないだろうが、もう後には引けなかった。
ユディの目が見開かれ——あ、なんだ……とほっとしたような表情に変わる。
どういうことだ。
その目は恐怖に引き攣るはずなのに。
しかし、術の発動を止めることはもはやできない。
「業火の炎よ、舞え!!!」
※
ハルもまた、ひっそりと試合を観戦していた。
副長ヴァルターの横に佇む黒い外套姿の少年が、王弟ハルトムートと知る者はいない。
得意な炎の魔法を一つ覚えに繰り返すだけのエミリヤの攻撃は単調で、さらに魔法陣の展開速度も遅い。
それに、エミリヤが炎の魔法を使ってくることはわかっていたので、初級から上級まで、ありとあらゆる種類の炎の魔法陣をユディは記憶していた。
対して、エミリヤはユディが何をしているのかさえわかっていない。
これではもう、相手にもならない。
仮面の下で、当然とばかりに微笑む。
「ユディの勝ちだ」
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