第40話 推薦状
翌日、ユディが出勤すると、ジャンが興奮気味に話しかけてきた。
「なあ、聞いたか!? 文官採用試験の問題が盗まれて、図書館の『祈りの間』で合格祈願と称してばらまかれてたって話!」
どうやら仕事部屋はこの話題でもちきりらしく、あちこちで同じような会話がされているのが耳に入る。
王立図書館でひそかに文官採用試験の不正が行われていたとの報は、昨日のうちにルールシュ中を駆け巡っていた。
ヴェリエ卿が役人を連れて「祈りの間」に駆けつけた時には、その場にいた受験生たちは全員が錯乱状態で、そのうちのほとんどが不正の事実を認めたため、これらの者たちは停学処分を受けると同時に、今年の採用試験の受験資格も失った。
現行犯に加え、王城の金庫に保管されていたはずの試験問題の複写が出てきたため、それが決定的証拠となった。
「ヴェリエ卿ってすごい人だったんだな! 俺、ただの怖い上司かと思ってたけど、大物貴族にも恐れずに立ち向かうなんて格好よすぎで見直したぜ! 元々、スパノー侯爵を疑っていて、泳がせるためにわざと試験問題を盗ませるとか、さすが切れ者だよなあ!」
「ええ、本当よね」
相槌を打ちながら、ユディは内心ほっとしていた。
今回の大捕り物には自分の名を出さないでほしいと頼んでいた件は、きちんと果たされているようだった。
ただの研修生のユディが大物貴族のスパノー侯爵の不正検挙をしてしまうと、あまりにも目立ちすぎてしまう。
それに、スパノー侯爵と懇意にしている諸侯も多い中で、これから文官となるユディに最初から多くの敵を作ってしまうのは避けたほうがいいという国王の判断もあった。
ヴェリエ卿は最後まで嫌がったが、今回の件は、彼が独自に調査をして不正の首謀者がスパノー侯爵だと突き止めたということにしてもらったのだ。
「国王陛下の御前で申し開きがなされたらしいけど、どう処分されるんだろうな? あまり厳しい処分にしても、ほかの諸侯から反発があるだろうし、難しいところだよな。だいたい、不正をしてたのって貴族の息子とかばっかだったんだろ? そいつらが爵位を継げば、文官採用試験なんて受けなくてもどっちみち鳴り物入りで登城できるようになるのになぁ、馬鹿だぜ」
「そうね……」
貴族を罰するのは、ユディが想像していたよりもずっと難しい政治上の駆け引きがあるのだろう。
スパノー侯爵ほどの人物となると、おそらく処分に反対する貴族も出てくるし、何よりも不正をしていた受験生たちの親は、皆それなりの貴族なのだ。
彼らが黙っているわけはない。
言い逃れができないよう、不正の現場を現行犯で押さえたことと、受験生自身の自白と、試験問題の複写という確たる証拠を揃えたものの、これで終わりになるとはどうも思えなかった。
だが、ここから先、今のユディにできることはない。
あとは、国王の裁量に任せるしかなかった。
「研修生諸君、いつまで油を売っているのかね? 仕事はもう始まっているぞ!」
「あっ、ヴェリエ卿……! はい、ただいま!」
ヴェリエ卿が早足で仕事部屋に入ってくると、研修生たちが一斉に立ち上がる。
皆、そわそわと何か訊ねたそうにしているものの、実際に話しかける者はいなかった。
鬼上司はいつもと変わらぬ調子で研修生たちに一通り指示を飛ばすと、最後にユディを呼んだ。
「ユーディス君、きたまえ。話がある」
「あ……はい」
ヴェリエの執務室に場所を変えたのには、ほかの研修生たちには聞かせられない話——つまり、昨日の話をしたいということだろう。
椅子を勧められ、滑らかに削られた木製の書斎机に向かい合って腰かける。
ヴェリエの顔には、どことなく吹っ切れたような清々しさが浮かんでいた。
「昨日はご苦労だった。私が到着したときには君はすでにいなかったからな。一応、事の顛末を話しておくべきだと思ってね」
事前に取り決めていたとおり、御者姿で待機していたヴァルターの助けで、ひそかにユディは図書館から脱出していた。
おかげで役人たちに姿を見られることもなく、城に戻った後は何事もなかったように過ごしていた。
受験生たちを捕らえたのはヴェリエだし、スパノー侯爵を拘束して王城に連行したのはハルで、ユディはこれらに一切関与していない。
万が一計画が失敗に終わったとしても、ユディはヴェリエの命を受けて、図書館に潜入しただけという体にするつもりだったのだ。
「王弟殿下がスパノー侯爵を拘束したのは知っているな。まあ、対外的には伏せられてはいるが、皆薄々わかっているようだ」
「はい」
スパノー侯爵ほどの貴族を捕らえるには、普通の身分の者では無理だ。
国王を除けば、王弟ハルトムート以上の適任者はおらず、捕り物はつつがなく済んだと昨晩のうちにハル本人から聞いていた。
詳しい話をする時間はなかったものの、どうなったのかと心配するユディのところに、忙しい合間を縫って一瞬だけ顔を見せに来てくれたのだ。
「スパノー侯爵の処分はどうなるかまだわからんが、あれだけの証拠を揃えればある程度の罰は下せるはずだ。それに、侯爵と通じていた者たちも、それ相応の報いを受けることとなったぞ」
「マイルズさんですか?」
「ああ。マイルズは文官の身分を剥奪された。あと、長年事情を知りつつ、事態を黙認していた図書館の館長もな」
「あそこまで積極的に不正に協力していたら、無理もないかもしれませんね……」
「そうだな……。ちなみに、合格祈願の儀式を執り行っていた神官は、スパノー派の文官が扮装していた偽物で、この者も身分を剥奪されることとなったぞ」
「あの神官様は偽物! 手が込んでたんですね」
青紫の瞳が丸くなる。
スパノー侯爵のやり口は随分回りくどい気がする。
金持ちの考えることは正直よくわからないというか、わざわざそこまでして合格祈願のふりをして不正を行わなくても、もっとスマートなやり方で試験問題を見せることもできただろうに。
「君の元婚約者のシュテファン・ロドリーだが、除隊処分となったぞ」
「えっ!?」
「騎士団に所属していたとはいえ、元々見習いだからな。騎士たる適正なしと見なされたようだ。兄のジェラルド・ロドリーのほうも不正に積極的に関わっていたから、騎士の身分を剥奪されないまでも、しばらく任務には就けないだろうな」
「そうですか……」
ユディは何とも言えない気持ちになった。
シュテファンに恨みがなかったわけではないが、積極的に復讐したいとも思っていなかったので、どう反応すべきかわからない。
ただ、これでシュテファンとエミリヤの未来は前途洋々とはいかなくなってしまっただろう。
それに、ジェラルドを騙したことへの罪悪感がないわけではない。
息子二人の不祥事が明るみに出て、ロドリー家はさぞかし困ったことになるはずだ。
このような結果になるとはわかってはいたつもりだったが、自分が直接の原因になっていると思うと自然と心が重くなった。
顔に出ていたのだろう、眉間の皺を濃くしながら、ヴェリエが身を乗り出してくる。
「おい、その顔はなんだ? 不正を暴いた側が罪悪感に駆られてどうする? 罪悪感というのは本来悪いことをした側が持つものだろう」
「そう……ですね。わかってはいるんですが……。シュテファンもジェラルドもマイルズさんも、きっとわたしを恨んでいるだろうなと思うと……」
「当たり前だろう」
「当たり前……ですか?」
「もし君が騎士だとして、相手を斬って恨まれたらどうしようなどと考えるか? 魔導師だったとして、魔法を使うのをためらうか? 文官は剣の代わりにここを使って相手を負かす。それで恨まれるのも仕事のうちだ」
頭を指差しながらさらりとそんなことを言う。
今回のような潜入捜査のような真似は稀だが、それでも自分の手の内を見せないようにしながら腹の探り合いをするなんて日常茶飯事だと、ヴェリエは肩をすくめた。
「君は、自分の性格をどう分析する?」
「自分の性格……ですか? 真面目……なほうだと思いますけど」
「文官を目指す奴は大抵、真面目さが取り得というのが多いな」
つまらなそうに鼻を鳴らされ、ユディは気まずくなった。
「……真面目ではだめ、ですか?」
「真面目さはもちろん美徳だし必要だ。だが実際はそれだけでは多岐にわたる文官の仕事をこなせん。普段は地味な裏方仕事だけやってるようでも、一筋縄ではいかない諸侯たちと交渉事を進めたり、外国の使者との折衝だって仕事のうちだ。相当な腹芸が必要になるし、時には二枚舌だって使わなきゃならん。誠実な者ほど、辛い思いも多くなるからな。どちらかというと底意地が悪かったり、執念深い奴のほうが大成したりする」
自分にそんなことができるだろうか。
今さらながら不安になっていると、ヴェリエがにやりとした。
「ジェラルド・ロドリーに取り入り、スパノー侯爵の目をごまかしたわけだから、君もなかなかのものだと思ったがな」
そう言われるとそのとおりである。
ハルやヴァルターの入れ知恵でなんとか乗り切ったが、本来ならば自分でそれくらいできなければいけないのだ。
ヴェリエはユディを真っ直ぐに見すえた。
「文官たる者、性格は悪くあれ! 恨まれても上等と開きなおれ! 大事なのは大望を見失わないことだ。書類仕事だろうが腹芸だろうが、私たちの仕事はすべて、国民のため——言うなれば、大切な誰かを守るためのもの。そういう意味では文官は、時には敵を弑することもためらわない騎士や魔導師たちと、何ら変わりはないと私は思っているがな」
「ヴェリエ卿……」
「君が王弟殿下と私の自宅に侵入してきたとき、驚きはしたが、久しぶりに胸が高鳴った。ようやくいい新人が現れた……とな」
照れ隠しか、銀縁の眼鏡をついと上げる。
眼鏡の奥の瞳は厳しい光をたたえつつも、どこか不出来な生徒に教える教師のような優しさがにじんでいた。
「今回は処罰されたのが知り合いだということで、心情は察する。だが、つまらないことを気にして、私の期待を裏切ってくれるなよ」
————君のせいではないから気にするなよ。
一見不機嫌にも見えるヴェリエの、不器用で生真面目な労りが、ユディの心にじんと沁みた。
文官の仕事は、国民のため——心にそう書き留める。
ヴェリエは感じ入った様子のユディをちらりと見やった。
スパノー侯爵の邸宅で捕らえられたシュテファン・ロドリーは大怪我を負っていたということだが、それについてはユディに知らせないほうがよいと判断する。
ロドリー兄弟については、ヴェリエも独自に調べさせており、ユディとの婚約破棄についても、その後のシュテファンの暴挙についても耳に入っていた。
王弟が黙って彼らを見逃すはずはないと思っていたので、制裁について特に驚きもしなかったが、ユディに知らせてしまえば気に病むかもしれない。
それより——と、ヴェリエは咳払いを一つした。
あと数日で、文官の研修期間が終わる。
その後、魔導師団の研修期間も最終日をむかえ、ユディは従妹と模擬戦で戦うことになっている。
文官の採用試験の日取りは決まっていないが、その後すぐのはずだ。
だが——。
「昨日については以上だが、話はもう一つある。採用試験の申込み期限が迫っているのに、研修生の中で君だけが出願申請が済んでいない。なぜだかわかっているな?」
ずばり問われて、ユディは俯いた。
「……推薦状……ですよね。申し訳ありません……」
文官採用試験の申込みには第三者からの推薦状が最低二通必要である。
小鳥寮生には受験は無理だと、王立学院の教師たちに軒並み断られてから、推薦状を誰にも依頼できないままここまで来てしまっていたのだ。
ヴェリエはため息をつくと、机の引き出しから筒になった書状をいくつも取り出してユディの目の前に置く。
「見てみろ」
「…………?」
言われるまま書類を開き、目を通す。
すぐにそれが何なのかわかり、ユディは驚いて口を開けた。
「こ、国王陛下の推薦状!?」
「そうだ。ちなみにその下のは王弟殿下の推薦状だ」
次の書類を開くと、きっちりとしたハルの字が目に飛び込んできた。
両方とも、ユディを文官に推すという内容がしたためられている。
「……使うなよ」
「使いません!」
国王陛下や王弟殿下からの推薦状を携えて申込みなどしたら、実力など関係なく必ず合格になるだろう。
せっかくスパノー侯爵の不正を暴いたのに、自分が裏口の戸を盛大に叩いてしまってどうするのか。
「あと、こっちはユルゲン殿とヴァルター君からの書状だ。君のことは魔導師団で欲しいので、文官にはさせるなという嘆願状だな」
「えええ……」
ヴァルターに推薦状を頼めないかちらりと考えていたところだったので、これで望みはついえた。
がっくりと肩を落としたユディに、別の小さな書状が示される。
「まだ、あるんですか……?」
「これは私からの推薦状だ」
「えっ!?」
「毎年、優秀だと思う研修生に書いてやってる。今年はそれが君になっただけだ。試験の結果には何ら手心を加えるわけではないからそのつもりで」
ユディは慌てて身を起こし、ヴェリエからの推薦状を受け取る。
「あ、ありがとうございます……」
「あと一通は自分で何とかしたまえ。話は以上だ。仕事に戻ってよろしい」
「はい……」
にこりともしない上司に、深くお礼を述べる。
淡々としているようで、情に厚いことはもうとっくにわかっているのだ。
温かい気持ちでユディはヴェリエの執務室を後にする。
早急にもう一通の推薦状を書いてもらえるよう、ある人にお願いするつもりだった。
だが、文官採用試験の前にもう一つ対峙しなければならない重要事項が残っている。
悪魔のような従妹と、決着をつける時が迫っていた。
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