第38話 祈りの間

 よく晴れたある日、王立図書館の前の通りに、豪華な馬車が幾台も立ち並んでいた。

 休日のため、図書館の入口には「閉館」の札がかけられている。

 

 馬車から出てくるのは、ばりっとした身なりの、いかにも貴族という若者たちだ。

 競い合うように、次々に閉館しているはずの図書館に入っていく。


 乗りつけられた馬車から、一人の少女が降り立った。

 爽やかな水色のワンピースにその身を包んだ、清楚な令嬢——ユディだった。

 今日ここにやって来るのは有力貴族の子弟ばかりのはずである。ユディも合わせて衣装を整えたというわけだ。


 御者が、恭しく声をかける。


「それではいってらっしゃいませ、お嬢様」


 御者に扮しているのは、またもやヴァルターである。

 返事がわりに微笑んでから、優雅な足取りで入口へと向かっていく。


 館内に足を踏み入れると、すぐに職員が出迎える。

 ここで、「合い言葉」を伝える手はずになっているのだ。


「本当に来たんだね、ユディちゃん。受験者の名簿に君の名前を見たときは驚いたよ」


 マイルズが少々の驚きを顔に貼り付けながら対応してくれる。  

 相変わらず、きれいに撫でつけた髪に、上まで止められた襟元がぴしりとした印象だ。 


 ハルの言う「嘘の臭い」をよく意識してみると、マイルズの神経質そうな顔に小狡い表情が浮かんでいるのが、ユディにもわかる気がした。

 だが、落ち着いて、にっこりと微笑みを返した。


「ご無沙汰しています、マイルズさん。その節は突然お手伝いに来られなくなって大変申し訳ありませんでした。実家の用意した縁談から逃げるため、やむなく…………」

  

 まずは深々と頭を下げて謝罪をする。

 図書館の仕事を中途半端に放り出すような形で逃げてしまったことを、申し訳なく思っていたのは紛れもなく本心である。


 マイルズは両手を上げてそれを制した。


「いや、事情は聞いているから心配しないでいいよ。王城から使いが来たしね。それに、その前にレイに説明していったんだろ? あいつが館長にきちんと事情を伝えていたよ」

「そうだったんですか、レイ先輩が……」  


 レイに感謝の念を覚えつつ、プロポーズの返事をすっぽかしてしまったことを考える。

 

「後で館長も来るから、挨拶してくるといいよ」

「はい」 


 頷きつつ、やはり館長も一味だったのだとの認識を新たにする。


「あの、レイ先輩はお元気にしていらっしゃいますか?」

「元気だよ。ユディちゃんが辞めてしまって、しばらくはぶつぶつ文句言ってたけどね」

「そうですか……」


 やはり、あのプロポーズは同情心からのちょっとした提案だったのだろう。

 次に会えたらきちんと話そうと思いつつ、ユディは気持ちを切り替える。

 

「では合言葉を……『紅き太陽の沈む彼方へ』」

「『真実の翼を羽ばたかせよ』」  


 スパノー侯爵から教えてもらった合言葉を口にすると、マイルズが改めて感心したように頷いた。


「スパノー侯爵のお眼鏡にかなうとは、ユディちゃんもなかなかやるね」

「いえ……」


 ユディは言葉を濁して、周囲をそれとなく見回す。

 広い館内にいるのはユディたちだけで、ほかに人気はない。

 以前幽霊に遭遇したときのことを思い出すと背筋がぞくりとした。


 マイルズとの話が長引く前に「祈りの間」へ向かおうとしたその時、入り口付近に本が山の様に積み上げられているのが目に入った。

 確か、以前にはなかったものだ。


「あの本はどうしたんですか?」

「ああ、あれ覚えている? ユディちゃんとハル君にも手伝って貰って仕分けた寄贈本だよ。結局書庫に入りきらなかったり、同じ本があったりが多くてさ。ほかの街の図書館に送ることにしたんだ。さ、『祈りの間』は最上階だよ」


 マイルズに促され、ユディは最上階へ向かった。


 「祈りの間」は、思ったよりもずっと広い空間だった。

 色付きの磨り硝子の天井からは太陽光が降り注いでいて、なんとなく前世の西洋風の教会を連想する。

 正面には龍の石像と石造りの祭壇があり、そこで司祭が何やら儀式をしていた。

 室内には長椅子が前から順番に並べられており、十数人の男子生徒が思い思いの場所に腰かけて、懸命に祈っている。


 ユディはまず、祭壇に近づいていって跪いた。

 儀式をしている司祭は、何やら随分と若く見える。

 祝詞のようなものを唱えながら、一枚の紙を差し出してきた。


(これは、お祈りの言葉……?)


 紙を受け取り、入口近くまで戻ると、長椅子の端に腰かけてそれを開いてみる。

 

「…………!!」


 思わず声が出るところだった。

 紙に書かれていたのは、祈りの言葉ではなかった。

 

(「ドラグニアと現在友好関係にある国と、敵対関係にある国について、その理由も交えて説明せよ」……、「以下はウェスリアの北西部の地図である。間違っている箇所を指摘せよ」……、「昨年起こった主な出来事を記せ」……。間違いない。ヴェリエ卿が作った、嘘の試験問題だわ)


 小さな文字でびっしりと紙に書かれているのは、ヴェリエ卿が考えた試験問題である。


 紙の最下部には、時間が経過すると文字が消えてしまうと書いてある。

 おそらく、特別な術がかけられているのだろう。

 そのため受験生たちは、祈りを捧げる体で、必死で問題を暗記しているのだ。


(あとは紙を回収してしまえば、証拠は残らないってわけね)


 そうはさせない。


 ユディは、こっそりと持ち込んだ小さな筒を、胸の前に掲げた。

 これは実は、筒の中にアロマオイルやポプリなどを入れて使う、アロマディフューザーのような魔道具だ。


 筒には風の魔法が組み込まれており、爽やかな微風により筒内の香りがほのかに部屋に広がる——通常なら。

 だが、ユディは「書き換え」により、風の強さを最大まで強化していた。  


「ん……? 何だ、この香り……?」

「う、うわああ!」


 筒から風が巻き起こり、奇妙な香りが部屋中に満ちた。


 その途端、長椅子に座っていた男子生徒たちが急に苦しみ始める。

 ある者は恐慌状態に陥り、ある者は頭を抱えてしゃがみ込み、ある者は座ったままぼーっとして動かなくなってしまう。


 劇的な効果に若干引きつつも、ユディは混乱に巻き込まれないように長椅子の陰ににそっと身を隠した。 

 守護の腕輪に目を落とすと、護りの石が淡い光を帯びて、ユディを守ってくれているのがわかる。


 これがハルの考えた作戦だった。


 かつてジェラルドが行方不明になった原因となった、魔の森に群生している人に幻覚を見せる紅い花を収集し、筒の中に入れたのだ。

 ハルが言うには、どうやらこの花の効果には個人差があり、恐怖を覚えるか、はたまた恍惚感に包まれるかはその人次第だそうなのだ。


 そしてもう一つ、この花にはとある効果があった。

 

「な、なんだ、これは……? うっ……」

「ひいいっ! 来ないでくれ! 嫌だ、来るな!」


 後から新たに部屋に入って来た二人の受験生が、たちまち紅い花の香りに包まれて錯乱する。

 そのうち、おかしなことを口走り始めた。


「なぜ俺が責められなきゃいけないんだ!? これは不正なんかじゃない、貴族の正当な権利だ!」


 幻覚の中で不正をしたことを断罪されているのか、誰もいない空間に向かって手を振り上げながら、必死に反論している。

 隣の男子生徒は涙をその目に浮かべて許しを乞うていた。


「申し訳ありません……不正とは知りながら、つい……。若い頃から王城に出入りしておけば、後々役に立つと、スパノー侯爵に言われて……」


 紅い花には、罪悪感を増幅させる効果がある——。

 その結果、自分から犯した罪について自白し、心の内を吐露してしまうのだ。


 ハルが魔の森でジェラルドたちを救出した時、凄まじい状態だったと言っていた。

 ほとんどの者がこれまで心の底に沈めていた、忘れられない罪悪感がまとわりつく過去の出来事を思い出しては泣き叫んだり、放心状態だったという。

 それらの者に声をかけると、どのような罪を犯したのか、どう後悔しているのかを、聞いてもいないのに懺悔し始めるので救出にひどく時間がかかったらしい。

 

 たった今、不正を犯そうとしていた者たちにとっては、この花の効果は絶大だった。

 あちこちからすすり泣きや怒鳴り声が聞こえてくる。


 もうすぐここには、ヴェリエ卿が役人を連れてきてくれる手はずになっている。

 受験者の証言はこれで得られるだろう。


 ——後は、物的証拠を確保するだけだ。

 ユディは試験問題が書かれた紙を手にした。


 このままでは、時間が経てば文字が消えてしまう。


 息を一つ吐き出すと、ユディは羽根ペンを召喚した。

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