第37話 お忍びデート 後半

「——ねえ、本当にそれだけでいいの? もっと買ったら?」

「いいのよ、これくらいで十分! こら、籠に勝手に入れないの」


 隙をついてハルがどさどさと刺繍糸を籠に入れるのを咎めると、いたずらっ子のように舌を出す。

 そんな仕草にもいちいち高鳴りそうになる心臓に、心の中で喝を入れた。


 先日、塔の上で頬にキスをされてから、どうにもハルのことを意識してしまって仕方ないのだ。


「そういえばレースが欲しいって言ってなかった? 向こうにあるのがそう?」


 店の奥にはリボンやレースが売られており、ユディにとっては誘惑の多い禁断の場所である。

 

「この糸巻きみたいのは何?」

「糸巻きっていうか、こうやってリボンって売られてるのよ。引っ張って出して、欲しい長さだけ買うの」

「ふーん。じゃあこれとこれと……これも買う」

「何でよ!?」

「ユディに似合いそうだから」

「だから、無駄遣いは駄目だってば」


 ハルがあれこれと棚から引っ張り出しては止められているのを、店主は苦笑しながら見守る。


「きみたち、仲良い恋人同士なのはわかるけど、ほかにお客さんもいるから静かにね」

「すっ、すみません……」


 ————恋人同士じゃないんだけど。


 横目でちらりとハルを見やるが、何を考えているのかまったく表情が読めない。

 肯定も否定もしてくれないことに、なぜだか少々ショックを受けている自分がいた。


 けれどもしも、ここでハルがはっきりと否定したらどうだろう。

 それはそれで……ショックだ。


 だから、ユディは何も言わなかった。自分だったら否定されたら悲しい、けれど二人は恋人同士ではないから肯定はできない——。


「店主、この柄は流行り? やけに目立つな」


 話題転換のためか、ハルがハート柄のリボンを指す。

 専用コーナーとでもいうのか、たくさんの種類のハート柄のリボンが一つの棚をまるまる占有している。

 

「ハート柄ですね。はい、流行っています……というよりこの辺のリボンは贈答用ですね。女性が意中の男性へのプレゼントの包装に使ったり、または男性が好きな女性に贈ったりするのにお求めになれることが多いです」

「——そう」


 ハルの返答は素っ気なかった。

 刺繍糸やほかのリボンはユディが止めても買おうとしているのに、ハート柄のリボンについてはそれ以上一言も発しようとしない。

 

 ————それはそうよね。だって、わたしたちはただの友人同士なんだから。

 

 努めて平静を装ったユディだが、どうしてか胸の奥がずきりと痛む。

 さっきから、自分が落胆しているのだと気がついてユディは慌てた。

 消沈した響きが声に出ないよう、細心の注意を払う。


「さあ、そろそろお会計して行きましょうか? ご店主、ご案内ありがとうござ……」

「ユディ?」


 突如として緊張に強張った顔をしたユディに、ハルが怪訝な顔を向ける。


「今店に入ってきた人……ハイネ村の人だわ」


 ハルがさっと目を走らせると、店の入り口では、数人の男たちがきょろきょろと店内を覗いている。

 ユディのいそうな店などを調べ上げて、巡回よろしく見て回っているのだとは思うが、まさかちょうど同じ時に出くわすとは。


 こちらにはまだ気がついていないようだが、見つかるのは時間の問題だった。

 変装してきたとは言え、緊張でおかしくなりそうだ。


「見つからないうちに行こう。店主、これ会計して。ついでに裏口はあるかい?」


 店主は驚いた表情になったが、こちらも商売人である。

 ハルが素早く財布から銀貨を取り出すと、その枚数を目だけで即座に確認し、心得たとばかりに頷いた。


「どうぞこちらに」


 店の奥にいたのが幸いし、すぐに裏口から外に出ることができた。

 

「ユディ、こっち」


 路地裏のさらに奥まった場所に隠れた途端、複数の足音が聞こえてきた。

 先ほどの男たちだろうか。


 ハルがぎゅっとユディを壁際に押し付けて見えづらくする。

 身を隠すためだから仕方がないとはいえ、抱きしめられているようで、ユディの心臓は痛いほど高鳴ってしまう。


「……行ったみたい。ユディ、平気? ……顔真っ赤だけど」

「……大丈夫……」


 痛いほどの鼓動がユディの胸を突き刺す。

 こうして近くにいてくれるかと思うと、ふと距離を感じる時もある。


 ————彼の挙動に一喜一憂している……。


 自分の気持ちに、大きな蓋を被せようとユディは躍起になる。

 ハルは大事な友人なのだ。

 こんな気持ちを悟られてはいけなかった。


※※※


 城下町でのハルとのひと時は、いくつかの刺繍糸と無地のリボンのプレゼントとともにユディの心にさざ波を立てたが、それによって副産物もあった。

 数日後、文官研修生の部屋にジェラルドが訪ねてきたのだ。

 小声で用件が伝えられる。

 

「ユディ、ちょっといいか? ……スパノー侯爵がお前に会ってもいいと仰っている。今から来られるか?」

「……ええ、上司に断ってくるから、そこで待ってて」


 こちらも囁きで返すと、ヴェリエ卿に「ちょっと出てきます」と声をかける。


「半人前のくせに堂々とさぼりとはいい度胸だな、女生徒君」

「いえ、その……」

「できるだけ早く戻れ! いくら仕事のできない人間でも頭数があるのとないのとでは違うからな!」

「は、はい……すみません、行ってきます」


 ジェラルドの姿を認め、事情を察したヴェリエ卿である。

 ことさら不機嫌そうに文句を言われたが、ユディとの繋がりを見せないためのポーズだろう。


 案内されたのは、スパノー侯爵が登城するときによく使っているという、豪華な部屋だった。

 スパノー侯爵は五十代くらい。

 痩身かつ禿げ上がった頭皮と鋭い眼光が、飢えた禿鷹を連想させた。


「そちがハイネ男爵の養い子とかいう者か? なんだ……田舎者丸出しの小娘ではないか! 王弟殿下はなぜそちなどを気に入ったのだ?」

 

 威圧的な物言いに怯みそうになるが、ここで負けてはいられない。


「お初にお目にかかります、スパノー侯爵。仰る通り、王弟殿下がわたしなどを気にかけてくださる理由はわかりかねます。けれど……」


 そこで一旦言葉を切る。

 ねめつけるようなじっとりとした視線が、ユディの身体を上から下まで這いまわるような感覚を覚えて悪寒が走るが、じっと我慢した。


「けれど、殿下の有用な情報を持って参れると自負しております」


 スパノー侯爵は、ユディが王弟ハルトムートに気に入られていて、しかもそれを迷惑がっているという嘘の設定に引っかかったに違いないのだ。

 そこを効果的に突くと、しばらくしてからスパノー侯爵は鼻を鳴らした。


「……ふん、まあよい。では、王弟殿下について少し教えてもらおうか。殿下がそちに目をかけているというのは、確認済みだからな。仮面を外して城下町まで行ったというのもわかっている。あれはどういうからくりだ? 殿下の声には魔力が込められていると聞いたが……」


 ぞわりとした。

 先日、ハルと城下町に行ったことまですでに伝わっているのが恐ろしかった。


「ご慧眼、お見それいたしました。はい、確かに王弟殿下とともに城下町に参りました。殿下のお声は……ユルゲン師団長が、魔力を抑える術を開発中だそうです。あの日は、その、本当に魔力を抑えることができるのか、ちょっとした実験でございました」

「なるほどな。そちで試したというわけか」

「その通りでございます」


 すらすらと嘘を吐いているようだが、スパノーにユディの能力を悟られてはいけないとの判断から、すべてハルとヴァルターとともに考えた台本通りの台詞である。

 

「して、殿下はどのような娘が好みか? まさか本当にそちのようなつまらない女に執着しているわけではあるまい? そちを隠れ蓑に、ほかの誰と会っているのだ? 我が娘との縁談は一旦は立ち消えになったが、まだ話は死んではおらんからな。で、どうだ? 年上か、年下か? まさか男色ではあるまいな?」


 スパノー侯爵には何人も娘がいるようで、そのうちの誰かをハルに嫁がせたいらしい。

 不躾な質問に腹の底に苛立ちが募るが、これらも予想済みである。


「殿下のお好みの女性は、あまり華美ではなくどちらかというと清楚で、他者に優しく、何よりも正直な方だそうです」

「王都に来るまでは山野で暮らしていた山猿だったと言うからな。あまり派手な女だと気後れするとみえる! そうか、だからそちのような地味な女を側に置こうとするのだろうな! なるほどなるほど!」


 勝手な想像をして上機嫌になる侯爵に対して、ユディは無言で平伏した。

 ————実際は、怒りで白くなった顔面を見られないためだ。

 その後も王弟のこき下ろしは延々と続いた。

 時には合いの手を入れ、時にはじっと聞き役に徹し、ユディはしばらくの間必死に耐えた。

 侯爵の話が一段落したところで、にこやかに切り出す。

 

「侯爵に一つお願いがございます。王弟殿下の情報は、これからも逐一ご報告させていただきます。その代わりと言ってはなんですが……」

「ああ、よいよい。そちは文官になりたいのだろう? あとでそこの者から、『信心深い者のための合言葉』を聞いておけ」


 ————「合言葉」!

 

 ユディの心臓が大きく跳ねる。

 

 結局その日、一刻ほどの血の滲む様な忍耐の代償に、ユディは最も重要なもの——「祈りの間」に入るための合言葉を手に入れることができたのである。


 後は、研修生としての業務や雑用をこなしつつ、ヴェリエ卿とともにスパノー侯爵一派の動きを目立たないよう見張るだけだった。 


※※※


 そして、その日はやってきた。


 研修も終わりに近づいたある日、ジェラルドから王立図書館の「祈りの間」での合格祈願の日取りが決まったと告げられたのである。


 作戦はすでに考えてある。

 あとは、実行するだけだ。

 ——ようやく、真実を暴く時が来た。

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