第36話 お忍びデート 前半

 文官研修、魔法の修行、さらに専門知識とドラセス語の猛勉強に日々まい進しているユディには、休みらしい休みはほとんどない。


 けれど、今日は特別だ。

 研修の合間を縫う形でぽっかりと時間が空いたため、以前ハルと話していた城下町散策を決行することになったのである。


 ハイネ家の使いの者たちに見つからないよう、念のために変装もすることにした。

 まず黒髪を隠すため、うまく結い上げて鬘を被る。 


 胸まである栗色の髪は、これだけでがらりと印象が変わるが、そこにさらに伊達眼鏡をかけて、学院の制服の代わりに赤い花柄のワンピースに着替えた。

 地味な色味の服しか持っていないユディには少々派手に感じられるのだが、城の女官たちが可愛らしい服をあれこれ用意してくれたので、ありがたく使わせてもらうことにした。


 膝丈のワンピースは腰部分に大きなリボンがあしらわれた華やかな意匠。

 足元は革の編み上げブーツで軽快に仕上げてある。

 ちょっといいところのお嬢さん風の、気取りすぎないスタイルは街歩きにぴったりだ。

 

 ハルは例によっていつも通りの白いシャツに黒いズボンだが、仮面をつけていない彼は、その美貌で誰よりも注目を集めている。

 道行く人の視線を浴びる度に、変装してきて正解だったと心の中で嘆息する。


「ここがルールシュの目抜き通りよ」

「へえ、すごい人だ」


 城下町一賑やかな通りにやってきた二人である。

 広い通りの両側には店が立ち並び、さらに道の真ん中にも屋台がびっしりと軒を連ねている。


 店の種類もさまざまで、あちらでは金物が売られていたかと思うと、こちらでは野菜や果物の売り子が声を張り上げており、言ってみれば節操がない。


 実用的な物、面白そうな物、綺麗な物、美味しそうな物————それらがすべてごった煮の鍋に入れられたような、少々野暮ったくはあるが、とても活気のある場所だ。


「ここがユディの好きなお店があるところ?」

「ううん、それは別の場所。先にお昼にしない? この辺りは美味しい屋台がいっぱいあるから選び放題よ」

「いいね」


 商店や屋台を覗きながらぶらぶらと歩いてみる……と、肉の焼ける芳しい香りにハルが歩みを止めた。


「うーん、旨そうな匂い! ユディ、あれ食べようよ」

「やっぱりお肉好きなのねぇ……なんとなくそう言うんじゃないかと思ってたわ。ここって有名なお店なのよ。お肉が串じゃなくて剣に刺さってるの」


 ユディが笑って指差したのは、人だかりのある、ひときわ大きい屋台だった。

 小さな塊に切られた赤身の牛肉が、レイピアのような細い剣にずらっと刺さったものが炭火で炙られている。


 テーブルや椅子なども置かれており、その場で飲食できるようになっている。

 そのうちの一つにユディを座らせると、ハルはさっさと人ごみを押し分けて、串焼きを買いに行ってしまった。


 初めての城下町のはずなのに、まったく物怖じしていない。

 串焼きを手にした人々が思わず食べるのを止めて注目してしまうほどの眩い黄金の髪の主は、意気揚々と肉を手に戻ってくる。

 剣から外された肉が、山のように皿に積み上がっている。


「はい!」

「……あ、ハル、お金は……」


 ハルは早速肉に舌鼓を打ちながら首を振った。


「フェルが女性に財布を出させるなってたくさん持たせてくれたから。今日はユディの欲しい物、全部買っていいからね」

「あのねえ……」


 これはもう、ハルだけでなく、国王にも盛大に甘やかされている。

 

「お城のお金を無駄遣いしちゃ駄目よ」

「お城のお金っていうけど、ぼくだって魔物討伐に出てるんだから、正当な労働の報酬だよ」


 よく考えたら、ハルは騎士団と魔導師団両方に所属する軍人なのだ。

 王弟のお給料というのは、いくらぐらいのものなのだろう、などと考えてしまう。


 ハルを横目に、ユディも肉を頬張った。

 塩と、ピリッと辛い香辛料がきつめに振られた牛肉は、炭火の香りをまとって香ばしく美味だ。


「美味しい!」

「この店、来たことなかったの?」

「前を通りかかったことがあるくらい。王立学院の女生徒は屋台で買い食いってあまりしないわね」


 こんなに美味しい屋台だけれど、王立学院の制服を着ていたら人目を気にしてしまって、ここに座って食べるなんて絶対にできなかったろう。


 大人向けの小洒落たレストランやカフェのようなところに行くというのも、一応考えはした。

 けれど、背伸びしていいお店に行くよりは、肩ひじ張らない場所でのびのびと美味しいものを食べられるほうがいいかと思ったのだが、どうやら正解だったようだ。

 

 随分沢山買ってきたと思ったのに、ユディが食べきれない分はハルがあっという間に片付けてしまった。

 二人分の果実水を買おうと席を立とうとすると、これまたハルがさっさと先回りして買ってきてしまう。


「ねえ、私も少しはお金持ってきてるから、そんなことしてくれなくてもいいのよ。ハルのおかげで研修生になれたから、お給金ももらえてるし」

「ぼくがそうしたいんだって」


 嬉しそうな星色の瞳に見つめられ、ユディはうっと怯んだ。

 自分の欲しいものを買うのにハルに払わせるなんて、何だか悪い。


 困った顔をするユディに、ハルは口を尖らせた。


「もしきみに何も買ってやらずに城に帰ったりしたら、フェルやヴァルターになんてどやされるかわかったもんじゃない。ぼくを助けると思って、諦めて奢られて」

「そんな理屈あるかしら?」


 これまで誰かに奢ってもらったり、何かを買ってもらったりした経験のないユディである。

 どうしたらいいのかわからなかった。


「きみが欲しいものを言ってくれないなら、ぼくが勝手に買ってきちゃうけどそれでもいいの? 宝石がついた髪飾りとか……」

「だっ、駄目駄目、そんな高いもの! ……わかったわよ、じゃあ、後で刺繍糸のお店に行きましょう」


 もう断れないと悟り、ユディは渋々了承した。

 刺繍糸なら安価なので、一、二本買ってもらってもいいかもしれない。

 そうしたら、その糸で、ハルに何か縫ってあげよう。


 簡単な昼食を終えると、目抜き通りを抜けて奥に進んだ。

 数本の通りを越えた先に、お目当ての店がある。

 オリバー通りは手芸を嗜む女性たちの聖地で、そこかしこに大小の生地屋や手芸店が店を構えている。


 迷いのない足取りでユディは一軒の店に足を踏み入れた。

 古い店だが、清潔で温かみがある店内には多くの女性たちがおり、どの娘も真剣な表情で何やら選んでいる。

 値段の割に品質が良いので、ユディたち学生にも人気の店である。


「ここなんだけど……退屈しちゃわないかしら?」

「しないしない……へえ、これも刺繍? すごいもんだな」


 ハルが指差したのは、壁に掛けられたタペストリーだ。


「これは刺繍じゃなくて織物ね。すごく精緻よね……大きいものは織るのに数年かかるって聞いたことがあるわ」

「お嬢さん詳しいね。これは百五十年ほど前のタペストリーで、制作には三年かかったと伝えられているよ」


 ハルのような男性客が珍しかったのか、店主が話しかけてきた。

 制作に三年かかるというのは驚きだが、それよりもかなりの年代物であるということにハルは興味を引かれたようだ。


「百五十年前のもの? 随分古いんだな」

「意匠を見てごらん。騎士の誓いの場面が描かれているだろ? 今の騎士たちはこういうことはしないからね」


 タペストリーには姫らしき人物の前に跪いている騎士の姿が描かれている。

 白いドレスを身に着けた美しい姫が、騎士の剣を彼の肩に置いているのはさながら叙勲式のようだ。


 "騎士の誓い"とはドラグニアの古い慣習で、一人前の騎士が大事な人————つまり主君や愛する人に対して「一生あなたをお護りします」と誓う儀式のことだ。

 

「なんだか結婚の誓いみたいだな」

「姫が白いドレス姿だからね。でも、そういうのじゃなくて、単に誓いの言葉を述べあうだけの儀式だったみたいだよ。でも、単純だからこそ強さがあると私は思うね。古い慣習だから、若い人たちはあまり知らないかもしれないけど」

「そうだね、初めて聞いたよ。ユディは知ってた?」

「ええ、読んだ本に出てきただけだけど。今の騎士たちは国王陛下に忠誠を誓っているけれど、ずっと昔は騎士たちがそれぞれ守る相手を選んで尽くしたって」

「誓いの言葉は何ていうんだ、店主?」

「それならここに書いてあるよ」


 店主がタペストリーの下部を指し示す。

 

 ————汝、無私の勇気、優しさ、慈悲の心、強き肉体と魂を持って我を護り給え————


「騎士から『護らせてほしい』と願い出て、それを許可する形で姫の方がこれを言う……そんな感じ?」


 ハルの質問に店主が頷く。


 「一生あなたをお護りします」とは中々重い意味を持つのでは、とユディは思った。

 

 この姫と騎士の間にはある意味、結婚よりずっと深い絆が生まれている、そんな気がした。

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