第33話 ヴェリエ卿

 ヴェリエ家の邸宅は、ルールシュ城のほど近く、二の区の閑静な場所に位置している。 


 ヴェリエ卿こと、アダン・ヴェリエは夜更けに一人、憂いに満ちた表情で酒杯を傾けていた。

 長きにわたって高位文官を輩出してきた格式あるヴェリエ家だが、近年はほかの諸侯の台頭により、相対的に落ち目となっている感が否めない。


 新興貴族の中でも、スパノー侯爵は特に問題だった。

 派閥作りにとにかく熱心で、文官では縁故採用の者が後を絶たず、優秀な人材が集まりにくくなっている。


 今年の研修生には、珍しく使えそうな女子が入ってきたが、ヴェリエの気に入る者に限って採用試験では不合格になる。

 どうせ、また今年の採用試験でも、スパノー侯の息のかかった人間ばかりが受かるに違いない……。


 あれこれと考えていたら、夜もすっかり更けてしまっていた。

 卓子に杯を置き、そろそろ就寝しようと二階に上がったその時、バルコニーに人影があるのに気がついた。


「……誰だ?」


 文官畑と言えども、多少は剣や魔法の心得があるのがドラグニアの民である。

 片手を前に差し出し、魔力を集中させようとした時、声が聞こえた。


「ヴェリエ卿、研修生のユーディス・ハイネです。夜分にこのような形で訪問してしまい申し訳ありません。どうしても内密にご相談したいことがあって……。どうか、ここを開けていただけないでしょうか」

「ユーディス君?」


 驚きと混乱とが、ヴェリエの顔に広がる。

 戸惑いつつもバルコニーの鍵を開けると、そこにはヴェリエが目をかけている女子研修生——ユディが夜の闇に紛れて立っていた。


「こんな時間にこんなところで、君は何をやっているんだ?」


 ヴェリエの呆れ声に、ユディは困ったように、だがはっきりと言った。


「わたし、ヴェリエ卿に謝らなければいけないことがあるんです。以前、縁故で城に来たのではないと言いましたけど、わたしを城で働けるようにしてくださった方がスパノー侯爵のほかにいるんです」


 ヴェリエは鼻白んだ。

 この娘は一体何の話をしに来たのかと、不機嫌さを隠せない。


「そうか、やはりな。で、君は誰と懇意なんだ?」

「王弟ハルトムート殿下です」

「何っ?」


 次の瞬間、人影がもう一つバルコニーに降り立った。

 銀の仮面を着けた小柄な少年は、夜闇の中でもそれとわかる金髪をなびかせる。


「王弟殿下……!」

「やあ、こんばんは、ヴェリエ卿。悪いんだけど、中に入れてくれる? 人目につきたくないんだ」


 ハルに言われるまま、慌てて室内へ二人を通す。


 内心は驚きで一杯だったものの、ヴェリエは自分を取り戻すのも早かった。

 バルコニーの扉を閉め、長椅子を勧めると、小声で用件を促した。


「こうしてお話しするのは初めてのことですな。こんな夜更けに何用でしょう?」

「悪いね。用件から手短に言うよ」 

 

 ハルはユディに顔を向ける。  

 ヴェリエ卿と交渉するのはユディの役目だ。


「文官の採用試験で不正が行われています」

「何だと……!?」

  

 驚きの視線を受け止めると、ユディはこれまでのことを語って聞かせ始めた。

 話が終わる頃には、ヴェリエの表情はすっかり別のものに変わっていた。


「……それが本当なら由々しき事態だ。このことは、国王陛下には?」

「既に王弟殿下より報告済みです。陛下はわたしたちに調査を任せてくださると仰せでした」

「陛下もご承知か……さぞかしお怒りだろうな。本来、文官採用試験は階級や身分によらず優秀な人材を集めるための制度。それがこうも虚仮にされては……」


 ユディは頷いた。


 事の顛末を聞かされた時、フェルディナンドは怒り心頭だったそうだ。

 ただの文官の研修生であるユディに不正の調査を任せてくれたのには驚いたが、ハルが一緒に動くことが織り込み済みなのもあるし、研修生であるユディのほうが不正の現場に潜入りやすいだろうという目算もある。


 青紫の瞳が、ヴェリエ卿の目を真っ直ぐに見すえた。


「スパノー侯爵を告発したいんです。そのためには言い逃れのできない、はっきりとした証拠がいります。ヴェリエ卿、わたしたちに協力していただけませんか?」

「もちろん、できることは何でもしよう」


 悔しさを吹き飛ばすように、ヴェリエは両手で頬を拭った。


 自分は、何も気がつかずにいた。

 いや、おかしいと思いつつも、何もしてこなかったのだ。


 城に来て間もない、たかが研修生のユディが、あっという間にここまでの事実を突き止めたことに驚嘆の念を覚えるとともに、若干の焦燥も感じた。


 もともと、スパノー侯爵を苦々しく思っていたヴェリエである。

 自分も、部下に負けてはいられない。


「採用試験の問題は、毎年誰が作成して、どうやって保管されているんでしょうか?」

「試験問題は毎年高官が持ち回りで作成して、当日まで城の金庫に保管する決まりになっている。毎年、誰かがこっそり金庫を開けて、問題を盗み出していたということか」

「一旦金庫に入れてしまえば、途中何度も開けて確認しませんものね。当日までにまた戻しておいたのかも。今年はどなたが試験問題を作成されるんでしょう?」

「……私だ」

「ヴェリエ卿が! それは知りませんでした」

 

 ヴェリエは苦々しく息を吐き出した。


「それで、どうする? 今年は金庫に保管せずに、肌身離さず持ち歩くか? 不正の証拠をつかむといっても、どうするつもりだ?」

「いえ、どうか、問題はこれまで通り金庫に入れてください」

「……わざと盗ませるということか?」


 さすが話が早い。

 上司の飲み込みの早さに敬服しながら、ユディは微笑んだ。


「はい。図書館の『祈りの間』で具体的にどのように不正が行われているかはわかっていません。まずは相手を泳がせるべきです」  

「なるほど。だが実際の現場にどう入り込む?」

「護衛騎士のジェラルド・ロドリーを通して、スパノー侯爵へ取り入るつもりでいます」

「ただ頼んだところで取り次いでくれるものでもないと思うが……」

「実はもう頼んで来てしまいました」

「何!?」


 ユディは昼間の経緯をヴェリエに伝える。

 ロドリー兄弟とユディとの繋がりに驚きつつ、ヴェリエは膝を打った。


「なんと……君は仕事が早いな!」

   

 長椅子にもたれかかり、ヴェリエは天を仰いだ。


 その口からは再度ため息が漏れる。

 今度のものは、感嘆のそれだった。

 まったく、大した少女だった。


 身を起こすと、自分に視線を注ぐユディとハルが目に入る。

 居住まいを正すと、王弟に対して頭を下げた。


「いや、失礼いたしました、王弟殿下。ユーディス君にあまりに驚かされたものでね。こんなに自分を不甲斐なく思ったのは久しぶりのことです」  

「ユディはすごいよ。ぼくもいつもびっくりしてる」

「王弟……、いえ、ハルトムート殿下。ご存知かはわかりませんが、現在の王宮には不正が溢れております。それもこれも、城の中枢を担う人材が縁故採用者ばかりだからに他なりません。こういう輩は、国を思って行動せず、我が身の保身に走る。国王陛下がいくら良い治世を行おうとしても、これでは難しい」

「ああ。フェルが表立って裁けないなら、ぼくらが動かないとね」

「此度のスパノー侯爵の不正が公のものとなれば、失脚は免れないでしょう。公正に試験を受けられるようになれば、優秀な人材が増え、風通しもよくなる。ユーディス君も、きっと合格する。いや、してもらわなければならん。君のような優秀な部下は探しても見つからないだろうからね」


 ずいっと迫られて、ユディは身を縮めた。


 光栄な思いだが、これでますます試験勉強を頑張らなければならないというプレッシャーがかかる。

 せっかく目をかけてもらっても、試験の不出来で不合格になったら大変だ。


 だが、まずは不正を暴くのが先だ。 

 着々と揃う手札を数えながら、ユディは気合いを入れ直すのだった。 

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