第32話 演技派女優

 数日後——。


 ジェラルド・ロドリーは、王城内を一人歩いていた。

 今日はスパノー侯爵の登城はなく、久しぶりに騎士団の詰所に顔を出したところ、別の用事で本宮のほうに呼び出されたのだ。


 だが、出向いてみると、ジェラルドを呼んだはずの相手は不在だという。

 貴重な時間を潰されてしまい、いらいらしながら詰所まで戻っているところだった。


 がっちりとした体型のシュテファンとは異なり、ジェラルドは色白でひょろりとしており、およそ騎士らしい外見をしていない。   

 女生徒に人気があるのはシュテファンのほうで、交友関係も派手だ。


 その弟は、先日自分が魔物討伐で行方知れずになったと思われた際には、親同士の意向により、長年懇意にしてきたハイネ男爵家のユディと婚約した。

 だがジェラルドが戻ると、シュテファンはユディとの婚約を破棄してしまい、さっさと従妹のエミリヤに乗り換えて、将来の爵位を確保したのだ。


 ずる賢い立ち回りだが、そんなに派手にやらかしていては、家の評判にも傷がついてしまう。

 それを注意しても、弟はどこ吹く風だ。


 どちらかというと深く考えることをしないシュテファンとは異なり、ジェラルドは自分は思慮深く、それゆえ弟より何倍も優れていると勝手に自負していた。

 スパノー侯爵が自分を重用してくれているのも当然だ。


「ん……? あれは?」


 城内の奥まった場所で、争うような声が聞こえた。

 どうやら、男が女性に無理やり迫っているらしかった。


 気は進まないが、ジェラルドも腐っても騎士の端くれである。

 巻き込まれるのは嫌だったが、仕方なく覗いてみると、意外な人物がこちらに向かってちょうど逃げてくるところだった。


「君は、ユディ!? どうしたんだ?」

「あっ……! ジェラルド! 助けて!」


 ユディはその細い腕をさっと絡めてきた。

 青紫の瞳には怯えたような色が浮かんでいる。


「知らない貴族の方に、急に肩をつかまれて……」

「大丈夫か?」

「怖かった……。ありがとう、助けてくれて。女性の危機に駆けつけるなんて、さすが騎士なのね」


 実際には何をしたわけでもなく、ただ通りかかっただけである。

 さらに、相手が貴族と聞いて、途端に追いかけて捕まえる気をなくしている。

 だが、敬意を込めた瞳で下から見上げられて、ジェラルドの自尊心はいたく満足した。


 それにしても……と、つい、久しぶりに会ったユディを上から下まで不躾に眺めてしまう。

 幼なじみの少女は、以前よりもたおやかで、美しくなっているようだった。


「なんでユディが王城にいるんだ?」

「文官の研修生として働いてるの。でもさっきの人に急に絡まれて……。また会ったら嫌だから、遠回りして戻るしかないわ」

「そうだったのか! どこへ行くところだったんだ? 送っていってやる」 

「まあ、優しいのね」


 嬉しそうに微笑まれて、悪い気はしなかった。 

 二人で並んで歩き出す。

 こうしてユディと二人きりで話すなど、子どもの頃以来かもしれない。

  

「……シュテファンのことは残念だったな。だが、ユディが文官の研修生になったのには驚いた」

「実は、ひょんなことから王弟殿下と知り合いになって……。シュテファンとのことで学院に居づらくなったから、お城にいられるようにしていただいたの」

「王弟殿下に!? そりゃすごい」

「でも、こんなことを言うと恩知らずと思われそうだけど、実は迷惑しているの。偉い方には違いないんだろうけど、なんだか怖くって」

「そうだろうな」


 困ったような顔をするユディに、ジェラルドは不気味な仮面の少年を思い出して頷いていた。


 先だって魔の森で遭難したことは、彼の人生最大の汚点だった。

 先発隊として森の奥に足を進めるうち、目の前に紅い花をつけた植物が群生している地帯に出た。

 そこからだんだんと頭がぼうっとなり——気がついたら森から出られなくなっていた。


 あとでわかったことだが、あの花の香りには幻術の効果があったのだ。

 人間を幻術で動けなくさせて、弱り切ったところで土に取り込んで養分にしてしまうという、恐ろしい魔植物だそうだ。

 あそこで動けなくなっていたらと思うとぞっとする。


 ジェラルドは、幻術にかかった時のことを思いだし、ぶるっと頭を震わせた。

 ——恥だった。 

 

 自分たち先発隊の救助にやって来た隊の指揮官が、王弟ハルトムートだった。

 だが、ジェラルドにとっては魔の森で起こったすべての出来事が忌々しく、命を救ってくれた王弟に対しても、恩義を感じるどころか、嫌な思い出の一つとして頭の片隅に追いやっていた。


「ここで再会できたのも何かの縁かしら。ジェラルドに相談したいことがあるのだけれど……」

「言ってみろよ」


 伏し目がちに切り出された相談に、思わず先を促す。


 ユディは顔を上げた。  

 青紫の瞳がジェラルドを真っ直ぐに見つめる。


「研修期間が終わったら、すぐに採用試験があるわ。今年は受けないつもりだったけれど、わたし、どうしてもすぐに文官になりたいの。家に連れ戻されたら四十も年上の方と縁談させられてしまうし、もう後がない……。ジェラルドが護衛していらっしゃるスパノー侯爵は素晴らしい方だって聞いたわ。ねえ、わたしを侯に紹介してくれない? 聞いたことがあるのよ。信心深い者は採用試験に合格できるって……」

「……どこでそれを?」


 警戒心を込めてジェラルドは返答したつもりだったが、ユディの問いを否定することはしなかった。


「王立図書館でお手伝いしていたから、その時……」

「そうか、マイルズの奴だな。まったく口が軽い」


 ユディはあえてぼかした言い方をしたのに、ジェラルドはやすやすと仲間の名を口にした。

 口が軽いのは自分の方だと気がついていない。


 もうひと押しだった。

 ユディはとっておきの台詞を放つ。


「スパノー侯もわたしを気に入ってくださると思うわ。もしかしたら、王弟殿下の良い情報をお届けすることができるかもしれないし……」


 ジェラルドは驚きの顔でユディを見つめた。


 要するに、スパイの申し出である。

 王弟ハルトムートは貴族諸侯との繋がりがほとんどない。


 スパノー侯爵が王弟の情報を手に入れられれば、ほかの諸侯たちに先んじて取り入ることもできる。

 月日が人を変えるのか、少し見ないうちに、真面目な幼なじみの少女は随分したたかになっていたようだった。


「しかしなぁ……」 

「元はといえば、わたしがシュテファンに婚約破棄されたのも、あなたにも少しは責任があるのよ。ね、お願い。侯に話してみてくれるでしょ?」


 そう懇願され、罪悪感に心が揺れた。

 ジェラルドが行方不明になったのは任務中の事故である。


 厳密に言えば彼のせいではないのだが、行方がわからなくなったことでシュテファンがユディと婚約を決め、戻ったことで婚約破棄となったのは事実だ。 

 責任があると言われてしまっては、言い返すことはできなかった。


 ジェラルドはユディの申し出に渋々頷いた。



 ————そのユディが内心舌を出しつつガッツポーズを決めていたことは、知る由もなかった。


 まずはスパノー侯爵に取り入って、彼が不正に関わっているという証拠を集めるというのがユディの計画だった。 


 そこで考えたのがジェラルドに近づくという作戦だ。

 シュテファンとは確執がありすぎて、とても話すことはできないが、兄のジェラルドであれば別だ。


 先ほどの演技は、ハルとヴァルターの指導によるものだったが、こうもあっさり騙されるなんて、ジェラルドはそれほど悪人になりきれていないのかもしれない。


 ちなみに、男に襲われそうになったふりをするとか、王弟の情報をスパノー侯爵へ流すといった、いかにも悪女っぽいシナリオを考えたのはもっぱらヴァルターである。

 とても自分ではこんな芝居は考えつけない。

 

 とにかく、スパノー侯爵への繋ぎを頼むというお膳立ては整った。


 お次は、内部の協力者作りである。

 ユディは心の中だけで、気合いを入れ直していた。

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