第31話 不審な点

 出奔した日には随分たくさんのことが起こったのだ。

 それらを必死に回想する。


(あの時、幽霊も出たのよね。あれ……なんか忘れてる。なんだっけ……?) 


「ねえ、ハル。話は飛ぶけど、図書館で幽霊に遭遇したの覚えてる?」 

「え? ……ああ、覚えてるよ。そういえば、『祈りの間』を調べに行こうって言ったまま、まだ行けてないね」

「『祈りの間』……! そうだわ! すっかり忘れてた」


 幽霊が消える寸前に、「祈りの間」と言い残したことを思い出した。


 何かがユディの心に引っかかる。


 もともと、あの幽霊話はマイルズが教えてくれたものだ。

 あの時、「祈りの間」で貴族の子息たちが採用試験の合格祈願を行うと言っていた。


 そこで祈りを捧げると、神のご加護で試験に合格すると。

 今思えば、マイルズはその話を遮るように、慌てて幽霊の話を持ち出したのではないか……。


 そのマイルズは、スパノー派の文官だとヴェリエ卿が言っていた。

 ジェラルドは、スパノー侯の護衛で、便宜を図ってもらうかわりに怪しげなことをさせられている。


 図書館にいたというジェラルド……。

 それに、研修期間中には顔を見せないのに、採用試験だけは好成績で合格するという生徒たち。



 雷に打たれたようにユディの頭にある考えが浮かぶ。


「どうしたの? ユディ」

「ハル!! 聞いてほしいことがあるんだけど……」

「何?」

  

 どこから説明したらいいのか、迷いながらも話し始める。


「今日お城でスパノー侯爵を見たの。あちこちで派閥を広めている方だって、ヴェリエ卿が言ってたわ」

「スパノーか……」


 ハルは眉根を寄せ、いかにも嫌そうな顔になる。


「知ってるの?」

「縁談を申し込まれたことがある」

「えっ!!」

「本人じゃないよ! 娘さんと」

「わかってるわよ……」


 ユディはがくりと肩を落としつつ、ハルを見やる。

 仮面の王弟の素顔がこれほどの美貌だとわかれば、縁談の申し込みは後を絶たないだろう。


 ハルのお披露目を多くの人の前で成功させたいという気持ちはもちろんある。


 けれど、ハルの素顔は自分だけが知っていたい……。

 他の令嬢たちに、見せたくない。


 そんな邪な気持ちが心のどこかにある気がして、ユディは慌てて頭を振った。

 そんなの、嫉妬以外の何物でもないではないか。


 ————だけど。

 文官になれたとして、そして運よくハルのお付きの外交官になれたとして、彼が然るべき深窓の令嬢や、どこか他の国の姫を娶るのを、この目で見ることになるのだ————。


 どくん、と胸が鳴った。

 先ほどの高鳴りとはまるで異なる響き。


 痛いほどの鼓動が、どういう意味なのか、わかりたくなかった。


 これ以上ないくらい素早く自分の気持ちに蓋をすると、ユディは話を戻した。


「スパノー侯爵のご令嬢とはどうなったの?」

「会わなかった。スパノーがぼくの悪口を言うのを、偶然聞いちゃったからね」

「悪口?」 


 ハルの声の温度がぐっと下がる。


「『母親の腹の中にニ十年も入っていたような化け物でも、使いようによっては便利だ』」


 唖然とするユディだった。

 次に、怒りが沸いてくる。


「ひどいわ!」

「貴族の間では、ぼくを国王に仇なす賊だと思ってる人とか、ぼくに取り入ろうとする人とか、フェルと仲違いさせて国政を混乱させようとする人とか、色んなのがいる。スパノーは、その中でも最悪。ぼくに取り入ろうとしたけど、うまくいかないから、腹を立てたのかな? とにかく、あいつは腹黒い狸だとフェルから聞いたことがある」

 

 ハルの命を狙って幾度か刺客を差し向けたのもスパノーではないかと疑っているのだが、それはさすがに口にできなかった。


 それでも、ユディの中で、これでスパノー侯爵は完全に敵と認定された。

 険しい顔で、自分の推論をハルに伝える。


「スパノー侯爵の護衛の騎士に、シュテファンと、兄のジェラルドがいたの。侯は、騎士でも、文官でも、懇意にしている家の者には融通を効かせてあげる見返りに、あやしげなことをさせることもあるんだって」

「ああ、いかにもありそうだ」


 シュテファンとジェラルドの名前が出たことで、ハルは顔をしかめる。

 

「それで、図書館で会ったマイルズさんを覚えている? 彼は、スパノー派の文官なんだそうよ」

「へえ!? やっぱりか」

「やっぱりって、ハルは知っていたの?」

「いや? 知らなかった。でも、なんとなく嫌な感じがしたんだよね」 

「嫌な感じって……。そういえば、マイルズさんに対して、反感を持ってるみたいだったわよね。何でかなぁって思ってたけど」

「城にいる貴族たちで、腹に一物ありそうな奴らって、何となく臭うんだよね。こう、なんか…………嘘が臭う感じ?」

「あなたの鼻ってどうなってるの?」


 ユディは呆れ顔になる。

 目も耳も鼻も、ハルの知覚能力は普通の人間のそれとは一線を画している。

 ハルは肩をすくめると、目線で話の続きを促す。


「えっと、ほかにも気になったことがあるの。研修に来ている生徒たちだけど、思ったより平民出身者が多いのよ。だけど採用試験には、研修期間中には姿を見せなかった貴族の息子たちが現れて、好成績で合格するんですって。わたしは最初、そういう人たちは勉強してる内容が違うとか、家庭教師をつけてるとかで、すごく優秀なのだろうと思ったんだけど、ヴェリエ卿が言うにはそうでもないみたいなの」


 ハルは黙って聞いてくれている。  


 自分の頭の中も一緒に整理しながら、話の要点をまとめるように話した。


「図書館でレイ先輩がしていた話を覚えてる? 採用試験の前に、貴族の生徒たちが図書館にやって来て、司祭様と一緒に『祈りの間』で合格祈願をするって。普通の利用者は入れないようなことも言ってたわ。そこで祈願すると、試験に合格するんだって」

「ユディ! それって……」


 そこまで話すと、ハルが身を起こした。 


 ユディは頷いた。


「これは憶測なんだけど、『祈りの間』で何らかの不正が行われてるんじゃないかしら。それも、大規模で、何年も続いている、悪質なものよ」


 不正の大元はスパノー侯爵。

 おそらく試験問題をどうにかして事前に手に入れ、それを騎士のジェラルドを使い、王立図書館に届けさせているのではないだろうか。

  

 シュテファンも図書館にいたというのは、ジェラルドが行方知れずになったため、きっとその時には代わりに図書館との連絡係を仰せつかったのだ。

 事前の打ち合わせでもしていたのかもしれない。


 下準備はマイルズの仕事なのだろう。

 合格祈願と称して「祈りの間」に部外者が入れないようにしておいて、そこでこっそり問題を受験生に渡す。

 祈りの間の近くには幽霊が出ると言って、一般の利用者が近づかないようにしているのかもしれない。


 ユディが推測した内容を話すと、ハルが考え込む表情になる。


「でも、それだとぼくらが遭遇した幽霊の説明がつかない」

「そうなのよね……。それも合わせて調べに行きたいわ」

「だけど今の話が本当なら、下手に動くとぼくらが感づいたことに気づかれる危険もある。どうする、ユディ?」

「どうするって?」    

「きみは未来の文官なんでしょ? 王弟ハルトムートとして訊くよ。こういうとき、きみならどうしたらいいと思う?」

 

 厳しいハルの表情にはっとした。

 王弟殿下として問われるならば——。


 ユディはしばし考え込む。

 要するに、これは組織ぐるみのカンニングなのだ。


 うまく立ち回らないと、スパノー侯爵のような有力な貴族に対して、むやみに疑いをかけたりしたらこちらが処罰されてしまう。 


 ジェラルドやマイルズを問い詰めたところで、彼らが何か喋るとは思えない。

 国王陛下や王弟の権限をもってスパノー侯爵を告発するにしても、「そんなことはやっていない」としらばっくれられたら水掛け論になってしまう。

 

 やめさせるには、方法は一つ。



 ————現行犯逮捕しかない。


 ユディは立ち上がった。


「不正の揺るがぬ証拠をつかむ必要があるわね。ハル、わたしを手伝ってくれる?」

「もちろん。きみのお望みのままに」


 今度はいつものハルの顔だ。

 星色の瞳がいたずらっぽく微笑んだ。

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