第30話 セラフィアン様
ユディは両手を頬に当てて、熱を冷まそうと必死だ。
突然のキスのせいで著しく脱線したものの、話はまだ終わっていなかった。
ハルはユディから身体を離し、涼しい顔をしている。
年下のくせに……と思うのだが、先ほどはその態度のせいであんな目に遭ったのだから、絶対に口にできない。
こほんと咳払いをして、何とか平静を装う。
「さっきの話の続きだけど、魔力過多っていうのは王族ではよくあることなの?」
「煌龍リューネシュヴァイクの血筋ってやつらしいけど、フェルが生まれたときは全然問題なしだったから、人によるのかも。あいつは声も普通だし」
「そっか……。ハルの声は正真正銘の『龍の咆哮』なのね……。そういえば、その仮面はどうやって手に入れたの?」
「これはセラフィアンがくれた」
「セラフィアンって……!?」
「賢龍セラフィアン……。ぼくの育ての親だよ」
「ええー!」
ユディは今度こそ腰を抜かさんばかりに驚いた。
遥か昔に生きた龍で、リューネシュヴァイクと同様、伝説の存在。
賢龍と呼ばれ、王族や国民の危機に王国に現れたと伝えられている。
それがハルの誕生を助け、赤ん坊の頃から声に魔力のあったハルを城から連れ出し、これまで育ててきたという。
「じゃあ、ハルはお城で育ったわけじゃないのね」
「それこそ、平民どころか流浪民みたいな生活をしてたよ。セラフィアンと二人で人間のいない山中とか森に住んでた」
楽しげに言うハルに、ようやく色々なことが腑に落ちた。
王弟なのにまったく飾らない態度はそこで培われたのだろう。
「セラフィアンって、伝説だけかと……」
「龍は長生きだからね。リューネシュヴァイクは人になって天寿を全うしたけど、セラフィアンは龍のまま、永き時を生きている……」
「神様……ううん、セラフィアン様にお会いできないかしら?」
ハルは両手を広げ、わからないというポーズを取る。
「あの人は神出鬼没だからなあ……。もともとぼくが王城に戻ったのは、セラフィアンが行けって言ったからなんだよ。これからは王族として、兄王を助けてやれって……」
「気が進まなかったの? ……あ、ごめんね。なんとなくそんな気がしたから」
「うん……。最初は人間に興味を持ってたんだけど……。来てみたら、王城の人間たちは嫌なやつばかりだし、話がわかるのはフェルとヴァルターと団長たちくらい。正直、もう飽き飽きして、竜たちとばっかり遊んでた」
「魔導師団員たちは、ハルのことを尊敬しているみたいだったけど……」
「それは一緒に魔物討伐の任務に出てるからだろうね。ぼくはいつも前線にいるし」
武勇を重んじるドラグニア人にとって、戦場で前線に出ない上官は軽蔑される。
勇気のない者と兵たちに見なされたら、士気に大きく関わるうえに、そもそも命令に従ってもらえない。
「魔物討伐は城の外だから気が楽でいいんだけど……」
特に気を遣うのが、城内での生活。
それも、食事時だとハルは吐露した。
飛竜の塔に住んでいるのはハルだけで、食事は本宮から運ばれてくるそうだ。
「食事をそこに置いておいてくれればいいって言ってあるんだけど、たまに給仕します! って張り切ってる女官がいたりするんだよね。そうすると、すごく緊張する。万が一喋っちゃって、倒れられたりしたらと思うとね……。なんだか面倒になって食事を抜いた日にきみと出会った」
「そうだったの……」
あの時ハルがお腹を空かせていたのはそういう理由だったのか。
その女官はハル狙いなのでは……という考えがちらりと頭をよぎった。
「城下町は栄えてるから最初はわくわくしたけど、仮面姿でうろついても目立つから、散策もそれほどできないし」
「あら、それなら飴を使って、今度一緒に出かけましょうよ。こう見えても、もう五年王都にいるのよ」
正確には父が亡くなってしばらくして、十二の歳に寄宿舎付きの王立学院に追いやられたのだ。
そりの合わない叔父一家との苦い思い出だが、ハルに城下町を案内してあげられるなら怪我の功名だ。
ハルは目を見開くと、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「……それってデートのお誘い?」
「…………! 違うわ、これはあくまで社会見学よ」
慌てるユディに構わず、ハルはどんどん話を進めることにしたようだ。
「いいね。どんなところに連れてってくれる? ユディは城下町のどこが好き?」
「どんなと言われると……。よく考えたらわたしの知っている店は庶民的なお店ばかりだわ」
「だから、構わないって。こう言ったら身も蓋もないけど、ぼくは山育ちの猿みたいなものだよ。それに……」
————きみと出かけられるなら、どこだって……。
笑って口をつぐむハルに小首を傾げながらも、ユディは一生懸命説明する。
「女生徒に人気があるのはパルマ通りかしら。お菓子屋さんとかおしゃれなカフェが端から端までずらっと並んでるの。レースや刺繍糸を買うならオリバー通りとか……」
「へえ。女の子なんだなあ……」
今更ながらそんな当たり前のことが口をついて出る。
これまであまり人間と関わってこなかったからか、女の子の生態がよくわかっていないハルである。
「あと、外せないのがペルア通りね! わたしはここが本命」
「わかった。本が売ってるんでしょ」
「ふふふ! 当たり」
嬉しそうに微笑むユディをこの手に掻き抱きたくなり、自制心を強く働かせる。
これ以上は、本気でまずい。
ぐぬぬ、と腹に力を込めた。
「どうしたの?」
「何でもない……話が逸れちゃったね」
確かに随分脱線していた。ようやく話を本筋に戻す。
「ねえ、ハル。セラフィアン様ってさらさらの長い白髪で紅い瞳の優麗な方?」
「ん? なんで知ってるの?」
図書館で『王族年鑑』を読んだときのことをユディは思い出す。
セラフィアンの人化した姿絵は、ユディの前世である山西悠里をこの世界に転生させた神様にそっくりだった。
どういうことなのか、確かめる必要があった。
「えっと……図書館でセラフィアン様の姿絵を拝見したんだけど……実は、幼い頃に夢を見たの。セラフィアン様とそっくりの白い髪に紅い瞳の美形の妖精が、わたしに禁書を翻訳しろっていうのよ」
「何それ!?」
前世を思い出したのは幼少期なので、あながち間違いとも言えない。
神様と会ったのは夢だということにして、要点だけを伝えた。
「禁書はドラセス語で書かれているんですって。この羽根ペンはその夢を見た頃から突然召喚できるようになったの」
「ドラセス語を勉強してる理由はそれ?」
ユディは頷いた。
多少は事実を歪曲して伝えているが、これくらいなら許容範囲だろう。
だが、ハルは頭を振った。
「禁書か……。セラフィアンから聞いたことないな」
「そう……」
もし、セラフィアンと神様が同一人物だとしたら、前世で依頼された禁書の翻訳をどうすればいいのかを聞きたかった。
禁書のありかについては、これまでのところ、情報が全然ないのだ。
王立図書館のどこかに隠されているという噂はあったけれど、それらしき場所は見当たらなかった。
(図書館か……王族年鑑を探しに行ったとき、レイ先輩と会ったのよね。そしたらプロポーズされて……返事せずに城に来てしまったけど……)
ユディの思考が、王立学院を飛び出したあの日に戻っていく。
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