第27話 龍の背で
竜の背に乗って飛ぶなんていう、ファンタジーの世界そのものの行為を楽しむ余裕はユディにはなかった。
怖くて目をつぶってしまいたくなるが、見えないのもそれはそれで怖い。
「ユディ、目を開けて! ほら、ルールシュだよ」
「わ……!」
眼下には王都が広がっていた。
王城の背の高い尖塔、城を取り囲む三つの城壁、城下の家々の屋根……。
さらにその先には、緑の田園風景がどこまでも先へ先へと伸びていっている。
普段見慣れているそれらが、いつもと違う角度で色とりどりに地上を彩っていた。
「すごい景色……! 鳥じゃなかったら知らない景色ね」
「それを言うなら鳥じゃなくて竜でしょ?」
ハルは笑って黒竜の手綱を取る。
馬と同じくらいの大きさの竜は、ハルの意図を理解したようにさらに上昇する。
上空はさらに空気が澄んでいた。
視界いっぱいに青空と雲が広がる未知の世界だ。
気持ち良いけれど、暖かい陽射しがあっても、ここまで来ると吹きすさぶ風は意外に冷たい。
前世の世界で、夏でもバイク乗りは長袖ジャケットを着込んでいるが、同じような理由で寒いのかもしれない。
「寒い? 戻ろうか?」
「ううん、大丈夫。もう少し、このまま……」
竜の手綱を握るハルの腕は、ユディの横を通り前に伸びている。
まるでハルに後ろから抱きしめられているような格好なので、恥ずかしい気持ちもあるけれど、妙に安心した。
「ユディ、腕輪つけてる? 久しぶりに外しちゃお」
ハルが仮面を外したのが、背中越しに伝わる。
振り返ると、久しぶりの素顔のハルがいた。
陽の光を受けて輝く黄金色の髪をなびかせながら、星色の瞳がユディを見て微笑む。
急に恥ずかしくなり、ユディは慌てて前を向いた。
今日のハルは凛々しい戦装束だ。
普段の彼も素敵だけれど、今日はいつにも増して男ぶりが上がっている。
照れているのを誤魔化すように、顔は前向きのまま話しかける。
「魔物の討伐に行ってたのよね。危ないことなかった?」
「うん、今回は余裕だった。ユルゲン師団長が一緒だったし。すぐ終わって帰ってこれたよ」
「上からわたしを見つけて降りてきてくれたの?」
「そう。なんかしょんぼりしてるみたいだったから」
「えっ! そんなにわかるもの?」
「ぼく目がいいから」
上空から見たら人間など豆粒以下の大きさだろう。
一体どれだけ目がいいのか、計り知れない。
しばらく上空を旋回した後、ハルは竜の鼻先を王城へ向けた。
王城の裏手にある塔に目がけて、慣れた様子で向かい、その吹きさらしの最上階に降り立つ。
絢爛豪華な城内とはがらりと変わり、いかにも砦のような、質実剛健の雰囲気が漂う場所だ。
「ここがハルの住んでいる『飛竜の塔』?」
「うん。ぼくの友人がよく飛んでくるから、普通は立ち入り禁止って言ってあるけど」
「そうなの? 竜って、危ないの?」
「不用意に近づいて、噛みつかれりしたら死ぬかも?」
「う……」
先ほどまで背に乗せてくれていた飛竜のローグが、金色に光り輝く瞳をユディに向ける。
まるで珍妙なものを見るかのような、不躾な視線だった。
「ユディ、竜と視線が合ったら逸らしたらだめだよ。向こうから逸らすまで必ず待って。目を逸らしたら、弱いって自分から言っているようなものだからね」
「わかったわ」
すぐそこにいる獣をじっと見つめているのもなかなか恐ろしい話だが、ユディは素直に従った。
やがて、ユディの存在が気にならなくなったのか、ローグはついと視線を逸らすと、ハルの周りに陣取ってとぐろを巻き始める。
蛇というより、大きな黒猫が飼い主に侍っているかのように見える。
「触りたいわ……! さっきは落っこちないようにするのが精一杯で、ゆっくりと触れなかったもの! ドラグニアの歴史物語って竜が頻繁に登場するのよね。常々触ってみたいって思ってたの。その鱗の感じとか、金色の瞳もなんて美しいのかしら!」
ちらちらと視線をやるユディだが、恐ろしさと威厳と美が一体化している生き物に、向こう見ずに近づいていって触れる勇気はなかった。
「ローグ、そう言ってるけど、どうする? 触らせてあげる?」
ローグはグルル……と喉を鳴らす。
「ちょっとだったらいいって言ってるけど」
「人の言葉がわかるのね?」
「竜って賢いからね。騎士を背に乗せてる個体は特に頭がいい。その中でも、ローグは別格だけど」
主人に褒められてまんざらでもない顔をしている……ようにユディには思えた。
もしかしたら、意外と茶目っ気のある子なのかもしれない。
「じゃあ、失礼して……」
ユディは静かにローグの側に寄った。
近くで見ると、その姿から発される威圧感は相当のものだ。
鋭い鍵爪と牙を持つ彼らから見たら、人など脆弱で矮小な存在に違いない。
ユディの青紫の瞳が、黒竜の金色の瞳と交差する。
「こんにちは、ローグ。わたしはユディよ。さっきは背に乗せてくれてありがとう。あなたってとっても素敵な姿をしているのね。どうか怒らないで、ほんの少しだけあなたの美しい鱗に触れるのを許してちょうだい」
熱心に頼み込むと、やがて小さな音が喉の奥から響いてくるのが聞こえた。
「いいってこと……なのかしら」
「触ってごらん。優しくね」
ユディは手を伸ばして、そっと鱗に触れる。
「あ……温かい。さっきは冷たく感じたのに。それにさっきより柔らかいような…………? これなら思いっきり抱きつけそう! いつか、あなたともっと仲良くなったら、一緒に昼寝したいわ」
「よく気がついたね。竜は意思の力で鱗の硬さを変えられるんだよ。飛翔の際には地上にいるときより硬い。戦闘の時は剣を弾くほど強固になる」
「意思の力で……。そういえば竜は魔法を使えるの?」
「竜っていう生き物は、魔力自体は人よりもずっとすごい。でも彼らは魔法陣なんか描けないからね。竜の世界では、意思の力で魔力を制御するんだ」
「そうなのね。興味深いわ」
しばらくそうして鱗に触れていたが、やがて不思議なことに、心の中のモヤモヤしたものが晴れていくような感覚を覚えた。
竜には癒しの力があるのだろうか。
いつの間にかにこにこと微笑んでいると、ハルが言った。
「まさか、ローグと昼寝したいという女の子がいるとは思わなかったよ。ユディはやっぱり笑っているほうがいいね」
もしかして、落ち込んでいると思って、元気づけようとしてくれたのだろうか。
「ありがとう、ハル」
ハルは頭を掻いた。
それから、静かに問いかけてくる。
「ユディ、何かあったの?」
「実は……」
魔導師団に研修生が来たこと。
その中にエミリヤがいたこと。
一月後、研修期間の最終日に彼女と模擬戦でやり合わなくてはいけなくなったこと。
それらを、ありのままハルに伝えた。
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