第23話 鬼上司

「ところで、この国の王弟殿下って見たことあるか?」


 ハルの話題が出たことで、ユディの心臓がどきりと音を立てた。


 ここのところ、ハルと会えていない。

 研修生と一緒に仕事をするようになってから、なぜかハルはユディに会いにきてくれなくなった。

 王弟の住居は、城の裏手にある「飛竜の塔」だというが、ユディはまだ一度もそこに足を踏み入れたことがない。


 やはり身分の差なのだろうか。

 同じ城にいるはずなのに、妙にハルと距離を感じる。

 

「えっと……」

 

 思わず言葉を濁すと、ジャンはそれを否定と捉えたようだ。


「誰も見たことないんだよなー。王弟殿下って病弱とか言われてるけど、噂では呪われた声の持ち主らしいぜ。なんでもその声を聞くと魂が抜けるとか……」

「なっ、そんなこと……!」 


 ユディが怖がっていると誤解したのか、ジャンはにやりと笑いかけてくる。


「ただの噂なんだから怖がるなよ。でも、呪いを封じるために妙な仮面を着けてて、それを人に見られるのが嫌だから王城奥の塔に引っ込んでるとも聞いたぜ。だから国民の前にも出てこれないんだろ?」

「そんな……」

「だいたい、出自も怪しいっていうぜ。王宮に戻ったのは最近っていうけど、そもそもなんで今まで王宮を離れてたんだ? 国王陛下とは王妃様の違う異母兄弟っていうけど、もしや先王陛下の血を引いてないとかな。そしたら王宮から厄介払いされていたのも頷ける」

「…………」


 ハルがそんなふうに気味悪がられたり、出自を疑われているなんて、知らなかった。


 もしかして、出会ったときに身分を偽っていた理由は、このせいなのだろうか。


 何か言い返そうと顔を上げたユディは、扉のところにいる人物に気がつき青くなった。

 ジャンは気が付かずにさらに言葉を続ける。


「それに、人間じゃないって噂だってあるんだぜ。なんでも、母親の腹の中に二十年もいたんだと。そんなのって、もはや化け物……」


 ごほんという咳払いが、その先を遮った。


 細面に銀縁の眼鏡をかけた背の高い人物が、不機嫌そうな表情で立っている。

 歳の頃は三十代後半。


 研修生の間で「鬼上司」とひそかに呼ばれている、ヴェリエ卿であった。


「近頃の研修生は随分暇を持て余していると見える。頼んだ書類はどうなったのかな、ジャン君?」

「ヴ、ヴェリエ卿!」

「ああ、そっちの女生徒に頼んだのか。それでは現在、きみがするべき仕事は何だ? 我が国の王族についての噂話を、同僚と楽しむことか?」

「いや、あの……」

「自分の仕事を同僚に押しつけたのであれば、すぐに別の仕事を探しに行きたまえ。明日の会議の手配は終わったのか? 配布書類は? 会議室の警備は? すべて準備できたのか?」

「えっと……その……! し、失礼します!!」

 

 バタバタと足音を立てて、ジャンが部屋から出ていくのを、ヴェリエは溜息をつきながら見送った。


「女生徒君、書類は?」

「できています」


 ユディはジャンに頼まれて直した書類を上司に手渡す。

 女生徒君という呼び名も、怖くてとても訂正できない。


 不機嫌そうな表情を変えずに書類を確認すると、ユディに向き直った。


「おい、女生徒君。ジャン君の仕事を終わらせたのはいいが、自分の仕事はどうした?」

「それはこちらに」


 フリジア語の公用文書をいくつかドラグニア話に翻訳しておく仕事をいいつけられていたが、翻訳こそユディの得意分野だ。

 公用文書の書式を学ぶ良い機会になると、嬉々として作業していたらすぐに終わってしまった。


 ヴェリエは翻訳した書類に目を通すと、ふんと鼻を鳴らした。


「君の名を聞こうか」  

「ユーディス・ハイネです」

「ユーディス君。きみは本当に縁故採用なのか?」

「……は?」

「いや、あまりにも仕事がきちんとしているのでな。縁故採用で入ってきた娘がここまでできるとは意外だ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 縁故採用って何のことです?」

「違うのか? きみもスパノー派なんだろう? いや待てよ、ユーディス・ハイネか……。聞いたことがあるな。確かヴァルター君と魔術の修行もしてるんだったか? では派閥を越えて……?」

 

 銀縁眼鏡を抑えて、首をかなり斜めに傾けているヴェリエである。


 ユディは立ち上がった。


「何か誤解されていらっしゃるようですが、わたしはしがない男爵家の娘にすぎません。文官になれるのは良家の子女のみというのは、聞いたことがあります。もしそれが真実であれば、わたしは文官になれないでしょう」

「……そうなのか?」


 ユディは頷き、思い切って訪ねる。


「スパノー派って何ですか?」


 ヴェリエは眼鏡を直すと、こともなげに言った。


「宮廷の有力者、スパノー侯爵の派閥だよ。王立学院から研修生は毎年やってくるが、採用試験に受かるのはなぜかスパノー侯の懇意の家の者ばかりだ」

「それは、縁故採用ということなんですか?」

「ああ……。やめさせたいが、そうはいかない事情もある。合格者は皆、ほとんど満点で合格している。ほかの受験者と比べても、試験結果が飛び抜けていいんだ」


「成績優秀な方たちなんですね」

「成績だけはな」


 だけ、というところを強調し、ヴェリエはいまいましげに息を吐いた。 


「合格者の中には、研修期間中は現れなかった者もいたりするんだ。大抵は貴族の息子たちだな。研修をすっ飛ばして試験だけ受けにくるなんて普通は考えられないんだが……。こういうやつらは、働かせてみると、まったく使えない。プライドばかり高く、命令され慣れてないから動きが鈍い。おまけに注意するとすぐ不貞腐れる」


 王立学院によくいるタイプの生徒だ。

 ユディはうんうんと頷いた。


「わかります」


 ヴェリエは「そうか」と肩を落とした。

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