第20話 王城にて
ハルがユディの部屋を訪れると、ちょうど女官が部屋から出てくるところだった。
仮面の少年に気づき、慌てて頭を下げる。
王弟ハルトムートが城内にいるのは珍しいことなのだ。
「あの……お客人はお疲れのご様子で、長椅子でお眠りになっております。誰か呼んで、床にお運びしましょうか?」
「いや、その必要はない。ぼくが運ぶよ」
ハルは静かに部屋に身を滑り込ませた。
ユディは長椅子に座ったまま目を閉じ、規則正しい寝息を立てている。
風の魔法で浮かび上がらせることもできるが、ハルはあえてユディをその腕に抱きかかえた。
小柄な身体からは想像もできないほど、ハルは力が強い。
ユディの細い身体はやすやすと運ばれ、優しくベッドの上に横たえられた。
前髪がユディの顔にかかっているのが目にとまり、ハルは指でそれを払う。
さらさらとした感触が指に残り、くすぐったさを覚えた。
もっとその髪に触れていたい——そんな欲求に駆られていることに気づき、慌てて身を離した。
「危ない危ない……何してるんだよ、ぼく……」
明日の朝また様子を見にくることにして、ハルは部屋を後にした。
ユディが側にいる。
明日も、またすぐ会える。
そのことが嬉しかった。
——でも、とふと思考が途中で止まる。
自分といることで、ユディが不利を被ったら……?
それは嫌だった。
(——ユディは、ぼくの大事な友人)
なぜこんなに胸を衝かれるのか、その理由を「友人だから」で済ませられるのか、もはやハル自身にもわからなかった。
※※※
窓から差し込む陽の光で、ユディは目を覚ました。
一瞬、どこにいるかわからず慌てふためく。
(そうだ、お城にいるんだったわ。昨日はそのまま寝てしまった……?)
かなり早朝だというのに、すでに隣室では女官が控えていた。
ユディが出てくると、訓練された動きでてきぱきと朝食を準備してくれる。
考えてみたら、昨日の昼に小鳥寮でピタパンサンドを食べてから何も食べていないのだ。
猛烈にお腹が空いてきた。
テーブルにはパンやヨーグルト、それに数種類のハムやナッツなどがところ狭しと並べられたが、ほとんどきれいに完食してしまった。
女官にお礼を言い、ハルを探しに行こうと席を立つと、ちょうどヴァルターがやって来た。
昨日は御者姿だったのに、今日は魔導師らしき黒のローブを身にまとっている。
会う度に格好が違うので、ヴァルターが何者なのかユディはよくわかっていない。
「おはようございます。昨日はさすがにお疲れになったようですね。書庫は今日ご案内します。その前に、国王陛下がユーディスさんにお会いになるそうですので、まずはご準備をお願いします。そちらにいる者たちの指示に従ってくださいね」
(国王陛下……ご、ご準備……!)
昨日は使わないで寝てしまったが、猫脚のバスタブに入らされるのだろうか。
ヴァルターの言葉と同時に、女官たちがわらわらとユディの周りに集まってきた。
「さあ、ユーディス様! 湯浴みをお願いいたします。国王陛下に拝謁するんですから、腕によりをかけて磨かせていただきますからね」
「まあー、なんて手入れのされていない肌なんでしょう。これは磨きがいがありますわね。薬湯にしましょうね。湯上がりには香油をたっぷりと……」
「ドレスはどうしましょう? 腰の部分をもっと引き締めないと、用意した衣装に入らないですわ」
ユディの喉から、ひっという音が漏れる。
慌てて後ろを振り返るが、ヴァルターはすでに部屋をそっと退出した後だった。
「さあさあ、お洋服を脱ぎましょうね〜」
「ひっ、一人で脱げます!」
「ごめんなさいね〜、お手伝いする決まりなんですよ〜」
「ひええ……!」
最初はあれこれと抵抗したユディだったが、ここまで来たのだからと、ついに腹をくくることにした。
ルールシュ城の女官たちはプロである。
あっという間に服を脱がされると、浴槽に放り込まれ、磨かれてしまった。
良い香りのする薬湯には、たまった疲れを洗い流す効果もあるようで、身体がじんわりと温まってくると、リラックスするのに頭は冴えてきた。
ふんわりとした布で拭かれ、つるつるになった肌に乳液が擦り込まる。
清潔に洗い上げられた髪には、艶が出るよう香油が振られた。
用意されたドレスは、どれも淡い色調のものだった。
特にお勧めされた薄紅色のドレスは、腰部分は細く、そこから裾がふんわりと広がる可愛らしいデザインだった。
肩部分は開いていて、透ける素材のフレア袖に仕立てられている。
背中の部分がやや深目に開いているのと、肩部分が開いているのが気にはなったが、ほかのドレスは肩が全部露出していたり、身体の線がぴったり出るものだったりしたので、結局それに決めた。
ドレスの胸部分には、全面に精緻なレースが施されている。
(このレースは一針一針が、手作業で……。お、恐ろしいわね)
前世でも、結婚式のお呼ばれなどでドレスを着たことは一応はある。
だか、それは工場の機械で仕立てられた既製品である。
細やかなところまで手作業で作られた上等なドレスに袖を通すのは初めての経験で、嬉しいよりも、汚したり引っかけたりしたらどうしようという、庶民的な恐ろしい気持ちが先に立ってしまう。
女官たちは髪も結ってくれた。
香油で艶やかになった黒髪は軽く結い上げられ、ドレスと同色の花で留め、毛先は肩にかけてゆったりと下に流す。
薄く粉がはたかれ、紅がひかれる。
鏡に映った自分は、どことなく気恥ずかしそうな表情をしていた。
「まあ、可愛らしい」
「ユーディス様って着やせするタイプだったんですわね~。この辺りはもう少し締めてもよいかもしれませんね~」
「も、もういいです……」
結局、午前中いっぱいが準備に使われた。
髪や顔をさらにいじろうとする女官たちからなんとか逃れようと奮闘していると、ハルが迎えに来た。
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