第19話 そして、お城へ
「わたし、ハルと一緒に旅してみたい。文官の採用試験……目指してみる」
「ほんと?」
「うん……。わたし、やっぱり翻訳が好きなのよね。もしもそういう方面からハルのお仕事を手伝えるなら……やってみたい。分不相応かもしれないし、すぐ合格できるかはわからないけど……」
「やるだけやってみようよ。ユディならきっと合格するよ。もしも、万が一だめだったら……」
ハルの手がユディの両肩に置かれる。
「ハル……?」
「その、つまり……」
馬車が停まった。
御者用の小窓から、ヴァルターの顔が覗く。
「ハルトムート殿下、ユーディスさん、お取込み中のようですが、王城に到着しましたのでご準備をお願いします」
がくりと肩を落とすハルであった。
ユディはどきどきする胸を押さえる。
(な、何を言おうとしたのかしら……)
馬車からは、まずはハルがひらりと降り立った。
ユディが降りようとすると、ヴァルターが鞄を受け取ってくれる。
さらに、すました顔でユディに手を差し伸べてこう続けた。
「ユーディスさん、もし文官採用試験に落ちたら、魔導師団に入団してくださいね。面倒な筆記試験も、推薦状も免除します。そんなものは入団してから揃えればよろしい。知識だって実地でいくらでも覚えられるんですからね。ユーディスさんなら、『書き換え』の魔法だけで一発合格間違いなしですよ。さ、どうぞ」
「は、はあ……」
「ヴァルター! おまえは余計なことを……。ユディ、こっちにおいで」
ハルも反対側から手を差し伸べる。
右と左に、ハルとヴァルターがユディの手を受け取ろうと競い合う形になってしまった。
思いがけず両手に花状態になってしまって、ユディは目を泳がせる。
「え、えと……どっちを取れば……きゃっ!」
しびれを切らしたハルにぐいっと腕を引かれ、馬車から落ちそうになり——そのまま、その腕に抱きとめられていた。
「ぼくの前でユディの手を取ろうとするな、ヴァルター。ユディはぼくの大事な……友人なんだから」
「御意に。殿下の大事な『ご友人』ですから」
ヴァルターの生温かい視線も、ユディの手を取らせないためならものともしないハルである。
どう考えても「友人」以上の感情を見せる少年に、ヴァルターは無言でやれやれと首を振ったのであった。
※※※
絢爛豪華で知られるルールシュ城はその警備の強固さでも名を馳せる。
三重の城壁の出入り口は厳重に警戒されており、怪しい者は蟻の子一匹とて通れない。
この三つの城壁が、それぞれ三つの区画になっている。
王の住まいである王宮が一の区、そこから二の区、三の区と、城下へ向けて分けられている。
三の門と呼ばれる最初の城門をくぐり抜けると、まずは城門内に居を構えることを許された貴族の邸宅や外国の来賓を宿泊させる屋敷が立ち並ぶ。
その奥に控えるのは二の門、さらに最奥には一の門があり、公爵、侯爵といった有力な貴族ほど王城近くの区画に邸宅を持っているというわけである。
門と門を結ぶ道はきっちりと舗装され、諸侯たちの豪華な馬車だけが誇らしげに城へ続くその道を通るのが常である。
ユディを乗せた馬車は、一の門の内側、ルールシュ城の通用門近くに着けられていた。
(これが王城……なんて立派なのかしら)
いくつもの高い尖塔がそそり立つ王城を下から眺める。
いつもは遠くから見るだけの場所に、実際に自分がいるのが不思議な感じだった。
ユディははっとして思わず訊ねていた。
「ハル、ドラセス語の本がうちにあるかもって言ってたの、まさか王城のこと!?」
「よく覚えてたね。そうだよ。たくさんあるみたいだよ、ドラセス語の本」
青天の霹靂とはこのことだった。
すっかり忘れそうになっていたが、神様から翻訳を依頼された禁書はドラセス語で書かれているはずなのである。
「見たいわ! 今から案内してもらえる?」
「今から? 今日はさすがに疲れてるでしょ。明日にしたら?」
「でも……」
「わかったよ。とりあえず、ヴァルターについていって荷物を置いてきて。ぼく、フェルに書庫の鍵をもらってくるから」
「フェル……?」
「あー、えーと。ぼくの兄」
それは取りも直さず国王フェルディナンドのことを示していた。
急に自分の置かれた立場を自覚して、ユディの鼓動が跳ね上がる。
一般人の自分が、こんなところに来てしまっているのは、やはり場違いなのではないだろうか。
「ユーディスさん、こちらにどうぞ」
「ユディ、大丈夫だから。また後でね」
不安で胸が押し潰されそうではあったが、ハルと別れヴァルターについていく。
用意された部屋は、深緑と茶を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だった。
「まずはこちらでお休みください。後で食事を運ばせますから。書庫はその後に行きましょう」
「あ……はい。ありがとうございます」
ヴァルターはユディの鞄を置くと、すぐに退出していった。
部屋に一人きりになる。
二間ある広い部屋の床は大理石が張られ、その上には毛の長い絨毯が敷かれている。
高い天井に、大きな窓にバルコニー、奥の部屋には天蓋付きの巨大なベッドがある。
浴室も別に付いており、つるつるに磨かれた猫足のバスタブが置かれていた。
テーブルに置かれた高価そうな花瓶や、壁に掛けられた豪華な額付きの風景画を所在なげに眺める。
明らかに自分には不釣り合いな部屋で、どう動いていいかいまいちわからず、とりあえず長椅子に座ってみる。
夕食の時間はとっくに過ぎてしまっているが、次から次へと起こる出来事に脳が興奮状態なのか、まったく空腹を感じていなかった。
これから、どうなるのか。
現実感のないまま、王城まで来てしまった。
(とりあえず、書庫ね。あとは……鞄を整理しなくちゃ。汚れた制服も洗濯させてもらおう。学校にも知らせないと。叔父様にも、連絡を入れないといけないでしょうね……)
押し寄せてくる現実を振り払うように、ユディはそっと瞳を閉じた。
(ちょっとだけ……休もう……)
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