第17話 ハルの正体

 幽霊が出た場所に留まる気にはなれず、一旦図書館の外に出ることにした。


 図書館の地下は真っ暗で、時間の感覚がわからなくなっていたけれど、外に出ると、まだそれほど遅い時間ではないことがわかる。


 通りの目立たない場所にヴァルターが馬車を停めて待っていた。

 御者姿に身を包んでいるのが芸が細かい。

  

 ユディとハルが乗り込むと、静かに馬車を走らせはじめた。


「どこに行くの?」

「ただその辺りを走らせるだけだよ。同じ場所に馬車がずっと停まっているのも不自然だから」


 ハルは緊張しているようだった。 

 やがて、決意したように姿勢を正した。


「この間、実家は商家だってきみに言ったけど、本当は、ぼくの正体は……」


「「——王弟ハルトムート」」


 果たして、ハルの緊張しきった声と、やっぱりと肩の力を抜くユディの声が、見事に重なったのであった。


「知ってたの?」

「ついさっき、そうじゃないかなって思って調べてたところだったの」


 ユディはハルの正体を見抜いてしまった経緯をかいつまんで話した。


 風の魔法のこと。

 龍の咆哮のこと。

 それから、図書館で見つけた『ドラグニア王国 王族年鑑』について。


 王族であるということを、絶対に知られてはいけないと、死ぬ気で隠そうとしていたわけではなかったとはいえ、ユディが自分で手がかりを寄せ集めて正解にたどり着いていたことに、ハルは純粋に驚いていた。

 しかし、それは嘘がばれてしまったということに他ならない。


「……ごめん。ぼく、きみに嘘をついてた」


 うなだれるハルに、ユディは声をかける。


「ねえ、顔を見せてくれない?」

「……? いいけど……」


 今は、のど飴を持っていない。

 ユディが守護の腕輪を付けているのを確認すると、ハルは仮面を外した。


 凛とした強さを宿した星色の瞳が、ユディを静かに見つめる。   

 黄金の髪が魔石ランプの光をはらんで輝き、彫刻のように美しい顔を縁取っていた。


 これからユディは龍の神殿に赴き、尼になろうというのだ。

 こんなに美しいものは、きっとこれからはもう見ることができないだろう。

 

「別に嘘をつかれたことは怒ってないわ。あなたの身分じゃ仕方なかったんだろうし……。あ、こんな話し方じゃもうだめなのかしら。王弟殿下だものね」 

「今さらだよ」 

  

 ハルの星色の瞳が揺れる。

 ユディはちょっと笑って言った。 


「最後にあなたの顔を見られてよかった。元気でね、ハル」

  

 ハルは仮面を慌ててつけ直し、馬車から降りる準備をしようとするユディを制する。


「ちょっと待って! なんでそんなこと言うの!?」

「なんでって、ちょっといろいろあって……。ごめんね、時間がないから行かなきゃ。もうここでいいから、馬車を停めてくれる? ……痛っ」

 

 鞄を持ち上げようとして、思わず取り落としてしまった。

 衝撃的な出来事が多すぎて、つい手首が腫れていることが頭からすっぽ抜けていた。


 じんとした痛みがユディを襲う。

 そんなユディの様子をハルは見逃さなかった。


「どうしたの?」

「えっと、その」

「手、見せて」


 咄嗟に後ろに右手を隠すが、ハルはずいっと近づいてくる。

 狭い馬車の中、ハルの身体と背もたれに挟まれるような恰好になり、ユディに逃げ場は残されていない。


「あの、何でもないって……」

「何でもないなら見せられるよね?」


 ハルの声には、有無を言わせぬ強さがあった。

 腕を伸ばし、見せるのを拒んでいるユディの手をそっと取る。


「う……」

「すごい腫れてるじゃないか! これじゃ痛いはずだよ。あの野郎……」


 最後の言葉は、口の中でだけ呟いた。


 元婚約者のシュテファン・ロドリーが、ユディを突き飛ばしたことは細作から報告を受けている。

 そのときに負傷したのに違いなかった。


 殺すなとフェルディナンドには言われていたが、それならせめて半殺しの目に遭わせてやろうと、ハルは心に決めた。


「どこに行くのもまず手当してからだよ。行きたい場所があるなら、送っていくから」

「うん……」

「直接肌に触れないと回復魔法がかけられないんだけど、袖を捲ってくれる?」

「え……うん。あれ、うまく……できない」

「かしてみて」


 今さらながら、指がかたかたと震え出していた。

 シュテファンに突き飛ばれたショックなのか、エミリヤに裏切られたショックなのか、それとも幽霊に遭遇したショックなのか。  


 はたまた、ハルの正体が王弟だったからなのか。

 あまりに多くのことが一日に起こりすぎて、ユディの脳の処理能力をはるかに超えてしまっているようだった。


 結局自分ではうまくできず、ハルが袖口のボタンを外してくれた。

 むき出しになったユディの手首は、真っ赤に腫れあがってしまっていた。


 ハルが、自分の両の手のひらでそれをそっと押し包む。

 温かい光とともに魔法陣が手のひらの中に生まれ、ユディの手首を癒していく。


 こんなに至近距離で男の人に手を握られるのは初めてのことで、痛みよりも何よりも、恥ずかしさのほうが勝っていた。


「ユディ、赤くならないで。ぼくまで照れる」

「そんなこと言われても……。って、わたし赤くなってる?」


 それを聞くとますます恥ずかしかった。 

 反対側の手でパタパタと顔を仰いでいると、御者席の小窓からヴァルターがぬるい視線を送っているのが見えた。


「あ……ヴァルターさん……」

「ヴァルター! 見るなよ!」

「かしこまりました」


 ハルの叱責が飛ぶと、素早く小窓からヴァルターの顔が消える。

 茹でダコのようになったユディは、そっと手を引こうとする。

 すでに痛みはきれいに消えてしまっていた。


「あの、ハル……。もう、いいみたい。ありがとう」

「あ、うん」


 ぱっと手を離すハルであった。

 本当は、回復魔法は大の苦手なのだ。


 ハルはどちらかというと攻撃魔法特化型。

 万能型のヴァルターの方が、回復魔法は確実に上手い。 


 それでも、自分でユディを治してあげたかったのだ。

 ほかの男に彼女の手を触れさせたくなかったというのも多分にあるのだが、どうやらそれをヴァルターには見破られている。


「今日は……大変だったね」


 事情をすべて知っているかのようなハルの発言に、ユディはさきほどから心中にあった疑問をぶつける。


「どうして知ってるの? それに、わたしが図書館にいるってなぜわかったの?」

「実はそれも謝らないといけない。ごめん、ユディのこと見張らせてた」

「ええー! だ、誰に……?」 

「行商のおじさんと掃除のおばさん。あと、修理工のお兄さんも」  


 ユディははっと思い当たった。

 最近やけに、小鳥寮に新しく入った人が多いと思っていたのだ。 

 

「全然気がつかなかった……。でも、なんで?」


 ハルを狙う刺客が、万が一ユディを襲ったときのための護衛だった、とは言えずに言葉を濁す。


「きみの身を守るため……だったんだけど、あまり役に立たなかったみたいで申し訳ない」

「そうだったの。いいのよ。シュテファンがまさかあんなふうに怒るなんて、誰も予想できなかったもの」


 言っていて、その時の場面が思い出されてまた悲しくなってきた。

 ハルもそれを感じたのか、居住まいをすっと正す。


「ぼく、きみに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」

「何を?」

「きみが婚約破棄されたのって、ぼくのせいなんだ」

「え?」

「きみの元婚約者の兄貴、魔の森で行方不明になっていたでしょ。ぼく、魔物討伐のついでに、彼を助けちゃったみたい。まさか、それで弟の方が爵位が継げなくなったからって婚約破棄するなんて思いもしなかった——ごめん」


 ユディはぽかんと口を開けた。

 王弟が討伐任務に就いているというのは初耳だった。


「えっと……シュテファンがわたしと婚約破棄した原因を自分が作ったと思ってるってことなの?」

「そう」

「でも、あなたが助けなかったらジェラルドはおそらく助からなかったわ」

「だから、ごめんって」


 話が根本的に通じていないのを感じ、ユディは軽い焦燥を覚えた。


「あのね、ハル、よく聞いて。シュテファンに婚約破棄されたのは、驚いたしショックも受けたけれど、元々、彼とはうまくいきそうもなかったから実はほっとしていたの」

「……あいつのこと好きだったんじゃないの?」

「そこからして誤解があるのよね。彼のことは幼い頃から知ってるんだけど、どうにも好きになれなかったの。結婚するなら何とか好きにならなきゃとは思っていたけれど。でも今回のことで、さすがに大嫌いになったわ」

「なんだ……」


 ハルが大きく息を吐いたのにつられて、ユディも思わずため息が出る。

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