第11話 素顔で食べるお弁当は美味しい

 バスケットの中には色とりどりの野菜やフルーツ、それに鶏の唐揚げや玉子焼きなどが所狭しと詰め込まれ、脇には黒々とした握り飯が鎮座していた。


 こちらの世界で前世を自覚してから一番困ったのが何を置いても食事に他ならない。

 近代ヨーロッパを彷彿とさせるドラグニアには基本的には和食など存在しないのである。

 だが、東方の国であるイスファネア皇国の国の品には和食を作るための基本の調味料や食材がある。


 幼少期を過ごしたハイネ男爵領は王都ルールシュから離れた田舎で、東方風の食材などはなかなか手に入らなかったのだが、王都では外国の製品も色々と入っており、東方料理の食材も多少は買えるのである。


 元の世界では何ということもないごく普通のお弁当でも、こちらの世界では食材を探すところから始まる。

 それでも幸いなことに、王都の流通事情はすこぶるよく、通常の食材であれば新鮮なものがいくらでも手に入るし、おまけに安価だった。

 

「うわあ、すごい。……その黒いのは何?」

「これはおにぎりって言うの。黒いのは海藻を乾燥させたもので、白いのはお米。中に色々な具が入ってるからこれだけでも食べて大丈夫よ。でもおかずと食べるともっと美味しいから食べてみて。はい、おしぼり。手を拭いてね」


 なんだかお母さんみたいである。

 ハルは素直におしぼりを受け取ったが、弁当に手を伸ばす前にユディに向き直った。


「さっきの飴、本当にありがとう。久しぶりにこれを取った状態で誰かと一緒に食事ができる」


 そう言うと、おもむろに仮面を取った。

 銀の魔封具の下から現れたのは——天使だった。


 美しい金髪だというのはわかっていたが、陽の光を正面から浴びたそれは目を見張るほどの輝きを放っている。

 夜の闇に浮かぶ星の様に静謐な光をたたえた銀の瞳が、ユディを見つめていた。


 巨匠の彫刻もかくやという美少年が突然現れ、ユディはあんぐりと口を開けた。

 手にしたおにぎりをもう少しで取り落としそうになる。


「まあ! あなたってなんて綺麗なの! ……男の子よね?」


 ハルは苦笑した。


「男だよ」


 端正な姿をまじまじ見たユディの口から溜息がこぼれた。


「本っ当に飴が効いて良かったわ! こんなに美しいものを隠していたらもったいないものね」

「それってぼくの顔のこと?」

「ええ!」


 きっぱりと言う。


「自分の顔ってあまり好きじゃない。女の子みたいなんて恥ずかしいよ」

「あら、ごめんなさい。でも美しくないと言われるよりはいいじゃないの」


 いつもエミリヤと比べられて不美人と言われているユディである。

 美しいのに嫌がるなんて、もったいないを通り越して少々ずるいと思ってしまう。


「この髪みたいに、きらきらしてるのは目立ち過ぎるんだよ。ぼくだって男なのに、男に迫られたりするし」


 それは嫌である。

 美しすぎるというのも考えものかもしれない。

 ユディが何か言う前に、少年が食べかけのおにぎりを指さした。  


「中に何か入ってる」

「ええと、それはお肉よ」 


 焼肉風に甘辛く味付けた牛肉は、米の周りにも甘辛いタレが染みていて、一緒に口に入れると美味である。


「美味しいね! お米ってこうして食べるとこんな美味しかったんだ。この卵も美味しい! しょっぱいかと思ったけど甘いんだね。それがお米と意外に合う、この料理って何なの? 東方料理っぽいけど少し違うような……」

「なんちゃって『東方風』よ。口に合ったみたいで良かったわ」


 日本の典型的なお弁当だと説明するつもりはユディにはなかった。


「よかったらこれも食べてみて」


 今日のお弁当で一番自信があるのが鶏の唐揚げだった。

 前日からタレに漬け込んでおいたのでしっかり味が染みているはずだ。


 ぱくりと一口食べた途端、少年の銀の瞳が見開かれる。


「何これ! こんな美味しいもの、今まで食べたことない」

 

 感動しきりの様子である。

 最初は遠慮がちであったのが、今やその手は止まる気配がない。


「やあだ、大げさね。天気の良い日に外で食べると何でも美味しく感じるものよ」

「本当だよ! ユディの料理を毎日食べられたらいいのに」


 唐揚げを口に放り込みながらハルの表情は真剣である。

 お世辞でも嬉しいと思ったが、どうやら本気のようだ。

 

「ハルは王立学院に通わないの? 毎日とは言わないけれど、学校にいるならお弁当くらい作ってあげるわよ」 

「学校かあ……。考えたことなかった。確かに、ユディがくれたこの飴があれば、学校に行けるかも。あの仮面を着けて通うのは難しいだろうからね」

「ハルならきっと魔導師養成コースに入学できるのに」


 羨ましそうにするユディに、ハルが怪訝な顔を向ける。


「ユディは魔導師を目指してるんじゃないの?」

「そりゃあ、目指せるものならそうしたいけど才能がないもの」

「どこが!? こんなすごい魔法を使えるのに」


 ユディは残念そうに溜息をついた。


「わたし、魔力はあるみたいなんだけど、ほんのちょびっとなのよね。魔導師なんてとても無理。今勉強しているのは歴史とか一般教養。あと家政ね。お茶の淹れ方とかマナーも女子だと必修よ」


 信じられないという面持ちのハルである。


「どう考えても宝の持ち腐れだと思うんだけど」

「それはわからないけど……」

「学校を卒業したらどうするの?」 


 うっ、とユディは詰まった。 


「実は、なりゆきで宮廷の文官採用試験を受けることになってて……」 

「へえ」


 宮廷魔導師団副長のヴァルターをたまげさせたほどのユディである。 

 「なりゆき」で文官になるよりもっと他の道があるだろう。


 風がユディのさらさらの前髪を揺らす。

 どこにでもいそうな目立たない少女なのに、よく見ると大きな瞳は青紫の水晶のようにきらきらしている。


 太陽の下ではっきりと見ると、ユディの黒髪は艶やかで、ところどころが青く光り輝いていて神秘的な色合いをしている。

 無粋なおさげをほどいたらきっと美しく広がるだろう。 


 特殊な魔法といい、自分だけが見つけた原石のような、不思議な少女だ。


「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない」


 ユディに見とれていたとはとても言えない。


 それからは食べることに集中して気を逸らした。

 ユディは図書館で十冊も借りたという本の話に夢中で、ハルがしばらくの間、ユディの方を意識的に見ないようにしていたのに気がつかなかった。


 最後のおにぎりを食べ切ると、二人とももうこれ以上何も入らないくらいお腹いっぱいだった。


「美味しかった! 誰かと一緒に食べるのは楽しいね」

 

 お茶を渡しながら、ユディはこの間から気になっていたことを思い切って聞いてみた。


「その……ハルはお家の方とうまくいってないわけじゃないのよね?」

「うん。兄は少々過保護なくらいだし。ヴァルターも嫌っていうほどぼくの世話を焼いてくる」


 ほっとしたユディであった。

 同時に、今度は別のことが気にかかる。


「あの腕輪や、のど飴のことをハルは聞かないのね。気にならないの?」

「そりゃ気になるさ。でも、きみが話してくれるまで無理に聞き出そうとは思わない。さっきも言った通り、ぼくのことを考えてしてくれたことなのに、ここで無礼をしたら男がすたる」

「紳士なのね」

「どこが? 普通だよ」


 年下なのに、少年の発言は常に一本筋が通っている。

 おまけに騎士道というのだろうか、いたって紳士的なのである。


 ユディは考える。

 ハルの兄が守護の腕輪の複製を欲しがっているのは、おそらく素顔のハルと気兼ねなく過ごしたいからなのだろう。

 のど飴のこともあるし、このまま何も話さないままでいいのだろうか。


「話したくないわけじゃないの。ただ、亡くなった父がむやみやたらに力を使ったり、ほかの人に気軽に話すなって。きっと問題になるだろうからって。だからこれまでほとんど誰にも言ったことがなくて……」

「お父さんは賢明だよ。ぼくの予想が当たっていたらきみにはとてつもない力がある。それはぼくにとってはおそらく大きな助けになるけど、ほかの人には気軽に話さないほうがいいと思う」


 とてつもない力? 

 ユディは目をぱちぱちとさせた。


 神様から授けられた羽根ペンの力とはいえ、「書き換え」の魔法はそんなに大したものではない。


 ただ、おそらく違法行為なのだ。

 だから父は他人に見せることを禁じたのだと、これまで思っていたのだが……。


「そんなにすごいものじゃないわ。ただ、見つかったら罰せられるんじゃないかなって心配なの。ハルのお家の人、お役人に言っちゃったりしないかしら」

「それは大丈夫だと思う」


 ハルの「兄君」はドラグニアの役人全ての頂点に立つ男だ。

 ここにフェルディナンドが付いて来なくてよかったとハルは心から思っていた。


 もし来ていたらすぐに正体を明かして、ユディの秘密を聞き出そうとしたかもしれない。

 もっとも、先ほど追い払ったヴァルターが今頃城に戻り一部始終を報告しているだろう。


「あ、そうだ。すっかり忘れてた」


 そういえば、ユディに土産があるのだ。

 ハルとフェルディナンドとヴァルターが顔を突き合わせて、お土産をあれこれと迷ったことはユディは知らない。


 ハルもまた、ユディが前世でドラセス語で書かれた禁書の翻訳依頼を受けていることなど、露ほども知らなかった。  

 王宮の書庫にあるドラセス語の本は、女子へのプレゼントとしては不向きだとのことて、結局却下となっていた。


 お茶を飲み干し、ヴァルターが置いていった紙袋から、美しく包装された箱を取り出してユディに渡した。

 

「これは兄からのお土産」


 兄と聞いてユディの表情が揺らいだ。

 包装をきれいに解いて中を見てみると、可愛らしいクッキーだった。


 よく知らないが、王都にある有名店のものらしかった。

 一つ一つにチョコレートで「ありがとう」と書いてある。

 

「まあ、素敵なお菓子!」


 ハルが一度会っただけの自分のことを何と話したのかわからないが、きっとかなり好意的だったに違いない。

 そして、兄君はこの少年のことを本当に心配しているのだろう。 


「……お礼をしなきゃいけないわね。のど飴の作り方を教えたらお礼になるかしら?」

「そしたらお礼のお礼になっちゃうな。もちろん、嫌でなければ話してほしいけど、何か物で釣ったみたいで嫌だな」


 意外なところで生真面目なのでユディはつい笑ってしまう。


「本当に大したことしてるわけじゃないの。なーんだこんなことかって思われるのが恥ずかしいくらい。『宙ぶらりん』のユディの魔法なんて……」

「何それ?」

「何事も中途半端って言われてるから……。語学は好きだけど、学問はほとんど習ってないし、魔導書は読めるけど、魔力はないしって感じで。魔法だってきちんと学んだことないんだもの」


 ハルは少し考える顔になり、それからはっと口を開けた。


「そっか、だからユディはすごいんだよ。魔法って法則とかがわりとがんじがらめだけど、そういうのを知らないから逆に自由な発想ができるのかも。のど飴を使うなんて魔導師は絶対に考えつかないもん」 

「ええ? そうなのかしら」

「そうだよ!」


 神様との会話が不意に脳裏に浮かんだ。

 禁書を翻訳するのは、人助けのためだと。


 禁じられた魔法でなくては救えない誰かと、この先出会う。

 その人物を何が何でも助けてあげてくれ——。

 そう言われたことを思い出す。


 あれは、誰のことなのだろうか。

 もしかしたら……。


 ユディは顔を上げた。

 星色の瞳に湛えられた真剣な光が、ユディに注がれていたい。


「わたし、あなたの助けになるかしら……?」

「もちろん。きみが術を見せてくれても、誰にも言わないって約束する。……ぼくを助けてくれる?」


 一拍置いて、ユディはこくりと頷いた。


「わたしにできることなら」

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