第12話 書き換えの魔術
作業部屋の外にはいつの間にか台車が並び、そのすべてにぎっしりと本が積み上げられていた。
「これ、一体どうしたんですか?」
「どうもどこかの誰かがこれまで溜め込んでた古本を放出したらしい。寄贈と言う名の体良い処分ってやつだな」
この世界では書物は貴重である。
紙は存在するが、印刷に耐えうる品質のものは高価である。
本が古くなったからといって捨てるのはもってのほかで、売ったり、図書館に寄贈したりして二次利用に回すのが一般的だ。
「こんなにくれるのはありがたいんだが、量が量だ。千冊以上はあるんじゃないか? しかも全部ばらばらの分野だから今から分類しないといけないんだぜ。これなんて『誰でもわかるはじめての魔法陣分類学』なのに、次の本は『ピアゾン詩集~我が薔薇の君に捧げる~』だってよ。魔法分類学と文学じゃジャンルが違いすぎだろ? これを俺たちだけで仕分けしてたら今日帰れなくなっちまう。適当なところまででいいから手伝ってくれよ」
前世の図書館と同様に、この世界の図書館でも分類法が使用されている。
図書の背表紙には分類番号が刻印され、宗教、哲学、教育、文学、語学、歴史、法律、植物・動物学、医学、兵事、美術、雑書などの分野に分けられているのだ。
前世と異なるのは、分類の中に「魔法」があることだろうか。
この分類に従って開架も閉架も書棚が設置されているのだが、何せ量が量である。
分類が異なれば、ただっ広い館内の建物の端と端や、別の階の廊下を進んだ一番奥に書棚が配置されていたりする。
ただ図書を借りて返すだけの利用者にはあまり知られていない苦労だが、図書の返却作業は図書館員の多大な労力によって賄われているのだ。
「ユディ、分類番号は全部覚えてるか?」
「はい」
「んじゃ、こっち頼む。上からどんどん分けてってくれ。ハル君は字は書けるかい?」
「うん」
「じゃあこれペンとラベルな。ユディが本の中身を見て分類番号をハル君に伝える。ハル君はそれをラベルに書いて本に貼りつけるって手順な。俺は寄贈図書の記録を帳簿に付けていくから」
てきぱきと仕事を割り振るところは、やはり先輩らしい風格がある。
ユディとハルはレイに指示された通りに作業を始めた。
やり始めは多少まごつきはしたが、リズムがついてくると三人の息はぴったりだった。
ユディは内容をきちんと確認しつつ本を仕分け、ハルはしっかりとした字でラベルを埋め、レイはその内容を丁寧に記帳していった。
適当そうに見えるレイだが、意外にも仕事は確実で慎重だ。
ハルにいたっては「こういうのやったことないから新鮮」と満足そうだ。
ラベルには少し右上がりの文字が正確な綴りできっちりと並んでいる。
「随分、フリジア語の書籍が多いですね! こんなにたくさん、どうしてかしら?」
「本を寄贈してくれた人の奥さんがフリジア出身らしいって聞いたぞ」
「そうなんですか」
こんなに大量の本を、個人がフリジアから運んで持ってきたのだと思うと、かなり驚きだった。
しばらくすると、さらにもう一人図書館職員がやって来た。
ユディは慌ててぺこりと頭を下げた。
彼はマイルズという名の職員で、レイと同様二十代くらい。
ぴっちりと撫でつけた髪に襟の上まできちんとしめられたシャツが、レイとはまるっきり正反対の印象だ。
マイルズは、ユディどころかハルまで作業しているのを見て顔をしかめる。
「ユディちゃんじゃないか。帰ったんじゃなかったのか? おいレイ、何してるんだよ? 部外者にまで手伝わせるなんて……」
言いかけた言葉が、輝くようなハルの美貌に気がついたことで途中で止まる。
マイルズはぽかんとした表情を浮かべ、それからはっとして慌てて取り繕う。
「と、とにかく帰ってもらえ」
「なんだよマイルズ、構わないだろ? ユディは臨時だけどれっきとした職員だし、こちらのハル君は社会科見学中。図書館の仕事に興味があるんだってさ。なー、ハル君、社会勉強楽しいだろ? 後でなんか美味しいもの食べさせてやるからな」
明るくめちゃくちゃを言うレイだが、どうやらマイルズは慣れっこになっているのか、やれやれと肩をすくめると自分も椅子を取って腰を下ろした。
「ハル君だったね。仕方ない、悪いがよろしく」
「おいおい、それだけかよ? 王宮派遣の文官さんは冷たいなー。図書館は万年人不足なんだから、仕事に興味持ってくれた子をもちっと熱心に勧誘してくれてもよくないかぁ?」
「わかっている。この通り、騒がしい先輩はいるが図書館はいいところだよ。わからないことがあったら何でも聞いてくれ」
「——どうも」
ハルは短く返答した。
気のせいかもしれないが、レイを紹介した時より素っ気ない気がした。
マイルズに興味を示す素振りもないし、どちらかというと警戒しているようにすら見えた。
しかしマイルズは特に気に留めることなく、レイの作業に加わって手を動かし始めた。
「さ、早く続きをしないといつまで経っても終わらないぞ。僕も手伝うから。ユディちゃん、ハル君、悪いが頼んだぞ」
ハルのことが気にかかったが、作業が始まるとそうも気にしていられない。
人数が増えた分作業は早く進み、慣れてきたら話しながらでも問題なく手が動くようになってくる。
するとマイルズはハルに対する好奇心を抑えられないようで話しかけ始めた。
「しかし君は男なのに随分その、なんというか……。いや、失敬。君はもしかして貴族かい?」
「ちがうよ」
先ほどの素っ気ない態度はやはり気のせいではない。
ユディは慌ててハルをマイルズに紹介する。
「マイルズさん、ハルのお家は商家なんですって」
「どこの商会?」
「ストラウス商会」
「聞いたことないな」
名もない商人の営む小さな商会だとマイルズは判断したようで、その途端目に見えて態度がくだけた。
「ところで王宮派遣の文官ってさっき言ってたけど、それってどういう意味?」
「ああ、王立の施設はたいてい、数年ごとの持ち回りで文官が赴任するのさ。館長なんかは高官がなったりする。今回の人事異動では、僕だけしか赴任してないけど」
レイが口を挟む。
「図書館畑の人間じゃない奴が館長になるとかって問題だけどな。現場は職員に任せっきりになるだけだろ。本来なら図書館と王宮とがもっと連携するための人事だろうに、そんな役目担ってないしなー……ってこんなの大人の事情か! 悪い悪い、気にしないでくれよ」
どうやら国家公務員の天下りのようなことがこの世界でも起きているらしかった。
レイは言うだけ言うとさっさと話題を変える。
「そういやユディは婚約したんだっけか? 今辞められたら困るからな。できたら結婚は、卒業してからにしてもらいたいぜ」
ユディはがくりとなりそうな頭を一緒懸命その場にとどめた。
「……その話はなくなりました。実は婚約破棄されたんです」
レイとマイルズの驚きが合唱となる。
「「はあ!? なんで?」」
ユディは曖昧に笑って誤魔化すことにした。
また事情を一から説明するのは憂鬱であるし、何より面倒くさい。
「ええと、色々あって。縁がなかったというのが一番かもしれないですけど」
レイはそうかと頷き、ユディの肩に手をかけた。
「なら、俺にしとくか? 貴族じゃないけど王立学院には通ったし、図書館司書という職も安定してるし。どうだ?」
「やめてくださいよ、レイ先輩。本が恋人って言ってらしたじゃないですか……あら、どうしたの、ハル?」
「……何でもない」
自分が思わず立ち上がりかけていたことに、ハルは気がついた。
「落ち着けってハル君。冗談だから。ユディの言うとおり俺には愛しい恋人がいるのさ、人じゃないけど」
レイの冗談に、何とも言えない表情になったハルであった。
顔をそむけて再度席についたのはものすごく微妙そうになった表情を見られたくないからだが、それがレイにもマイルズにもばれている。
仮面を着けなくても済むのはありがたいと手放して喜んでいたが、とんだ不便があったものだ。
レイはこっそりと肩を震わせ、マイルズは口をつぐみ、ユディは訳がわからず首を傾げたのだった。
「はー、しかし婚約破棄か。相手はあいつだろ、ロドリー家の次男坊のシュテファン。兄貴の方は、以前はよく、図書館に顔出してたよな、マイルズ?」
「えっ……ああ、そうだったかな」
マイルズは曖昧に相槌を打つが、ユディは首を傾げた。
「ええ? 変ねえ。ジェラルドが?」
ジェラルドのことはシュテファンとともに昔から知っているが、彼は読書家ではない。
それどころか大の本嫌いなのだ。
座っていると肩がこるとか、文字を追っているだけで眠くなると言っていたのを覚えている。
そのジェラルドが図書館に頻繁に来ていたというのは奇異に映った。
「兄貴は行方知れずになったんだったよな。確かその頃、シュテファンの方もここに来てたぜ。なんか随分浮いてる奴がいるなーと思ったからよく覚えてる」
「シュテファンも? ますますおかしいわね」
本が好きだというユディをいつも地味だと馬鹿にしていたシュテファンだ。
本にまったく縁のなさそうな兄弟二人が王立図書館に出没していたというのは奇妙であった。
もっと問いかけようとしたところをマイルズの質問に遮られる。
「それでユディちゃんはどうするんだ? これから見合い三昧の日々が待っているのかな?」
「えっ? いえ、とりあえず結婚はいいかなって。なりゆきでなんですけど、宮廷採用試験を受けるつもりでいます」
「へえ! そうか」
宮廷採用試験に合格すれば文官への道が開ける。
つまりマイルズは過去にその試験を受けているということだ。
「マイルズさんは合格者ですもんね。試験のこつとかって何かありますか?」
「うーん、僕の年は奇跡的に採用枠が多い割に応募者が少なかったんだよ。だからあまり有効な助言ができない。ごめんね」
「そうですか……」
レイが呆れ返ったような声を上げる。
「おいおい、小鳥寮から文官試験受けるなんて聞いたことないぜ。小鳥は授業なんかも家政が中心だろ? 試験勉強は一からやらなきゃならないんだから、大分不利だぜ」
「う……。それはわかってます。一応、あれこれ本は読んでるんですけど」
「本読んだだけで文官になれるんなら世話ないぜ。まあ、ユディの読書量が半端ないのは認めるけどな。けど、万が一受かったとしても、貴族の坊ちゃんどもが同僚になるんだぜ? やってけんのか?」
「それは……」
レイの容赦ない正論が突き刺さる。
「合格者ってほとんどが金持ち貴族の子どもばっかなんだろ。それにほら、あいつらには神頼みがあるからな」
「神頼み?」
「図書館の最上階に『祈りの間』ってあるだろ? 採用試験の一週間とか二週間くらい前に、龍の神殿から司祭が来るの知ってるか? その日はなんでも採用試験の合格祈願だとかなんかで、勉学に関わりある図書館で祈るとかなんとか……。『祈りの間』には自分も祈らせてくれって受験生たちがわんさかやって来る。そんでもって、合格者はほとんどその日に祈りを捧げた連中なんだと」
「すごいご利益! わたしもお祈りしたほうがいいかしら」
「それが、いつやるかよくわからないんだよなー。休みの日に司祭様が、いきなりやって来るんだと。だから、普通の利用者は館内に入れない。それなのに、なぜか貴族の坊っちゃんたちは次々やってくる。信心のなせる業だとか言ってな」
「ええー、そんなことあるのかしら」
なんだか気味が悪くなる。
「そうだ、思い出した!」
突如、マイルズが大きな声を出した。
「ユディちゃん、ハル君。『開かずの間』って知ってるか?」
「怪談の類ですか?」
ユディは途端に身構える。
幽霊だとか、怪奇現象だとかいうのはどうも苦手なのである。
そんなユディの様子に茶目っ気を出したのか、マイルズはわざとおどろおどろしい声色をつくった。
「実は、その『祈りの間』の近くに、幽霊が出るんだ。この図書館のどこかに四方を壁に囲まれた窓も扉もない部屋があるらしいんだけど、なんでもそれが『祈りの間』あたりにあるらしい」
怖がる様子のまったくないハルは、冷静さを星色の瞳に宿して聞き返す。
「なんでそんな部屋があるの?」
「その前に、この図書館の建設由来は知ってるかな?」
「ドラグニアの初代国王リューネシュヴァイク様が国を興した際、市民への啓蒙活動のために王立図書館を建設したんですよね」
「そうだ。当時は国は魔物に荒らされ、図書館が完成するまでには長い年月がかかったけどね」
「初代国王様は、本当に立派な方よ。ご自分の代では成し遂げられないとわかっているような大きな事業でもどんどん計画して、それを後の世代で完成させるように託した。王立学院の設置もそうだし……。中でも一番の業績はこの図書館の建設だと思う。為政者が民を支配しやすくするために本を読むのを禁ずる国がある一方で、ドラグニアでは民が知識を得るのをできるだけ助け、国に尽力する人材を育てることに注力してきたのだもの。それも何百年も前から」
「はいはい、そこまで。ユディちゃんが歴史が好きなのはわかったから、そろそろ開かずの間の話に戻ろう」
マイルズは苦笑しながら話を戻した。
「何百年も前の話だ。リューネシュヴァイク様がドラグニアを興してからさらに後、図書館建設がようやく活発になった頃のこと。図書館の建設は大きな事業で、国中から労働者が集まった。現場には監督官がついたし、労働者のための食事を作る者なんかもいた。おこぼれに与ろうと、街の貧しい子どもたちなんかも工事現場に出入りしてたらしい。ある日のこと、労働者たちが、一つの部屋に窓や扉をつくるのを忘れてしまったんだと。工事の監督官の怒りを恐れた労働者たちは、その部屋を本棚などでふさいで隠してしまった。すると何日かして、工事現場でよく見かけた子どもが一人足りないことに気がついた」
嫌な予感にユディの背中はぞくりとした。
「図書館がいざ開館すると、例の部屋の周囲から何かをガリガリと引っ掻くような奇妙な音がすると利用者からの文句が相次いだ。そして夜中にはすすり泣くような子どもの声が……」
「————!」
青くなったユディを見かねてレイが止めに入る。
「おーい。青くなってかわいそうだろ。ユディ、怖いの苦手なのか?」
「いえ……」
こほんと咳払いをして自分を取り戻す。
そんなユディを尻目にハルは興味津津の表情である。
「本当にそんな部屋あるの?」
「この図書館のどこかにその当時の工事の記録が残っているらしいよ。だから本当にあった話」
「見たい! その開かずの間を」
真っ先に手を上げたのはハルだ。
星色の瞳が期待に輝いている。
「残念だけど、不思議なことにその部屋がどこにあるかは記録からすっぽり抜けているんだ。さあ、仕事はここまででいい。もうそろそろ閉館の時間だから帰ろう」
「そうね、もうさすがに帰らなきゃ寮の門限に遅れてしまうわ」
それに、のど飴の効果が気になる。
突然あの「声」が戻ってきてしまったら、レイとマイルズに影響が出てしまう。
「早く帰ったほうがいい。閉館後の図書館は、出るぜぇ」
レイのおどろおどろしい声に、ひっと小さな声を上げてユディは後ずさる。
「ユディは怖がりだなぁ。手を繋いでやろうか?」
「いえ、お断りします。さ、行きましょハル」
「あ、うん」
ハルは自らの手をちらりと見るも、無言でそれを握りしめた。
外に出ると、日はかなり傾いていた。
夕暮れの空に、鳥たちが家路を急いでいる。
なんだか不思議な日になった。
その原因を作ったのはほかでもない。
ユディは隣に並ぶハルをそっと見た。
飴の効果がさすがに切れたのか、仮面を装着するところだった。
「声、元に戻っちゃった?」
「うん、残念だけど」
「ヴァルターさんが持っていった箱に、まだたくさんあるから……。なくなったらいつでもまた作れるし」
「ありがとう。このお礼はきっとする。ユディはぼくの恩人だよ」
「もうお礼ならしてもらったわ」
ユディはクッキーの箱を掲げてみせた。
「もう暗くなるから送るよ」
「わたしなら平気よ。ここからなら寮は近いし。ハルこそ遅くなったらヴァルターさんが心配するのじゃない?」
「日没も近いのに女性を送らないで帰ったりしたらそれこそ怒られるよ。送らせていただけますか? お嬢さん」
まただ。
ハルはいつも自分を女性扱いしてくれる。
くすぐったいような、変な感じがする。
でも、嫌ではない。
年下なのにと思うのだが、この世界では十三歳頃から十八歳頃までには社交界にデビューしたり、早ければ結婚だってあり得るのだ。
前世の感覚でいうと早すぎる。
しかし子供でも大人の働きが求められるからか、それこそ小さな頃から大人びている子は確かに多い。
溜息が漏れそうなほど端正なハルの顔は、もう仮面に隠されて見えない。
それでも男らしい言動が加わると、思わずどきりとしてしまう。
顔が赤いのは夕焼けのせい。
ユディはそう思うことにしたのだった。
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