第9話 経歴詐称は罪です

 ハルの身体には一滴の返り血もなかったが、塔の屋上はひどい有様だった。

 死体の片付けを指示し終わると、ハルとヴァルターは王宮内の適当な部屋に移動した。


 すでに夜半過ぎである。

 どうせ今夜は塔には戻れない。


「それで、殿下。今日はどちらまでおいでになられていたんですか?」

「んー、ちょっとね」


 この少年にしてはいやに歯切れが悪い。

 おまけに、妙なことを言い出した。


「あのさ、ここってドラセス語の本って何かあるかな?」

「城にですか? それはもちろん、あると思いますよ」

「本当? それって借りてもいい?」

「はあ……。構わないと思いますけど」


 どんなに貴重な書物であろうと、王弟ハルトムートが所望すれば手に入れられぬはずがない。


「城の書庫に専用の書棚があったと思います。明日にでも見られるよう手配しておきますが……。ドラセス語とは、また変わったものにご興味がおありですね」

「……ぼくじゃないんだけどね」

「では誰が?」

「えーっと……友人……ではまだないか。これから友人になれたらいいなと思ってる人」


 ヴァルターは耳を疑った。

 ハルトムート殿下に、ご友人?


「その方とは、どちらで?」

「風の魔法で飛び回っていたら、あっちの方角に紫色の花のついた大きな木があって、綺麗だったからそこの上でちょっと休んでたんだ。そしたらその下で女の子と知り合いになった」


 ハルの言葉に、普段は沈着冷静なはずの魔導師は驚きのあまり数歩後ずさった。


「おんなのこ?」 

「そうだけど」

「な、で、殿下に、じょじょ女性のごゆうじん?」

「ちょっと、大きな声を出さないでよ。まだ友人じゃないって」


 ヴァルターは聞いていなかった。 

 王宮に来て一年経つというのに、恋愛はおろか友人の一人もいないハルである。


 もっとも本人の方が興味がないようで、勇気のある貴族の幾人かに娘をぜひ紹介したいと言われても断固として拒否していた。

 そのハルに「友人になりたい」と言わしめる女性とは、一体どのような人物なのだろうか?


 あっちの方、という少年のざっくりした説明をもう少し詳しく聞き出すと、どうやら該当の場所は王立学院の敷地があるところだった。

 そこで紫色の花をつける大きな木といったら、ヴィオランダしかない。


 その下にいたということは……。


「その方はお一人でいたのですか?」

「いや? 最初、男といた」


 宮廷魔導師のほとんどがそうであるように、ヴァルターもかつては王立学院で魔法を学んだ。

 記憶を掘り返しながら、ヴィオランダの木の下で異性といたというのは、もしや逢引か、はたまたプロポーズの真っ最中だったのではないだろうかと思い当たる。


「あのう……言いづらいのですが、殿下は野暮天をなされたということでしょうか?」

「違うって! 男の方が急に帰っちゃったんだよ。そしたら風で女の子が持ってた紙が飛ばされて……。まあいいや。その女の子は、そこで婚約破棄されてた」

「ヴィオランダの下でですか! それは何とも逆説的な出来事ですね」

「そうなの?」

「もともとその木は何と言いますか『恋愛の木』みたいなものですから。逢引したり、プロポーズしたりする場所ですよ」

「ええ!? 最低じゃないか。やっぱりその男を追いかけて行ってぶん殴っておくべきだったか?」

「一般人を殴ったりしたら大変な騒ぎになりますからおやめください」


 生真面目に言うヴァルターである。


「まあ、そうか。それで女の子はお弁当を作って持って来てたのに、無駄になったからって言ってご馳走してくれた」

「ははあ……」

「だからお礼をしたいんだけど……。それで本って、変かな? こういう時のお礼って何したらいいかよくわからないんだよ。ヴァルターは女の子に詳しい?」


 少年に直球で問われて、ヴァルターはがくりと肩を落とした。


「申し訳ありません……。女性については苦手分野であるとしか申せません」


 薄い髪色と瞳をしたヴァルターは美男のうちに入るのだが、真面目過ぎる性格のためか、あまり色恋沙汰が得意ではない。


 もっと言えば女性全般が苦手と言える。

 魔導師団副長であれば、平民と言えども縁談の一つや二つあるだろうに、一向に浮いた話を聞かない。


 一回り下のハルにまで、「そっか、なんかごめん」と言われてしまう有様のヴァルターであった。

 その時である。


「話は全て聞かせてもらった!」


 扉が開かれ、ぬっと巨体が現れた。


「陛下!」


 部屋に入ってきたのは、ドラグニア国王フェルディナンドその人であった。

 ハルは呆れた声を出した。


「何してるのさ。王様がこんな夜更けにうろついてたらまずいだろ」

「王が自分の城をうろついて何が悪い」

  

 国王はにっと笑うと、ずかずかと部屋に入り、ソファに腰をおろした。  


「さきほどの刺客について報告を受けているぞ。おまえがここにいるというので、その話をしたかったのだが……。どうやらそれより優先的にこちらの話をしなければなるまいな」

「なんでだよ」


 ハルが身を引こうとすると、国王がくわっと目を見開いた。


「喜ばしいからに決まっている! おまえには同じ年頃の友人が必要だと常々思っていたからな。しかしご婦人へのお礼が書物とは、いささか無粋ではあるまいか?」


 どうやらすっかり聞かれてしまっていたようだ。

 ハルもそうだが、フェルディナンドの耳の良さは獣並みである。


 身体的技能が一般的な人間と異なるのは、ドラグニアの王族の特徴と言える。

 大きな体躯が印象的なフェルディナンドと、小柄なハルが並ぶと、いつもながらでこぼこな印象だった。


 この兄弟は全く似ていない。

 外見だけではなく、その性格も対照的である。


 人懐こい国王に、人と距離を置こうとするハル。

 それが逆に良いのか、気が合っているようなのが不思議である。


「その子、本が好きなんだって。ドラセス語に興味があるけど、本が手に入らないって言ってたから」

「ドラセス語に興味があるとは風変わりだな。とにかく貴重な書物でな、通常は外には出していないが……。なにせ、読める者がいないからな。しかしまあ、そういうことなら、古代文化の研究者たちをすぐに城へ呼ぶか! 国中探せば、もしかしたら読める者が見つかるやもしれん。それからどの書物が一番喜ばれそうか選ばせよう!」

「ばっ……やめろ。大事にするな!」

「何を言う。せっかく礼にと渡すのであれば、喜んでもらえそうなものを選ばんと」


 何だか段々おかしな方向に行っているような気がする。

 ヴァルターはおずおずと挙手した。


「あのう……。年頃の少女であれば甘い菓子や髪飾りなど、もっと相応しい品があるのでは?」 


 一見して兄弟とは見えぬ二人は、揃って顔を見合わせた。


「そうなのか?」

「ふむ、一理あるな。菓子はご婦人への贈り物の定番。焼き菓子の上にチョコレートでご婦人の名前を書かせたりすると喜ばれたりするな」

「おまえ……そうやって女性を口説いているのか?」

「いいや? ご婦人方の間で流行っていると聞いたことがあるだけだ」


 しれっと答える国王であった。

 フェルディナンドにはれっきとした妃がいる。  


 しかしそれ以外の女性関係は不明だ。

 どうもこの国王は底知れないところがある。


「ハルトムート殿下、その方のお名前は何と仰るんですか?」

「ユディ」

「どこで何をされている方なのですか?」

「聞いてないけど、学生、かな?」


 今度はフェルディナンドとヴァルターが顔を見合わせる番だった。


「殿下、恐れ入りますが……。その方は殿下が何者かはわかっていらっしゃるのですか?」

「いいや、ハルって名乗っただけ。それ以外何て言えばいいんだ? 王弟だなんて言ったって絶対信じちゃもらえないし、怪しすぎて二度と会ってもらえないよ」


 国王は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 実は、王弟が城に戻って一年にもなるのに、今なお国民にはハルのお披露目がされていない。  


 仮面を常に装着していなくてはならないハルが、人前に出るのを嫌がったのである。

 貴族諸侯たちの口から広まったのだろうが、国民にもある程度は、王弟が城に戻ったことが知られている。


 それゆえ、お披露目がされていないのは、身体が弱いからだとか、顔に大きな傷があって隠したいからだとか、あれこれ眉唾話が生まれている。


「くそ、失敗したな。王弟のお披露目式を急ぐべきだったか」

「どっちみち仮面が取れなきゃお披露目なんて無理だろ。式典で市民がばたばた倒れたりしてみろ、目も当てられないぞ」

「しかしだな」

「それに、問題があって……」 


 もごもごと気まずそうに口を動かす少年の脳裏には、少女を一人残して去っていく元婚約者の姿が浮かんでいた。

 自然と口元が結ばれる。


「どうした?」

「彼女が婚約破棄されたのは多分、ぼくのせいなんだ」 

「おまえが一体何をしたというんだ?」

「魔の森に魔物討伐しに行った」


 国王と魔導師団副長は、同時に首をかしげた。


 時折、ハルは途中経過を飛ばして結論だけ伝えてくる傾向がある。

 フェルディナンドは慣れているのか、辛抱強く質問する。


「魔の森の魔物を退治するのと、その娘の婚約破棄とどんな関係があるのだ?」


 ハルは大きく溜息を吐くと、彼の予想を話し始めた。 


「彼女の元婚約者——騎士団所属っぽかったけど——は、次男なんだって。長男は騎士団の仕事で魔物討伐に行って行方知れずになったから、跡継ぎとしてその次男が爵位を継ぐことになってた。でも、最近になって兄が見つかったから、そいつは爵位をあてにできないといってユディとの婚約を破棄した」

「そうか、気の毒にな。その者は婿養子にでもなって、どこか別の家の爵位を継ぐつもりだな」  


 国王はさもありなんと頷いた。

 

「そうらしいね。問題は、長男の方が見つかったのは魔の森だっていうことなんだ。つい先日、魔物討伐に出向いた騎士団の連中が戻らないっていうんで、団長たちとそこに行ったんだよ」  

「なんだか嫌な予感がするな」

「魔物自体は小物だった。でも森の幻術の効果のある植物が群生してて、先発した騎士団の連中はその幻術にはまって森から抜け出せなくなってた。で、そいつら助けたんだけど……」

「もしや、その中に……」

 

 ハルは後ろ手で髪をぐしゃぐしゃにする。


「そうだよ! ——助かった連中の中にきっといるよ、彼女の元婚約者の兄が」

「なんと! それではユディ嬢の婚約破棄は間接的に殿下のせいではないですか」

「だからそうだって言ってるだろ……」


 ハルは頭を抱えた。


 ユディがこの事実を知ったらどうするだろうか? 

 それよりも貴族にいい印象のなさそうな彼女が、少年の正体を知ったらどう思うだろう?


「元婚約者とその兄の名前は何という?」

「ロドリーとか言ったかな?」


 国王は顔色一つ変えずにその名を頭に叩き込んだ。

 後で調べさせるつもりだ。


「その娘とは次回どうやって会うつもりなのだ?」

「次の休日に王立図書館で働いているから、そこで会おうって。またお昼ご飯を作って来てくれるって」


 どうやらハルのいう「友人未満」とは掛け値なしの言葉だったようだ。


「そうだったのですね。素性を明らかにしていらっしゃらないのであれば、現時点であまり下手なことをしないほうがいいのかもしれま——」

「ふむ、しかしその娘は間違いなく王立学院の生徒だろう。そして図書館で働いているということは、おそらく平民か、家系の苦しい貧乏貴族というところか」  


 会ったこともないユディの素性をぴたりと言い当てると、国王は手を打った。  

 

「そうだ、王立図書館の職員名簿をすぐに取り寄せさせよう! 『ユディ』という名の職員を片っ端から調べさせる」

「だから、やめろって! 次会った時、ちゃんと何をしている子なのか聞いておくから。本当に来てくれたら、の話だけど」


 こんな奇妙な仮面を被った少年の素性を聞かなかったということは、少女は「あえて聞かなかった」のであろう。

 もしかしたら、もう会うつもりがないのかもしれない。


 ヴァルターはハルを元気づけようと明るい声を出した。


「きっと来てくださいますよ。ユディ嬢はどんな方なのですか?」

「うーん。エビアボカドサンドイッチ! って感じだった。その子が作ったサンドイッチだったんだけど、すごく美味しかったんだよ」

「ハルトムート……」

「殿下、流石にそれはちょっと……」

「今の感想じゃだめか?」


 頭を掻くハルに、国王がはっとしたように訊ねる。


「ちょっと待て、ハルトムート。サンドイッチを一緒に食べただと? おまえの『声』は問題にならなかったのか」


 同じことが気になっていたヴァルターも頷いた。

 ハルの声には「龍の咆哮」と同等の魔力が宿っている。

 悠長に会話を交わしながら食事などできるわけがないのだ。


「それが、その子の着けてた守護の腕輪のおかげで仮面を外して話しても何ともないみたいなんだ」

「なんだと? それは確かか?」 


 ハルが頷くとヴァルターは首を傾げた。


「そんな強力な守護を身に着けられるとは、よほど高位の貴族の令嬢なのでは?」

「いや、たとえ王族の姫だとしても、ハルトムートの魔力を防げるほどの守護を持てるわけがない。その娘の守護の腕輪とやらを、この俺も見たい! おまえたちが会う約束の日に俺も行くぞ!」

「陛下!」

「だめに決まってるだろう。何度も言ってるが、その子とはまだ友人でも何でもないんだぞ。国王がついて来たりしたら友達になれるものもなれなくなるだろうが」 


 そっちですか? とヴァルターは思わずつんのめりそうになる。


「あのう……国王がお忍びで城下を出歩く方が問題なのでは……」

「それも少しは問題だ! だが俺はその守護の腕輪の存在を見過ごすわけにはいかんと思っている。似たような構成の魔法陣が組めれば、守護の腕輪の複製ができるやも知れぬ。俺とておまえと仮面なしで話したい!」


 胸を張る国王に対し、少年はあくまで呆れ顔だ。


「過保護」

「なっ! 違うぞ! 決しておまえの逢い引きが気になって仕方ないと言うわけでは……!」

「だから、逢い引きじゃないってば」


 兄弟の会話を聞きながら、ヴァルターの国王を見る目は自然と生温かいものになっていた。


「ち、違うからなヴァルター。む、そうか。この俺が行くのが問題というのであれば、ヴァルターがついて行ってくれぬか?」

「陛下、それは余りに酷いお言葉です。私にハルトムート殿下の邪魔をしろと? それに、自分で言うのもなんですが、この格好では目立ち過ぎるかと」


 ヴァルターが身に着けているのは、黒地に金の縁取りが施された宮廷魔導師団のローブである。 


「そこは魔導師のローブを脱いで行けばよいではないか。おまえの素性を聞かなかったというのも、実は少々気になっている。もし、その娘がハルトムートのことを最初から知っていたとしたら?」

「おい、フェル」

「わかっている。きっとその娘は事情のありそうなおまえに気を遣って、突っ込んで質問するのを控えてくれたのだろう。しかし、念には念を入れんと。いつ刺客に狙われてもおかしくはない立場であることを忘れるな」


 つまり、国王はハルが出会った少女が間者ではないかと疑っているのだ。


「刺客だったら、何度も会うような真似しないで、今日来た奴らみたいにすぐ殺そうとしてくるだろ?」

「それがそうとも限らん。間者にも色々といるからな。まず標的を信用させてからというのもあり得る。もちろんおまえが善いと思った娘なのだから、俺とて本気で疑っているわけではない。だがな、考えてもみろ。俺たちがこう疑っているということは、その娘だっておまえのことを怪しんでいるやもしれんぞ。ヴァルターのような信頼できそうな大人がついて行って、おかしい素性の者ではないことを証明してはどうだ?」 


 意外にまともなことを言う。


「若いお二人の間に私が入るのも違和感ですが……」

「何も最初から最後までついていなくてもよい。きちんと挨拶をして、さりげなく身元を確認して、守護の腕輪について調べたら、後は中座するなり好きにしてくれて構わぬ」


 そこでようやく少年が了承した。


「……フェルの心配はわかったよ。ヴァルターだったら一緒に来てもいい」

「しかし私は平民ですよ! ユディ嬢が貴族の令嬢なら腕輪を見せて欲しいなんて頼めません」

「やんごとなき身分の令嬢が伴の一人も付けずに出歩くわけがない。ましてや図書館で働くなどありえん。それにたとえ貴族だとしても問題ない。おまえたちがその場で名乗れるよう、適当な素性を用意させよう。あまりに高い身分だとその娘が平民だった場合まずいな。子爵程度にしておくか?」

「その辺は臨機応変でいこうよ。いや、ちょっと待って。彼女は貴族が好きじゃないようなことを言ってた。むしろ商人とかの方がいいかもしれない」

「なるほど、いい考えだ。ではストラウス商会を使おう。俺が密かに持っている商会だから問題ない」


 それは立派な経歴詐称ではないですか!

 喉から出かかった言葉を何とか飲み込む。


 前言撤回だ。 

 ヴァルターは思った。


 この兄弟は見た目は違えども、規格外の常識外れという意味で非常に似た者同士なのであった。

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