第4話 仮面の君とサンドイッチ

「ありがとう。あなた、すごい。風の魔法よね? あんなに上手に空を飛べるなんてびっくりしちゃった」


 この世界の魔法には、いわゆる属性というのがある。   

 風、水、火、大地、雷、光、闇の七属性で、今さっき少年が宙を飛んでいたのは風の魔法によるものに違いなかった。  


 礼を述べるユディに、少年は無言で、集めた頁を渡してくれた。

 すぐに確認するとちゃんと全部揃っていた。


「ああ、よかった! 本当に助かったわ。これ、大事な書類だったの。……あら、あなた大丈夫!?」


 突然、少年がその場にうずくまったのだ。


「…………た」

「え?」

「お腹がすいた……」

「ええっ? だ、大丈夫? あ、わたし食べ物持ってるけど、いる?」


 ヴィオランダの木があるのは学校の裏庭なので、食べる場所もないだろうと気を利かせてお弁当を用意してきていたのだ。

 たくさん作ったが、相手が帰ってしまった今となっては一人では食べきれない。 


 籠の中からサンドイッチを取り出し、少年に差し出す。

 少年は硬直したように思えたが、仮面があるので表情はわからない。


 いきなり知らない人間から食べ物を寄こされても困るかもしれないな、とふと思い当たった。


「あ、突然ごめんなさい。よく知らない人から食べ物なんてもらったら駄目ってお家の人に言われているわよね。でも美味しいのよ、このサンドイッチ。ほら、全部味も違うんだから。これは鶏肉とトマトとレタス。こっちはエビとアボガド。そっちのはハムとキュウリとクリームチーズが入ってるの」


 一つずつ指を指して教えるが、少年は一言も発しようとしない。

 ただサンドイッチをじっと凝視している。


「なあに? そんなに珍しい物は入れてないわよ。じゃあわたしが先に食べるから。ね、毒なんて入ってないわよ。あっ、もしかしてその仮面、取れないの? 魔道具か何かなのね」


 少年はしばし間を置いてからこくりと頷いた。


「ぼくのこと怖くないの?」


 やわらかな竪琴のような心地の良い声が仮面の下から発される。


「その仮面のこと? 怖くないわよ。驚きはしたけど」


 少年の白い指が仮面にそっと触れる。


「これは魔道具というより魔封具。ぼくの声を聞くと、気分が悪くなるから」

「魔物憑きなの? それとも呪いとか?」


 少年は首を振った。


「魔力がありすぎるから」

「そんなことあるの? 声を聞いただけで気分が悪くなるなんて……。あ、でもこれがあるから平気かも」


 腕に着けている護りの腕輪を少年に見せる。


 毒、麻痺、呪い、魔法攻撃等、幅広い種類の危険に有効な護りが込められている貴重な魔道具だ。


 男爵であった父の形見である。


「普通の守護では効かない」

「そうなの? でも、この腕輪はわたしが改良した特別製なの。ちょっと試してみましょう」

「仮面を外すのはいいけど話さないよ。きみが倒れたら困る」

「倒れるかまだわからないわ。それに無理そうならサンドイッチを食べている間だけ筆談したらいいじゃない。はい、紙とペンはあるわよ」


 契約書のチェックに使っていた紙とペンを少年の手に押し付ける。

 もしも仮面を着けていなければ少年が目をぱちくりするのが見れたかもしれない。


 しばし間を置いた後、小さな肩が楽しそうに震える。


「きみって変わってるね。ただ紙を拾っただけの相手にそこまで食べ物勧める?」

「ちょっと事情があって作りすぎちゃったのよ。わたし食べ物を無駄にしない主義なの。あなたが食べないなら持って帰るからいいわよ」


 憮然とするユディに、少年は頭を掻いた。


「ごめんごめん。じゃあご馳走になるよ。実は朝から何も食べてないんだ」


 そう言うと、ユディの横に静かに腰を下ろした。


「じゃあちょうど良かったじゃない。はい、どうぞ食べてね」


 ユディはまず自分が取って食べてみせた。

 潰したアボガドとプリプリのエビという絶妙の組み合わせが口の中に広がる。


 少年はサンドイッチに手を伸ばしたが、完全に仮面を取ることはしなかった。

 下部分を少しだけずらしてサンドイッチを口に運び——。


「——美味しい! ……あ」

「ふふ、喋っちゃったわね。大丈夫、何ともないわよ」


 焦った素振りを見せる少年に、ユディはにっこりと笑いかけた。


「本当に平気?」


 心配そうにする少年を安心させるようにユディがしっかりと頷くと、今度こそ嬉しそうにサンドイッチを頬張り始めた。

 守護の腕輪をちらりと見やると、護りの石が淡い光を帯びている。


 本当に何らかの攻撃に反応しているのだ。

 護りの効果はきちんと効いているようでユディは何ともない。


 しかし……。


「食べるたびにこれじゃあ、あなたも大変ね」

「うん。だから誰かと一緒に食事をするのは半年ぶりだよ」

「半年ぶりって……!? どうして?」

「王都に来たのが半年前だから」

「引っ越してきたってことね。ご両親は?」

「両親はいない。兄がいるけど忙しいし」


 少年が普段どんな生活を送っているのか疑問が増す。

 気にはなるものの、何となくこちらからは聞けずじまいだった。


 代わりに、ごくごく当たり前の、差し支えない質問をした。


「あなた、名前はなんていうの?」

「ハル。きみは?」

「ユディよ」

 

 ハルというのはおそらく愛称だろうとユディは思った。


 細い身体のわりに、少年——ハルはよく食べた。

 仮面を片手でずらして押さえ、もう片方でサンドイッチを食べるという器用な芸当で、みるみるうちにすべてのサンドイッチがなくなった。


 足りなかったかなと心配したが、ハルは満足そうに腹の辺りを撫でている。 


「美味しかった!」

「よかったわ。はいお茶」


 空になった箱を手早く片付け、水筒のお茶をカップに注ぐ。 


「用意がいいね」 


 シュテファンが好きだと言っていたハーブのお茶だ。

 幼馴染だったからだとしても、一か月だけの婚約期間だったとしても、やはり婚約者らしいことをしなくてはと一応意識してはいたのだ。


 けれども、振り返りもせず去っていった彼の背中を思い出すと、歩み寄ろうとしていたのはユディだけだったのかもしれないと、ぼんやり思った。

 

「……無駄にならなくてよかったわ」

「さっきの男は馬鹿だな。こんな美味しいものを食べ損なうなんて」


 はっとしてユディはハルを見た。


「あなた……」

「そんな目で見ないでよ。野暮天をしたかったわけじゃない。ぼく、この木の上で休んでたんだ。そしたらきみたちが来て、カップルなのかなって思ってたら、あんなことになっちゃったからさ」

「聞いてたの? 耳良いわね……」


 思わず頭上を見上げるが、ヴィオランダの木はかなり背が高く、上の方は見えない。

 あの辺りに誰かいたとしても気がつくわけがなかった。


 よくよく考えたら木の周囲には何もないのだ。

 書類が風に飛ばされた時、ハルがどこからともなく現れたように思っていたが、なんの事はない、木の上にいたのだ。


 婚約破棄の現場を目撃されたのは気まずいが、仕方がないと事情を話すことにした。


「そう、さっきの彼は、わたしの婚約者——だった。今さっき、婚約破棄されたの。魔物討伐で生死不明になったはずのお兄様が急に戻ってきたんですって。自分の家——ロドリー家の爵位はお兄様が継ぐから、爵位の見込める……つまり婿養子に取ってくれそうな別の家の方を探して婚約し直すのだそうよ」

「すごい話だね」

「貴族の次男以下だったらわりとよく聞く話だと思うけど」

「へえ、貴族は大変なんだ」


 他人事のように呟く仮面の下の表情は読めない。

 貴族は大変だと言うということは、ハルは平民なのだろう。


 素性を聞いてみようかと思い立ったとき、変わった方向に質問を飛ばしてきた。


「魔物討伐か……。きみの元婚約者の兄って人は、どこに行っていたかわかる?」

「えっ? さあ、詳しくは知らないけど、確か魔の森とか呼ばれている場所で行方知れずになったのだったと思うわ」

「あちゃあ……。ごめん」


 ハルはなぜか頭を抱えて謝っている。


「どうしたの?」

「いや、その……。何でもない。ぼくが相手の男をぶん殴ってこようか?」

「ええっ? だめよ、相手は年上だし、貴族だし……危ないわよ」

「歳だって身分だって関係ないよ。それに、逆ならともかく、年下が年上を殴るのは別にいいんじゃないの?」

「そんな理屈は聞いたことがないわよ。だめなものはだめだって」


 ハルは「真面目か?」と呟いている。

 会ったばかりなのに、ユディのために憤ってくれる姿はどことなく幼く、微笑ましかった。


 ハルは、正義感が強いみたいだ。

 

「何笑ってるのさ」

「ううん。あなたが怒ってくれた事が嬉しいのよ。わたしは大丈夫だから気にしないで」


 手酷く振られたのには違いないが、ユディはあえてへらっと笑ってみせた。

 その顔に、ハルは毒気を抜かれたようだったが、そのうち遠慮がちに訊ねてきた。


「その人のこと好きだった?」

「好き……?」


 思わず、はたと考えてしまう。

 シュテファンとは幼い頃からなんとなく許嫁のような関係でそれなりに意識はしていたが、改めて好きかと聞かれるとよくわからない。


 彼のことを考えると、人を小馬鹿にしたような顔がまず思い浮かぶ。

 それから 偉そうな態度と、女性を見下すような発言。


 ここから恋愛感情を発展させていくのはなかなか難しいように思う。

 というより、好きか嫌いかで言うなら間違いなく「嫌い」である。


 婚約破棄を告げたときの態度があんまりだったので戸惑いはしたが、結婚の申し込みでなかったことを喜んでいいところなのだ。

 だが、この婚約がだめになったということは、別の縁談相手を叔父が探してくるだろうというのは想像に難くない。


(宙ぶらりんは大変だよなあ。爺さんと結婚させられないといいな……)

 

 シュテファンの捨て台詞が頭に反芻される。

 一回り以上年上の男の後妻にさせられるといったありがちな不幸な結婚を、本当に叔父夫婦が用意してきそうで怖い。


 ぐるぐる考えてしまい、思わず大きな嘆息が漏れた。

 ハルが気まずそうにする。


「そっか……好きだったんだね……」

「えっ? いいえ、そんなことない……けど」

「無理しなくていいよ」 


 なんだか誤解が生じているようだ。 

 ここから弁解しても誤解が深まるばかりかもしれない。


 ただ、事実は事実として述べておくことにした。


「無理じゃないわ。シュテファンのことは本当にいいの。ただ、別の人とお見合いしなきゃいけなくなるだろうと思ったら憂鬱になっただけ」

「それは、さっきの彼氏じゃないから?」

「違うってば……。ただ単に結婚が嫌なの」

「貴族の女性は、みんな結婚願望の塊かと思ってた」

「それは否定できないけど……。わたしの方が変わってるのかしらね。貴族同士の結婚ってしがらみばかりで気乗りしないの。女性は結婚したら家に入るのが前提だし」


 ユディは、貴族が苦手である。

 自分も曲がりなりにも男爵家に連なる一員には違いないのだが、のどかなハイネ村の村長がそのまま男爵になったという家系と、王都に居を構える高位の貴族たちでは位置付けが違う。


 王立学院で裕福な貴族のお坊ちゃん達を嫌というほど見てきたが、偉そうに振る舞うばかりの彼らが、ユディは心底嫌いなのであった。

 しかし、結婚が嫌なら修道院行きである。


 どんよりと曇りそうになる表情を慌てて打ち消すと、急いで話題を変えた。


「結婚より本を読んでいる方がずっといいわ」 

「どんな本が好きなの?」 

「うーん、色々だけど。最近読んでいるのは『山脈の雪』とか『ウェスリア戦記』とか。『王女ガルーニャ』も」

「外国の本ばかりだね。『山脈の雪』はぼくも読んだ。フリジア人作家の旅行記だよね。ドラグニア語で読むと全然つまらないのに、フリジア語の原書で読むと情景描写がすごくて胸に迫るし、次にどんな場面が出てくるんだろうって、ちょっとした冒険小説みたいでドキドキするんだよね」


 思ってもいなかったハルの切り替えしに、ユディはすっかり感銘を受けた。


「そうなの! すごい、あなたもフリジア語が読めるの?」

「ウェスリア語も少しわかるよ。『ウェスリア戦記』も子供の頃読んだ。ウェスリア軍がドラグニアの王都に攻め入って来るところなんて、本当に明日にでもウェスリアの兵隊がやって来るんじゃないかって怖かったなあ」

「架空の戦争の話なのよね。外征に行く兵士の視点から、ウェスリア人がドラグニアやフリジアをどう思っているか伝わってくる。ドラグニアって外国からは嫌われているんだなって新鮮だったわ」

「自国のことを批判するのは容易じゃないからね。外国人の視点から見ると勉強になる。もちろん他国の言い分を鵜呑みにするわけじゃないけど」


 まったく同じ感想を抱いていたユディは例えようもない喜びを感じていた。


「すごい。あなたみたいな子に会えるなんて嬉しいわ。フリジア語もウェスリア語も読める人はたくさんいるけれど『山脈の雪』と『ウェスリア戦記』の原書を読んだことがあって、わたしと同じように感じる人に会えるなんてどれほどの確率かしら?」

「大袈裟だよ。それに『王女ガルーニャ』は読んだことない。題名からして女の子向けの本っぽいけど」

「ガルーニャ国の王女が海の魔物に攫われてしまって、王子様が助けに来るというお話よ」

「やっぱり女の子が好きそうだ」

「それが、そんなことないの。確かに大筋は恋愛物なんだけれど、海の中に棲む魔物の生態なんかは事実に基づいて書かれているんですって。戦闘の場面なんて大迫力で、どんな魔法がどんな魔物に効くとか、読んでいるだけですごく詳しくなるのよ」

「へえ、それなら読んでみようかな。ガルーニャ語で書かれてるの?」

「ええ。まだ勉強中だけれど。あなたはすらすら読める?」

「どうかな。しばらく使ってないから」


 フリジア語もウィストニア語もガルーニャ語も物心ついた頃にユディが最初に覚えた言葉である。 


 元の世界の言い方で言うならば同じ語族、つまり母語のドラグニア語とは同一の言葉から派生しているので語源から何から似ているのである。

 これらはあっという間に習得してしまったのだが、それも今世のユディの語学の才能と、前世が翻訳者であったという素地があったからというのも多分にある。


 各国の言語を年若く習得するのはそれほど難しいことではない。

 市井に生まれついた子供でも何か国語も話せる者は珍しくないのだが、それは話し言葉だけに限定される場合が多い。

 読み書きとなると別で、今話していたような物語をすらすらと読めるようになるまでには才能や努力以上に貴族の子弟が持つような、整った学習環境が必要になる。


 ということは、やはりハルは貴族なのだろうか。

 そんな疑問が頭に浮かんだが、それよりも先ほどからずっと気になっていたことがある。

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