恋する不良

橋本洋一

恋する不良

「不良は良いことをしない。だから不良って言うんだぜ」


 目の前の可愛らしい女――大上おおかみなつに吐き捨てた俺は、そのまま学校の教室を出ようとする。


「それは違うよ。出口いでぐち零次れいじくん」


 夏はまるで高いところから見下ろすように言った。

 いや、言うなんてもんじゃない。

 これは神の宣告に等しかった。


「不良でも、良いことをしていいし、悪いことはしちゃいけないんだよ」

「……うるせえなあ」

「だから、零次くん――」


 夏はびしっと俺の足元にあるゴミ――タバコの空き箱を丸めたものを指差す。


「きちんとゴミはゴミ箱に捨てなさい。高二だったら分別も分かる年頃だろう」

「……はいはい」


 周りの生徒がひそひそ話す中、俺は溜息をつきながら、素直にゴミ箱に入れた。

 すると満面の笑みになる夏。


「うん。それでいい」

「……タバコを吸っていることは良いのかよ」

「まあ肺が汚れるのはいただけないけどね。それは君の問題だ」


 夏は「年齢で区切るのは大昔からおかしいと思っていたからねえ」と呟いた。


「それから、今日の約束、忘れていないよね?」

「忘れてねえよ」

「それから、今日は雨が降るから傘を忘れないように」


 窓の外を見るとからからに晴れた青空が広がっている。


「分かったよ。傘は持っていく」

「それから――」

「うるっせえな! 昔の文豪かよ!」


 咄嗟に作者の名前が思い浮かばなかったので、そんな返しになってしまったが、夏は「ごめん。しつこかったね」と笑った。


「でも、これだけは守ってほしい。一週間、君には時間をあげた」

「……それも分かっているよ」

「後悔してないかい?」


 俺は夏の横を通り抜けて、あいつに聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。


「……後悔なんて、しねえよ」



◆◇◆◇



 曇り空の下、俺は急いで夏との約束の場所である黒坂くろさか神社へと向かっていた。

 夏との約束を守るためだ。

 不良のくせに約束を守るなんて、滑稽な話だけど、この約束だけは守らないといけなかった。


 はっきり言えば、俺は夏に惚れていた。

 あいつと出会った瞬間から恋に落ちていた。

 この一週間、俺はあいつのことばかり考えていた――


「おっと。そんなに急いでどこに行くんだよ? 出口ぃ?」


 曲がり角から出てきたのは、同じ高校の不良生徒。

 八人ぐらいで俺を待ち伏せしていたようだ。


「……柴田」


 目の前の不良たちの頭、柴田を睨みつける。

 柴田は喉奥でくっくっくと笑いながら、俺に笑いかけた。

 前歯が無い。俺が折ったからだ。


「歯の恨み、返させてもらうぜ」

「明日にしてくれねえかな。俺ぁ急いでいるんだ」


 そう言いながら不良たちに囲まれているのが分かる。

 拳を握り、身構える俺。


「けっ。何の用か知らねえけど、聞くわけねえよなあ?」

「だろうなあ。俺もその抜けた面を見て、そう思った」

「――やっちまえ!」


 八人が俺に一斉に襲い掛かる。

 俺は拳を目の前の男にぶち込んだ――



◆◇◆◇



「この人数相手に、なんて野郎だ……!」


 柴田が呆れた口調で言うが、意識が朦朧として反応できなかった。

 六人は倒したが、柴田ともう一人は倒しきれなかった。

 今、俺は羽交い絞めされて、柴田に殴られている。


「悪いけどよ、こいつを使わせてもらうぜ」


 水滴が顔に当たる。

 雨が降ってきたのだと何となく分かった。

 それくらいしか分からない。


「死ねや、出口ぃいいいいいいいい!」


 ナイフの煌く光が目に入った――


「やめなよ。そんなことしたら死んじゃうだろう?」


 聞きたくなかった声。

 信じたくなかった声。


「なんで、なんで――」

「ふう。間に合ったね」

「なんで、ここにいるんだよ! 夏!」


 意識がクリアになった。

 ひどく雨が降っている。

 そんな中、夏がそこにいた。


 柴田を気絶させた、夏が。


 羽交い絞めしていた奴も俺から離れて気絶している。

 夏は俺に近づいて「大丈夫? 治してあげようか?」と笑いかけた。


「お前、分かっているのかよ……」

「うん。分かっているよ」

「今日を逃したら、帰れなくなるんだぜ……」

「それも分かっている」


「神の国に、帰れなくなるんだぞ!」


 俺の悲痛な叫びに、夏は笑顔で応じた。


「うん。分かっている。だって神様だもん」



◆◇◆◇



 夏と出会ったのは、二週間前だった。

 冗談みたいな話で、あいつは捨て猫みたいに段ボール箱に入っていたんだ。

 しかも『誰か拾ってください』ってご丁寧に書いてやがった。


「ねえ。神様、拾ってみない?」

「……はあ?」


 頭のおかしい美少女だと思った。

 でも一週間接しているうちに、本当に神様だと分かる出来事が次々と起こった。


 天気予報通りじゃない天気を当てたと思ったら、天候を変えたりできた。

 いつの間にか、俺のクラスの学級委員になっていた。

 そんな信じられないことが次々と起きた。


「一緒に神の国に行ってくれる人間を探しているんだ」


 夏と出会って一週間後、つまり今日から一週間前。

 夏がどこか覚悟を決めた顔で言った。


「神の国に帰らないと、二度と戻れない。でも君から離れるのは、嫌だ」

「……はん。そうかよ」

「もし、一緒に来てくれたら嬉しい。君が良ければの話だけど」


 俺は散々悩んだ挙句、了承した。

 俺は恋をしてしまったのだ。

 目の前の神様に。



◆◇◆◇



「だってさ。こうしなかったら、零次くん、死んじゃうんだもん」


 あっけらかんとした夏。

 俺は「神の国に帰れなかったら、どうなるんだよ」と訊ねた。


「徐々に神様の力は無くなるね。五年もしたら普通の人間になっちゃうかも」

「普通の人間か……」

「それまでに生活基盤を作らないとね」


 雨が徐々に弱まっていく。

 夏は「全知全能じゃなくなるし、やれることも少なくなってくるよ」と笑った。


「そうなる前に、零次くんの傍から離れないとね」

「……なに、言っているんだよ。俺のせいで、帰れなくなったんだろ?」

「でも、だんだん無くなっていくんだよ?」


 夏は淋しそうに笑った。


「全知全能じゃなくなって、天候も操れなくなって、零次くんも助けられなくなって。人の手を借りないといけなくなる。それは嫌でしょ?」

「……勝手に決めるなよ」


 俺は立ち上がって、夏を抱き締めた。

 強く、離さないように、抱き締めた。


「零次くん?」

「俺は不良だ。良いことはしねえ。雨の中、捨てられている猫を拾ったりもしねえ」


 抱き合ったまま、俺は夏に言う。


「でもよ、俺を助けてくれた女を見捨てるなんて、人として捨てて置けねえよな」

「零次くん……」

「愛しているぜ、夏」


 夏が俺の背中に手を回してくるのが分かる。

 俺はそのまま、天を見上げた。


 なあ、神の国いる神様たち。

 約束を破った夏と暮らすのは悪いことだと思うか?

 でもよ、俺は不良なんだぜ?

 良いことなんてするかよ。

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恋する不良 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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