そいつは、僕が入ってきたのと同じ入口から入ってきた。

 ふわふわした白い髪は、肩の辺りまでの長さ。瞳は、夏の木の葉のような深い緑色。淡い、白に近いグレーのパーカーを着て、それよりは少し濃いグレーの、膝丈のプリーツスカートを履いている。足元は黒いタイツと、明るい朱色のハイカットスニーカー。僕がその姿に衝撃を受けている間に、そいつはその靴で、軽やかに僕のもとまで歩いてきて――

「――ああ、やっと会えた!」

 いきなり、僕に抱き着いた。

 そのまま僕のことをぎゅうっと抱きしめる。ややあってから腕を緩めて、手を僕の肩に置いて顔を離し、目を合わせた。

「はじめまして。私、きみに会いに来たんだ!」

 そう言ってにっこり笑う。僕はと言えばすっかり困惑してしまって、目を瞬かせるばかり。

「え、ええと……キミは、一体? なんでここに」

 こいつは、これは、僕と同じものなんだろうか? それとも、他の何か? まさか、かつてこの世界にいた本物の人が、今ここにいるわけが無いし。

「? 私は、きみに会いに来たんだよ。今私がここにいるのは、きみがここにいるのを見つけたから」

「……何で、僕に会いに来たんだ?」

 そいつは笑んだまま、少しだけ困ったように首を傾げた。

「……きみに、会いたかったから?」

「何で会いたかったんだ?」

「……そういえば、何でだろう」

 そこは分かってないのか。

「ううーん? 何でだか、きみに会いたい、会いに行かなくちゃって、そんな気がして……」

「……ふうん、そうなのか。で、会えたけど、これからどうするの?」

「えっ? ……ど、どうしようかな? ……き、きみに、ついて行ってもいいかなあ?」

「……好きに、すればいいよ。僕は気にしないから」

「やった、ありがとう!」

 そいつは変わらずにこにこしている。……僕は、ショップがあった辺りに向かって足を進める。

「あっ、ねえ、どこに行くの?」

「ショップ、があったところ。……髪留めを失くしたから、代わりを探しにね」

「へえ、そうなの? ねえ、どんな髪留めだったの?」

「黒いゴム紐に、透明な多面体の飾りがついてるやつ。明るい朱色の」

「明るい朱色? 綺麗な色だね。きみの眼と同じ色だ!」

「キミの靴の色に、よく似ているよ」

 ずっとにこにこと笑顔を浮かべたそいつを横目に、僕は歩く。そいつは上を見て、「あれ、天井がない」と呟いた。

「天井があったところの下辺りから折れたみたいだからね」

「え、折れてるの? 私、このタワーが立っているのを目印にここまで来たのに」

「うん、とうの昔にね。昨日は別に、見えてなかったでしょ」

「そういえば、確かにそうだね」

 タワーが立っていたのは、その時そう見えるようになっていただけの話だ。実際に触れるか、時間が経つかしてしまえば、見えなくなる。

 僕の言葉に、そいつは不思議そうにしつつも頷く。

 虹色の時計の横を通り過ぎる。そいつが足を止めた。

「凄い……! 綺麗だね」

「そうだね」

 僕が構わず足を進めると、そいつは慌てたようについてくる。ぱたぱたと横に並ぶと、にこにこと口を開く。

「本当に綺麗だね、あれ。きらきらしてた。デジタル時計もついてたね、数字出てたけど、動いてるの?」

「そんなわけないよ。……初めて見た時は、今出てるのの百個くらい前の数字だったんだけどね。しばらく見に来ないでいたら、いつの間にか止まってた」

 そうこう言っている間に、ショップに到着する。商品棚やらディスプレイやらが軒並み倒れ切っているのをかき分けながら、髪留めが埋もれていないか探す。そいつも僕と同じように、床に積み上がった商品の山を探っている。……そいつ、そいつってだけだと呼びにくいな。

「ねえキミ、名前はあるの」

「え? ……うーん、そういえば、無いかも。きみは?」

「……そういえば、僕もないな」

 名前が必要になることなんて、今までなかったからな……。一旦手を止めて考える。そいつ、も同じようにする。ああ、だから呼びにくいったら……!

「……じゃあ、取り敢えずキミのことはエミと呼ぼう。いい?」

「エミ?」

「キミ、ずっとにこにこしてるからね。だから、エミ笑み

「……! うん、私は、エミ。ありがとう!」

「……別に、名前が無いと呼びにくいからね」

 そいつ……エミは微笑みを深くして、それから言った。

「じゃあ、きみの名前は私が考えるよ。何が良いかな……」

「……じゃあ、お願いしようかな」

「うん、任せて!」

 僕が言うと、エミは手を動かしながらも、時折小さく唸ったり、小さな声で名前を並べて呟いたりし始めた。

 僕はと言えば、棚が折り重なった下から、とうとう髪留めを一つ見つける。茶色透明のスプリングゴム。……飾りとかタグとかもないし、これはここの商品じゃなくて、ここで働いていた誰かが使っていたものだろうな。黒い細いものが、いくらか絡みついていたし……。

 取り敢えず、それで髪を束ねる。ゴムは意外と劣化しておらず、しばらくは使えそうだった。

「ボブ、ジョン、クラウス、アーサー、ギルバート、……うーん、どれもピンとこないなあ」

「……なんで、男性名ばっかりなんだ?」

「えー、それは、何となく……。思いつける女性名のどれも、ピンとこなかったから。でも、男性名でも、きみにはあまり似つかわしくないような気がするね」

「……ま、僕に性別なんてないしね。それはキミもそうじゃないのかい」

 基本的には、無性の存在だ。両性の性質が打ち消し合っているようなものだから、男性とか女性とか、定義できるものではない。一人称や服装、髪型だのは、ただ何となく気に入っているからそうなっている、そうしているだけのことで、いつまでも一定であるものでもない。いまから百年とか二百年とか前後すれば、僕はアタシと言っていたかも知れないし、エミだっておれとか言っているかも知れないのだ。

「あ、代わりの髪留め見つかったんだね」

「うん。……あんまり、気に入った訳じゃないけどね。でもまあ、ただ髪を結べればいいわけだから」

 僕は髪留めに触れる。エミは少し、寂しそうな顔をする。

「さて、代わりの髪留めも見つかったし、次は何をしようかな……」

「……じゃあ、もっと気に入る髪留めを探しに行こうよ。私、まだきみの名前を見つけてない。一緒に行こう?」

 エミはそう言うと、駆け足でこちらに近づいてくる。棚やらものやらに足を取られて、少し転びそうになるけれど、どうにか無事に僕の前に来ると、僕の手を取って笑った。

「ね、いいでしょ? 行こうよ」

「……キミが、そう言うなら。どうせ暇だしね」

「やった! 早速行こう!」

 エミと手を繋いだまま、僕は歩き出した。

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