渋沢 功〔Ⅴ〕:とりあえず心臓は動いてる


リセットボタンが欲しい。


攻略本でもいいが、素人の作る攻略サイトやWikiはダメだ。

信頼性がまるでない。


たまに目新しく有用な情報がないわけではないが、大半はゴミだ。


汀 涙は常に、現実に対しても常にそういうことを考えている。

今などは特にそうだ。



涙は薄暗い、カーテンを閉め切った部屋でひたすら古いゲーム機を弄っていた。

苛立ちはある、焦燥もある、だがいま彼女にできる事は何もない。


穂原 映の消息は追えていない。

国内に残存する数千の自律偶像ガラテア反応、そのうちのどれかではあろう。




――〝ordeal


極狼ポラリス翠児インファントたちは順調にその仕事を果たし続けている。


残る自律偶像の総数は既に2,000を切った。

いくら穂原 映が生き汚かろうと、自律偶像が減るほど生存は困難になっていく。

狩る側〟の総数が減ることはない。

狩られる側の頭数が減っていくほどにあれへの対処は難しくなっていくのだ。


無論、涙とて何もしていないわけではない。

ちら、と薄暗い部屋の片隅を見る。




そこには物言わぬ人形が立っている。

そう、人形、自律偶像、――忘河アムが。


視線を分厚いアナログ画面モニターに戻し、コントローラーを握る。




既に


あれの権能は単純な記憶の改竄に留まらない。

読心と伝心、通心能力テレパスもまた、あれが有する機能の1つ。


だからあれはもう、人型の空洞に過ぎない。


相互の通心により今や、ルイとアムは1つの個体として機能している。

彼女アムの自我、意識は邪魔であったから放棄させたのみ、そこに何の問題もない。

機能さえ残っていれば用は足りる。



φωνή〟による全自律偶像への殺人、否。

――殺自律偶像ガラテア衝動とでも呼ぶべきものの喚起は今も続いている。


今もなお増している、という方が適切だろうか。



一尺八寸カマツカ 三智子ミチコは、記憶を消した上で実家に帰した。

本人の認識としては長期休暇という形になっている。



7度目だったのだ。

7度目にしてやっと上手くいくと思ったのに。


ここでの途中放棄は痛手ではある、が。


さすがに彼女の死という最大の危険リスクだけは負うわけにはいかなかった。

だから仕方ない、まずは目の前の問題を片づけてしまおう、そう思った。



――8度目の攻略はそれからだ。


彼女を手に入れるグッドエンドを達成するために、とっとと問題は片づけたい。




スマホが振動する。

ソシャゲの行動力AP全快通知、ではない。


振動は続いている。

視線を向けて一瞥する。

対象は非通知、涙は舌打ちを一つしてモニタへ視線を戻す。


振動は続く、飽きる事無く、終わる事無く。


無視し続ける事もできずにクッションの上からスマートフォンを掴み上げた。



「――もしもし?」


苛立ちを隠しきれず刺々しい声が出た、どこの誰か調べて廃人にしてやろうか。



『随分、ご機嫌斜めですね〝忘河アムネジア〟?」


笑いを薄くのせた、若い女の声。

幾らか涙の顔から険が消える、男の声を聴かされるよりは数段マシだったから。


そして何より、彼女ルイを〝忘河アムネジア〟と呼ぶ人間は限られている。

聞いたことの無い声、だが少なくとも〝極狼ポラリス〟ではない、だとしたら。



「はじめまして、かしら。

 あなたが〝永夜アウロラ〟?

 お話するのははじめてね、かわいい声してる、好みよ。

 今度会わない?」



『……それは、どうも。

 ですがお会いするのは止めておきます』



僅かにだが動揺が見える反応、初心うぶだな、と口元がゆがむ。

好みだが、さすがに手を出すのは不味いか。



「それで、何かご用?

 デートのお誘いだと嬉しいんだけれど」


『残念ですが。

 とはいえあなたにとって喜ばしい話ではあると思います』


「というと?」


『〝かかしスケアクロウ〟の正体が割れました』


「――へぇ」



右手一本で器用にコントローラーを操りながら、左手でスマホを握って涙は微笑む。

なるほど確かにそれは朗報だ。



「で、それを私に報告するのはなぜ?」


『〝かかしスケアクロウ〟は現在、八木恭介の姿を取っています」



永夜アウロラ〟の言葉に、だろうな、と思う。

状況証拠的に見てもその可能性は高かった。

こうなってくれば〝収穫祭〟にメルキオールが協力的でなかった理由、〝永夜アウロラ〟が参戦していなかった理由にもなんとなく察しがついた。


彼らの興味は〝かかしスケアクロウ〟に向けられていたという事だろう。



『そして現在いま、穂原 映、渋沢 功の両契約主従アロイが同盟関係にある』



モニタに視線を向けたまま、涙の目が糸のように細められる。

なるほど、穂原 映の関係者は監視下に置いていたつもりだったが。


八木スケアクロウ交接点ハブとして穂原映と渋沢功が通じていたというわけか。


完全に予想外の繋がりだが、逆にそれさえわかれば追いようはある。

確かに、喜ばしい情報だった。



「なるほど、良い情報をありがとう。

 見返りに欲しいものはある?」


『でしたらお願いが。

 私には八木スケアクロウを、あなた方には穂原 映を処分したい理由がある。

 こちらも共同戦線を張りませんか?』


「あら、私には会いたくなかったんじゃ?」


『肩を並べて戦うばかりが共闘ではありませんよ。

 私が〝極狼ポラリス〟と〝忘河あなた〟の居場所を彼らに漏洩させリークします。

 あなた方を同時に始末する事ができれば、この収穫祭ゲームが終る。

 という情報とセットで』



彼女の言葉に涙は喉を鳴らして笑った。


酷い詐欺ペテンもあったものだ。

なるほど、


実質的な収穫祭の運営は彼女ルイと〝極狼ポラリス〟。

彼らを失えば継続はほぼ不可能になるのは間違いがない。


そして、収穫祭ゲームから生還したいであろう彼らに他の選択肢はない。


あちらが出向いてくれるというのなら話は早く、各個撃破できるこの上ない好条件。



負ける気はないし、自らの強さに自信はある。


だが〝群れ〟を形成する〝極狼ポラリス〟の翠児インファントは彼女とは相性が良くない。

無数に反響し続ける同質の意思は、彼女のにとって酷い雑音ノイズなのだ。


敵の頭数が減るのも同様に好都合だった、読むべき思考は少ない方が楽だからだ。



「……いいわ。

 時間と場所は追って知らせます。

 あなたは適当に話を作って彼らと接触してください」


『――了解しました、それではまた』



通話が切れる。


涙は笑う、つまらない事クソゲーはとっとと終わらせるに限る。


端末を弾いて八木の報告書を呼び出し、目を通す。

渋沢 功とその自律偶像、深見沢 イリスに関する資料を確認する。


目立って奇妙な能力の行使は認められず、並外れた身体機能を有している。

おそらくは単純な身体強化系の権能オーソリティ


ならば障害物は少ない場所の方が良い、人気ひとけも無い方がやりやすいだろう。

地図を開き、適当な候補地を選出ピックアップする。

事前の準備に余念はない、読心という卑怯極まりないチート権能があったとしても。


汀 涙アムネジア遊戯ゲームの攻略に妥協しない。





**************************************





通話を切って卯月 夜はベッドに倒れ込んだ。


同性間にはセクハラって成立しないんだっけ?

などとつまらない事を考える。





――何一つ嘘をつかずとも相手を罠にめる事はできる。



恐らく汀 涙もそう考えてほくそ笑んでいる頃だろう。






そう、騙すのは簡単だ。


自分を無敵だなどと思ってる手合いは特に。





**************************************






権能は超常の異能であり、既存の物理法則に適合しない。


読心というその機能は例えば脳内を走る電気信号を感知しているとか、適当に理由をつけて科学的に説明する事もできるだろう。


だが、アムネジアにとって小難しい理屈はどうでもよかった。

息をするのにその理屈を一々考える生物はいない。




――記憶それは、海に似ている。


1つの雫は大した価値イミが無く、それが滴り流れて合流し河となり、海へと至る。



一息にその意味を理解する事は、さすがに涙にも困難だ。

水面をのぞき込み、その水面の下に何があるのか見定める。


読心という機能はそのようなものだ。

より深く、その奥底まで除くには手間も時間もかかる。


遠くから眺めても見通すのは難しい。


流れる雫と、河の流れに干渉すれば記憶を弄る事もできる。

だが戦闘中に複雑な干渉はできない、せいぜいは意識を断絶させることくらい。


もっともそれさえ叶えば煮ようが焼こうが涙の気分次第だ。



物理的な拘束ではないし、薬物とは違って耐性も関係はない。

抗おうという意識そのものを刈るその権能に抗うすべはない。



例え強い意志が奇跡を呼び込むのだとしても。


夢想家ロマンチストである涙は愛の奇跡を信じている側の人間だが。



――それでも。その意識キセキを〝忘河アムネジア〟は否定する。






**************************************





深夜、人払いをなされた運動公園で待ち受ける〝忘河かのじょ〟の前に現れたのは3人。


思い出すまでもない。

彼女の影響圏ドメインに入ったが最後、あらゆる相手は自己紹介の名札を下げ、自分が何をしようとしているのか大声で説明し続けているようなものなのだから。



渋沢 功。


深見沢 イリス。


そして、モルヒ。


契約主従2人ではなく余分な一人がいる3人組な事に驚きがないではなかった。


自律偶像ガラテアを有する自律偶像ガラテア、それを許す礼賛者ピグマリオン

なるほどメルキオールが観察対象に選ぶだけの事はある異常者イレギュラー




忘河ルイ〟は、する。


モルヒという自律偶像ガラテアに対する警戒心はすぐに消えて失せた。

論外も論外、異常なほどに弱い。


権能も無ければ肉体性能も下の下。

渋沢 功ピグマリオン深見沢 イリスガラテアも彼を同行させる気などそもそもなく。

自律偶像あるじの事が気になって傍を離れたくないから付いて来ただけ。

いじましくはある、だがただの雑音以下の存在。




忘河ルイ〟は、する。


渋沢 功という礼賛者ピグマリオンはさほど警戒には値しない。


驚くべき事にその契約期間年数は最古の契約主従であるはずの忘河ルイを超えていた。

実年齢も驚きに値する童顔だが、この際それは関係ない。


彼と彼女の関係つながりは、あまりにも疎であり密度が足りなかった。

年数じかんに対してあまりに空虚うすっぺらい


並みの契約主従なら一掃できるだろうが、彼女ルイ危険警戒には値しない。

一応、護身用らしくナイフを隠し持っているようだがその程度だ。




忘河ルイ〟は、する。


深見沢 イリスという自律偶像ガラテア、最も警戒すべきはこいつ。


権能を有するにもかかわらず、それがどういうものか自覚していない。

なんなら別にそんなのどうでもいい、とさえ思っている。


覗き込む、穂原 映とアンヘルとの接触時にも小賢しく聞かずに流している。

本人は半ば面倒だからどうでもいいくらいにしか思っていなかったようだが。


だとしても、問題はない。

全くの無自覚でいられるほど経験が浅い個体ではない。




覗き込む、より、深く。


――やはり身体強化系。


腕力パワー速度スピードを大幅に増強する能力か。


そしてその2つを同時には発揮できない。

常にどちらかだけを強化し、どちらかが機能している間はもう片方は機能しない。






忘河ルイ〟は、血装具ブラッドボーンを起動する。

形状は日本刀、俗に小太刀と呼ばれる長さ60cm程度の短い刀。

どちらかと言えば防御に優れるとされるが、人は殺せる。


取り回しの良さを理由に、彼女ルイはそれを愛用していた。



功とモルヒを残してイリスが前に出る。


言葉はない、全部わかってるんだろ?と笑っているのがわかった。



ルイは、掌側を上に向けて拳を突き出す。

中指を立ててちょいちょいと曲げて「かかって来い」と仕草で示す。



獰猛に、檻から放たれた肉食獣のようにイリスが疾駆すはしる。



余裕をもって突き出された拳を回避し、すれ違いざまに頭部に手を伸ばす。

首を捻ってイリスがかわす、逆側の手が小太刀を振って肩口を裂く、弾かれる。


腕力パワーモードでは防御力も格段に上昇するらしい。

取っ組み合いは不利、掴まれたら終るな、と冷静に判断する。


彼女ルイに焦りはない。


彼女にしてみれば全ての行為は実際に行われる前に宣言されているし、何もしない傍観者が2人いるのも好都合。

読心を通じて彼らの五感が捉える情報もまた彼女に伝わっている。


いわば彼女は3人分の観測機を持ってイリスという敵を捉えているのだ。


そしてそれらの情報は彼女のもう1つの外付脳ガラテアによって処理され、最適化フィルタリングされて彼女の最終判断を待つ。


1合、2合、3合。

無意識に、戦術無くただひたすらにイリスが拳を、蹴りを放つ。


だが、せいぜいがそこまでだ。

通じない、当たらないとなれば人は考えずにはいられない。


どうすれば勝てる?

どうすれば通じる?

相手は自分の心を読む敵だぞ?


どんな人間でも、こと戦いに及んで馬鹿のままではいられない。

勝ち筋を探して思考する、それは人が理性の生物である限り不可避の挙動。




4合、5合、6合。

冷静に冷淡にイリスの攻撃を捌きながら涙は観察する。


状態モードの切り替えにあわせて小太刀で斬りつける。

頭部の防御ガードは硬い、意識の断絶についてはアンヘルから漏れている。


構わない。

警戒しろ、苦悩し懊悩し考慮しろ、考えれば考えるほど動きは鈍る。

嘘も欺瞞も彼女ルイには通じない。


迷えば迷うほど勝率は下がっていくのに、人は迷わずにはいられない。



7合、8合、9合。

10、11、12、13、14……


拳が繰り出され、蹴りが放たれる、飽きる事も無く。

一つとて同じ軌道が無いかと思えば続けざまに同じように繰り出される事もあった。




――なんだこいつは?



絶対無敵ミギワ ルイは困惑する。

戦術も思考もなにもない。


ぶっ倒す。


殴り倒す、蹴り倒す、引っかけて転ばしてボコる。

突飛ばして、砂かけて、掴んで引き倒してボコる。


純粋な、暴力暴力また暴力。



駆け引きも作戦も無い。

小難しいことは知るかよとばかりにただ。


躊躇が無ければ迷いもない。

呆れてしまう。


付き合っていられない。




「――サルかよ」



時期タイミングを見計らって後退し、距離を置いて吐き捨てた。



天使か、あるいは妖精かと言わんばかりの可憐な容姿に騙された。


なんてことはない、これは野生の獣と同じだ。


熟慮などという人間らしい概念はない、そんな脳みそはないのだ、こいつには。





「脈絡がわかんねぇけど、馬鹿にされたのはわかるぞ」


口元を歪めながらイリスが笑う、獣のように、歯を見せて。


ああ、なんて醜い。





「――戦い遊びは終わりよ。

 面倒だから見せてあげる、私の翠児ほんき





思考は拡張され拡大する。


精神が接続する、心は加速していく。

今のは2人分の脳を有する。





世界こころは海。


我は河を御するもの。


我は不和の娘、我が名は忘却、あるいは隠匿。


痛みを忘れよ、苦しみを遠ざけよ。


――〝うつしよはすべてゆめにすぎぬとこしえなるうたをきけ





止める暇などない、すべては思考の後にやってくる。

彼女はただ思うだけで良く、すべてはもうはじまおわっている。



世界はみずとして認識される。


あらゆる意識、あらゆる思考、あらゆる記憶は繋がってどこまでも広がっている。



そうだ、人は一人ではいられない。

人は繋がっている、どこまでもどこまでも繋がっている。

言葉が、物語が、温度が人をつないでいく。



――だから、


相手の頭部に手を伸ばす必要すら、もはやない。


世界うみは広過ぎて溺れそうになってしまうから。


彼女ルイはそこに接続すつながるのが嫌いだったけれど。



彼女の翠児インファントはおよそ無敵。

人と人とのえにしよすがに。


彼女の指先はどこまでも届く。


世界うみは広過ぎて把握し切れないけれど。

人の心が抱えるは判りやすい。


契約主従とは、孤独な魂だ。


孤独に育った礼賛者にんげんと。

孤独に生れた自律偶像にんぎょうと。

独りではいられないから、耐えられないから。

そんな風にできているから2つは繋がって1つになる。


だから、ルイはその結節点つながりを破壊する。

2つで1つだったものを、1つに戻す。


契約主従と言う関係それ自体を破壊する。


それがどこにあるか彼女は知っている。

それがどんなものか彼女は知っている。

広大な世界うみの中にあって、それだけは熱を帯びて輝いているから。


見つけるのは簡単で、見つけてしまえば壊すのはもっと簡単。




――さあ、その関係おまえたちころしてあげる。




世界うみそらから俯瞰する。


礼賛者のアイはどこだ。

自律偶像の、アイはいずこか。




忘河ルイ〟は、する。


渋沢 功を観察する、そのこころを蹂躙するために。




忘河ルイ〟は、する。


深見沢 イリスを観察する、そのきずなを粉砕するために。





2人が出会った夜か?


   ――そこには無かった。




唇を重ねたその瞬間か?


  ――そこにも無かった。




身体繋いだその夜か?


  ――そんな事はしていなかった。




悲しみを吐露したとき、心の全てを曝したときか。


 ――別に、そんなことは愛が無くてもできるでしょう。




無い。

無い。

無い。

どこにもない。

どこにもない、そんなはずはないのに。

そんなはずはないのに。



契約主従を繋ぐものは狂おしいほどの執着アイだ。


それだけが彼らの魂の渇きコドクを癒す。



――そのはず、なのに。



ミギワ ルイは見つけられない、功とイリスの間に。

その熱く輝く赤い果実を。



なんで、――愛もなく繋がっていられる。


理解、できない――。




指先が触れるまま、荒々しく蹂躙する。

手当たり次第に彼らの記憶を傷つける。

水面を叩き、波風を立てる。



だが、壊せない。

どれほど傷つけても、傷つけ続けても。

――忘河ルイは気づかない。



彼らは2人ではなかった。




功がイリスを忘れても、そこにはモルヒがいる。

モルヒがいるから功はイリスを思い出す。



イリスが功を忘れても、そこにはモルヒがいる。

モルヒがいるからイリスは功を思い出す。




2人の世界アイ第三者不純物は要らない。

愛より素晴らしいものはなく、愛より至上のものはない。



それが、かのじょ限界セカイだった。



理解できないものは、――壊せない。





「なん、で」


忘我と、口にした言葉に応えるものがいる。



「何ぼーっとしてんだ、よッ!」


我を忘れたのは一瞬、だがその一瞬ですべては終わっている。








振り抜かれた彼女イリスの拳の後に痛みがやって来た。



数mどころか数十mも吹き飛ばされてなお。

意識を保ったのは最強の自律偶像/礼賛者の名に恥じぬ。

彼女は今、己の自律偶像ガラテアと繋がっている。


だがそれでも、身体の痛みには耐えれても。

心の痛みはどうだろう。

彼女は無敵の絶対者。

敗北を知らぬ最強者。

失敗なんて、あり得ない。




――ありえない、そんなこと。




こんな現実はいらないリセットボタンはどこ……」





自律偶像は礼賛者の願いをかなえるために行動する。

自我を放棄させられた彼女に自制心や判断力はない。


だから、









ばつん、と。

――彼女の望み通り、意識が消える電源が落ちた






**************************************





「生きてるのか?」




いつかの夜と同じ台詞を吐いて、功がイリスに歩み寄る。

ゴミ箱に半ば埋もれて路地裏に転がっていた、あの夜の自分を思い出した。


だが、それも一瞬。




「さー? 生きて、んのかなこれ。

 てか散々てこずったけど当たったら一発かよ。

 どんだけ脆いんだこいつ……?


 ん-? なんか変だな。

 気絶してる、ってのとも違うし」



イリスはしゃがみ込んで涙、――忘河アムネジアの頬を突く。



反応はない。

両眼を見開いたまま彼女ルイは動かない。




「まあ、勝った、でいいんじゃね?

 後の事はツァン辺りに丸投げしようぜ」



「そうだな」



「や、そうだな、じゃなくて。

 最後の瞬間、ぼくら

 背筋が凄いゾワゾワしたし、頭の中全部見られてるような感じが」



モルヒが気味悪そうに言い、イリスは功と視線を交わす。



「――というか頭の中引っ掻き回されるような感じがあったな」


「ああ」


「ああ、じゃないんですよね!?

 それでなんで2人とも平然としてるんです?!」



ぎゃーすかと煩いモルヒを見てイリスは肩をすくめる。

なんで、と言われても。


引っ掻き回されたところで何も変わらなかったのだから。

慌てる必要がなにもないだけで、騒ぎ立てるほど不思議な事だろうか。




「悪かったな」


「あ?」



突然の功の台詞に間抜けな声を出してしまい。

イリスは功をまじまじと見つめた。



「何が?」


「何もできなくて」


「居てくれりゃいいんだよこんなの。

 だいたい功はこれから美味い飯作るって仕事があるだろ。

 それに比べてモルヒはなあ」


「ちょっと、酷いですよその言い方!

 ぼくだって日々新しいことができるようにですね?!」



ムキになって反論するモルヒに、けけけ、とイリスが笑う。

何かさらに言いかけたモルヒが何かに気づいてスマホを取り出し耳に当てて、



「あ、穂原さんたちも勝ったって」


「……そういえばあっちが負けてたら台無しかこれ」


「勝ったんだからいいだろ」


「それもそうだなー、帰るか」




イリスの言葉に、功が珍しく笑った気がしたが。

それを口にする事はしなかった。


モルヒがうるさそうだったから。




彼女はあの夜から、生きている。


誰も愛せず、誰かに愛されても愛を返せない出来損ないの自律偶像。


それでも、いいと。

愛なんて要らないからそこに居てくれと願った礼賛者バカが居たから。



だから。


――あなたとわたしの接続不能なつながらない関係は、今もここに在るよ。































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