穂原 映〔Ⅴ〕:エデンの東


キリスト教系団体”愛翼あいよくの会”はここ三十年ほどでゆるかに、だが確実にその信者数を増やしつつある、いわゆる新興宗教団体である。

信者数6,372名、関連団体及び企業22、教祖――木村キムラ 幸歌サチカ


公的な、例えばカソリック系基督キリスト教の総本山であるヴァチカン市国などは、かの団体を「キリスト教系」とは認定していないし、これから先も認める事はないだろう。


彼らはYHVHヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー神聖四文字テトラグラマトンで記される〝主〟を信仰しない。

まして彼らは主の子、神の子イエス・キリストをすら信仰しない。


彼らが信仰するのは御使い、――天使である。


天使とはそも基督教に特有の存在ではない。

ユダヤ教、イスラム教などにも類似の存在は語られ、その原点は拝火ゾロアスター教にまで遡ることができる。


ともあれその歴史をここで紐解く必要はない。

件の”愛翼あいよくの会”にとっての天使について今は語ろう。


すなわち。

神は天にいまし、すべて世は事もなし。

御使いは地に在られ、人の世を治めん。

――神とはただ座すものであり、人世を治めるのは天使に他ならない。





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午後11時PM11:00

市内の総合公園のベンチに、間宮銀二はゆったりと座っていた。

足元には彼の相棒、――伴侶であるアイリッシュ・ウルフハウンドが伏せている。


夜の帳は深く、だが100万都市の夜としては静か過ぎて。

だがそれも必然ではあった。

今この場に、常人が立ち入るだけの道理はない。



彼の伴侶ポラリスが耳を立て、静かに立ち上がるのを見て間宮は目を細めた。

待つ事は決して苦痛ではないが、待ち続ける事の退屈は苦痛であるがゆえに。


視線を転じる、歩み寄る契約主従アロイを見据えて口元を歪め、呼びかける。



「こんばんは。

 いい夜だね、木村キムラ アキラくん」




間宮の言葉に、だが映は反応しない。

そもあの女の子供たちに木村姓を名乗るものは一人もいない。

映がそうであるように、全員が父方の姓を名乗るのが通例だった。


精神的な揺さぶりのつもりなのだろうが、お粗末に過ぎる。



異形の家族、一妻多夫の女帝。

出産という身体に負担のかかる行為を繰り返すのは勇気か無謀か。

――それとも狂気か。


、それを信仰と呼んでいたが。




「きみの実家、おもしろいよね。

 異父兄妹が全部で9人。

 にはその生まれ順と才覚に応じて位階が与えられる。

 きみが母親を刺した時の位階は、上三位”座天”だっけ?」



正確に言うならあの夜、上二位”智天”への昇階が内定していた。

彼が母親を刺したのは昇階の儀式イニシエーション只中ただなか

神聖な儀式であるが故に人払いがなされ、周囲に信者が極めて少ない状況。

絶好の機会。


ほんとうにお粗末だ。

知った風な口でこちらの過去を語り、だがと自白する。


だが、ふと興味が湧いた。

そこまで調べているのならこの男は知っているかもしれない。




「――あの女、生きてるのか?」



はじめて、映が口を開く。

間宮の言葉に応じてはいない、ただ自分が問いたいだけの問い。




「あれ、そのあたり知らないの?」


「さすがに情報統制がキツかったし、あいつの生死には正直、興味が無い。

 けどまあ、随分事情通みたいだから聞いてみただけだ」


投げやりに、言う。

実際深い意味はなかった、生きていようと、死んでいようと。



「生きてるよ、一時は危なかったみたいだけど。

 いやあ悪運っていうの、いのちが強いんだろうね。

 今もバリバリ活動中だし、天使もまた9人に戻ってる」


「それはそれは。

 元気だな、あの人も」



思わず、苦笑する。

演技ではない、珍しく素直な感情の漏出だった。


憎くないわけではない、死ねばいいと思っていたし、今も思っている。

だが、――生きていると知って安堵した自分がいるのも否定できない。


その感情が何なのか、名状することはしない。

それに名前を与えてしまう事は、穂原映にはまだできない。




「しかし、いずれ挑んで来る可能性は考えていたけど。

忘河アムネジア〟に聞いたよ、君の自律偶像ガラテア、権能を解析できるんだろう?

 まさか夜の間にわたしに挑もうだなんてね」


「よく言う。

 昼間の間は姿を見せない癖に」


「これは痛いところ突かれたね」




間宮銀二は笑う、余裕あり気に。

穂原映は笑わない、余裕がないゆえに。


ざり、と地面を踏んでアンヘルが戦闘態勢を取る。

お喋りの時間は終わり、ここからは殺し合いの時間だ。

――もっとも、一方的な殺戮にしかならないと間宮は考えている。




「その気のようだし、はじめようか。

 手の内はバレているし、出し惜しみは無しだ。

 ――我が名は〝群れ為すものどもレギオン〟 見よ、我々は大勢である」



マルコによる福音書、第5章、第9節。

口の中で映がつぶやく。


間宮銀二は宣言する、超常の翠児インファント契約主従アロイの極致。


無数の街灯に照らされて男の足元には無数の影が落ちている。

溶け消えるのは彼の自律偶像。

立ち上がるのは漆黒の獣、


アンヘルが、そして映が血装具ブラッドボーンを顕現する。

少々驚きはあった、だがそれだけだ。

穂原映は血装具を有していないはずで、入手手段は限られている。

だがだからといって大勢に影響はない。


影の獣たちが、こえもなく飛び掛かる。

アンヘルが大鎌を、映が短槍の血装具を振って各々迎撃する。


1匹、2匹、3匹。

彼らが獣を打ち滅ぼす速度より、増加速度の方が上回っている。

影の獣の影からなおも獣たちが湧きあがっていく。


勝敗は時間の問題に思え、だが。


映が無造作に背負い袋から取り出したのはペットボトル。

キャップに生えた紐を引いて、投げる。


閃光が場に満ちる、影の獣が数体、解けて消えた。

手製の閃光弾というわけだ、備えはしてきたという事だろう。


だが、間宮の余裕は崩れない。

一瞬の光では消せても数体、彼らの全てを消すには弱過ぎる。


続けて2つ、ペットボトルが投擲される。

アンヘルは主の守りを捨てて地面を滑るような足取りで前進。


間宮を殺傷圏に捉えた。



間宮銀二の、ポラリスの能力を最大限に活かすなら接近戦は避けるべきだった。

遠隔地から数の暴威を持って圧殺する、それが本来の最適解。


だが、本体から離れるほどに制御は甘くなり、個々の獣の知性は低下する。

巧みな連携と畳みかけるような攻勢を行うなら至近距離に立つ方が効率が良い。


間宮かれは、決して穂原映とアンヘルを過小評価していない。

遠隔地からの散発的な攻撃では逃げ延びられるのは目に見えていた。

だからこそ姿をさらし、全力を持って殺す。


危険リスクなどない。


アンヘルの大鎌が弧を描いて間宮に迫る。

速度も間合いも申し分なく、たとえ血装具で迎撃しても得物ごと首を刎ねられる。


喜劇のようにあっさりと、間宮銀二の首が宙を舞う。


次の瞬間、間宮だったものがほどけて溶ける。

同時、影の獣の1体が解けて崩れ、そこには間宮銀二が立っていた。


彼らを殺しきる事は不可能だ。


既に間宮とポラリスは2人ではなく、1人と1匹ですらない。

彼らは大群レギオン、大勢であるがゆえに。

彼らに個体としてのじぶんは無い。

彼ら全てが彼であり彼ら。


群れの核としての間宮銀二は存在するが、死してなお別の彼らが間宮銀二に

無論、弱点がないわけではない。

そこまで万能でもなければ無敵でもない。


光、それも持続的に彼らを照らす明かりの下では彼らは彼らとして総体を保てない。

夜間の間だけの必勝無敗。


無数に強力な投光器でも配置できれば、夜間であっても勝機はあったろう。

だが彼の、たとえば愛翼の会は、彼の女たちという人脈は監視下にある。

今の彼にそれだけの準備はできない。


――故に、間宮銀二の、〝極狼〟の勝利は揺るがない。





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愛翼の会において、天使とは〝人々にあまねく愛される統治者〟である。

ゆえに位階を与えられる九大天使、木村キムラ 幸歌サチカの子らには義務がある。


愛されるものとして在れ。


第一に容貌、幼くは愛くるしく、長じては美しく。

父親となるものにはまず、見目外見の良さが求められた。

幸歌サチカ自身もまた平均よりは上の美貌を持っていたが、それでは足りない。


人間は外見ではない、と美辞麗句を飾るものは多い。

だが、結局のところ人間は外見だ。

第一因として外見の良さがあり、内面は二の次である。


無論、内面が不要という意味ではない。

だが、心の中など誰にも見えはしない。


ゆえに態度を、言葉を、他人からどう見えるか、見られるかは徹底的に磨かれる。

愛されるように、好かれるように、そうなるように振る舞いを磨き抜かれる。


取り繕いで構わない、どうせ内心を覗き見られることはない。



天使とは支配者である。

彼らは学ぶ、学び抜く、心とは何か、どう触れ、どう動かすものなのか。


精神分析学、行動心理学、人間性、認知性、社会性、その発達過程。

にんげんがどのように成り立ち、どのように形成されるのか。

分解し解体し解剖して腑分けして観察する。


そういう技術を、知識を、対処を、心構えを学習する、させられる。


その果ては悲惨だ。

彼らは人を人として認識しない、できない。

人間は機械と同じ、入力インプットに対して出力アウトプットを返すだけの存在ものに成り下がる。


そこに人間性ヒューマニズムはない。


彼らにとって人間とは、群衆とは、信者とは。

少々扱いが難しい装置システムに過ぎない。


天使かれらにんげんを支配する。

どう触れればどう動くのか、どんな態度を見せればどう感じてくれるのか。

全てを理解し、誘導し掌握する。


かれらは愛されるためにそうあり、そうあるがゆえに愛を認知できない。

かれらは愛という幻想ゆめを見ない。

かれらは眠らない、人間を理解し過ぎたがゆえに人間と向き合えない。


それはきっと悲劇なのだろう。

それはきっと喜劇なのだろう。


だがむべなるかな、それもやむを得まい。

かれらは人間ではない、天使なのだから。

人間ではいられない、いることができない。

そうあるように望まれ、そうあるように望むことを望まれて。



かれらは人と繋がれない。

利害関係と快不快でしか人間の心を測れない。


――彼らは、孤独だろうか?





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アンヘルが獣たちを薙ぎ払う。

善戦はしている、だがそれだけだ。

何匹の獣をほふろうと、意味はない。

彼らの命は無数であり、彼らの命は1つずつしかない。


1度。

たった1度だけその牙が届けばアンヘルと映は死ぬ。



ほんの一瞬、間宮がアンヘルに視線を向けた瞬間に映は走り込んだ。

間宮の心理的な死角、呼吸を盗んだ動き。

目に見えた、だが不可避の奇襲。

技術としては最上、素晴らしい観察力と実行力。


だが、組み敷かれてなお間宮は嗤っている。




「お見事、だがここからは?

 殺さなければ拘束できるとでも?

 君たちに勝利はない。

 それともこのまま朝まで粘ってみるかい?」



――不可能だ。


夜明けまではまだ数時間を残している。

戦闘開始からまだ十分と経過していないのに、彼らには既に疲労の色が濃い。


今となっては逃走すら現実的ではあるまい。

間宮は冷静にそう分析していた。


もはや詰みチェックメイトだ。




映は間宮に馬乗りになって荒い息をつきながら彼を見下ろしている。


ほんの一呼吸だけ間があり、それから映は意を決したように短槍を両手で握りしめ。


間宮銀二の胸に突き立てた。


血が混じった呼気が漏れる。

即死はしていない、急所を外した、だがいずれ死に至る傷。



「ッ、は、嫌だな、サディズムの性癖でもあったのかな?」


貫通した短槍は公園に敷き詰められた床石を抜けて地面に間宮を縫い付けている。

失血で死に、〝群れ為すものども〟により置換されるまでこの苦しみは続くだろう。

まったく、サディズムここに極まれり。


だが、穂原映はふらふらと立ち上がり、背負い袋の中に手を差し入れる。

満身創痍、全身が傷だらけで次の瞬間には倒れそうなほど。


映が取り出したのは筒状の構造物に引き金トリガーがついたもの。

軍事知識の薄い間宮には大型拳銃のように見え、だが大火力で自分を殺せるなどと今更思っているわけでもなかろうにと薄く笑う。



「一思いにやってくれるのかな?」



「――創世記、3章、第24節」



皮肉めいた間宮の問いかけに、だが映は冷めた瞳で返答する。



「創、世? 何、」



 主は人を追いやり

 楽園エデンの東に智天使ケルビム回転まわる炎のつるぎを置き

 生命いのちの樹へ続く路を守らせたもう



穂原映はを天に向け、引き金を引いた。


ぽん、と気の抜けた音を立てて何かが天に昇っていく。

空中でそれは明々と輝く大輪の花を咲かせ、昼間のように間宮銀二を照らす。


1秒、2秒、3秒。

10秒が過ぎてなお、その輝きが衰えない事に気づいて間宮の頬が引き攣る。




「な、」




――人間は、わかりやすくて助かる。


呟き、冷めた瞳で穂原映が間宮を見下ろす。


何、を。




「わたしは人を超え、」


「いや、アンタは人間ヒトだ。

 とてもわかりやすかった」



絶句する、人を超えた存在になったはずの、自分が。


人間だと。

人間に見下されて。


……負ける?



今や一匹ひとりとなった彼の伴侶ポラリスが、彼を救わんと駆け寄って来る。

だが、それはあまりにも迂闊な動きだった。


背後から迫った死神アンヘルの大鎌が空を割いてポラリスの後足を切断する。

安定を失って転がった彼女の胴を大鎌が裂き、続いて首筋を一閃する。



死んだ。


いやまだだ。

夜の暗がりさえ戻れば彼女は彼と同じになりとなる。


間宮かれが生きている限り、彼女ポラリスは死なない。




「穂原、映ッ……!」



「余裕あり気に見えて、その実あんたは小心者だ。

 無駄に多弁で、いかに自分が有利かを語って見せるのはそのせいだな。

 だから思い通りに事が進んでいると、安心して




照明弾ほのおのつるぎはまだ天で明々と輝き、彼らを照らし出していた。



間宮銀二は知らなかった、照明弾それは数分に渡って輝き続ける事を。

穂原映てんしが人の心を操る事にどれだけ長けた存在であるかを。

自分の心がまだ、人間ヒトの範疇にあることを。




「アンヘル」



映が無造作に彼の名を呼ぶ。

天使アンヘルのその名にはどれだけの皮肉が込められているのか。


そして天使が大鎌を振るう。

無造作に一閃されたそれが間宮銀二の首を裂き、――その命を終わらせた。




「疲れた」


「はい、映さま。

 帰ったらとびきりの紅茶を淹れます」


「……この際だから言うが。

 おまえ、わざとヘタクソに紅茶を淹れるのやめろ」



映がめんどくさそうにそう言い、アンヘルは目を見開く。



「バレてないと思ってたのか」


「それは、その、はい」


「とびきりのやつを淹れてくれるんだろうな?」


「……はい!」



満面の笑顔になるアンヘルを見やり、穂原映は嘆息する。

どいつもこいつもわかりやす過ぎる、世界はこんなにも単純シンプルだ。


心の中を見透かされるのだけは最悪だ。

そんなことはされたくないし、したくない。


そこは誰にも見せないし見たくない。

上っ面だけ見計らって取り繕うので精一杯。


だがまあ、あっちはあいつらが何とかするだろう。

してくれないと困る。



――ここは醜く汚い世界エデンの東

主は天に居まし、地には不在おらず人間アイ幻想ユメに過ぎない。



だが、穂原映は決して世界を虚しいとか無意味だとは思っていなかった。


本を読むのも、部屋の掃除をするのも、料理をするのも決して嫌いではない。

無論、紅茶を淹れるのも、飲むのもだ。


一蓮托生、呉越同舟。

ろくに素性も知れないあの連中は、だが不思議と上手くやるだろうと映は思う。



世界は単純で、人間はもっと単純だ。

その中でもあいつらは、とびっきり単純な部類だと思う。

だからまあ、なんとかするだろうし、なるだろう。




















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