柴崎 陽介:つまらない理由


「……那由多ナユタは、自律偶像ガラテアを手に入れて最初にしたことって何だった?」



柴崎シバサキ 陽介ヨウスケは、サイドボード上の灰皿に煙草の灰を落としながら、先刻まで肌を重ねていた女に、そんな事を尋ねた。


――深い意味はなく、ただの気まぐれ、ピロートークのようなものだ。



視線の先、シーツに包まって転がる女、桧葉ヒバ 那由多ナユタから返事はない。



彼女ナユタの、真っ白い背中をなんとなく眺めながら、柴崎は。

ああ、寝落ちたか、体力ないもんなこいつ、とか。

そんな風なことを思っていた。



恋人ではない。

たぶん愛してもいない。


そしてたぶん、愛されてもいない。


身体だけの関係とも、少し違う。


柴崎が思うに、桧葉 那由多は「拒めない女」なのだろうと思う。

求められれば与えてしまう、流されやすい女。


最初に彼女を押し倒した時もそうだった。

理由はなんだったか、よく覚えてはいない。


ただ、女のその瞳だけが焼き付いて忘れられない。


諦めたような、疲れたような、そんな瞳で目をそらしながら。

彼女は男を受け入れた。


たぶんそれが柴崎じゃなかったとしても、結果は同じだったように思う。



不思議なのはその後。

警戒するそぶりも、避けられるような気配もなかったことで。

それまでと変わらず、同じように女は男に接し続けた。


2度目はどうだったか、同じような気まぐれか、ただの獣欲か。

3度目は? 4度目はどうだったろう?


もう、それがどんな風だったか柴崎は覚えていない。



――覚えているのは、あの寂しくも美しい、諦観に満ちた瞳だけだ。


1度目の夜以外、見る事の叶わなかったあの美しい瞳。



いつの間にかひどく短くなっていた煙草を、灰皿に押し付けてもみ消す。

次の1本をくわえて、ライターを手に取った。



なんとなく、安宿の一室、汚れた壁を見る。


視線を転じれば。

小さなソファに仲の良い姉妹のように寄り添って寝息を立てる2人の娘が見えた。


那由多の自律偶像ガラテア、刹那。

柴崎の自律偶像ガラテア、グリゼルダ。


2人とも、若い少女の姿をした自律偶像だ。

特に、刹那はひどく幼い外見をしている。


那由多と並ぶとまるで母子のようで。



自分でもまるでわからない理由で舌打ちを一つ。

結局、火をつけないまま煙草とライターをテーブルの上に放り出した。




「母親を殺した」



唐突に、脈絡なく。

静寂を小さく貫いて囁き声が響く。




一瞬、何を言われているのかわからなくなる。


数秒の間を置いて、それが自分の問いに他する彼女ナユタの返答だと気づく。




「……なんで?」



つまらない質問だと、自分でも思いながら、それでも問いは口を突いた。

こちらに背を向けたままの女の肩が揺れる。



笑ったのだと、顔も見えていないのにわかった。




「つまらない理由よ」



「だろうな」



大抵のトラブルはつまらない理由が発端で起こる。

なんだってそうだ。

柴崎はそう思う。




「トマトが嫌いだったの、私」



那由多の言葉には脈絡が無く、先の話とどう繋がるのかさっぱりわからなかった。

それでも、柴崎は特に急かすでもなく彼女の背中を見つめて黙っていた。




「母親はトマトが好きだった。

 ……別にね、トマトは人が食べるものじゃない、とか。

 そんな過激な事を言う気はないのよ。

 好きな人が美味しそうに食べるのを見るのは嫌いじゃないし。

 好きな人が好きで食べる事に特に不快さはないの」



でも、と。

女は背中を向けたまままた肩を揺らす。



――嫌いなものは嫌いだし、食べたくないんだもの。



笑いながら、女が言う。

どこがどうだめとか、そういうんじゃない。

生理的にダメだとか、そういうんでもない。


ただ、とにかくダメなのだ。


私はトマトが嫌いだし、食べれない。



女の独白に、男は何も言わなかった。

そういえばともに食事をしても、トマトを食べているのは見たことが無いな。

考えていたのはそんな事で。



「母は毎日毎日、トマトを食卓に並べたの。

 私が何度嫌いだと、食べたくないと言ってもずーっと。

 毎日毎日、毎日毎日、『トマトは美味しい、健康にも良い』って。


 ずっとトマトを、食卓に並べたの。


 ――だから、殺した」



物心ついてから、ずっと、か。

それはどのくらいの期間だったのか。

10年? 20年?


那由多の年齢を柴崎は知らない。

だが20台はもう過ぎているように見えた。

30台にはおそらく入っていて、自律偶像を与えたのは柴崎だ。


再会は、柴崎が彼女を契約主従アロイにしてから半年後。

彼女は何も変わっていなかった、ように見えていた。

いや、心持ち、明るくなっていたようにも思う。



そこから2年、気づけばだらだらと2人の、あるいは4人の関係は続いている。


最初は仲の悪かった刹那とグリゼルダはいつの間にか姉妹のように仲がいい。



「すっきりしたか?」


「これでもう明日はトマトを食べなくて良いんだって、ホッとした」


「そうか」



つまらない理由でしょ、と女が笑う。


そうだな、と男も笑った。



ベッドに横になり、背を向けたままの女の腰に手を回して抱き寄せる。

尻に下半身を押し付け、乳房をすくい上げるように指で掴んだ。

首筋に唇を落とす。



――女は、拒まなかった。あの夜と同じように。





**************************************





花村ハナムラ 和樹カズキが己の自律偶像の名を叫ぼうとして、かなわないまま死んだ。


人体の構造上ありえざる方向に首が曲がり、首筋は牙によって食い破られていた。

誰がどう見ても致命傷。


彼の自律偶像ガラテア スカーレットの権能オーソリティは、全身を金属で覆う防御に優れた力だった。


だがその彼女は、彼女の礼賛者ピグマリオンより先に絶命している。





視界の先、間宮マミヤ 銀二ギンジは、さわやかに笑っている。

誰が見ても安心するような好青年としての笑顔。



だが、男は長剣型の血装具ブラッドボーンを手にしていて。

切っ先は鮮やかな赤に、スカーレットの血に濡れている。



「ふむ。なかなか強力な権能だけど。

 視界を確保するために隙間を開けざるを得ないのは問題だね。

 せめて防御にはもうちょっと気を遣わないとダメだと思うよ」



世間話のような口振りで言いながら。

間宮が手首を返して刃を振ると、振り落とされた血が路上を濡らした。



強い。




――決して慢心はしていなかったはずだ。



柴崎は自身を、〝斡旋屋ミディエイター〟の中でも上位の実力者だと認識している。


あの”八木”とすら、引き分けた事があるのはひそかな自慢ですらある。

そして、その八木と比肩、あるいは凌駕するという〝斡旋屋マミヤ〟。

最強と名高い間宮を相手に、油断するほど馬鹿でもない。


だからこそ人数を揃えて来た。


上部には動きがあり、八木は”渋沢 功”に接触して立場を失った。

間宮を廃すれば斡旋屋のなかでも突出した立場を得られるはずだった。


その間宮が不干渉リスト筆頭の”渋沢 功”に接触したのをこれ幸いに。

叛乱の意志ありと看板を掲げて始末してしまえばいい、そう思っていた。


つまりこれは好機チャンスであったはずだなのだ。



だが実際はどうか、



「〝空歩き〟イェーリニー。

 〝鉄騎士〟スカーレット。

 〝雷鳴〟緋牡丹ひぼたん


 なかなか有名どころが揃ってる。


 本気でぼくを殺そうってわけかな。

〝閃光〟グリゼルダとその礼賛者ピグマリオン


 確か……、柴崎さんだったかな?」



焦る風でもなく、間宮は剣を片手にいっそおもしろがるように柴崎に話しかける。

首謀者が彼である事は既に看破しているということだろう。



「……そのクッソ恥ずかしい2つ名呼び、やめてくんねぇかな。

 〝変態〟間宮さんよ」



じりじりと間合いを微調整しながら軽口に応じる。


柴崎の手には斧槍ハルバード型の血装具ブラッドボーンが。

グリゼルダの手には十字槍型の血装具が既に握られていた。

両者は30度ほどの角度を保って間宮に相対している。



とっとと片づけたいし、軽口を叩く暇はないのだが、相手は隙を見せない。


花村とスカーレットの契約主従アロイは死んだ。

……実のところ名前も覚えてすらない。


まだこちらの手札は4組8人、数の上では有利。


だが、迂闊に飛び込むには警戒すべき相手の存在が大き過ぎた。




音もなく間宮の足元に歩み寄る、白と灰色の斑の毛並みに覆われた大型犬アイリッシュ・ウルフハウンド


その双眸は深い紫に彩られている。

――自律偶像だ、それも大型犬の姿の。



「犬は、古くから人類の相棒パートナーだよ、柴崎さん。

 まあぼくの性癖が一般的でない事は事実だけど。

 とはいえ言葉も通じない、同意もとれないのだから。

 ぼくは彼らに手を出した事はない、そこまで恥知らずでもない。

 変態呼ばわりは酷いんじゃないかな?」


「それで自律偶像ガラテアを犬にしたってか? 筋金入りだな」


「誉め言葉だと思っておくよ」



間宮は笑いながら剣を持っていない方の手で、己の自律偶像の頭を撫でた。


相変わらず隙はない。

なにより、間宮の自律偶像、〝四つ足〟ポラリスの戦闘力は彼の想定を超えていた。


人間が素手では大型動物に勝てない、ということくらい。

柴崎も知識としては理解しているし聞いた事がある。

だがこちらは全員が自律偶像と礼賛者、まして権能もあり、血装具も用意していた。

相手は犬型ゆえに武装は出来ない。


数の利もある、一方的に勝てるはずだった。



「で、なんでこんなことを?」



なんてことはないようにそんな問いかけを放って来る間宮。


5組10人を相手にしても余裕綽々、と言う態度。


見誤ったか、と思わないでもない。

だが今更引く事もできない、まだ勝機が消えたわけでもない。


だから柴崎は口を開く。



「不干渉リストにある渋沢功への接触。

 ”上”への反乱の意志ありと取られても仕方ないだろう。

 違うか?」



軽口に応じるのも勝率を上げるため。

応えながらじわじわと立ち位置を変える。


まだ勝機は棄てていない。




「それだけでここまでしますか。

 怖いなあ、正当防衛とは言え一人殺してしまいましたよ」



「——それだけでこんなヤバい橋は渡らねぇよ。

 この1カ月で5人死んだ」



それも〝斡旋屋〟ばかり、5人。

それがこの場にいる全員が集まり間宮に挑む理由。




「それも全員周囲で大きな犬のようなものも目撃されてな。

 犬型の自律偶像ガラテアなんて連れてるのはおまえだけだ」




……それは半分本当で半分は嘘だ。


”犬”が〝斡旋屋〟を殺して回るというのは噂に過ぎない。

全て柴崎の、間宮を始末したいという個人的な理由の根拠として利用しているだけ。


だが、——間宮は朗らかに笑った。



「ああ、なるほど。

 ——良い勘をしている」


「あ?」


契約主従アロイとは何か知っていますか、柴崎くん」


「何を、」



間宮は手を広げて、歌うように告げた。



「今、契約主従が何組存在するか。

 その数、実に8,000余組。

 は1万を目指していたようだけど。

 どうやら諦めたらしいね。

 

 で、収穫が始まるんだ。


〝斡旋屋〟が狩られているのはその前座、準備だよ」



「おまえ……」



「人類を次の段階に進める。

 それが〝果てハイエンド〟の目的だ。


 けれど時間がないのさ。

 だから彼らは契約主従を、自律偶像を送り出し生み出した」




 錬金術において、『幸せな結婚』という概念がある。


 複数の金属の調和、新しい金属の誕生。

 黄金の錬成、卑金属の貴金属化とは物質を指す言葉ではない。


 錬金術とは黄金を作る術。

 それは俗説であり真実ではない。


 黄金とは比喩であり隠喩である。

 黄金とは真なる人間アダム・カダモンへの到達を意味する。




 すなわち契約主従アロイとは――。



 合金アロイとはすなわち。

 人の手による真なる人間の製造。

 次の段階への加速装置、大いなる儀式アルス・マグナ


 

 

「つまり、

 よりよきものが、よりよきものであることを確かめるために。

 テストを行おうってワケだね」



 なんてことはない話のように、間宮はそう歌う。

 それはつまり。



「契約主従を、狩ってるってことか、上が……?」



「ぼくらが、さ。

 本格的に始まるのはまだ先、いやもうそろそろかな」



ぎり、と柴崎は歯噛みする。

なんだそれは、全ては建前だったはずだ。


――それが本当にこいつが、上が、〝斡旋屋〟を狩っている?




「ソロゥ!」


だから躊躇ためらいは棄てた。

やる事は変わらない、いずれにせよこいつを殺す。



ポラリスの動きが止まる。

見えない何かに囚われて。


〝雷鳴〟緋牡丹ひぼたんの姿が書き換わる。

〝縛鎖〟ソロゥに。



伏せていた手札を開示する。


柴崎が引き連れた契約主従は5組。


隠れ潜んでいた最後の一組は〝幻想〟イトリの契約主従。

その権能で自らの姿を隠し、〝縛鎖〟ソロゥを〝雷鳴〟緋牡丹ひぼたんの姿に。


間宮が主要な、強力な権能を有する〝斡旋屋〟を把握している事は想定内。



だから、切り札は用意している。

手振り一つで彼の自律偶像グリゼルダが動く。


暗闇を穿つ閃光、グリゼルダの権能オーソリティ

ただの目潰しではない。


光があればそこには影が生じる、つまり。



「……刹那!」


打ち合わせ通りに那由多が刹那に指示を出していた。

幼い少女姿の自律偶像がしたことは、たった1歩を踏み出す事。


だがそれで十分。

、間宮の動きが止まる。


そして柴崎とグリゼルダはもう走り出している。



「おや?」


間抜けな声を上げる間宮、だが首をかしげる事すらできない。

それが刹那の権能だからだ。



しかけが割れるだけの時間も、判断の時間も与えない。


殺す。


柴崎が斧槍ハルバードを、グリゼルダが十字槍型を振りかざす。





「——ポラリス」



たった一言。

その言葉で、不可視の権能に縛られているはずのポラリスが動いた。


わずかに数歩。




そして、


「惜しかったね」



動けないはずの間宮が長剣を振う。

柴崎の斧槍を受け流し、半歩下がってグリゼルダの十字槍を躱す。




「……は。冗談だろ」


柴崎がバックステップで距離を取る、かばうようにグリゼルダは半歩だけ下がった。



「動けなかった。

 だが口も目も動かせた。

 そしてその直前の光と、そっちの彼女の動き。


 影縛り?

 それともとでも呼ぶべきかな。

 おもしろい権能だね」




今の一瞬で、そこまで看破したというのか。


刹那の権能を、影縛りを。



「相手の影を踏む事で、シルエットにあわせて相手を固定する。

 そんなところかな?

 影で判別できない細部までは固定できないというわけだね」




だとして。

それを看破したところでなぜ対応できるのか。


たった一言、名前を呼ぶだけで適切な行動を指示できるのか。


わずかに影を重ねて拘束を解く、そこまでの判断ができるのか。




「ポラリスは優秀だからね。

 以心伝心と言うやつさ」



なんてことはないように間宮が笑う。


それが、こいつらの権能?

あるいはそうかもしれない。

柴崎が考えたのはそんなことで。



「話してる間にじりじり立ち位置を変えていたのは調整か。

 やるなあ。


 ところで、驚いている暇はないんじゃない?」



――けるよ、と間宮が笑った。



ソロゥの〝縛鎖〟は『対象ひとつを数秒停止させる』、ただそれだけの権能だ。


それも完全に停止させる程ではなく、動きを大幅に阻害するだけの不完全なもの。

ポラリスがしてみせたように、動こうと思えば動けないほどではない。


単純な拘束力で言うなら刹那の〝影踏〟の方がはるかに強力だ。

だが、発動条件がほぼないのは大きなメリットである。


対象を視界に収める事、停止させようと願う事。

連続して使用する事はできないが対象は人体に限らない。

極めて汎用性に優れた権能だと言える。


そして、発動条件が緩いだけに

権能の効果に上限ルールはない。

究極的には視線1つで他人を殺す権能というものもあり得る。


もっとも、あり得るというだけでそんなものは現実的ではないのも確かだ。

ほとんどの権能には制限があり、それは強力なものほど厳しいものとなる。


だからもう維持できもたない。



次手を打つ暇なかった。


四つ足の自律偶像ポラリスが跳躍する。

首筋をあぎとに食いつかれたソロゥの身体が捻じれ、地面に叩きつけられる。

礼賛者パートナーの悲鳴が上がる、だが柴崎にそれを悼む暇はない。


着地は一瞬、ポラリスが再度跳躍する。

柴崎の方へ、真紅に彩られたその顎の内側が見えた。



「——主人マスター!」


両者の間に自らをねじ込むように彼の自律偶像グリゼルダが身体を投げ込む。

ポラリスの爪が振られ顎が閉じる。


光も音もなかった。

腹の底に響くような振動が響いてポラリスが、グリゼルダが吹き飛ぶ。


爪と牙に引き裂かれ。

グリゼルダがそれでも膝立ちで踏み止まる。




〝閃光〟グリゼルダの呼び名は正確性に欠ける。



彼女の権能は〝炎〟

物質の酸化、指先の空間に存その現象、その結果だけを顕現させる。


燃焼、物質が激しく酸化し光と熱が発生する。

架空の焔はその比率を任意に変更できる。



――熱:光の比率を0:100に。


それが通常グリゼルダが操る〝閃光〟の正体。



ならばその逆、熱:光の比率を100:0にすればどうなるか。



頭部を焼失して地に伏せる四つ足の自律偶像。

間宮の表情から初めて、笑みが消える。


柴崎は口元を歪め、声もなく笑った。

切り札は最後まで見せずにおくものだ。




「よくやった、グリゼルダ」


柴崎の言葉に引きつった笑みを自律偶像グリゼルダが浮かべる。

射程は短く、指先直近で発生した高熱は彼女の腕自体をも焼いている。

体力も激しく消耗しているだろう、もう1度同じ威力を引き出す事はできない。


だが。



「——お見事、と言うしかないね。

 切り札を読み切れなかったようだ」



「負け惜しみか?

 もう後がねぇぞ間宮、これで俺たちの勝、」



「君たちに敬意を払おう。

 ぼくも出し惜しみ無しでお相手しようと思う」



間宮の顔に笑いはない。

侮りもない、狂気も、怒りもない。

――自らの自律偶像を打ち殺されたというのにか?





さあ、見るがいい。


男女の交わりの果てには何がある。


2つの卑金属の結合により、貴金属たる合金は産み落とされる。




ごぼりと、頭部を焼失したはずのポラリスの喉が鳴る。




坊や、怯えないで。


あれは夜霧。


あれは風揺れる枯葉。


あれは灰色の古柳。


——ああ、無情なり。


辿り着いた果て、我が腕の中、嬰児は息絶える。





歌が聞こえる。





8000余の契約主従をもって、されどいまだ1万に及ばず。

なれば残り2000を私が埋めよう。

さあ、




「今だ至らぬもの、我らが名を問うがいい。

 我ら最果てに至りて汝らを待つものなり。

 我が名は〝群れ為すものどもレギオン〟」



 ——見よ、我々は大勢である。




 それは契約主従アロイの最果て。

 主と従の区別なく、彼らは2にして1、1にして2なるもの。




再果てハイエンドはそれをこう呼ぶ、——翠児インファント



もはや彼らは死にすらわかたれない。

2つにして1つなりし、1なる2。



それが溢れた。

どろりと四つ足の自律偶像ポラリスだったものが溶けて地面に広がる。


そこから立ち上がるのは四つ足の自律偶像ポラリスだったもの


――無数の4つ足のもの、黒き獣の群れ。




状況を正しくを理解できたものはいなかっただろう。


飛び掛かって来る四つ足の獣を叩き伏せ、振り払い、突き殺す。


武器をもってそれを行う、だが。




「——ふざけッ!」


柴崎は我知らず怒鳴っていた。

呼吸の無駄遣いだなんて当然の思考は既に飛んでいる。


1匹、2匹、3匹、数えられたのは7匹かそこらまでだった。

間断なく襲い来る獣の群れ。

それは尽きるという事を知らぬように襲い来る。





こんな権能があってたまるか。

こんな不条理なちからがあってたまるか。


だがそんな思いは、常識は。

もう通じない。


彼らは、彼は、間宮はポラリスは。

もうそんな地平には立っていない。



気付けばグリゼルダはもういなかった。

牙と爪に引き裂かれていなくなっていた。


武器を握る腕がもう上がらない。


牙が見える。

真っ暗い顎の内が。


死が。




どん、と衝撃。

突き飛ばされたと気づいて視線を上げる。


那由多の泣き笑いが見えた。

彼が見たいと思っていたあの、諦めに満ちた美しい瞳が。




――なんで。



つまらない理由よ、と彼女の唇が動くのが見えて。




無数の牙と爪が彼女を、彼女だったものを解体していく。



柴崎 陽介は絶叫する。




何もかもが無駄に終わる。





わずかに数秒。


――それが桧葉 那由多が、柴崎 陽介に残せた時間だった。


 

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