穂原 映〔Ⅱ〕:天使になった人形

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     ――質問です。

       この世に本物のちかいはありますか?



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思考は追いつかない、現実は穂原 映を待ってくれない。



「なに、を、」



うつろに口を開く、言葉はまとまらない。

意識は散漫で思考は迷走する。


穂原 映は死にかけている。



「あー、こりゃダメだな。

 蛍雪ケイセツ、手当してやんな」


「はい、八木ヤギさん」


「な、」



男が笑い、女は無造作に映に歩み寄る。


腹に刺さった果物ナイフに手をかける、やめろ。



「ぬく、な、き、」



抵抗は意味をなさない。

弱った映の、いや万全であってもどうだったか。


見かけからは想像もつかない力で静止を振り払って、少女がナイフを引き抜く。


キズが開く、痛みが増す、熱はおびたたしい血と共に抜けていく。


「ああ、くそ」



だが苦痛を訴える言葉は最後まで続かない。

少女ケイセツが無造作に映の傷口に指を、指先を突きたてたから。



言語のテイを為さない叫びが地下駐車場に響き渡った。



「あーあー。

 痛そ。

 蛍雪さあ、もうちょっと気を使ってやれよ」



全く同情の気配もなく、薄っぺらい気遣いの言葉を男が吐く。

ずっと、笑いを張り付けたまま。



「深手です。

 手早くやらないとこの男、死にます」


「じゃあ仕方ねぇなあ」



痙攣する映の体を無造作に片手で抑え込み、蛍雪はもう片手を深々と差し込む。

映の身体に、傷口に、指先が内臓を撫でる吐き気を催す感覚。



時間にすれば数分の事だろう。

蛍雪は無造作に手を引き抜き、八木の方へ振り返る。





「——終わりました」


「お、お疲れさん。

 蛍雪は偉いなァ、賢い賢い。

 あの傷をこの短時間で手当しちゃうなんてな。

 名前に劣らぬ立派な娘に育って俺は鼻が高いよ」



男はずっと笑っている。

傍に戻って来た少女の頭を撫でながら、映に視線を転じる。





「さて、痛みもだいぶマシになったろ、どうよ。

 映クン、お話しできそう?」



口内にまで胃から、あるいは腸からか。

こみ上げて来た内容物を吐き戻し、地面に吐き捨てて映は口元を拭った。





「——晋書シンショか」



呟く、返事を期待したわけではなかったが。

男は薄く笑い、頷く。



「お、お勉強してるな、偉い偉い。

 そうさ、蛍雪之功ケイセツノコウってな」



中国、晋の時代。

貧しい家に生まれた車胤シャインと言う名の青年は。

灯火の油すら買えず蛍の明りで書物を読み。

また同じように貧しかった孫康ソンコウと言う名の青年は。

雪明りの下で勉学に励んだという。


それは古くは晋書シンショに記された逸話だと言う。



「あんたの娘か」


痛みはある。

だが死の気配は失せていた。


柱に手を突きながら立ち上がり、穂原 映は鋭い視線を男に向け吐き捨てた。



「いいや?

 こいつは俺の自律偶像ガラテア、俺はその礼賛者ピグマリオンさ」


美の女神アフロディーテケツでも舐めたのか、色男。

 糞が、なんだそりゃ」



映がまた吐き捨てる、男は楽しげに笑い、目を細める。

足元はふらつき、どうにか柱に身体をもたれて、立つ。



「ギリシャ神話にも造詣があんのかい映クン。

 いやほんとに偉いな、博学博学。

 よっぽどお袋さんの教育が行き届いて、」



銀光が走る。

映が投げ放ったナイフは蛍雪に叩き落されていた。


立ち上がる際に隠して拾い上げていたのを見抜かれていたのか。



「ひゅう。

 前言撤回、手癖の悪いこと。

 親の顔が見てみたいね」


わざとらしく口笛のような声をあげながら、男がまた笑う。



「……ふざけやがって。

 おまえはなんなんだ、俺に何をさせようってんだ。

 その女はなんだ」




身体はまだふらついている、逃げる事も考えたが恐らく無理だ。

体調不良は油断を誘うための演技ではなくただの事実。

こいつらは映を逃がす気など欠片もない。



「質問が多いな。

 まあ全部答えてやるよ、それが仕事だからな。

 だがまあ場所を変えようや、人に見られるとお互い不味かろう?」



「……好きにしろ」



抵抗を諦める。

表向き、表面的には。



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笑い男ヤギの運転するライトバンに押し込まれ、揺られながら穂原映は機会を窺っていた。


男の真後ろには蛍雪、その横が映。

武器も何もない上に位置が悪い。

せめて男の真横か真後ろなら嫌がらせの1つもできそうなものだが。


――いずれにせよ無理か、と内心で独白する。


この少女ケイセツは明らかに普通ではない。

腕力、判断力もそうだし、映の致命傷をひとまず塞いだ謎の手立ても。


いまだに気分は悪い。

傷がどうというよりは失血のせいだろう。

だとすれば一朝一夕に回復するものでもない。



「気分悪そうだな?

 まあちっと我慢してくれや、ホテルに行けば輸血キットもある。

 さすがに蛍雪も失血までは対応が難しいんでな」



車載の後方鏡バックミラー越しに男が笑いかけてくるが、無視した。

意識が朦朧としているという態度で聞き流す、半分は演技ではなく事実でもある。


――対応が難しい、という言葉だけは心に留めておく。


難しい、と言うのなら対応ができないわけでもないのだろうか。

相手の手札を言葉なく油断なく数えながら、穂原映はまだ何もあきらめてはいない。


輸血キットの備えがあるという事は、完全に対応できない事を示している。

同時に、こいつらが荒事も想定して活動しているということでもあった。



途中、意識が飛びかけて、あるいは飛んでいたかもしれないが。

なんにせよ正確な時間はわからないがたぶん10数分から30分ほどの走行。


そして車はおそらくは同市内の、ホテルの地下駐車場に入って停車した。


男が引っかけていた革の上着レザ―ジャケットを投げてよこす。

血に濡れた腹を隠せという意味だと解釈して、一瞬迷ったが羽織った。

胸に抱えているだけでも誤魔化せそうではあったが、半分は嫌がらせで。

もう半分は自分がこの男の荷物持ちのように見えるのが嫌だったからだ。


男が映に背を向けて歩き出す、このまま逃げてやろうかとも思い、背後から蛍雪に小突かれてすぐに諦めて後に続いた。


気配だけでもわかる、薄く殺気を放ちながら蛍雪は油断なく自分を見張っている。

男が背後を振り返りもしないのは女をそれだけ信頼しているからだろう。


信頼されるだけの能力がある、ということでもある。

舌打ちを一つ、上着の前を閉じて腹を隠し、男の後をふらつきながら追う。



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エレベーターに乗る。

日頃なら気にならない上昇に伴う気圧と慣性の変化が気持ち悪い。

VIP用らしい上階直通のそれは長くせずに扉を開き3人を吐き出した。


手慣れた手つきで男が部屋の扉を開け、入室を促す。

黙って従いながら周囲を観察する。


非常階段はそこそこ近い、監視カメラはあるが人気ひとけはなかった。


調度品も絨毯も、いずれも高級感を漂わせていて、なにより広い。

明らかに1泊数万では足りない高級客室スイートルーム


男がソファにどっかりと腰を下ろし、映にも手を振って着席を促した。



「さて、何から話そうかね。

 そうだなあ、ガラテアの伝説は知ってるんだよな?」


「……ああ」



当然、穂原 映はそれを知っている。

水上のマンションの地下駐車場でも皮肉ったことだ。


ギリシャ神話に登場する女、"乳白色の肌をもつ者ガラテイア"。

ラテン語調で呼べばガラテア。


ギリシャ神話に登場するその名の女は複数いるが、ピグマリオンとセットで語られるなら該当するのは一人だけだろう。




「キプロス島の彫刻家ピグマリオンはある時、美の女神アフロディーテの像を彫った。

 男は自らの彫り上げた彫像に恋焦がれ、苦悩する。


 それを知り哀れに思った美の女神が彫像に命を与え、男は彫像を妻とした。

 ——彫像に与えられた名がガラテアだ。


 最も原典、詩人オウィディウスによる"転身物語メタモルポーセース"にその名はない。

 後に人々が海神の娘ネーレーイスの一人、ガラテアの美しさにあやかってその名を彫像に与えたという説が強い、だったか?」



話の途中で奥の部屋から戻って来た蛍雪が、輸血キットの針を手に映の腕をつかんだが、抵抗はしなかった。

ここまで来て抵抗するのも馬鹿らしいし、何より殺す気ならとっくに殺されている。



「詳しいな。

 俺もその辺はこうなってから知った話なんだが……。

 まあいい、つまりそういうことだよ。


 ガラテア、——自律偶像じりつぐうぞう主人あるじの為に作られる人形だ。

 人造人間って言う方がニュアンス的には正しいのかね?」



「それでその主の呼び名がピグマリオンだと?」



輸血パックの中身を目を細めて観察しながら映は返事を、質問を返す。




「疑り深ぇな、毒も何も妙なモンは入れやしねぇよ。


 ——まあ、そういうこった。

 美の女神アフロディーテの顔なんざ誰も知らねぇ。


 程度はあるが顔も体型もお好み次第、忠誠は絶対で頭もいい。

 お望みとあらば馬鹿にも阿呆アホウにも育つ。

 ああ、男がいいなら男も用意できるぜ?」




「ついでに人間離れした戦闘力があって傷も癒せるって?」




「あー、まあその辺は育て方次第だな。

 まあ並みの人間より強いのは確かだが。

 蛍雪みたいな治癒のオーソリティに目覚めるかはなんとも言えん」




はじめて出た単語に眉を寄せる。

 

権限Authority




「オーソリティ?」


「"権力"の権に”能力”の能で権能けんのう、曰く権能オーソリティだとよ。

 厨2臭ぇ呼び名だが俺が言い出したんじゃねぇから見逃してくれや。

 ま、自律偶像ガラテアの固有能力? そんなもんさ。

 育ってるうちに目覚める、こともある」


、ね」


「まあ大事に育てりゃ間違いなく発現するさ。

 どんなもんになるかはお前ら次第だが、経験上は100%だよ。

 ちゃんと育てればな」



ヤギの言葉に映は今度こそ眉を寄せる。

それではまるで育てきれない事もあるかのようだが。



「まあ、俺の見立てではお前さんは大丈夫だろ。

 関係を破綻させずに上手い事育てられると思うぜ?」


「……どうだかな。

 そもそも俺にそんなものあてがってアンタに何の得がある?

 なんでそんなものを?」



男の態度、口振りからすれば自律偶像を持たせようという意図は伝わる。

だがその理由、男がそうする利点メリットがわからない。



「知らんよ、それこそそんなもんは。

 ま、がそれを望んでんだ。


 俺の得ってんなら分かり切ってるけどな。


 金だよ、金。

 歩合制ぶあいせいなんだ、世知辛いだろ?」



お見合いババアみたいなもんだ、新婚カップルを成立させるとお駄賃が出るのさ、と男は嗤う。


まるで状況が読めない。

ほんとうにそんなものが存在するなら、——いや、蛍雪を見れば存在する事自体は確かなのだろうが、大金を出してでも欲しがる金持ちは後を絶つまい。




「金ならないが」


嘘だが、そう言ってみる。

そこそこのまとまった金なら貯えがあるが。



「別にとらねぇよ」



くくく、と笑う男から、想像通りの回答が戻って来る。


それはそうだろう。

金が欲しいだけならやり方が迂遠過ぎる、詐欺にしたって手が込み過ぎていた。



「……絶対服従って言うのは本当なのか?」


「マジだよ。

 たとえそれが調律師ドーターメイカー自律偶像ガラテアの生みの親でも。

 あるいはその上でも主人より優先度は下だ。

 でけぇ声では言えないが、そういう連中を見張ったりするのも俺のお仕事さ。

 だからそいつに関しては保証できるぜ」


がどういう連中の事か男は明言しなかったが、言いたい事はわかった。

そういう前例、所有者の反抗かそれに近い事例があったということだろう。



「その気になって来た顔だな?」





「——」





否定の言葉は吐けなかった。

実際、本当に絶対服従で人を超えた能力を持つ従者が手に入るなら。

……それは間違いなく魅力的ではある。



「言葉だけじゃ信用できないな。

 お試し期間はあるのか?」


「弊社は返品は受け付けておりません。

 だがまあ捨てるのは勝手だよ、そこは無理強いしない」




ふん、と鼻を鳴らす。

輸血の甲斐があってか気分はだいぶマシになってきた。




「運用コストは?」


それも気にはかかった、黄金を食わせろなどと言われればたまったものではない。



「最低限、三食と睡眠を与えてやりゃいい。


 なんなら多少抜いても死にはしない。

 まあ無理させたら弱りはするがな。


 で、老化も病気も基本的には無縁。


 さすがに殺せば死ぬからそこはあれだが。

 人より頑丈とは言っても銃で撃たれりゃ死ぬぜ。

 

 戦闘向きに育てばかわしたり防いだりはできるやつもいるな。

 まあそんなのは少数だ。


 ——蛍雪、メモの用意しな」



男が笑い、身を乗り出して映を見る。

少女ケイセツが素直にメモ帳を取り出して万年筆を手にした。



「さあ、どんなのがいいんだ?

 ご要望を聞かせてくれお客様」



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――穂原 映がホテルの部屋に軟禁されて10日が経った。


実際には見張りらしい見張りもない状態ではあったが。

それが見た目通りかは疑わしく、体調も回復し切ってはいない。


輸血のおかげもあってか翌々日には随分マシにはなっていた。

とはいえ完調とはまだまだ言い難い状態だった。


おそらく蛍雪はわざと完全に傷を癒してはいなかったのだろう。

できないからやらなかった可能性もないわけではないが。


だが恐らくそうではない、という確信めいた予感がある。

八木のあの自信ありげな態度を見るに、蛍雪の権能オーソリティは。

彼らが"癒しの手アロウンス"と呼ぶそれの限界はあの程度ではないだろう。




外部との連絡は絶たれ、外出も覚束ない状態では暇を持て余しもしたが。

やるべきことがないわけではなかった。


八木に言われていた自律偶像ガラテアを迎える準備。

与えるべき名を考える事、そして誓句オースを考えておくべき必要があった。


誓いの言葉、一文でどのように己に仕え従うかを告げる命令。

それは契約の言葉であり自律偶像の在り方を定義する構文プログラム


なるほどそれは重要で、考える時間がいくらあっても持て余すものでもない。


そして10日目の今日。

八木は蛍雪と、を伴って現れた。



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腰まである黒髪が揺れる。

紫の瞳は入室直後から映をずっと見つめている。


ジップアップパーカーの下は細い縦縞ストライプのシャツ。

下半身はワークパンツにスニーカー。


背は160cmにやや足りず、肉付きは悪く痩身。

年齢は10台の半ばほどに見える。


概ね外見は映が指定した通りだが、後の事はこれから確かめねばならない。




「——契約前でも命令には従うのか?」


上から下まで一通り観察してから穂原 映はそう問うた。



「契約前つっても実質お前のために用意された自律偶像だからな。

 よほど無茶な事じゃなきゃ大丈夫だろ?


 まあ何させる気か知らんが。

 本格的なのは契約後にしてくれよ、あと死ねとかそういうのもナシな」



呆れたように八木が言い、数歩下がった。

蛍雪は八木に伴って同じように距離を取る。



そして、そいつと映は1m半ほどの距離を置いて向かい合った。



「……お前に名を与える。

 お前は今からアンヘルだ」


「はい。

 ぼくの名前はアンヘルです」



声は少女と言うには低く、少年と呼ぶにはやや高い。

変声期を迎える少年を思わせる、これも要求通り。



「アンヘル、最初の命令だ。

 服を脱げ、全部だ」


「——はい」



映の命令にそれ、アンヘルは躊躇を見せず上着を脱ぎ、シャツを脱いだ。

脱いだ服をどうするかで少し悩んだそぶりを見せた後、近くのソファに置く。


アンヘルは続けて下も脱ぎ捨て、同じようにソファに置く。

やや猫背の姿勢で様子を窺うようにそっと映を上目遣いに見やった。



胸元と股間を隠そうとするアンヘルに続けて命令する。



「隠すな、胸を張ってこっちを見ろ」


「はい、映さま」



スッと背筋が伸びて視線が映の瞳を覗き込んでくる。


その裸体は美しいが異質だった。

豊かではないが胸がある、だが股間にはつつましくはあるが男根がある。


女のようで、男でもある。

映の指示通りの仕様なら女性器はない。


なるほど、とひとりごちる。

人造人間と言うのはハッタリではなさそうだ。


ありえべからざる肉体、その造形に手術痕の類は見られない。

そのようにあるべくしてある、そういう自然さのある不自然な肉体。


この短期間で条件に見合う人間を用意できたとも思えない。



「利き目はどっちだ?」



腕を組んで穂原 映はアンヘルに問う。

異形の少年アンヘルは驚いたように目を見開き。

ややあって両目を交互に開けたり閉じたりして利き目を確認するそぶり。


利き手、右利き左利きというように。

人間の目や足にも利き側というものが存在する。


アンヘルの反応を見る限り、人体に対する知識もある。

さすがにそれを問われるのは想定外だったようだが。


数秒、その確認作業を続けてからアンヘルは視線を映へ向けなおす。




「……えと、左、です。

 ぼくの利き目は左目です、映さま」


「なら右目を自分で


間を置かず映はそう命じた。

視界の端で蛍雪が口元をゆがませ、八木がおいおいと呟くのが見えたが無視した。



アンヘルは一息だけ間をおいて、躊躇なく指先を眼窩に差し込む。

水音と、肉のよじれる異音が響く。

だがその手に躊躇はない。



さすがに数十秒をかけてその作業を終え、アンヘルは抉り出した眼球を手に。

残った左目だけで映を見る。


突然の自傷命令にも従うことで、穂原 映は一応の納得を得る。

だが。



「床に捨てて踏み潰せ」


「はい、映さま」



無慈悲にそう続け、アンヘルがそれに従う。


人間の眼球は人が思うよりも頑丈である。

失血もあってか1度で踏み潰しきれずにふらつく人形アンヘル


だが2度、3度と足が踏みつけ、その命令を果たす。



「八木」



「——あのなあ。

 契約もしてねーのに、いきなりハードル上げ過ぎなんだよお前さあ。

 てか俺の蛍雪を顎で使うんじゃねーよ」



悪態をつきながらも八木が蛍雪に顎をしゃくる。

意図を察して蛍雪がアンヘルに駆け寄り朱に染まった眼窩に手を当てる。


その手つきはいつか映の腹を癒した時よりも丁寧で労りを感じさせた。

同族への同情か、共感がそうさせるのか。



「さすがに欠損は丸っと治らねーぞ」


「出血が止まればそれでいい」



欠損は修復できない。

これも真実とは限らないが簡単ではないのはおそらく本当。


また1つ蛍雪の権能について情報を得た。

アンヘルの忠誠を確かめるだめだけではない。


一連の行為にはそういう確認の側面もあった。



「……終わりました」



蛍雪が告げ、アンヘルの傍らを離れる。

青ざめた顔色で、だがアンヘルは再び映を見た。


次の命令を待つように。



「——誓え、アンヘル。

 俺、穂原ホバラ アキラに忠誠を。

〝俺を含めてすべてを疑え。お前の命は俺の為にある〟」



誓句オースが紡がれる。

穂原 映はアンヘルを認め、その言葉を口にした。




「はい。

 ぼく、アンヘルはあなたの。

 穂原 映の人形、この誓いを永遠に。

 ——どうか末永く侍らせてください、我が主マイ・ディア



この命が果てるその瞬間まで。



囁くように、天使アンヘルが謡う。




かくて誓いは結ばれる。


宣言は為され、ここに新たな主従アロイが生まれた。




ヤギが笑う。



〝血の誓いを以てこの契約は完全となる〟



男の言葉に、映は鼻を鳴らして手を差し伸べる。




「俺に男を抱く趣味はない。

 お前はもう男でも女でもない俺の所有物ものだが。


 ――八木、どうせナイフかなにか、持ってるだろ。

 貸してくれ」



映の言葉にわざとらしく大仰に、肩をすくめて見せてから。

八木は鞘に収まったままの戦闘用コンバットナイフを取り出し、投げる。


無造作にそれを空中で受け止めて、穂原 映はナイフを引き抜く。

そして躊躇なく自分の掌に刃をあてて、薄く血がにじむまで切り割いた。



差し出された朱に染まった手に、恭しく片膝を突いてアンヘルが唇を触れさせる。

血の雫をその唇がぬぐい、アンヘルが顔を上げる。


手を伸ばしかけて、だが穂原映は自分もまた膝を突く事を選んだ。

昏く開いた眼窩に顔を寄せ、唇がその縁をなぞる、伸ばされた舌が傷口に触れる。


アンヘルの背が震えたのは、果たして苦痛のためか、歓喜か。




「……やれやれ。

 なんとも派手な事だがこれで終わりだな、お疲れさん。

 方法はどうでも良いけど定期的に体液の交換はしろよ?」



八木の言葉に。


手にしたままだったナイフを眺め。

穂原 映は手の中のナイフを回して刃先を摘まむ。


握りグリップをアンヘルに刺し出し、なんてことはないように、言った。




「男性器を切り落とせ」



今度こそ八木は呆れたように片手で顔を覆い、だが止めはしなかった。

蛍雪は隠すそぶりもなく嫌悪の表情を浮かべ。




「はい、映さま」



――天使ニンギョウはその命令に、嬉し気に従ったのだった。






 

 


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