渋沢 功〔Ⅱ〕:続・彼の日常


翌日も〝負け犬のねぐら ルーザーズ・ルースト 〟は常の通りだった。


少なくとも渋沢 功の認識の上ではそうだった。



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「いらっしゃいませ」


功が例えコミュ障の変人であっても一応は客商売である。

最低限、入店直後の歓迎の挨拶程度はする。

渋沢 功であってもその程度は弁えていた。


入店してきたのは大柄な男だった。

目算で180cmは超えているし、横にも広い。

筋肉質でわかりやすく喧嘩が強そうな風体。

タンクトップからはみ出した左肩にはトライバル系らしき刺青タトゥー

逆側の方にはレザー系のジャケットをひっかけている。


酔って暴れたりすると面倒な手合いだなと思う。


功は記憶力にはそれなりに自信があるが、知らない顔だった。

この店ルーザーズ・ルーストは看板らしい看板もなく、入口も目立たないよう偽装されている。

わざと目立たなくしてあるのだ。

隠れ家をイメージしているらしいが客商売としてはどうなのかと思う。


とはいえ。

それは雇われ店員である功が気にする事ではない。


問題はそんな店に知らない客が一人で来ることの方だ。

基本的にこの店の客層は客の誰かが紹介してくる形が多い。

そうでなければ店の存在そのものに気づけないからだ。


まあ、同伴していないだけで誰かに教えられた手合いなのかもしれない。

と、そこで気づいた。


男は一人ではなかった。

男の陰に隠れるように、一回り小柄な女が同伴している。

こちらも功の記憶にはない顔。


スリットの深い真紅のチャイナドレスに身を包んだ若い女。

いや、若過ぎるか?

あごほどまでしかない短髪、顔立ちは若いを通り越して幼い。

入店を拒むほどではないが、酒精アルコールを注文されたら年齢を確認しなくてはならないかもしれない。


面倒だな、と内心でひとりごちる。



「ギムレット」


男はカウンター席に着くなりそう告げた。



「……一杯ワンショット2,000円、先払いです」


「OK、じゃあここに置いとくぜ」


功の愛想のない言葉に気を悪くした様子もなく、男はマネークリップでまとめた札束をカウンターに投げ出し、そこから1万円札を1枚抜いて掲げる。

功は手早く杯置きコースターを5枚、カウンター上に並べてそれを受け取った。




蛍雪ケイセツ、おまえは何飲む?」


男はテーブルに腕を投げ出し、連れの女、——少女?に問う。

少女は軽く顔を振って「お任せします」とだけ述べた、表情に変化はない。



「あ~、じゃあ何かこいつにはノンアルモクテルを」


「はい」




手早くシェイカーにジンを3/4、カットライムをその場で絞って加え、最後にカリブシロップを注いで混ぜ合わせシェイクする。


生のライムを使うのは最近では珍しく、ジン3/4にライム・ジュース1/4を加える方が多数派だと聞いたことがあるが、功の流儀やりかたは古風に生ライムとシロップを使う。


ガラの悪い彼の師の好みの影響だ、手間はかかるが今更レシピを変えるのも面倒でそのままにしていた。


体温が移らないよう手早くカクテルグラスをコースターに置いてシェイカーから注ぎ、男の前にコースターを引いた。



「……ギムレットです」


功の言葉に男は楽し気に頷いてグラスを手にする。

感想を待つ趣味も飲む様子を眺める趣味も功にはない。


連れの少女に何を出すかはシェイカーを振っている間に考えていた。



俗にゾンビグラスと呼ばれる縦に長い細グラスを引っ張り出す。


混ざらないように慎重に、だが手早く赤色シロップグレナディン、オレンジジュース、別の器で水で薄めて密度を調整したブルーキュラソーを注ぎ入れる。


レッドオレンジブルーの淡い三層ができあがる。

最も三層目の蒼はほとんど視認できないグラデーションになってしまうのだが。


多層シュプリームカクテルと呼ばれる見栄えを重視したカクテルだ。



「——どうぞ、サンライズです」


混ざらないようにストローを刺し少女の前にコースターを押しやる。


小さく会釈して少女はゾンビグラスを引き寄せる。

混ざる事を恐れてかその手つきは嫌に慎重だった。


その仕草から取りあえず気に入られた感触を感じて、少し安堵した。


女だから、ではない。

こういった組み合わせの場合、親子であれ恋人であれ夫婦であれ、女の側の機嫌はそのまま男の方の機嫌に影響する。


気に入られ過ぎてもそれはそれで問題ではあるのだが。

まあ一手目としては上々の滑り出しだろう。


あとは彼らの邪魔をしないように気配を消して風景壁の華に徹するに限る。



だが、結論から言えばそうは問屋が卸さなかった。

軽い動作で1/3ほどを飲み、男が功に向けて口を開いたからだ。




「実は人を探してるんだが――」


面倒な話題が来た、と思う。


知っている、知らない、教える、教えないを問わず、この手の会話は面倒だ。

どこにどう繋がるかわからないし、どう転ぶかもわからない。



「……こういう商売ですので、お客様の情報ことは申し上げかねます」


マニュアル通りの回答アンサーでひとまず濁した。

客商売は即ち信用問題、寡黙で不愛想な店員でなくても迂闊に話せる話題ではない。



「なるほど? 何も根掘り葉掘り聞こうってんじゃないんだが……」



男は薄く笑いながらポケットに手を入れる。

抜き出したのは一葉の、今どき珍しいアナログ写真。


カウンター上を滑って目前に押しやられたそれを一瞥する。

美少女、いやそう見紛うような美少年か。


抜けるような白い肌、薄い金髪。

天使の様な、と陳腐な例えが脳裏を過る。

警戒するような薄紫の瞳が写真の中からこちらを見ていた。




「探しているのはそいつ。

 こっちの、蛍雪のまあ弟みたいなもんでな」


男の言葉に誘導されて視線を転じる。


蛍雪、と。

名前を呼ばれた少女が顔を上げてこちらを見ていた。


視線が噛み合う。

写真と同じような、薄紫の瞳が刺すように功を見ていた。




「——存じ上げませんね」



「そうか。

 まあ未成年だしな、こんな店に出入りしてはないだろうが」



男は引き続き笑いながら、カウンター上に手を伸ばし、マネークリップで束ねられた万券の束を手の中で転がして見せる。

なんなら情報料カネは出す、明確なそういう仕草。



ギムレットの残りを気安い仕草で飲み干す、男。


だが答えは変わらない。

功は黙って首を横に振った。




「ソルティドッグ」


男は特に気分を害した風でもなくそう言った。


功は無言のままオールドファッショングラスを手にする。


手早くカットしたレモンの切り口を滑らせてグラスの縁を湿らせる。

指先に少量の食塩ソルトを乗せてグラス縁を撫でるスノースタイルに


そのグラスをコースター上へ。

ウォッカとグレープフルーツジュースを1/2ずつ注ぎ、掻き混ぜるステア


ウォッカとグレープフルーツジュースの比率は本来1:2だが。

この男にはこちらの方が似つかわしいと判断した。



「ソルティドッグです」


コースターごと静かにグラスを押しやる。

日頃の功ならしない冒険的な回答アンサー


男は笑みを深くしながら、だが文句をつけるでもなくグラスを手にした。


一口で1/3を飲み、ポケットから品の良い万年筆を取り出す。

4枚目のコースターに走った筆先が記したのは11桁の数字。



「なにか思い出したら連絡をくれ」


男は片目を瞑っウィンクして愛嬌のある笑みを浮かべなおす。


似合わない仕草だが、不思議と様になっていた。


男が立ち上がり、少女蛍雪が慌てて自分の杯サンライズを飲み干す。



「邪魔したな」


「……もう1杯、残っておりますが」



電話番号の記されたコースターは予約手数料だろうと受け取って。

功は最後のコースターを軽く手をかざして示す。



「そいつはおごりにしとくよ、あんたが飲んでくれ。

 そうだな、あんたには……、——〝XYZ〟を」



**************************************



男が後ろ手に気安く手を振って店を出ていく。

少女は振り返り、無言で会釈をして出て行った。



不思議な2人組を見送り、功は溜息を一つ。



手慣れた仕草で、最後のコースター上にグラスを置く。


シェイカーにラムを1/2、フランスリキュールコアントローを1/4、最後にレモンの搾り汁ジュースを1/4。


酒を器底にぶつけるように揺らすシェーク



『酒は生き物だ、とっとと黙らせろ。

 シェイカーの底に叩きつけてやるんだ。

 手こずるなよ、体温が移っちまえば亡霊になる』


よくわらない理屈でそう語ったのは老いたガラの悪い彼の師だ。



グラスに注いだ白濁したカクテルを一瞥し、一息にあおる。


袖口で乱暴に口元を拭う、——XYZ。

26文字アルファベットの最後の三文字。




カクテルとしての名の由来には諸説ある。


これ以上のものはない、究極の、最後の1杯。


或いは。


「『もう後がない』、『今夜はこれで終わり』か、」


趣味の悪い嫌がらせだ、と口にせず功は呟いた。




**************************************




負け犬のねぐら ルーザーズ・ルースト 〟の開店は午後7時PM7:00

 閉店は午前3時AM3:00だ。



何事もなく本日の務めを終えた渋沢 功は店内を軽く確認チェック

入口を施錠し、照明を落とす。


待機していた店長を無言で送り出し、自分も裏口から出て施錠する。


今日という日が終わる。

幽霊が出るという丑三つ時も過ぎてもう、後は夜明けを待つばかり。


スーツから着替えもせず、外套コートを羽織って白い息を吐く。

家路を歩む、帰ったら熱いシャワーを浴びて眠るだけ。



いつものように、いつもの通りに。

そうなるはずだしそうなるはずだった。


けれど、予感があった。


この夜はまだ終わらない。

この手の悪い予感を、功は外した事がない。


――外れてくれれば良いのに、と思わずぼやく。



暗い路地に、男が一人立っている。



「よう、今夜は月が奇麗だな」


「かわいいお連れさんが居るでしょうに、男を口説くもんじゃないですよ」



軽口を叩く、唇は渇いていた。

男が笑う、男の陰から歩み出る人影が、2つ。


1つは想像の内だった。

チャイナドレスの少女。

その刺すような、刃物のように鋭い視線が功を貫く。


もう1つは想像の外。

白い、貫頭衣ポンチョ風の服に身を包んだ少年。

見たことのある顔だった。


写真の少年は茫洋とした視線で功を見る。



「——こいつか?」


男の言葉に少年が僅かに首肯する。

肯定の仕草。



少年の顔を見るのは3度目だ。


これが3度目、2度目は店で、写真越しに。


1度目は――。



 なんで棄てた?」



笑いながら男が告げる。

そう、1度目の出会いは、あのトランクケースを開いたとき。


手足を畳んで押し込まれていたのはまごう事無くその少年。



「……面倒事は御免ですので」


「嘘はいけないな」


男が笑いながら功の言葉を否定する。


それは一体どちらの意味でか。

面倒事が御免だと言ったことにか。

それとも知らないと言ったことに対してか。




「あれを開くには資格がいる。

 心にキズを持つ人間だけが自律偶像ガラテア礼賛者ピグマリオン足り得る。

 ——おまえにはその資格があり、ならお前は棄てれないはずなんだが」



「そんなものは要らない。

 俺は今の俺だけで満ち足りているから」



そうか、と男は応え、だが納得はしていない顔で。



「ならちょっと乱暴に行くぞ、素直になれるようにな」


「、」


応える暇もなく、男が踏み込む。


丸太の様な握り拳が弾丸のように功の鳩尾ミゾオチを貫く。

痛みに身体がくの字に捻じ曲がる前に跳ね上がった男の膝が顎を打ち上げた。


仰向けにひっくり返ろうとする功の襟元を男の左手がつかむ。

会話もなく続けざまに再び右拳が功のこめかみを抉る。


続けて放たれた前蹴りに今度こそ功の身体が路上に転がる。

咄嗟に頭をかばうくらいはできた。



「わからんな。

 契約前とは言え自律偶像ガラテア礼賛者ピグマリオンは惹かれ合う。

 出会った以上、おまえもこいつを求めるはずなんだが、さて?」



不思議そうに男が呟く、返事を期待している風でもなく。




功は左手を路上に突き、上半身を起こしながら右手で血の滲んだ口元を拭う。

起き上がりかけた功を見て、男が驚いたようにだが楽し気にまた笑う。



「……へえ、そこそこ本気でやったんだが。

 案外鍛えてんだなアンタ。

 楽しくなって、」


「——何が楽しいのかわからない。

 殴った方の拳だってそれなりに痛いだろう。

 だいたい、こういうのはもう飽き飽きだ」


「へぇ?」



男が笑い、功は吐き捨てるように、言う。



「もうこういうのは



――同時、ナニかが空から降って来た。


男と功の間の路上に放射状のヒビを入れながら。




「——あ?」


間抜けな声を上げながら、男が腰の後から反射的に武器を抜き放つ。

回転式拳銃リヴォルヴァ



作業着ツナギの上半身を脱ぎ両袖を腰に縛って。

タンクトップだけの上半身をさらして。


長い白髪がばさりと広がる。


波打つ髪の狭間から男を見据える両瞳は深紫。

一息遅れて「酒のましば」の黒いロゴキャップが地面に落ちた。




「よう、今夜は月が奇麗だな。

       ——功、俺を呼んだか?」



不敵に笑う。

肉食獣のように身をたわめる。

弾丸のように疾走する走り出す小柄な体躯。


瞬く間に消える両者彼我の距離。


男が躊躇なく発砲する。


白髪の少女は回避すらしない。

盾のように左腕をかざす、その歩みは止まらない。


がぎん、と人体と弾丸が鳴らすはずのない異音オトがした。


「おま、」


「痛ってぇな!!」


怒号一声。


振り出された右の拳が男の鳩尾を貫く。

くの字に折れ曲がる身体、頭部が下がる。


右足を引いて軸足へ。

左脚が跳ね上がる、美しい弧を描く上段蹴りハイキック



まるで漫画のように。

男の巨躯が水平に吹き飛んで。



「八木さま!!」


蛍雪男のガラテアが叫ぶ、同時に駆け出す。

内腿から抜き放った引き金トリガーの付いた握りグリップだけの武器を抜く。



「おまえはなんだ!!」


叫びは問い、握りグリップ引き金トリガーが引かれる。

波打つように赤黒い光が溢れ刀身を形成する、青龍刀と呼ばれる形状。


跳ねるようにわずか3歩で距離を殺す。

水平に、首を落とさんと走る剣閃、答えなど元より求めていないとばかりに。



少女が嗤う。


「——深見沢フカミザワイリス」


それは名乗りか。




首筋に到来する死神ヤイバを無造作に片手で受け止める。


同時に踏み込み。

巻き取るように懐に飛び込み折り畳んだ肘を打ち込む。



「——不本意ながら渋沢 功そいつの、自律偶像ガラテアってやつさ」




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