渋沢 功〔Ⅰ〕:彼の日常
「良いから出すもん出せよ!
路地から男の
口汚く罵りあっている(というか片方が一方的に罵倒している)2人組が見える。
齢の頃で言うなら20台の半ばというところ。
顔立ちは整っていて、まあ美形と言えば美形、学校のクラス上位に数えられるが学校全体でみればどうかな?という程度で、化粧をしたその横顔は功の感覚からすれば派手、というかケバいという表現に落ち着く。
性格はとにかくめんどくさく、良く喋る男で、とりあえず金は持っている。
男も女もイケる
男に罵倒されている側の男を見るに、好みの
見るからに女慣れ、というかこの場合は男慣れと言うべきか。
何にせよ親不孝通りで遊び歩きなれた類ではなく、むしろ縁遠い
どうしてそう罵倒している側に詳しいかと言えば。
一応は、知っている相手だったからなのだが。
……店先というのは、つまり。
日本某県、K市、
場末の小さな
その酒場の名は〝
――つまりは功の勤め先の目の前ということで、その男は見知った
〝
騒ぎを無視して掃き掃除に戻り、淡々と店前の路上を掃き終えて店内に戻った。
興味が全くないわけでもなかったが、それ以上に面倒事に関わるのは面倒である。
つまるところ、
植物のように静かに暮らしたい、常々そう考えているような、そういう人間である。
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「いやほんと失礼でしょ『最初はちゃんと女の子が良かった』とか3発もヤることヤってホテル出てから泣き出して文句言う事じゃないし金ェ取ンぞってなるじゃん?」
寡黙な
もっとも、内心はあきれ果てていたのだが。
そもそも童貞を捨てるために商売女を買いに親不孝通りに来たような引き籠りを、
どう考えても後で揉めるのは分かり切っていただろうに。
フィーコという
不思議と恨みを買う事はないらしく、のらりくらりと平和に過ごしているようで。
つまるところ勝ち組である、と功は認識していた。
多くを知っているわけではないが金に困っているわけでもないらしく。
男は、職を
聞きなれないその言葉はつまるところ(先祖の財産を食い潰して道楽でやっている)学者、くらいの意味らしい。
つまるところやはり勝ち組である。
そもそも下戸が好き好んで出入りする店でもないはずなのだが。
まあ、功としては面倒な客、くらいの認識で、それがこの男に対する全てだ。
店からすれば上客の部類なのかもしれないが。
功が知る限り、
実際、カウンター席が6席、それが店の全席なのだから本当に小さい店ではある。
そのようなコンセプトであると聞かされているし、
「なんかおもしろい話してよ
なのでそう無茶振りされたところでガン無視を決めてもよかったのだろうと思う。
が、その日はたまたま話題があったので功は口を開いた。
無視すれば済む話ではあるのだが、
無視したところで閉店か退店まで延々喋り続ける事は目に見えていた。
「……そうですね、これはついさっきの出来事なんですが」
「うん」
少なくとも人が話そうとしている間にべらべらとしゃべり続ける品のなさはなく、フィーコは人の話はちゃんと静かに聞く男ではあった。
なので功が話題を提供している間は相対的に静かになりはするのだ。
そういう目論見があって功は口を開く。
「店の裏の路地を掃き掃除していたら放置されているトランクケースを見つけて」
「ほうほう」
「正直放置したかったんですが、そうもいかなくて」
「うんうん」
「鍵が壊れていたのか、手を触れた瞬間に少し、開いたんですが」
「それでそれで」
自分が話してる間は静かだと思ったのだがそうでもなかったかもしれない。
「なかに女の子らしき何かが入ってて」
「ラノベじゃん! 漫画でよくあるやつじゃん! それで?!」
興奮し過ぎだろう、と思いながら続ける。
「
「ないわ」
死んだ瞳でテンションを急落させながらフィーコが言う。
「ないですか」
「ないわ。
いやないわ、その対応はないわ」
「でもこの辺、変に拾い物すると後が怖くないですか?
前にも似たようなことがあって、拾った事を物凄く後悔したんですけど」
フィーコは「あー……」と声を漏らし、グラスを指先で弾いて店内にガラスの鳴る高音を響かせる、おそらくその行為に特に意味はない。
そのグラスは高いので万が一を考えるとやめて欲しいのだが。
「あーね。
まあそれはあるわ。
俺も、こう、」
手の上に乗るサイズの
「それその先聞きたくないです」
「あ、ごめん。まあこの辺物騒だしねぇ」
「そうですね」
それでその話は終わりだった。
そもそも渋沢功は軽快な
接客業に致命的に向いていないのだ。
なのでそのあとは平時のごとく黙々とグラスを磨き続けることにした。
フィーコ曰く、功がグラスを磨く
肩甲骨辺りまで伸びた黒髪を無造作に縛り、当り障りのない黒の
それが渋沢功が他人に与える第一印象であり、そしてすべてだった。
遠慮のない常連の中には功を「
この店でバーテンを勤め始めてから随分と経つが、服装も髪型も代り映えしない。
客に話しかける事もないし、話しかけられて返事をすることも珍しい。
なるほど、家具というのも確かに言い得て妙ではある。
元々童顔で、日に当たらない昼夜逆転の生活をしているせいか肌も傷んでいない。
そういった様々な要因が絡んで、渋沢功は年齢不詳の謎の人物になっていた。
身長は170をわずかに超えるくらい、中肉中背でどちらかと言えば痩せている。
自分の顔立ちについて思うところはないが、フィーコが「功くんの顔見に来てる」と言うところを見るとまあ、悪くはない部類なのだろう。
「あれかな、ラブなドールかなんかだったのかな?」
「……ラブなドール? ああ、さっきの」
性行為を行う相手として使われる人形の一種だ。
渋沢功であってもその程度の知識は耳に挟んでいた。
主に出所は目の前の男だが。
「そうそう。
さすがに
そんなところだろうとは思うが、そうとも言い切れない。
この街の治安は良くはない、少なくともそこで言葉を濁してしまう程度には。
生ではないかもしれないし。
そして功もまた。
法だの市民の義務だのより自衛を優先する程度にはこの街に馴染んでいる。
店からほど近い派出所への
――何もかも面倒事を避ける為だ。
この街で静かに暮らすなら、犯罪者の次くらいには警察官を避けるべきだと渋沢功は認識していた。
「お、いたいた。功さんこんばんはー」
間延びした声とともに店に入ってきたのは女。
フィーコがいつのまにか手元で弄っていた
常の展開からすればフィーコがメールか何かで呼んだのだろう。
彼女もまた常連の一人で、フィーコからは〝ランさん〟と呼ばれていた。
無論本名ではなく、そもそもコインランドリーで缶ビール片手にスマホで小説を書いているところを発見したフィーコが面白がって連れてきたというのが発端の客だ。
フィーコが連れて来た時の第一声は「都市伝説捕獲した」である。
ようは
市内のコインランドリーを深夜から早朝にかけて転々としながら片手に缶ビール、もう片手で高速フリック入力執筆を行うという謎なスタイルで活動している。
というのが(主にフィーコが)聞き出した彼女に関する情報である。
親不孝通りのコインランドリーは治安が悪過ぎる。
さすがに功も一緒になって止めろと口を挟んだのを覚えている。
以来、フィーコが呼ぶ形で店を訪れるのが彼女の常で、単独でやってきたことは功の記憶にはない。
そんな彼女はフィーコに軽く手を上げて挨拶すると、
冷蔵庫からキンキンに冷えたグラスを取り出し缶ビールを注ぐ。
本来客の前で注いで見せるものでもないのだが、気心の知れた客なので気を遣うこともなく、相手も気にした風ではない。
原価を考えればぼったくりも良いところではある。
だが彼女は気にした風でもなくグラスを受け取りフィーコと乾杯し、一息に煽った。
「んでイッコ、酷いの引いたって?」
「そーなんだよー」
さっきから既に3回は聞いた話をまた始めるフィーコを見て功は嘆息する。
「……相手、もう少し選んだらどうです?」
グラスを磨きながら止せばいいのにと自分で思いながら口を挟む。
昨今の感染症だのなんだのでただでさえ客の少ない店内に人影はない。
まあ、この2人だけなら雑に扱っても不満は出ないだろう。
「いやそうは言うけど棒は不足してるんだよ、常に!」
「あー、そうだよね。ちなみにビアンは壺が少ないんだよ」
「なんですかそれ」
「いや同性愛者ってだいたい、元の
「男なら刺されたがる方が多いし、女なら刺したがる方が多いみたい」
「あれ不思議だよね」
「ねー」
仲良く相槌を打つ2人を見て渋沢功は何とも言えない表情を作る。
この2人の会話は彼の知らない知識の宝庫ではある。
いつ役に立つのかははなはだ疑問ではあるのだが。
あーだこうだと仲良く雑談を続ける2人は何も知らなければ恋人同士にも見える。
まあ、そういう関係にだけはならないであろう2人であるのも間違いないのだが。
ピー、と薄く高音がインカムから響き、功は2人を放置してカウンター裏から厨房へ移動し、店の裏手の勝手口を開ける。
「酒のましば」のロゴが視界に入った。
ロゴ入りの黒いキャップを被った小柄な
「んじゃ確認おねしゃす」
「はい」
床に置かれたコンテナを開けて中身を確認する。
「どうも」
「ありしたー」
軽い足取りで帰っていく酒屋の店員を無言で見送り、補充品を冷蔵庫と棚に入れる。
良くも悪くも、〝
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