夜月のこと

 都心部にある都市学園の近隣には住宅街が並んでいる。

 といっても、一軒家などの戸建ではなくほとんどがアパートやマンションといった集合住宅だ。

 というのも、都市学園は各国から学生が集まる教育機関であるにも関わらず、寮制度を取り入れていない為、必然的に家から離れ家を借りる生徒が多い事が起因している。


 軒並みは全て予約制のレストランだったりブランドショップ。

 都市学園近隣のこの一角だけ富裕層以上の高級地と成り果ててしまっている。


 そんな場所を物珍しそうに歩いた夜月は都市学園から少し離れた場所────徒歩で二十分ほどのマンションへと足を運んでいた。

 オートロック付きのエントランスを潜り、エレベーターで九階まで登ると、角にある玄関扉を開いた。


「じゃ、入って入って」


「お邪魔しまーす」


 茜に促され、中へと入る夜月。

 靴を脱いで茜の後を追い、リビングへと顔を出した。


「流石お嬢様……部屋のスケールが違うなぁ」


 夜月はリビングを見て感嘆とした声を漏らした。

 目の前に広がるのは一面ガラス張りから覗く住宅街、巨大なテレビといかにも高級そうな絨毯とソファー。

 カウンターキッチンからは巨大な冷蔵庫と食器棚が覗いている。


「そうは言うけど、私は他の皆に比べたら安い方だよ? それこそ、ヴァレンシアさんとかは近場のタワマンを買ってるんじゃないかな?」


「比べる相手を間違えてないか?」


 八大貴族と比べてしまえばそこらの人間など雑兵じゃないのか、そう疑問に思う夜月であった。


「うちのクラスの子だと、メイドさんとか家政婦さんとか雇ってる人もいるみたいだし」


「ファンタジーか?」


 現実でメイドとか使用人という単語を耳にするとは思わなかった夜月であった。


「あ、海原くんはここで寝てもらう事になるけど……いいかな? うち、部屋一つしかないんだ……」


「いや、本当に寝れるだけでも嬉しいから。今なら浴槽でもベランダでもOKな気分」


「……ちゃ、ちゃんと布団は出すからね?」


 意外と逞しい事を口走った夜月に苦笑いする茜。

 流石に誘っておいて外や浴槽で寝させるほど鬼畜ではないのだが、今の夜月にとっては野宿ではない限りなんでも嬉しかった。


「そういえば、俺着替えとか日用品とかなんも持ってなかったんだった」


「近くにドラッグストアがあるからそこで買う?」


「お嬢様からドラッグストアとか聞くとは思わなかった」


「お嬢様って……一応、都市学園に通う生徒として体裁を立ててるだけだよ。私、どっちかというと一般人寄りだと思うし」


「なるほど……だから親近感が湧くのか」


 妙に気を使わなくてもいいというか、同じ考えを抱いているというか。

 とにかく、接しやすい理由はこれなのかと、少しだけ納得した。


「早いけど、私ご飯作っちゃうから────もしあれだったら、その間に買ってきちゃったら?」


「うむ、そうするよ……それと、お礼も兼ねて何か美味しいもんないか探してくる」


「い、いいよ、お礼なんてっ!」


 そう言って出かけようとする夜月を、茜は引き止める。

 茜にとって、ただ困っている人を泊まらせてあげているだけで、そこまで大した事をしているつもりはない。

 だからこそ、お礼をされるのは少しだけ違うような気がして嫌だと感じたのだ。


「馬鹿言え。俺は今のお前にどれだけ感謝してると思ってんだ? 泊まらせてもらう事や、学園での事────正直、金で解決できない以上の恩を受けてるから、せめてこれぐらいはさせてくれ」


 だけど、夜月は振り返って気にするなと、そのまま玄関を出ていってしまった。


「あ……行っちゃった……」


 茜の制止も聞かず出ていってしまった。

 呼び止めた時に伸ばした手が宙に浮き、やがてゆっくりと下ろされる。


「もうっ……意外と律儀なんだなぁ……」


 嘆息つきながら、茜はキッチンへと向かった。


 そこまで感謝をされているとは思わなかった。

 夜月に協力しているのだって、自分に得があり、自分が勝手に夜月の行く先を見たいと感じたからだ。

 そこに感謝されるような事はない。100%の善意で行動している訳ではないのだから。


 それでも感謝していると残した。

 それが妙に嬉しくて────エプロンを身に付けようとしている茜の頬が自然と緩んでしまった。


「じゃ、何を作ろっかなー!」


 袖まくりをして、気合いを入れる茜。

 今日はいつもと違い、客人が来ているのだ。

 初めてではないとはいえ、美味しいと思ってもらえるような料理を作りたいと思うのは仕方ないだろう。

 御曹司やご令嬢が集まる都市学園で珍しくも家庭的な一面を見せている茜は、きっといい奥さんになりそうだ。


「うーん……海原くんって何が好きなんだろ?」


 冷蔵庫を空け、不意にそんな事が気になった。

 何が好きなのか? どんなものが嫌いなのか? どのような料理だと喜ぶのか?

 びっしりと詰められた冷蔵庫の中身を見ながらそんな事を思う。


(あれ……? そういえば、私海原くんの事全然知らないや)


 好みだけでなく、どこの出身でどんな事をしてきたのか。

 目的こそ知っているものの、それ以外は何も知っていない。


「検索したら出てくるかな……?」


 茜は興味本位でスマホの画面を開いて検索をかける。

 打ち込むワードは『海原夜月』。

 そして────


「……え?」


 茜は、表示された検索結果を見て思わず固まってしまった。

 出てこなかった────訳ではなく、しっかりと検索結果の一番上にその名前は載ってあった。

 だけどスクロールすればするほど、夜月に関するの情報は溢れており、とある一文が茜を固まらせた。


『僅か十二歳でカジノを駆け上がる天才賭博師────海原夜月』


 その見出しは、あまりにも衝撃的だった。

 その見出しを開くと、とある新聞記者が書いたであろう記事が開かれ、そこには夜月がどんな事をしたか、何を成し遂げ何を騒がせたのかが事細かに書いてある。

 茜は冷蔵庫を開けっ放しのまま思わず見入ってしまう。


 そして、読み終えると────


「す、凄い人なんだ……海原くんって……」


 賭博をしていたという事はチラッと耳にはしていたが、まさかここまでとは思っていなかった。

 ラスベガス、マカオ、東京、モンテカルロ────カジノが各国で合法化された中、筆頭として栄えてきた場所で連戦連勝。

 子供である夜月が大人を圧倒する。そんな内容。


(……そりゃ、負ける訳だね)


 そんな夜月相手にカジノでよく行われるブラックジャックを仕掛けたのだ。

 踏んだ場数が圧倒的に違う自分が勝てる事など、万に一つもない。


「海原なら……」


 記事の開かれたスマホ画面を握りしめ、茜は期待に胸を膨らませる。

 もしかしたら、本当にアルカナを全て集める事ができるかもしれない────そんな事を思う。


 同時に────


「……あれっ? よくよく考えれば、私ってと二人きりで一緒に泊まるの?」


 唐突に思い出したその事実に、茜は顔を赤くしてのたうち回ってしまった。

 ちなみに、夜月が帰って来る頃になっても、一切キッチンには食材が並んでいなかったという。

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