マリアと使用人

「ごめんね……夜月くん」


 申し訳なさそうに涙目で少女は少年を見つめる。

 少年の手には数枚のトランプが握られており、少年は少女の姿を寂しそうに見つめていた。


「ううん……凄いや、マリア────偉い人だったんだね」


「……内緒にしてごめんね」


 少女の後ろには黒のスーツを着た男性が十数人ほど控えている。

 サングラスが日光を反射し、イカつい雰囲気を醸し出していた。


「私、帰らなきゃいけないから……」


「そっか……」


 二人は名残惜しそうに見つめ合う。

 よく見れば、少女の瞳には薄らと涙が浮かんでいた。

 だけどどうする事もできなくて、誰も拭ってやる事も慰めてあげる事もできなかった。


「……ぁ」


 そして、少女は少年に向かって踵を返した。

 徐々に遠ざかっていく背中、黒いスーツによって消えていく少女の姿。


 少年は思わず手を伸ばした。

 だけどその手は届かなくて、少年の姿だけが公園に一人残される。


 だけど────


「ま、待って!」


「ッ!?」


 その言葉が、少女を振り返らせた。

 踵を返していた足も止まり、開いていた距離もそのまま開く事はなくなった。


「あ、あの……っ!」


 少年は口篭る。

 咄嗟に呼び止めてしまったが、何を言おうとしていたのかが分からなかった。

 ただ、このまま離れ離れになってしまう事が怖くて、寂しくて、何かを残したくて。


 その思いが入り交じり、やがて少年の口からはこんな言葉が飛び出した。


「す、好きだマリアっ! 僕、君の事が大好きっ!」


 一度飛び出た言葉は止まる事がなかった。


「今日は楽しかった! ずっと一緒にいたいって思った! 君の隣に並びたいって思った! 君の事が、好きだから!」


 少年の言葉が静かな公園に響く。

 幼い少年の思いの丈が、静寂の中で少女の耳に運ばれてくる。


 今日感じた事。

 長い間ゲームに興じていた間に気づいた感情。

 幼く、恋愛感情も把握していない少年の、初めて抱いた感情。


 それが、最後というワードのおかげでとめどなく溢れていった。


「もし、君が嫌じゃなかったら────」


 少年は少女に向かって、最後に大声で叫んだ。


「いつか僕が迎えに行く! 隣に立てるような男になって、必ず大きくなって────マリアと結婚してみせる!」


 そして、その言葉を聞いた少女は────


「うん……待ってるね、夜月」


 その言葉を残して、その場から去っていった。

 後ろ姿からは見えなかったものの、少女の顔には涙が流れ、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


 ♦♦♦


「ふふっ……ふふふ……」


 夜月が教室を出ていった同時刻。

 王座に座る女性の紋章を胸に付けている少女が一人、別の教室の椅子に座りながら嬉しそうに微笑んでいた。

 誰が話しかけている様子もなく笑うその姿は傍から見れば少し不気味なのだが、よく見れば頬を染め目元と口元をふにゃけさせている。

 近くに寄って見れば、単に恋する乙女の顔そのものであった。


「嬉しそうですね、お嬢」


 そんな少女に向かって、一人の少女が話しかける。

 黒髪のショートボブに端正な顔立ち。そこには表情というものはなく、何処か淡々としているようだった。


「そ、そう見えますかミラ……?」


 マリアは急に話しかけられた事に驚き、すぐ様だらしない表情を戻した。


「えぇ……八大貴族としてあるまじき顔ですね」


「そこまで!? そ、そこまでですか……」


「どうせでしたら、先程の顔をビデオカメラに残しているので、ご覧になりますか?」


「どうして撮っているのですかっ!? 流石の私でも肖像権は存在していますからね!?」


「使用人として、お嬢の成長は逐一記録として残し、今後に役立てなければなりませんから」


「役に立ちませんからね!?」


 マリアは黒髪の少女────使用人であるミラの言葉に声を荒くする。

 それを受けてもなお無表情を貫いているミラを見ていると、このやり取りも慣れたものなのだと窺える。


「まぁ、それはおいておきましょう────それで、お嬢の初恋相手はあの方でしたか」


「は、初恋相手なんて……そんなっ」


「はい、だらしない顔してますよ。威厳とイメージが崩れる前に戻してください」


 ミラはだらしない顔をする主人の頬を挟んで無理やりその顔を消す。

 普段はお淑やかで威厳も見せているのにどうしてここまで変わってしまうのだろうか、とミラは不思議で堪らなかった。


(まぁ、お嬢の初恋相手なら仕方ない部分もあると思いますけど……)


 ミラは代々ヴァレンシア家に仕える使用人一家の一人娘だ。

 幼少期から使用人としての教育と最低限以上の教養を学び、年齢が同じという事からマリアの傍付きとしてこれまで共に過ごしてきた。


 そんなミラが今まで見てきたマリアは、言ってしまえば貴族として恥じぬような姿そのものだった。

 上に立つ者としての教養や立ち振る舞い、誰にも負けぬようにあらゆる面を強要され、その全てをこなしてきた。

 下に落ちる事がないように、八大貴族として格の違いを見せる為に。


 だけど、幼少期に一度────マリアは逃げてしまった。

 そんな強いる教養や貴族としての重圧に負け、ミラや他の使用人、警備全てを出し抜き、外の世界に飛び出していった。

 厳重に厳重を重ねていた場所から誰の目にも引っかかる事なく抜け出せたマリアは、今にして思えばその頃から才覚を見せていたのかもしれない。


(結局はその日中に捕まりましたが……)


 警察を使わず、警備兵五千人を総員させた事によって、マリアはその日中に見つかった。

 その時、同じ場所には一人の少年がいたそうな。


 そして別れ際に────


「『いつか俺が迎えに行く』でしたか?」


「ッ!?」


「そして『はい、待ってます』ですよね?」


「〜〜〜〜ッ!?」


 ミラの言葉に、マリアは顔を赤くする。


 別れ際に言われた言葉。

 ほぼプロポーズと変わりないその言葉は、今でもマリアやミラの頭に残っている。

 当事者であるマリアは知っていて当然なのだが、ミラはどうして知っているのか?


(あれから何度聞かされた事か……)


 マリアは、逃げ出してから様子が一気変わった。

 今まで受けてきた教育に文句を言わなくなり、自らが率先して八大貴族として生きていくようになった。

 泣き言も吐かなくなり、抜け出す事もなくなったのだが────変わりに、惚気が増えてしまった。


 ミラとマリアの二人きりになればいつも少年の話。

 嬉しそうに、懐かしむように語るその姿で、ミラはお腹がいっぱいになった事が何度もある。

 だけど、その少年の事を話す主人の姿はとても幸せそうで────


(……今ぐらいは許しますか)


 せっかく長年想っていた少年に会えたのだ、これぐらい許そうとふにゃけた顔をしていたのだ主人の顔から手を離す。

 マリアはミラにジト目を向けるが、ミラは何食わぬ顔でマリアを見据えるのであった。


「でも、驚きました。まさかお嬢の初恋相手がお嬢の事を追ってやって来るなんて」


「ふふっ、夜月と私はそれはもう深い絆で結ばれていますから!」


「その割には、自分の為にここまで来たと知ったお嬢……泣きそうでしたけどね」


「うっ……! し、仕方ないではありませんか……あれから、何年も音沙汰なかったんですから!」


「一般人が八大貴族と連絡が取れると思うのですか?」


「……思いません」


 基本的、八大貴族は世間には顔を出さない。

 それは秘匿部分も多いからという意味もあるが、そもそも狙われる危険性もある世間に出る理由がないからだ。


「それで、お嬢はどう思っているのですか?」


「どう、とは……?」


「お嬢の愛し人はアルカナを集められるのかという事です。この度は見事にアルカナを手にできたようですが────本番はここからですし、どうなるのかなと純粋な疑問を抱きました」


 アルカナは所持しているだけでは夜月の目的は叶わない。

 全てのアルカナを手にして初めて叶えられる────アルカナを所持してもアルカナ集めの土俵に立っただけ。

 むしろ、ここからが夜月の本番なのだ。


 だけど、アルカナ所持者は全員が一筋縄ではいかない。

 少なくともそのクラスのトップがその地位を確立させている訳で、それ相応の実力を持ち、恩恵を手放さないように必死に動くだろう。


 夜月の実力を知らないミラは、そこが気になった。

 だけどマリアは小さく笑みを浮かべると、そんな疑問を浮かべるミラに向かって自分の玩具を自慢するような顔で口を開いた。


「ふふっ、夜月なら大丈夫ですよ」


「それは初恋フィルターを外してでもでしょうか?」


「……だ、大丈夫ですよ」


 どうやら、初恋フィルターは若干かかっていたようだ。


「ごほんっ! で、ですが────夜月なら、アルカナ五つぐらいであれば余裕で集めると思いますよ?」


「凄い自信ですね……その根拠は?」


「そうですね────」


 マリアは引き出しを漁り、五枚のを取り出した。



「最終的に私と引き分けた夜月であれば、私と同じくらいは集めるに決まっているからです」



 女帝の名を冠するアルカナの保持者は、不敵に笑った。

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