敗北は刻まれて

「……いきなりだね」


「いきなり言わないと聞いてくれない気がしたからなぁ……どうやら、俺の出自は興味ないらしいし」


 夜月は青く広がる空を仰ぎ、横に座る茜に向かって口を開く。


「まぁ、アルカナをお前から奪ってしまったっていうのもあったから、何となく目的ぐらいは言っておかなきゃって思ったんだよ。それが、誠意なのか礼儀なのかは分からんけども」


「……そっか」


 クラス唯一のアルカナ。

 それを所持したからには、欲した理由ぐらいは提示しておきたい。

 懐を開く事によって警戒心を解く事にもなるだろうが、夜月自身は最低限の誠意と考えているのかもしれない。


「女の子って、ヴァレンシアさんの事だよね?」


「そうそう、八大貴族の娘さんであるマリア・ヴァレンシア。そいつで間違いないよ」


「…………」


「笑うか?」


 夜月は自嘲めいた笑みを浮かべる。


「相手は八大貴族、格も財力も権力も全てが雲の上────話すだけでも光栄、眺めるだけで憧れる。そんな相手を好きになるなんて愚かだって思うか? 叶うはずないと笑って一蹴するか?」


「…………」


「賭博で金を稼いでも端金、こういっちゃなんだが……俺の資産はそこいらの企業ぐらい買収できるほどに貯まった。それこそ、もう一生遊んで暮らせると思う────でも、それでも届かない」


 どれだけお金を集めても、八大貴族には届かない。

 お金という石段を積み上げても、雲には辿り着かず何処かで瓦解して地に落ちてしまう。

 賭博という生活で何年も過ごしてきた夜月は、それを痛いほど実感した。


「だから、俺はこの学園に入って八大貴族に届くまで登ろうと思った。アルカナを全部集めて、八大貴族に目を置かれる存在になって……いつか、マリアを迎える為に」


 視線の先に映る白い雲こそが、夜月とマリアの差だ。

 手を伸ばそうにも手段がなく、手段を探っても決して届く見込みがなかった。

 だけど、この学園に入学した事によって明確な手段が見つかった。

 正しく登っていけば、雲に触れる事も可能だと。


 ────だからこそ、夜月はアルカナを欲した。

 そして、これからもアルカナを欲する理由。


「…………」


 その言葉を聞いて、茜は顔を上げて夜月の顔を見る。

 浮かんでいた表情は切なそうに……それでいて、執念と真剣さを感じさせていた。


 綺麗で端正な顔立ちではないが……何故かその顔に目が惹かれてしまう。


「……そんなにヴァレンシアさんの事が好きなんだね」


「まぁ、俺の初恋だしなー。っていうか、こんなところまで追いかけてきた俺って気持ち悪いかね? 愛が重いとか思われてない?」


「…………」


「女の子からの無言が一番困るんですけど!?」


 しかし、先程の表情も崩れ今はあたふたとしている。

 一人の少女の為にここまで感情が変わる────その事が、茜にとっては珍しかった。


(でも、そっか……本気、なんだね……)


 遊びでもお巫山戯でもない。

 自分と同じ、明確な目標に向かってアルカナを欲した人間。

 だけど、その目的は自分よりももっと先を向いていて────


(……これは、負けちゃう訳だ)


 慢心し、保守に走っていた。

 不相応なプライドに意地を張り、要らぬ勝負を仕掛けてしまった。

 覚悟していたはずなのに……覚悟が足りず、覚悟で負けた。


 そんな人を相手にしていたのだ、どう逆立ちしても勝てる訳がなかった。

 何せ、始める前から『気持ち』で負けていたのだから。


 茜は余計にも情けなく感じてしまう。

 不甲斐ないからという訳ではなく、目的から逸れた行動をしてしまった自分が酷すぎて。


「……私、まだまだだなぁ」


 茜は思わず呟いてしまう。

 目尻に涙を浮かばせ、自嘲気味な笑みを浮かべて。


 そんな時────


 ポンッ。


「……ぇ?」


 不意に、茜の頭に温かな感触が乗っかった。

 大きくて、ゴツゴツしていて、ゆっくりと茜の甘栗色の髪を撫でている。

 それは、隣に座る少年の手で────


「わ、悪い……何て声をかけたらいいか分かんなくて、思わず手が動いてしまった」


 夜月は驚く茜の顔を見て、すぐ様手を引っ込めた。

 温かな感触や、何処か安心させてくれるような大きさが消えた事に、少しだけ茜は寂しさを覚えてしまった。


「……泣いている女の子を慰めるやり方としては50点かな」


「……すみませんね、こっちは女の子の扱いなんて慣れていないものでして」


 拗ねてそっぽを向く夜月。

 その姿を見て、思わず微笑が浮かんだ茜であった。


「ま、まぁ……お前はまだまだって言うが────伸び代があるっていう証拠だし、落ち込む必要なんてないんじゃないか?」


 一つ咳払いをして、夜月は茜の顔を見据える。


「まだまだって思うならこれから精進すればいいし、何だったら誰かの背中を追いかけて成長していけばいい────そうすれば、お前の目的にも近づく事ができると思うぞ?」


「……そしたら、私は海原くんにアルカナゲームを仕掛けちゃうけど、いいの?」


「それぐらい構わねぇよ。負ける気はないし、譲る気もないが……いつでも相手ぐらいしてやるさ」


 その時の夜月は笑っていた。

 自分の首が絞まる可能性があるにも関わらず、優しく茜を慰めるように。

 器が違う、なんて茜に思わせる。


(結局、私はアルカナを手にする器じゃなかったって事だね……)


 ゲームの一件でも、今のやり取りでも。

 己の慢心を打ち砕き、素っ気ない態度を取っても寄り添ってくれた。


 人としても都市学園の生徒としても、器と格の違いを見せられたような気分になった。


(……ごめんね、お母さん。私、負けちゃった)


 内心、茜は謝罪した。

 思い浮かぶのは、業績が悪化し別の派閥に取り込まれてしまった事を必死に謝ってくる母親。

 そんな母親の為に、元の姿を取り戻そうと約束した。アルカナを手に入れ、昔の生活に戻る為に。


 だけど、そのアルカナは手元にはない。

 自分よりも上の人間に、奪われてしまった。


(こんなにはっきり負かされたのは初めてだなぁ……)


 悔しい。

 申し訳ないと、今でも感じる。


 だけど、先程よりもその感情は薄くなっていった気がする。

 それは、敗北という文字をしっかりと刻まれたからで────


「お前の目的は分からないし、アルカナを手放す気はない。だけど……アルカナを全て保有したクラスの一員になれば────お前の目的に近づけないか?」


「……もし、そうなったら確かに私の目的には近づくね」


「だったら────」


 夜月は立ち上がり、ベンチに座る茜に向かって手を差し伸べた。


「俺と一緒に成り上がってみないか? 俺の道にはきっと、お前みたいな存在が必要だからさ」


 茜はその手を────


「もう……仕方ないなぁ……」


 しっかりと握った。

 敗北を刻まれた少女は、敗北を刻んだ少年の言葉に賛同して。


(……私の道が、この人の通り道にあるなら────)


 その先を見てみたい。

 そこまで連れて行って欲しい。


 そんな事を茜は思った。


 茜の表情は、何処か晴れやかなものであった。

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