〈バレンタインデーSS〉 (既読196話)

 薔薇色☆プリンセス。

 それは、スカーレット・ショードガーデが転生前の世界でプレイしていたゲームの名称である。

 そのゲームは、現在転生した先の世界に非常によく似通っていた。

 スカーレット・ショードガーデとは、そのゲームでは悪役令嬢役で、主人公はプリムローズ・スプリンコート。

 インドラ・スプリンコートという腹違いの姉を持つ平民上がりの伯爵令嬢だ。

 本来なら、ゲーム通りに進むのならば、プリムローズは第一王子と結婚して王女となり、スカーレット・ショードガーデはプリムローズをいじめたとして断罪され、婚約破棄され、家名に泥を塗ったとして追放されてしまうのだった。


 インドラ・スプリンコートもまた似たような道筋をたどる。

 だが、スカーレット・ショートガーデは前世の記憶持ちで、ゲームの記憶も持っていた。

 バッドエンドを回避するため手を尽くし、またインドラ・スプリンコートにおいてはゲームの知識がなくとも全く違う運命を自力で切り開いた。

 そうして、インドラ・スプリンコートはとっくのとうにバッドエンドを回避し、スカーレット・ショートガーデもインドラの助力を得て無事回避する。

 単に似た設定があった世界、で終わった。

 のだが……。


 インドラは思い出した。

 スカーレット・ショートガーデが、この世界は乙女ゲーに酷似している、と。

 つまりは、イベントがある。

 美少女ゲームしかやったことがないので詳しくはないが、デートイベントは共通してあるだろうし、他にも女子なら必須のイベントがあるはずだ!

 スカーレット・ショートガーデに連絡を入れた。

『……バレンタインデーイベント?』

『以前、この世界が乙女ゲーに酷似していたと言っただろう? 乙女ゲーはやったことがないので詳しくないのだが、イベントがあるだろう? デートはあるはずだが、まぁそれはどうでもいい。だが他に、女子ならではのイベントがあったはずなのだ……バレンタインデーイベントが!』

『あぁ、ありましたわね。それが何か…………あぁっ!?』

『そう、ソレだ!』

 つまりは、チョコレートが存在するということだ!


『チョコはどこで売っていた?』

『待って下さい、細部まで思い出してはいないのです。でもあった記憶はあるので、脳から絞り出します』

 インドラはもちろんスカーレットも真剣だ。

 この世界は食に関しての貪欲な研究がされていない。

 飢えることはないが貧富の差が激しいことと、富裕層がさほど食に興味を持っていないことが発展の妨げになっている気がしている。

 インドラもスカーレットも自分たちで研究しておいしい料理を開発しているが、食材の少なさには頭を抱えている。

 知識豊富なインドラですら食材の探求の困難さには手を焼いているのだ。

 交配によりより良い品種が出来上がるのも知ってるが、時間も人手もない。

 仕入れ業者に頼みたいが、説明するのが難しい。

 食材だと認識されていない場合、売られていないどころか、栽培さえされてない可能性もある。

 その最たる食べ物。チョコレート。

 カカオ豆はそのまま食べたら不味すぎる食材だ。

 加工し砂糖を大量に加えてようやくおいしいお菓子となる。

 この世界の人間が、たとえ調味料としてもカカオ豆を使うとは思えない。


 両こめかみに指を置いたスカーレットが沈思黙考し、

『そもそも、そのイベント、私、どうしたのかしら? 通り過ぎたわよね? 絶対悪役令嬢だって参加したはずじゃないの……』

 必死で思い出そうとしたが、思い出せない。

 というか……

『……インドラ様。この世界ではバレンタインデーイベントは起きませんでした。バレンタインデーが存在しません』

 というオチだった。


 インドラはガッカリするも、食い下がった。

『……まぁ、バレンタイン司祭がいないだろうし、いて同じ騒動を起こしたとしたら国が罰した罪人を讃える祭りになってしまうな。……だが、この世界ではいいのだ。その乙女ゲーでどうした? どこからチョコを仕入れていたのだ?』

 スカーレットが再び沈思黙考する。

『……うーん。悪役令嬢はもう悪役令嬢らしく、公爵家の伝手!というもので手に入れてましたわね! ちなみに、この世界の私では無理ですわ! カカオ豆がどんなものかすら知りませんもの!』

 キッパリ言い放った。

 インドラが悄気しょげる。

『むぅうん……。では、我が妹はどうしたのだ? まさか手作りしたとか言うまいな? あの甘やかされた鳥頭に料理なぞ出来るワケがないぞ』

 インドラがスカーレットに聞くと、スカーレットが驚いた。

『その、まさかの、手作りをしていましたわ! ……え? プリムローズ様は料理出来ないのですか? 元平民でしたでしょ?』

『幾つの時に引き取られたと思ってるんだ。どんな貧乏人でも幼児に料理を手伝わせるわけがない。引き取られて以後は屋敷の料理人が作っている。少なくとも私がいたときに厨房に現れたことなど一度もない。元平民の部分は『無作法者』というところだけだ。他はむしろ貴族らしく何も出来ないぞ』

 インドラがビシッと言うと、スカーレットが考え込んだ。

『そうでしたか……。本当に、ゲームと結構な食い違いがありますわね……。まぁ、いいですわ、現実のプリムローズ様のことなどどうでも! ゲームのプリムローズ様は手作りして、材料は買ってきてました。そこに行ってみましょう!!』

 スカーレットはチョコレートが食べられるかもしれないと期待に胸を膨らませ、張り切ってインドラに言った。


 インドラがスカーレットを学園まで迎えに行き、スカーレットは記憶からひねり出して場所を探す。

 そして、インドラは見つけた。

「これだーーーーっ!!!」

「えっ?」

 戸惑うスカーレットの手を引きインドラが向かった先は果実屋、そこに陳列しているカカオを見つけ出した。

 スカーレットがインドラに恐る恐る尋ねる。

「……本当にコレですの?」

「コレだ! 私は〝Bean to Bar〟という、カカオからチョコレートを作るクラフトワークショップに通って作ったことがあるのだ!」

 スカーレットが呆れた。

「インドラ様、貴女は前世で何者でしたの?」

「多趣味の巨乳だった!」

「巨乳の情報はいらないです」

 スカーレットがツッコミを入れた。


「インドラ様、作り方はわかります……わよね? その何とかバーとかで作ったことがあるのですものね」

 スカーレットがインドラに尋ねるとインドラは曖昧にうなずく。

「まぁ、この実がカカオと同じものだとしたら、大体の工程はわかる。あとはトライ&エラーだな。とりあえず試していこう」

 カカオを買い占め、インドラとスカーレットが戻る。

「学園のキッチンを借りると面倒なので、シャールの中でやるか」

 インドラがスカーレットの手を取り先導しながらシャールに案内する。

 スカーレットはつないだ手とインドラを見て、そういえばゲームのスチルにこんなシチュエーションがあった気がする、と思いつつ尋ねた。

「今回、ソード様はご一緒ですの?」

「『今回はスカーレット嬢と遊ぶので来なくていい』と言ったのだが、ついてきた」

 インドラがキッパリ言うと、スカーレットが笑った。


 シャールのキッチンに器材を並べ、インドラは腕まくりをする。

「さーてと。ゲームの中のプリムローズがカカオの実からチョコレートを作ったかはわからんが、無事カカオの実が手に入ったので作ってみよう」

「絶対にゲームの中のプリムローズ様はカカオの実からは作っていませんでしたわ。製菓材料店があったはずなんですけど」

 だが、砂糖すらないこの世界で製菓材料店があるはずがない。

 インドラはカカオを手に取った。

「まずは、得意の発酵だな! 本当に、別世界の料理は発酵で成り立っていると言って過言ではないな!」

 スカーレットが驚く。

「発酵させるんですか!?」

 インドラがうなずいた。

「発酵させることであの特有のフレーバーが付くようだ。ちょっと発芽させると糖度が上がりそうだが、とりあえずはオーソドックスに発酵させてみよう」

 インドラが中身を取り出し、煮沸瓶に入れる。

「発酵は拠点の連中がお手の物なのだが、私も屋台用の安酒をよく作っているので大体わかる。発酵出来たらまた連絡するので、今日はこれくらいだ」

「そうですか……。当たり前ですけど、すぐには無理なのですね」

 スカーレットが肩を落とした。

「まぁまぁ。そう気を落とさないでくれ。発酵して実を取り出して乾燥させたらそこからは普通だから、しばし待て」

 インドラがなだめ、スカーレットを学園の寮に送っていった。


 スカーレットは毎日のように連絡をして、数日おきに見に来ていた。

 そして十日ほど経ち、

「たぶん発酵出来ただろう」

 と、インドラがようやく言い、瞳を輝かせるスカーレットの目の前で、実と果肉を分けた。

「こっちの果肉はチョコレートには使わない。だから料理に使おう」

「えっ?」

 スカーレットが耳を疑った。

「うん? 発酵果実や発酵野菜を料理に使うのは、よくやるぞ? 酸味と旨味が深まり、とても良い出汁になるのだ」

「……知りませんでした……」

 スカーレットがショックを受ける。

「まぁ、これは私の専売特許のようなものだからな。元々は酒を作るつもりはなく、料理の味に深みを出すために発酵させていたのだ。別世界でもやっていたのでお手の物なのだ!」

 ふんぞり返るインドラを見て、スカーレットは思う。この人前世で何の人だったの? と。


「ここからは魔術の出番だな」

 インドラは豆を洗浄した後、温風で乾燥させる。

 乾燥時間中は二人でお茶を飲んで、出来上がった場合の話をする。

「ふぅ……。インドラ様、公爵家でもチョコレートを作りたいのですが、よろしくて?」

「別に構わないぞ。私が考え出したものでもなし、スカーレット嬢がゲームの中に存在していたはずの製菓材料店に案内してくれたからこそ見つかったのだからな。……実は、再度見に行ったら、すごいものが売っていた」

 ニヤリと笑ってインドラが取り出したのは、棒。

「……えっと? もしかして?」

「サトウキビだ」

「マジですかーーー!?」

 スカーレットが叫んだ。

「他にも、甜菜糖の原料であるサトウダイコンも売っていたのだ!」

 今度は球根のようなものを取り出した。

「フフフ、確かにあの店は製菓材料店だった! スカーレット嬢、ありがとう! 感謝する!」

 スカーレットは、正確には製菓材料の材料店でインドラじゃないとどうにも出来なかっただろうけど、それでも材料が見つかって良かったと思った。

「と、いうわけでな。砂糖も出来た」

「マジですかーーー!!」

 スカーレットは叫んだ後、おねだりポーズをした。

「インドラ君、その砂糖、譲っていただけるんですのよね?」

「う、うむ? そんなかわいいポーズをせずとも、譲るぞ? 私だけでは見つけられなかったからな。私は加工は出来るが、材料が見つからなければどうしようもなかった」

 インドラが慌てたようにうなずいた。

「やったー! わーいわーい、お菓子が作れるようになったー!」

 スカーレットが飛び上がって喜んだ。


 乾燥が終わり、豆の様子を見たインドラ君がうなずいた。

「では、ここからはさほど時間がかからない」

 豆を火魔術でローストする。

「うわぁ、チョコレートの匂いがしてきました!」

 匂いに釣られて、我関せずだったソードもやってきた。

「ん? 出来たのか?」

「いや、まだまだ序盤だ」

 インドラが首を横に振る。


 火が通ったら、外皮をインドラが瞬時に剥いた。

 スカーレットがうなずきながらメモをとる。

「ふむふむ、皮を剥くのですね?」

「外皮は硬いからだろうな。剥いたら中の種を粉砕する」

 インドラが手を高速で擦り合わせ、瞬時に粘土状にした。

「……えーっと、普通はこんなに簡単に粘土状になりますの?」

「ワークショップでは機械で潰し何時間も摺った」

「ですよねー」

 スカーレットが諦めたようにうなずいた。


 器に入れ、砂糖を入れながらさらに練る。

 インドラは手で行い、これもまた瞬時に行ってつややかなチョコレートにする。

「別世界の方の情報提供を願います。コレ、ワークショップではどうなさいました?」

「湯煎しながら練っていたな。これもまた何時間も練るのだ。普通に売られているものだと、機械で数日練り続けるらしいぞ? 私は魔術と手で行っている」

「わかりましたわ!」

 インドラ自身の作り方は参考にならないので、インドラの知識を参考にすることにした。


 インドラが一息ついた。

「ふむ。これが原型になる。あとは、スカーレット嬢ならわかると思うが【テンパリング】という、油脂の配列の調整を行い、舌触りの良いチョコレートに仕上げていく」

 インドラがチョコレートを混ぜつつ液状にしたり固形状にしたりを繰り返す。

 チョコレートをぼうっと見つめながら、スカーレットがつぶやくように聞いた。

「……インドラ様。もしかして、魔術でテンパリングなさってます?」

「うむ! 温かくしたり冷たくしたりしている!」

 スカーレットは、もうインドラの作ったチョコレートをもらった方が早いな、と思った。


 つややかになったところで、インドラは大きくうなずいた。

「うん、出来たんじゃないか? ここにきて型に入れることを失念していた。型はいずれサハド君に作ってもらうが、とりあえずは試作品だ」

 薄く固めたチョコレートを砕き、インドラが配った。

 スカーレットがそっと割って食べると、口の中にカカオの香りが充満した。

「!!! …………す、すごい」

 スカーレットは前世で高級チョコなど食べたことがない。

 あげたい人もいなかったし、友チョコで駅前の露店で売られていたちょっとだけ高いものを買って交換したりする程度だった。

 香り立つチョコレートなど食べたことがなかったのだ。


 ソードは気軽に食べ、

「うまいな。蒸留酒に合いそう」

 と、感想を述べる。

 途端に、スカーレットがキッ!とソードをにらむ。

 その勢いにソードがひるんだ。

「な、なんだ?」

 スカーレットはソードに厳しく言った。

「そんなに気軽な感想を言わないで下さいませ! この〝チョコレート〟がどれだけおいしいかわかってるんですか!? これは、超本格派! 前世で買ったらほんのちょっぴりで〝ウン千円〟取るような超高級〝チョコ〟の味なんですよ!! 至高の〝パティシエ〟の味なのに!! 気軽に食べるのナシ! 気軽な感想もナシ!」

 ソードがタジタジになりながらも「ごめん、言ってる言葉、半分もわかんない」と返した。


 インドラは二人のやり取りに関知せず、自己分析をする。

「ふむふむ。結構うまく出来たか? 前世で食べておいしかったのは、ベリーのワインを作った後の皮を混ぜ込んだチョコだったな。今度コラボレーションして作ってみるか」

 味見しつつ、アレンジに考えを巡らせる。

「あ、そうだ。ミルクチョコレートも作らないと。アレってどの工程で入れてるんだろうか? まぁいっか。いろいろ試してみよーっと」

 スカーレットがインドラの独り言に食いついた。

「インドラ様!」

「わっ! ……どうした?」

 さすがのインドラもスカーレットの勢いに引いた。

「公爵家でも試してみますけど! この味にならなかったら! 作ったのを売って下さい!!」

 スカーレットは鬼気迫る形相でインドラに迫った。

「う、うむ。材料を提供してくれるならいいぞ? 私も御用聞きの商人に頼むが、恐らくこの国では採れない気がするので、もしかしたら公爵家の方が手に入れやすいかも知れないからな」

 インドラがカクカクとうなずいた。


 結局、スカーレットは自領地でのチョコレート作りを諦めた。

 人力で作るとものすごい時間がかかる上、到底インドラの作るチョコレートに敵わなかったのだ。

 かかる時間と人件費に見合わない。

 ならば、インドラから買った方が余程簡単に手に入る。

 インドラは拠点で魔導具を作成し生産に乗り出した。

 料理人やメイドに食べさせたら大好評で生産ラインに乗せようという話になったのだ。

 インドラの拠点はものづくりのスペシャリストが集まっている。

 インドラはその中でもトップだが、魔導具などがあれば拠点にいる人間もクオリティの高い商品を作るのだ。

 ただし、やはり原材料は簡単に手に入るものではなく、腕利き商人であるベンジャミンにも大量に用意するのは難しかった。

 そのため、公爵家で原材料を用意し、バイク便で運び、インドラの拠点で加工し、それを格安で譲る、ということで話がついた。


 スカーレットの前に、前世のように様々に型取りされた美しいチョコレートがガラスの器に盛られている。

 それをつまみながら、

「確かに公爵令嬢だけど。前世より不便で何もないこの世界で、前世よりおいしいチョコを食べるって、なんか腑に落ちない」

 スカーレットが愚痴った。



 ※念のために書きますが、現実にあるBean to Barショップおよびチョコレートの作り方に当てはめないでください。こんなんじゃないです。

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