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 三人はやはり家族やった。絵江ええ と名乗った。しかもこの地方の旧家の人やった。首の縄を解いてやったら絵江さんがぽつぽつと話したことがこれや。奥さんと娘さんはじっとしているだけや。お茶もなにも手に取らんと、ただ、じっと。

 これからする話は、誰も読まへんにしろ、信じてもらわれへんにしろ、こういうことがあったというのは記録しとくべきや。


 絵江さん……代々続いた庄屋で現在は不動産業の傍ら、家の前の畑を耕しての晴耕雨読の生活してはったんや。年令は五十五才。穏やかな性格で争いを好まず、生活も慎ましい。人の恨みを買うような派手なことはせえへん人や。奥さんと今年成人を迎える一人娘さんとな、一緒に暮らしてはった。衣食住も満ち足りて幸せやった。過去形や。

 そこへ隣の敷地に突然、微意びい が引っ越してきた。隣の家の息子がいつのまにか身を持ち崩して売ったようだ。土地の登記も他人の名義になっていたが、それは微意の名ではなかった。

 微意はどこから来たひとかはわからへん。自己紹介もせえへん。せやけど、誰に対しても人懐こい性格だった。馴れ馴れしかったといっても良い。

 絵江さんは警戒もせず詮索もせず、微意がお金に困っているのを悟り、近所同士のよしみで家の前にある畑の作物をあげていた。夏ならばなすびやきゅうり、かぼちゃも、できているものはなんでも気前よく。すぐに微意はその状態に慣れ、絵江さんの作物を断りもなしに勝手に獲っていくようになった。もうすぐ収穫しようと思っていたトマトやきゅうりを微意が先にとっている現場に出くわす。微意は悪びれず「おはようさん」 という。まだ青いトマトまで取っている。絵江さんの温和な性格が災いして微意をとがめられず、我慢した。

 微意は笑顔で「絵江さんのおかげでおいしい野菜を食べることができます」 と口先で礼はいう。時には微意が放任している子どもたちを家にあげてご飯を食べさせたり、不要の服をあげたりしていた。微意は次第に絵江さんの優しさに付け入って、お金の無心もするようになったんや。さすがに無視していると、「少しでいいので貸してくれ、子どもの医療費も払えぬ」 と泣く。根負けしてお金を渡すと必ず返すとはいう。だが返されることは一度もなかったんや。温厚な絵江さんは微意の厚かましさに嫌気がさしてくる。

 微意は自発的に絵江さんの畑の草を抜いた。借金が返せぬ微意のそれなりの誠意かと思っていたが、違った。道行く近所の人を見かけると呼び止め、畑の草を引き抜きながら絵江さんにまつわる嘘を教えていた。

「わしらは昔、絵江さんのおじいさんから借金のカタに強制連行を受けて、ここに住まわされている。子孫のわしらも無給でこうして働かされている」 

 最初は誰もそんなことを信じなかった。しかし微意が何度もいうので信じる人が出てきた。絵江さんの友人は何度も微意に気をつけろと忠告した。しかし絵江さんは、微意の顔を見ると愛想よく笑顔でぺこぺこするので強く言えない。というよりも、元来怒ることができない人間なのだ。

「いっそ金をくれてやって引っ越しさせろ」 とまで忠告するものもいたぐらいだが、絵江さんは争い事が面倒でそのままにしてはった。

 そのうちに微意は絵江さんの祖父は、微意の亡くなった母親をレイプしたと言ってきた。ある日突然のことで、微意は絵江さんに「賠償金を払え」 という。双方とも故人で証拠もない。さすがに事実でないことに対して金は払えぬと絵江さんはきっぱりと言い渡す。すると微意は、予測していたのか、すぐに微意の仲間を連れて来て絵江さんの家の前で「責任取れ、賠償金払え」 とシュプレヒコールを唱えたんや。

 絵江さんは警察に相談するとそれはやんだ。しかし、微意は次の手をうってきた。こともあろうに、微意の母親のブロンズ像を絵江さんの家の前に設置した。これも絵江さんは警察に相談した。確かにそこは絵江さんの土地なので、警察から撤去を求められる。

 すると微意は国家権力に頼った卑怯者ということで絵江さんへの攻撃を強めた。

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