ep.117 断る

 取り決めの日。謁見の前に招集されたセンリとエスカ。扉の先に、少し血色が良くなったルドルの姿が見受けられた。


「ここまで遅れてしまったことをまずはお詫びいたします。誠に申し訳ない」

「いえ、お気になさらず。むしろこうして安全な場所を提供してくださったことに感謝します。隊のみなもじゅうぶんに休むことができました」


 というのも重要な用件が立て込んでなかなか日程が決まらず、ようやくこの機会を持つことができたのだ。


 アガスティア隊としては、刻々と変わる情勢を案じてできる限り早く発ちたいところではあったが、やはり手ぶらで帰るわけにもいかず、返答を待ちながら着々と準備を進めていた。用事が済み次第、いつでも動けるように。


「始めに特使の件ですが、つつしんでお受けいたします」

「ほっ、本当ですか……!」


 緊張したエスカの顔にパッと明るい笑みが咲く。


「はい。本格的な活動は事態が収束してからになりますが」

「それは、重々承知です。でも嬉しいです、とても」

「当面の間、連携は書面上のみで。身近なところから啓蒙けいもう活動を始めていきます。いただいた料理法とともに民の様子を窺いながら」

「効果はありそうですか……?」

「じゅうぶんな試行回数を重ねたわけではありませんが……、経過を見るに一定の効き目があるのではないかと私たちは見ています」


 それを聞いてエスカはいたく喜んだ。この場にいないセズナのことを思いながら。


「今後は他にも専門家も呼び寄せてより多くの意見を聞き、量産への話をまとめていくつもりです。本当に、感謝しかありません」


 ルドルは一度深く頭を下げてから再び話を続ける。


「ですが教典の件に関しては、申し訳ありませんが『ただちに』というわけには。たとえ国内だけであっても、私の一存で決められるようなものではないので。それに改訂したからといって明日から意識が変わるというものでもありませんから」


 信仰は根深くそうたやすく変えてしまえるものではない。敬虔けいけんであればなおさら。


「おっしゃる通りです。ですから今はこうして種をいているのです。……いつか世界中で芽吹めぶく日のために」

「…………」


 エスカの真摯な眼差しに、ルドルは思わず圧倒されてしまった。その発言が口だけではないということが分かったからだ。先を見据えて、どれだけ時間がかかろうとも本気でこの世界を変えるつもりでいるのだと。


「……でしたら私も、その種が芽吹くための努力を惜しまないようにいたしましょう。こうして生きている限りは」


 彼女の本気度が伝わり、ルドルはそれに応える形で力強くうなずいてみせた。


やかたのほうはどうするつもりだ」


 今まで黙っていたセンリが口を開いた。実際に潰したのは1つだけだが、他にもまだ存在しているとの話だった。


「館はこれから廃棄していきます。私自身、全てを把握しているわけではありませんから見つけ次第、順々と」

「ちゃんと全部潰しておけよ。やつが何を残しているか分からないからな」


 本体を殺したのでもう復活はない。けれども彼が嫌がらせのような何かを残していないとも言い切れなかった。


「そこはしっかりと、徹底的にやるつもりなのでご安心を」


 言われなくとも。そんな表情をしてルドルは意気込む。前々から館に対してはある種の特別な思い入れがあったのだろう。


「あと、これは現領主としての相談なのですが、貴国きこくに経済的な援助を求めることはできないでしょうか? そして、願わくは我が国と同盟を結んでいただけると……。一時的でも構いません。立て直すまでの間、他国からの侵攻を躊躇ちゅうちょさせる後ろ盾がどうしてもほしいのです」


 失礼を承知で本音を告げるルドル。ビザールもイーロンも不在。国の情勢は不安定で、他国に知れれば寝首をかれる可能性もあった。国策のせいでじゅうぶんな恨みを買っていたがために。事は性急。彼はそれをひどく憂慮ゆうりょしていたのだ。


「……ご迷惑をおかけした以上、援助は惜しみません。ですが同盟の件に関しては私からは何とも申し上げられません……」


 肯定も否定も。決める権限はエスカにはなかった。だから申し訳なさそうに声を落としている。それに唯一神ゆいいつしん教国家との同盟となれば仮に一時的であったとしてもアガスティア国王が首を縦に振るかどうかは分からなかった。ところが、


「――俺が直接、王に口を利く。断りはしないさ」横からセンリが言い放った。


「セっ、センリさん……?」

「この俺を利用しているんだ。ならばせめて後始末ぐらいはやってもらう」


 アガスティアが勇者という矛を振るうなら、その血飛沫ちしぶきくらいはぬぐい取らせるつもりでいた。扱われるだけではない、持ち手にもその資格を要求する、意思を持った武器のような。


「……分かりました。王都に到着次第、すぐに父上へ取り次ぎます。……今回はこちら側にも大きな非がありますから」


 司教をセンリたちが。領主をエスカたちが。二国間で秘密裏に戦争がおこなわれていたと表現してもおかしくはない出来事だった。


「お手数をおかけして本当に申し訳ありません」


 ルドルが再度深く頭を下げると、エスカは「もうじゅうぶんですから」と優しく声をかけた。彼の心労は察するに余りある。これ以上、自身を追い詰めないでほしいというのが彼女の願いだった。


「特使のことも、教典のことも。この国のことも全て。必ずや実行するつもりです。なのでどうか私に『呪い』をかけてもらえないでしょうか。生涯における契約として」


 しかしながらルドルはその肩に全てを背負う覚悟でセンリのほうを見やった。


「何があっても立ち止まらないように。たった一つでも置き去りにしようものならすぐにでも死んでしまうような強力なものを」


「――断る」


 食い気味にセンリはそう返して、


「呪縛に頼れば覚悟は揺らぐ。成し遂げたいなら己の意志でやってみせろ。甘えるな」


 目を丸くする彼に向かって言い放った。


「……そ、そうですね。おっしゃる通りです。尋ねた私が愚かでした。どうか今のは忘れてください」

「ですが、私たちにできることがあればお手伝いしますよ。苦しい時も、辛い時も、互いに助け合って、そうやって私たちは生きているのですから」


 痛烈に叩き落とされたあとの慰めるような救済の光。ルドルは思わずまた頭を下げそうになったが、グッと留まり、


「心より感謝いたします」


 エスカとセンリの目を交互に見て、力強く言葉を返した。後ろ向きな自分はもう見せまいと固く心に誓って。

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