ep.118 悪かったと思っている
今後の話もまとまり、謁見の間から離れたあと、そのまま部屋に戻ると思いきや、
「あの、ちょっとだけ寄り道しませんか?」
そんなエスカの要望で2人は城の屋上までやってきた。四方に建つ見張り台の1つのほうへ向かって歩いていく。
すでに話を通していたのかエスカが喋りかけると見張りの兵士は
「ここを発つ前に、一度はしっかりと見ておきたいと思って」
少し強めの風を浴びながら真剣な面持ちで眺めるエスカ。綺麗な景色が見たかったわけではなく、七賢者との戦いの痕跡をその目に焼きつける意味合いがあった。
民の命など
もし2人の戦いが長引けば首都ごと消え去っていてもおかしくはなかった。こうして今、センリは傷ついた街の様子をまざまざと見せつけられている。
「責めたければ勝手にしろ。だが七賢者を相手にするということは、こういうことだ」
「いっ、いえ。別にセンリさんを責めるためにここへ来たわけではありません」
エスカは慌てて否定した。まさかそのように取られるとは思ってもみなかったようだ。
「その、これからどうするのかを聞いてみたくて。このまま探し続けるのは分かっているんですけど、こうしてまた戦うことになるんじゃないかと思って……」
勇者の一族を
「だとしても、一度踏み出した以上、この歩みを止めるつもりはない。その代わり魔族の脅威に関しては力を貸す。それで満足だろう?」
「…………」
エスカは目を伏せた。やはりどうしてもまだ壁がある。彼女が望むのはただの協力関係ではなくもっとその先の、互いを大事にし合うような
「――あの、センリさんにとっての『望み』って何ですか? 勇者の一族を貶めた方々を全員
エスカが問う。するとセンリは腕を組んで
「それはずっと考えていた。この旅の果てに、俺は何を成すべきなのか。何を以って復讐とするのか。裏切り者に
ふと浮かんだ男の顔。辺境の町で自身に居場所を提供し、数々の書物に触れる機会を与えた神父。彼が半ば追い出すような形で説得したことからこの旅は始まったのだ。
「……キール。まさかお前は……」
とても聖職者には見えない
「センリさん……?」
「なんでもない。……そうだな。俺の『望み』は……」
当初の目的はエスカの言う通り勇者の一族を貶めた連中を片っ端から破壊することだった。それが、世界を旅して、人と出会い、別れて、未知を知り、経験する中で、心境に変化が生まれた。激しく揺れ動いていた方針は緩やかになり、この時ようやく定まった。
「歴史の真実を明らかにし、七賢者の時代を終わらせる。それが俺の『望み』、この世界への『復讐』だ」
どの時代にも語られていない真実、葬り去られた真実は確かに存在する。権力者にとって不都合なものならなおさら。それを
「……本気、なんですね」
エスカは
「歴史の真実は私も知らねばなりません。アガスティアの人間として。たとえそれが如何なるものであったとしても」
振り返った彼女の顔は以前よりもずっと勇ましく成長していた。人間として。
「どうか私に、その『望み』の旅路を見届けさせてください。あなたのそばで……」
「――悪かったと思っている」
「えっ……?」
目が合った直後、唐突に謝られてエスカは思わずきょとんとした。そもそも彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「……やはりあの時、俺はお前に手を上げるべきではなかった。たとえ
「センリ、さん……」
初めて出会った時のこと。センリは長年積もりに積もった怒りや憎しみを無抵抗な彼女に激しくぶつけた。一歩間違えば殺してしまうほどに。
「……もう、いいんです。あの時の私も使命のことで頭がいっぱいで、人の気持ちもよく知らないまま勝手に押しかけて、せがんで、あなたをまた、ひどく傷つけてしまった」
あとになって色々と知った今だからこそ分かる当時の相手の気持ち。一方的に悪いと決めつけられるほど当時の自分のおこないが潔白ではないことを彼女自身も後悔していた。
「私もあなたも。人間は時に間違いを犯します。でもそこから正しい方向へと再び歩みだすことだってできます」
エスカは深く理解を示し、彼の手をそっと優しく握り締めた。
「……センリさんに大切な人がいたことは知っています。たぶん、今でもずっと」
「…………」
ちゃんと話したことはなかったが、エスカは彼の口から時折漏れる過去を拾ってはジグソーパズルのように組み合わせて、ある時その存在を知った。
「私では、その方の代わりにはなれないでしょうか……?」
「代わりになど」
なれないと言おうとした矢先、
「――ッ」
とっさにセンリは
「――ぁァぁ」
男の残滓は小さく
「……しぶとい亡霊め」
振り返るとそこにエスカがいなかった。眉を上げたセンリがにわかに柵のほうへ駆け寄ると、さきほどの突風に流された彼女が少し下のほうにいた。寸前のところでどうにか柵の足を掴んだようだ。
「大丈夫です。自分の力で上がれますから」
この程度のことなら他人にも魔術にも頼らずともいける。見ていてください、といった眼差しを向けて彼女は一切の助けを借りずによじ登った。
「……っと。ほらっ、ちゃんとできました」
細い足場の上に器用に乗って柵越しに笑みをこぼすエスカ。けれども安心からふっと気が抜けたせいでずるりと足が滑った。ガクン、と。予想外のことに声も出ず、見上げた先にいる男が、
「――ったく」
すかさず手を伸ばして腕を掴んだ。その後、いともたやすく片手で引き上げて、今度こそエスカは柵の内側へと戻ってきた。
「だから甘ったれだと舐められるんだ」
「ごっ、ごめんなさい……。つい気が抜けてしまって……」
「己の力を過信するな」
「……はい」
しょんぼりした表情のエスカ。けれどすぐまだ手を繋いでいることに気づいて目の色がふっと明るくなった。センリもそれに気づいて手を離そうとしたが、彼女はとっさに強く握り返した。
「あ、あのっ! もうちょっとだけ……こうしていてもいいですか……?」
エスカは切なさの残る目遣いで求めた。
問いの答えは聞かなくていい。きっとまだ『その時』じゃないから。今はただこの手の温もりを感じるだけで、彼女にとってはそれだけでじゅうぶんだった。
深い闇に差し込む一筋の光。それを伝うようにして寄り添うもう一つの光が奈落の底へと向かってゆく。呑み込まれることすらもいとわずに、
「…………」
なぜだか。センリは心の内に懐かしい温もりを思い出していた。ずっと忘れていた平穏な幼き頃の覚え。二度と戻ってこないあの日々の優しさを。
たぶん『
そうした過程を経て、信念のもとに最後まで貫き通した者のことを、人はのちに『
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