ep.115 罪人だから
「スエ……! スエなの……?」
記憶の中の
「探してみたことはあったけど、ありふれた名前だから途方もなくて。まさかこんなところにいたなんて思わなかったわ」
「どうしてここが……?」
「あなたが教会にいるって教えてくれたのは彼だったから。街中で見かけて後をつけてみたの。そしたら……」
スエは一歩一歩を確かに踏み締めて近づいてくる。
「スエ。今までどこに? どうして、そんな雰囲気に……」
トロレからも歩み寄り、そっと彼女の手を取った。その手は男と見紛うほどに
「……それは」スエは言い淀む。
「何か……良くないことをしてたのね」
パイプの男に似た風貌。察したトロレは彼女の手をぎゅっと握り締めた。私からは逃げないでという思いを込めて。そうすると、彼女は喋り始めた。
「――あの日、私はフォルセットに拾われたの。
「フォルセット……」
「そうよ。想像の通りとても過激で、すごく汚い仕事もたくさんやった。いつか館へ復讐する日を夢見てね」
夢が叶う日はアガスティアの来訪とともに訪れた。ずっと待ち続けた末の
「全部、終わったの……?」
トロレが聞くと、スエは首を横に振って否定した。
「館はまだ他にもある。管理者は消えたみたいだけど……」
事実確認なのかスエはセンリを横目に見てから、再びトロレのほうへ向き直って言葉を続ける。
「廃棄処分でどこかに輸送された人たちはもう助けられないけど、まだ閉じ込められている人たちが待ってるから。悪夢から解放してあげないと」
「じゃあ、全部終わったら、私と一緒に暮らさない……? 静かに、穏やかに、この
しわの増えた顔でトロレが微笑みかけると、スエは悲しげに目を伏せて言った。
「私は……もう戻れない」
組織のために悪事を犯してきた自分がそんな日々に戻れるわけがないと彼女は思う。復讐を果たす達成感の中に深い後悔も抱いていた。
「いいえ。戻れるわ。いつだって」
「無理よ。たとえ私が良くても周りが、組織が許さない」
辞めますで済むような組織ではないことは疑う余地もない。背信者と見なされて
「どこにいようが罪そのものは追ってくる。だが人までは追ってこない」
センリは礼拝客用の長椅子に腰を下ろして、
「この吹き溜まりにこだわる必要はあるのか。一度は神を恨んだお前たちが」
見上げた先の薄汚れた
「……この国を出ろってこと?」
スエは聞き返した。国を出れば
誰もが生まれながらにして冒険者ではないのだ。多くは未知を恐れて二の足を踏む。
「もしあなたが行くと言うなら、私もついていくわ。だって独りにはできないもの」
「……トロレ」
「ここを離れるのは寂しくはなるけど。ずっと待っていた夫はもう帰ってきてくれたから」
夫の形見を握り締めるトロレ。自身に課した、帰ってくるその日までこの教会を守り通すという約束はじゅうぶんにやり遂げた。
「ダメよ。私はあなたが思ってるよりもずっと……罪人だから」
スエは握られた手を怯えた目で振り解いた。瞳の奥に映るのは優しく受け入れられることへの恐怖。取り返しのつかないことをした自分が触れれば彼女の心まで腐らせてしまうという
「もう行くわ。ここにいると揺らいでしまうから。……でも、最後にもう一度あなたに会えて良かったわ」
迷いを振り切ろうとしてスエは急ぎ立ち去ろうとする。
「待って」
振り向きざまに流れた腕を掴んで引っ張るトロレ。彼女が止まったことを確認して、
「これ。持っていって」
正装の胸もとに付けられた自身のブローチを片手でもぎ取るようにして手渡した。
「……これは、あなたの」
「私にはこれがあるから」
トロレはそう返して夫の古びたブローチを代わりに身につけた。
「全てが終わったあと。もし、私と一緒にどこかへ旅立つつもりがあるなら、それを返しにきて」
「……もしなかったら?」
「そのまま、お守りとして持っていて」
「…………」
それ以上スエは何も言えなかった。突っぱねても優しく返されるだけだと思って。
今の彼女にとってそれがどんな罰を受けるよりも辛い仕打ちだった。もはやまともに直視できず、いっそのこと全てを吐き出して壊れてしまいたいとさえ心が
「本当にそれでいいのか?」
センリが心中を見透かして言った。その言葉でどうにか持ち堪えたスエはひっそりと深呼吸をして目の色を変えると、
「もう行くわ。それじゃあね」
今度こそ思いを振り切って立ち去った。その手に約束を握り締めたまま。
「……行ってしまったわ」
同士を見送ってトロレは悲しげに呟く。
「俺も行く。渡すものは渡したからな」
センリも腰を上げてゆっくりと出口のほうへ歩いていく。
「また、お会いできる日を楽しみにしています。どうかお元気で」
「……あんたもな」
男は振り返らずに去っていった。手のひらに収まるくらいの温かな祈りを残して。
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日が過ぎ去って、この日の夜はセンリを交えた姉弟の集いが開かれる。たった3人だけの落ち着いた時間。
「無事でよかった」
「姉さんこそ」
セズナとルドル。久しぶりの再会にお互い歩み寄ってから抱き合った。
「大丈夫だった?」
「危なかったけどどうにか。姉さんこそ怪我もなさそうでよかった」
「うん。勇者がみんなを守ってくれたから」
セズナはからかうような視線を横に流してふっと笑う。
「来てくださってありがとうございます」
ルドルは姉から離れてセンリのほうへ向き直った。
「どうしてわざわざ俺まで呼んだ?」
「あの場で姉だけ呼び出すのはどこか不自然かなと。ちょうど渡しておきたいものもあったので」
「……俺に?」
ルドルは「少し待っていてください」と言って部屋の奥へ。棚から古びた
「父の形見、と言うべきなのでしょうか。生前、彼がよく見ていたものです」
センリは受け取って確認する。表紙はあるのに裏表紙はない。というのも途中から先がない不完全な状態だったのだ。
「古い時代の書物がお好きと姉から聞かされていたので、今後のお役に立てばと。他にも探したのですが、それくらいしかありませんでした」
センリはとりあえずめくってみる。
「……ほう」
思わず漏れた声。描かれていたのは魔族の姿形だった。それも普通ではない。魔族の王が従えていた名前付きの特別なものたちだった。誰が最初にそう名付けたのかは定かではないが、彼らは名無しよりも遥かに強い力を持っていたとされる。
たとえば以前出会ったミノタウロスもそこに含まれており、なんと怪物化したビザールに
「……ベヒモス」と言った。
彼らにとっては実に風変わりな耳触り。語源はいずれも不明だった。
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