ep.76 勇者の一族を決して
屋敷は木造建築で母屋の中は落ち着く爽やかな
案内された部屋に入ると、ベッドに横たわるエルフの女の姿があった。まぶたは下りていて、か細い寝息を立てている。
「こちらがフィヨルダ様。私たちの女王です」
セズナが見やる彼女のお腹は不自然に膨らんでいた。エスカがふと眉を上げる。
「これはもしかして……?」
「ご想像の通り、フィヨルダ様は子を宿しておられます。それも普通の子ではなく、いずれ次の女王になられる子を」
セズナが答えると、エスカの顔がパッと明るくなった。
「まあ……! それは素晴らしいですね。無関係ながら自分のことのように嬉しく思います。こんなことなら何かお祝いの品を持ってくるべきでしたね」
他種族の、それもエルフの貴重な
その様子があまりにおかしく
「……ところが、
「治療法は? もしくは治癒魔術による処置などは」
エスカが聞くと、セズナは首を振って否定を表した。
「お腹の子は非常に繊細で、薬を使えばその命が危うくなり、治癒魔術を使えば様々な悪影響を及ぼす可能性があります」
「……子を諦めれば助かるが、それはフィヨルダ様の本意ではない」
うしろにいたハヴァマが静かに口を挟む。
「それならどうすれば……」
「一番の治療法は栄養と魔素をしっかり摂取し、自然治癒力を回復させること。簡単そうに聞こえるでしょうが、今の状態ではそれが困難なのです」
それを聞いたあとでは、穏やかな寝息を立てるフィヨルダが
「エルフの妊娠というのは死と隣り合わせ。出産までの間、他の種族とは比べものにならないほどの栄養、そして魔素を与え続けなければなりません。それも次期女王の
「弱った状態でほとんどの精気を
フィヨルダをじっと見つめながら問いかけるセンリ。それに答えるのはセズナ。
「かれこれ数年ほど。すでに
全てが手遅れになるわずか一歩手前で彼らは重大な選択を迫られていた。
女王を取るか、お腹の子を取るか。今の
「フィヨルダ様はとてもお強い方です。たまに目を覚ましては気力を振り絞ってお食事を召し上がります。ですが口にできる量が限られているので、どうしても快復が見込めません」
「何を召し上がるんですか?」
そのエスカの疑問についてはハヴァマが代わりに答えた。
「ミモルの花だ。お前たちがあの場所で踏みつけていた」
それを聞いて2人はすぐに合点がいった。あの広大な花畑のことだと。そこに咲く花は観賞用ではなく食用だったのだ。
「お前たちと同じく我らも雑食。魔素を豊富に含むミモルの花を主食とし、普段は野草や木の実、小魚や小動物を食べている。通常ならそれで事足りるが、病気や妊娠、成長期などの状況下では栄養や魔素が欠乏することがある」
「それを補うために人を食うのか」
センリの言い方に
「悪いとは思っていない。それが我々の在り方だからだ。もし批判するつもりならば、まずは
「批判するつもりはない。俺たちも
「……そうですね。私たちも貴重な生命をいただいて暮らしています」
姿形が似ていても種族が違えば価値観や倫理観も違ってくる。そこを考えなしに否定することはできない。センリとエスカは事情を汲み取った上で一定の理解を示した。
「――あっ」
小さく声を上げたセズナ。フィヨルダが目を覚ましたのだ。重いまぶたを上げたあと、その
「……何事ですか」
消え入りそうな声でフィヨルダが問う。するとセズナが前に出て両膝をついた。見聞きしやすいように顔や体の位置を調整し、そして優しく語りかける。
「聞いてください、フィヨルダ様。こちらにおられる黒髪黒眼の方はあの勇者の一族の末裔だそうです。彼から身体の一部を譲り受ければきっと治ります。お腹の子も元気な状態でお生まれになるでしょう」
それを聞いてフィヨルダはセンリのほうに目を向けた。
「……今まで経験したことのない、不思議な流れを感じます。なるほど。どうやら話は本当のようですね」
「まだ譲り渡すと決めたわけじゃないが」
病人に
「理解します。大きな決断ですから。もし譲っていただけるのなら、こちらもできる限りのことをしましょう」
フィヨルダがそう答えるや否やハヴァマが話に割り込んできた。
「失礼ながら女王様。彼らとはすでに交渉中で、こちらが提示しているのはこの森を自由に行き来することのできる権利です。果たしてこれ以上のものがありましょうか?」
「……ハヴァマ。あなたの優しさは伝わりました。ですが不当な要求をするのはよくありませんね。そこに同等の価値があるとは思えません」
広く見ればただの
「しかし彼らは無断で我らの森に侵入し……!」
「ハヴァマ。自制してください」
思わず身を乗り出しそうになったハヴァマをセズナは手で制した。
「……ごめんなさい。疲れてしまいました。もしまた何かあれば、その時に起こしてください……」
急な眠気に襲われてフィヨルダはうつらうつらし始めた。意識が
「どうかよろしく……お願いします。この子のためなら……どんな、こと……でも……」
フィヨルダは言い終える前にまぶたを閉じてしまった。再びか細い寝息が聞こえてくる。
「それで、お前たちは何ができる?」
しんと静まり返った部屋の中でセンリが問いかける。エルフたちはすぐにその意味を理解した。先に切り出したのは意外にもハヴァマだった。
「この森の通行を許可し、また安全を保証する。それに加えて必要とあらば我々の持つ技術も提供しよう」
「お前は?」センリがセズナヘ視線を投げる。
「……私は、失った眼の代わりになりましょう。しばらくの間、あなたのそばで欠けた視野の補助を」
彼女は少し悩むそぶりを見せたあとにはっきりと答えた。
「さあ、これで満足か?」
これ以上は譲れないとの意思を見せるハヴァマ。
「満足? 冗談は大概にしろ。俺の眼はそんなに安くない。……そうだな。いい考えがある。不足分については目をつぶる。その代わり、たった一つのことを厳守しろ。それで手を打ってやる」
「何を言うつもりだ……?」
ハヴァマは我慢の限界に達していた。ここまで
そうして今、センリは言い放った。
「――勇者の一族を決して裏切るな。これはこの森にいる全ての者が対象となる」
その瞬間、ハヴァマは
「ふざけるな……! たかだかヒトの分際で……!」
その要求は
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