ep.77 準備はいいか?

「……もはやお前たちに選択の余地はないと思うが」


 首を絞められながらもセンリは冷静にフィヨルダを見やった。


 瀕死の女王と瀕死の次期女王。次の機会に賭けられるほどの時間が残されていないことは痛いほどよく分かっていた。だからこそ。


「セズナ……! だから言っただろう。ヒトとまともに交渉するなと……!」


 ハヴァマは血が出るほどに唇を噛み締めてから、その手をゆっくり放した。


「…………」


 セズナは返す言葉もなく表情をくもらせた。しかしどこかで分かっていたかのように視線を彷徨さまよわせた。


「あの、センリさん……」

「責任は取ると言ったはずだ」


 今にも泣きそうなほど心配した顔でエスカが声をかけるもセンリはかいせず。


「……分かりました。その申し出を受けましょう。ですがこちらも1つだけ条件を付け加えさせてください。眼を与えたあとにもしも回復が見込めないようであれば、裏切らないというちぎりに関しては不履行ふりこうということで」

「いいだろう。元々そのつもりだ」


 この時をってヒトとエルフの交渉は成立した。


 そうと決まればあとは早い。エルフたちは女王に摂取させる準備を急いだ。家の中とその周囲が慌ただしくなり、センリたちは静かにその時を待った。


「――よろしくお願いします」


 そう言ったのは薬師やくしのエルフで、フィヨルダの寝室に招かれた。部屋の中にはさきほどと同じ顔ぶれが並ぶ。


 摂取した際の効果を高めるために薬師が乳鉢にゅうばちで秘伝の薬を調合している。それを不安げにじっと見守っているエスカ。ハヴァマとセズナは女王のほうを向いて彼女の目覚めを今か今かと待っている。


 準備が整ってしばらくしたあと、フィヨルダは再び目を覚ました。前はいなかった薬師の存在を確認して交渉が成立したことを察知した。


「フィヨルダ様。良いお知らせです。彼の眼を譲り受けることになりました。これから召し上がりやすいように細かくすり潰して薬に馴染ませます。ですからしばらくの間どうか気を確かに持っていてください」 


 セズナが告げると、フィヨルダは無理をしてゆっくりと上半身を起こした。そしてセンリを見ながらうやうやしく頭を下げた。


「……ヒトには感謝の気持ちを伝える際にこうべを垂れる文化があると、そう聞いたことがあります。このたびのことは感謝してもしきれません」


 あえてヒトのやり方で最大限の感謝を示したエルフの女王。もしこの場にエルフを研究している者がいればひっくり返っていたに違いない。それほどにありえないことだった。


「では、そろそろ始めましょうか」


 薬師が指の長さ程度の刃物を取り出す。よく精錬せいれんされた鉄製の薄い刃だ。


「いい。自分でやる」


 それは眼球を取り出すためのものだったが、当人は必要としなかった。ならどうするのかと言えば一つしかない。


「――っ!」


 エスカは思わず声を発しそうになり手で口もとを押さえた。


「準備はいいか? 鮮度が落ちる前に済ませろ」


 センリは手を左眼の下に添えて治癒魔術を発生させながら、余った手を躊躇ちゅうちょなくその左眼の穴へと突っ込んだ。


 エスカは目を背け、さすがのハヴァマやセズナも驚きを隠せなかった。


「――ッ!」


 わずか数秒の出来事。よどみなく引き抜かれたセンリの右手は黒い虹彩こうさいの眼球を掴んでいた。


「早くしろ」


 薬師は唖然あぜんとしていたもののすぐ我に返って眼球を受け取った。予定ではこれから急いですり潰し、調合した薬に混ぜ合わせる。だがなんとフィヨルダが待ったをかけた。


「待ってください。そのままいただきます」

「え……? 今なんとおっしゃられ……」

「早く」


 女王の命令。薬師は慌ててその手を彼女の口もとへと運んだ。手のひらの上に載った眼球が滑り落ちるようにして女王の口の中に入っていく。敬意の眼差しを提供者に向けながら。


 ゴクン、と。喉が大きく波打って、詰まりそうになったところへセズナがすかさず水を差し出した。それによりどうにかことなきを得た。


「……ふう」


 一息をついて顔を上げた女王の目にはわずかだが生気せいきが戻っていた。


「フィヨルダ様……!」


 黙っていられずにハヴァマが声を上げた。セズナはほっと胸を撫で下ろしている。


「ご気分はいかがですか?」薬師が問う。

「もうすでに……少しですが、体が楽になりました。それよりも今は彼への処置を最優先にお願いします」

「承りました」


 フィヨルダに言われて薬師はセンリへ向き直った。椅子に座るよう手招いて、座らせると眼の処置をほどこした。


 薬師が言うには先日事故で亡くなった若いエルフから抜き取った眼を失ったところへ移植するそうだ。これにより視力が戻ることはないという。あくまでも保護的な意味合い。空洞くうどうのまま放っておくわけにはいかないからだ。


「ちょっと魔術を使ってみてもらえますか?」


 薬師に言われるままセンリは魔術を行使こうしした。指先に炎をともらせる小さなものを。


「――ッ」


 わずかに移植した眼が痛んだ。


「元々の相性が悪いとそうなります。ですがその眼には私どもの魔術的な特殊加工が施されていて、強引に順応させます。馴染めば痛みは消えるでしょう」

「そんなにうまい話があるのか?」


 センリの疑問。薬師は首を振って否定した。


「いずれ効力を失います。失えば再び痛むでしょう。その時はまたここへ来てもらうか、どこかで新しく眼を入れ替えてもらうか。魔術を使えば使うほど消耗し、その力が強ければ強いほど早まります」


 つまり圧倒的な強さを誇る勇者の末裔ならばすでに先のことを考えなければならない。


「あの、またえるようになる方法はないんですか……?」


 エスカがおそるおそる尋ねた。


「この状態では不可能でしょう。そもそもヒトとエルフの相性が悪い。……可能性があるとすれば、同じ種族でなおかつ酷似した性質を持つ者から移植すること。それも彼の魔術に耐えうる同等以上の魔術の才を持った」

「……そう、ですか……」


 果たしてそんな者がこの世に存在するのかという疑問がエスカの脳裏によぎった。


「しばらくはこれを着けておくといいでしょう。裏には刺激を和らげる薬を塗っています」


 薬師に手渡されたのは手作りの眼帯。センリは着けてから立ち上がった。


「10日だ」ハヴァマが口を開く。

「少なくとも10日間、フィヨルダ様の様子を見る。結果はこちらから知らせにいく。それまでは仲間のもとで待っていろ」


 結果、というのは女王に回復の見込みがあるかいなかの判断。当の本人は処置の最中に薬を飲んで再び眠りについた。以前とは違い、本当の意味で穏やかな寝息を立てている。


「あとであなたのもとへ。約束通り失った眼の補助をするために」


 帰り支度をするセンリたちに向かってセズナが声をかけた。


「ああ」


 疲れているのかセンリは素っ気なく返したあと、エスカに「行くぞ」と告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る