ep.74 よそ者は去れ

 進むにつれて魔素の濃度が少しずつ高くなってきた。魔術の資質ししつがない者たちはこのあたりで息苦しさを感じ始める。頼りにされているセンリとクロハの感知能力も通常よりも濃い魔素により妨害され、霧がかかるようにして鈍くなってきていた。


「どうりで誰も立ち入らないわけじゃ。こう、身体の感覚が狂ってゆくような」


 眼球を動かしながらクロハがゆっくりと喋る。


「確かに。加えて息苦しさも」


 オルベールは感覚を研ぎ澄ませていつでも剣を抜けるように構えていた。


「みなさん、大丈夫でしょうか」


 エスカが心配そうな顔で振り返り、何も異変がないことを確認してからまた前を見る。


 今のところ変わった様子はなく隊は順調に森の深部へと向かっていた。


 魔素の影響で景色が変化し、幻想的な世界に踏み込んでいく。それはつまり生態系そのものにも影響を与えているということに他ならず、植物の緑はより濃く、生物の透明性はより高くなってきていた。


「……綺麗じゃのう」


 周囲の光景にほうけているクロハに向かって、


「気を抜くな」


 横からセンリが低い声で注意する。それによりクロハだけでなく周囲もハッとして気を持ち直した。隊のほとんどが雰囲気に呑まれている。


「あっ……!」


 前方から声が上がった。と同時に現れた謎の光明。さきほど見た結晶の蟲とは違う別の何か。意思を持っているのか、ぐるりと隊の周りを回ったあとに先頭へ戻り、誘うような動きを始めた。


 先遣隊は一時停止。後方に連絡役を送ってエスカの判断をあおいだ。怪しいので無闇に光明についていくべきではないというのが彼らの意見。


「同意見です。それについていくべきではないでしょう。現状は無視で。何か動きがあればまた知らせてください」

「承りました」


 連絡役が先頭に舞い戻りエスカの考えを伝え、隊はその光明を無視することにした。


 予想通り光明はしつこく隊につきまとい、それを無視して進んでいると、開けた場所に出た。そこは一面の花畑。そよ風で花びらが舞い上がり、甘い蜜の匂いが鼻腔びこうを突き抜ける。


 見上げればそこにあるはずの空がなく、霧というよりは雲に近い真っ白の気体ですっぽりと覆われていた。


 ここまで休みなく歩き続けたということもあり、周囲に危険がないことを確認してからいったん休憩の運びとなった。謎の光明はいつの間にか消えており、再び姿を見せることはなかった。


 防衛のために隊は一ヶ所に寄り集まって中心にエスカたちを据えた。


「ふうむ。この風はいったいどこから吹いておるのだ」


 地べたに腰を下ろして干し肉をかじるクロハ。冒険仕様のタイトなドレスはかなり汚れているが気にする様子もない。


「この霧のような雲のようなモクモクは直射日光をさえぎっているようですが、風自体は通しているように思います」


 見上げながらエスカが返事をする。白いレースのカーテンを連想させる形状で、花々と同じく風に揺れている。


「温度や湿度、日光や魔素の濃度まで調節されているようなこの不自然さは誰かしらの管理下にある証拠だ。ここに長居するべきじゃない」


 センリが言って立ち上がった。それに続いて休憩していた隊の面々が一斉に立ち上がる。みんな薄々この場の違和感に気づいていたようだ。


「じゅうぶんに休憩は取れました。今すぐこの場を離れましょう」


 エスカのかけ声でみなが元の隊列に戻ろうとした時に突然木々の向こうから鋭い矢の雨が降ってきた。一部は瞬時に戦闘態勢に入ったが、不意を突かれたことで大多数が驚いたまま無防備になっていた。


 多少の犠牲はやむを得ないと誰もが思った。ところが目前のところで矢が見えない壁に衝突してそのまま蒸発する勢いで燃え上がった。容赦なく次々と放たれる矢の全てが無効化されて煙を上げる。


「――予防線を張っておいたがこうそうしたようだな」


 実は休憩中ずっとセンリが隊の周囲に気づかない程度の薄い魔術障壁まじゅつしょうへきを張っていた。


 相手もようやく気づいて攻撃の手が止まった。花を巻き込んで地面に散らばる溶解した鉄製の矢尻がこの森に住む者の存在を決定づけた。


 センリが矢の飛んできた方向へ歩いていく。すると、木陰から攻撃者が姿を現した。


 透き通るような青白い肌の見目麗みめうるわしいエルフたち。矢の雨に見合うだけの数が奥からぞろぞろと出てきた。当然、友好的な様子は見て取れない。


「よそ者は去れ。ここは我らの領域だ」


 どうにか聞き取れるが彼らの言葉はクロハの言っていた通りなまりが強い。


「ああ、言われなくとも。だがまずはそこを通してもらう」

「ならぬ。半数をにえとして我らに差し出し、寸分すんぶんたがわずに真っ直ぐ引き返せ」


 大人数を束ねる統率役とおぼしきエルフの男が前に出て言い放った。


「この森にもお前たちにも用はない。用があるのはその先だ。干渉するつもりなどない」

「知ったことではない。我らの森に侵入し、庭を荒らした事実がある以上、そちらの言い分を聞き入れるつもりはない」

「やはりそう来るか。だが迷惑料としてはあまりに破格だな。これは交渉台につく以前の問題だ。譲歩しない限り、こちらもその言い分を呑む気はない」

「主張に妥協も譲歩もない」


 言い合う両者。互いに譲り合う気はなく話は平行線のまま。隊のみなは不安げに成り行きを見守っている。


「悪いようにはしない。黙って通せ」

「断る」


 最後通牒さいごつうちょうのように投げられた言葉を切って捨てる統率役のエルフ。


「……なら力尽くで突破するまでだ。そもそも勧告かんこくなく先に不意打ちを仕掛けてきたのはお前たちだしな」


 センリの発言でエルフたちが構える。奇襲で魔術を使わずにあえて弓矢を使用したのは厄介な魔術師がいると踏んでのこと。魔素の動きや流れを感知されないように一定の距離を保ってきょに付け込み、確実に仕留めるためだ。かなり手慣れている。


 最初からこの展開を望んでいたかのようで彼らに驚きはない。用心はしつつも劣等なヒト如きに負けるわけはないとたかくくっている。


 その時だった。突如として尋常ではない魔力の波動はどうが周囲に吹きすさんだ。花畑どころか森ごと吹き飛ばしそうなそれはセンリの体から発せられている。


「死にたいやつはかかってこい。そうでないなら尻尾を巻いて消え失せろ」

「――何事だ。この規格外の魔力は」


 腕で波動を遮って顔をしかめる統率者。他のエルフたちはうろたえている。


「怯むなッ! それでも戦士かッ!」


 統率者が声を荒らげる。それで周囲は気を取り直して戦闘態勢に入った。しかし誰一人として踏み出そうとしない。


 恐れ。のどもとに刃物を突きつけられているような感覚に襲われているのだ。


「……こいつはいったい。魔人か、それとも賢者の……」


 平静を装いながらも統率者は冷や汗をかく。


「――待ってください!」


 一触即発いっしょくそくはつの雰囲気で今まで黙っていたエスカがあいだに割って入った。


「勝手に立ち入ったことに関しては私がこの隊を代表して謝罪します。ですからせめて慈悲じひのある申し出にしてはいただけないでしょうか? さすがに人の命でまかなうことはできません」

「……人の命。それが我らのかてとなる」


 統率者がゆっくりと喋る。やはりエルフは人を食うのだと隊のみなは確信した。


「そこをどうかお願いします。何かしら必要であれば物資をお分けしますし、何かお困りごとがあれば私たちがお手伝いします」


 毅然きぜんとした態度で流暢りゅうちょうに話すエスカ。幼少から彼女のことを知っている騎士団の面々はそこに統治者としての資質を垣間かいま見た。


「こちらにはりすぐり者たちとかつて世界を救った勇者の一族の末裔まつえいもいます。必ずお力になれるでしょう」


 そして次の句では交渉材料としてセンリのことも台の上に載せた。この場を切り抜けるために使えるものは使うという意志が見て取れる。


「……勇者だと?」


 エルフの統率者がその言葉に反応した。信用している様子はない。が、その隣にいる女の目の色が変わり彼に耳打ちをした。


「――本気か?」


 目を細めて問う統率者に女はこくりとうなずいた。


「……分かった。お前がそう言うのなら」


 統率者はエスカのほうへ向き直って、


「交渉の場をもうける」


 例外的な譲歩の言葉を口にした。

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