ep.73 癪に障る臭いだな

 エルフの森を抜けるという話はたちまち野営地内に広まった。不安に思う者がほとんどで残りは純粋に怖いもの見たさだった。


「――面白くなってきたのう。くふふっ」


 たとえばその内の一人にクロハがいる。元々はとある小国の王女だったが、並々ならぬ事情により今はアガスティアにつかえている。エスカの側近で、オルベールと同じく彼女の護衛も担っている。


「エルフの森に行くらしいではないか」


 エスカとセンリに出くわすと、クロハから声をかけてきた。


「ああ、クロハさん。もうお耳に入ったんですね」

「ちとした騒ぎになっておるのう。まあ、我としてはいい退屈しのぎになる」

「怖くないんですか?」


 エスカが聞くと、クロハはまさかと言わんばかりに首を振った。


「祖国で幾度か見かけたことがある。人々からは化け物扱いされておるが、背格好は我々とさほど変わらぬ」

「にわかには信じがたいな。やつらが他の種族の生活圏内に入ってくるのか?」


 センリの疑問。エルフは排他的はいたてきな種族として知られ、姿を現すことは滅多にないと言われている。事実この野営地にいるアガスティアの面々は誰一人として実際に彼らを見たことがなかった。


「嘘ではない。あやつらは人をさらうためにたびたび街に来ておった。捕らえた者と言葉を交わしたこともある。なまりがきつくつたない会話であったが」

「さらうって……何のためにですか?」

「決まっておる。食べるためじゃ」


 予想通りの受け答えにエスカは小さく身震いをした。


「エルフのことなら我よりも父上が詳しかった。受け売りではあるが、聞きたければ話してもよいぞ。これから縄張なわばりに踏み込むならなおさら役立つやもしれぬ」

「興味がある。話せ」

「私も興味があります」


 普段ならもったいぶるクロハも今回の事情を察してとどこおりなく話してくれた。


 広義で人という枠組みの中に存在する複数の種族。大多数を占めるヒトや妖精に近い長命のドワーフ、獣の特徴を併せ持つセリアン。そしてエルフ。


 エルフは類稀たぐいまれなる美貌びぼうと魔術の才を持つ種族。ヒトやセリアンよりも寿命が長く、ドワーフに追随ついずいする知能の高さを持つ。その性格は排他的で他の種族との融和ゆうわを好まない。


 一見するとひいでた存在だが、重大な欠陥も抱えている。生まれつき代謝の効率が悪く、それを魔素の摂取によっておぎなっている。それでも追いつかない時に人を食うのだ。魔術師であればなおのこと良し。


 クロハいわく彼らにも味の好みがあるそうで。ドワーフは枯れ草のような臭いで身が少なく固くて不味い。セリアンは獣臭くて食べられたものじゃない。そして比較的臭みの少ない柔らかで淡白な味のヒトが一番だというのだ。ご馳走として舌鼓したつづみを打つとも言われている。


 エルフが森に住むというのも、魔素の多い場所が得てして自然に溢れた森であることが多いからだ。だから地域によっては山や地下に住むこともある。


「多少話の通じる魔族といったところか」

「うむ。どちらかと言えば、我々よりも魔族に近しい存在であろう」


 数百年前の大戦で世界崩壊の一歩手前まで猛威を振るった魔族。知能が高く人とさほど変わらない姿形のものを魔人まじんと呼び、それ以外の様々な種類の異形を総じて魔物まものと呼ぶ。


「……無断で踏み入っても大丈夫でしょうか」


 ここに来てエスカは先のことを案じた。


「見つかった時はその時だ。俺が交渉の場に立つ」


 何としてでも目的地に行きたいセンリは全く怖気付おじけづかない。交渉の場に立てないのなら実力行使しかないと考えている。


「いざ立ち入ってみれば、案外もぬけのからだったりしてのう」

「そこは昔からエルフの森としてよく知られているので、おそらく今もいらっしゃるはずです。何事もなければよいのですが……」

「エスカ。ぬしは気にしすぎじゃ。ちっとは気楽に生きよ。物事は得てしてなるようになる」

「……クロハさん。ですがみなさんの命をお預かりしている立場としては」

「分かっておる、主の立場は。だからこそ肩の力を抜かねば、いつか潰れてしまうぞ」


 普段から見ているクロハは彼女が心労しんろうつのらせていることに気づいていた。特使とくしとしての重責じゅうせきもさることながら因縁の七賢者に会うかもしれないという緊張。そしてさらにエルフの森という状況がエスカを無意識のうちに追い詰めていた。


「なあに。何かあっても我やセンリ、みんながどうにかする。主はドンと構えておけばよい」


 かつて暴虐ぼうぎゃくの姫君と恐れられた冷血鉄火れいけつてっかの女も旅を通して人と触れ合う中で少しは気遣うことを覚えた。


「勝手に俺を頭数に入れるな」

「そうは言っても、結局助けてくれるのが主であろう? くふふっ」


 クロハは悪戯っぽく笑ってセンリの胸板をつつく。


「……聞くことは聞いた。俺はもう行く」


 センリはつつくクロハの手を軽くはらってから1人その場を後にした。


「あの、クロハさん。お気遣いありがとうございます。おっしゃる通り、力が入りすぎていたかもしれません。これからは少し、肩の力を抜いてみます」

「うむ。それでよい。力が入りすぎると、判断を見誤るやもしれぬ」


 クロハが口角を上げると、エスカがしんなり微笑む。同じ年頃の2人はこうして親睦しんぼくを深めていた。


「こんな時にイグニアの温泉があればのう。思い出すだけで恋しくなるわ」

「ふふっ。そうですね。ポカポカと体の芯から温まって、本当の意味でくつろぐことができました」

「こんな何もない場所などさっさと通り抜けてしまおうぞ」


 エルフの森を指差して言うクロハの表情は旅慣れた冒険者のようであった。


 ###


 夜が更けて朝になった。エスカひきいる隊の全員が気を引き締めて未知なるエルフの森攻略に挑む。緊急事態に備えていくつもの作戦が練られた。


 先遣隊が先に森に入り、生い茂る植物を切り倒して道を切り開く。


 次に騎士隊の半数が道を整えて安全を確保しがら進み、エスカたちを挟み込むのようにして残り半数が防衛に従事する。


 衛生隊や物資隊などがその後に続く。しんがりを務めるのは各隊から選抜された危機管理能力の高い者たち。魔術が使える者はエスカの周囲に配置されて臨機応変に動く。


「さあ、行きましょう」


 エスカのかけ声で全体が動きだした。まず先遣隊が森の中へと入っていく。ここから先は幅広い書物を読むセンリですら詳しく知らない領域。魔族に近い存在と聞いてからは好奇心よりも警戒心がまさっている。


「センリ殿。クロハ殿。わずかな異変でも気づき次第、お知らせください」


 オルベールは2人の実力を高く買っていた。自身の所属する騎士団の誰よりも。


「任せよ。そなたは万が一に備えて刃を研いでおれ」


 何も返事しないセンリに代わってクロハが答える。オルベールは深くうなずいて定位置に戻った。


「ぐずぐずするな。行くぞ」


 すぐ目の前が進み始めて、いよいよ隊の主軸が動く。エスカ、センリ、クロハ、オルベールが足並みを揃えて森の中へ踏み込んだ。


 うっそうと茂る森の中、木々は薙ぎ倒され、絡むつた植物は取り除かれて、ちゃんとした道ができていた。歩きやすいように足もとの小石や小枝も横にけてある。


「ふむ。臭いが違う」


 クロハの言う通り普通の森と違って独特の臭いが充満していた。花の蜜が発酵した甘ったるい匂いの中に人の髪の毛を燃やした時のような悪臭が混ざっている。


しゃくさわる臭いだな」


 鼻頭はながしらを手でこするセンリ。その臭いが眠っていた昔の嫌な記憶を呼び起こしたようだ。


「センリさん。大丈夫ですか?」

「この森にエルフが住んでいるってのは本当かもな」


 そう言うとセンリは道脇の雑草をかき分けて何かを掴み上げた。その手に握られていたのは焦げた服の切れ端。この森を訪れた旅人のものだと思われる。


 ちょうど前を歩いていた騎士の1人がふと足を止めて先の岩を指差した。そこに鉄の杭で打ち付けられていた毛髪の束。先端に焦げた跡が残っている。おそらくそれが周囲に漂う悪臭の原因であった。


「……これはどういう……」手で鼻と口を覆うエスカ。

「ガキの頃に住んでいた場所じゃ着火剤や獣避けとして使われていた」


 疑問に答えたのはセンリだった。それを聞いた周囲は眉をひそめる。誰もが今までそんな使い方をしたことなどなかったからだ。人毛すら生活のために活用しようというような発想は貧困の域を超えている。


「……主はいったいどんな場所に住んでおったのだ」

「…………」


 答えられないというよりは答えたくないというほうが正しい表現の顔だった。


「……急ぐぞ。これが人避けの見せしめなら面倒なことになる」


 センリの声が走り、止まっていた隊を再び動かす。


「センリさん……」


 彼のうしろでエスカはどう励ましたらいいかも分からずに気を揉んでいた。クロハとオルベールはまだ触れてはいけない事柄なのだと理解して口を閉ざした。

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