ep.66 もがけイグニアよ

「その声の雰囲気……セレネではないな」


 ユザンの顔をした男が目を見張る。巫女はハッとして口もとを押さえた。


「これはどういうことだ……?」


 知っているユザンは華奢な優男。目の前の男とは声も体型も違う。その答えはすぐに向こうからやってきた。


「――まんまと謀られたな」

「――ッ」


 不意にうしろから飛んできた火炎弾をセンリは手で弾いた。


 宙に浮くもう1人のユザン。それがどういう意味なのかセンリはすぐに察した。


「そうか。お前たちも、双子だったんだな」

「……ご明察。私が兄のユザン。お前が戦っていたのは弟のハザンだ」


 後から来た男、ユザンが改めて名乗った。弟のハザンは目を離した隙に消えていた。


「さて……アルテ王女よ。巫女を演じるとは大それた真似をしましたね」

「バレたなら仕方ないわね」


 巫女改めアルテは束ねた髪を解いて首を振った。


「入れ替わったとすれば……直前の衣装直しですか。あの子、ポリーンはもっと早く始末しておくべきでしたよ」


 余裕ある笑みを浮かべて首を鳴らすユザン。


「ユザン。裏で手を引いていたのはあんただったのね」

「正確には我が一族、かつてヒュムニの名を冠する賢者を世に送り出したライドール家でございます」


 当時のヒュムニは勇者の一族を追放した側にいた賢者。彼の話し方からして家柄に誇りを持っていることがよく分かる。それは傲慢の域に達するほど深いものだった。


「どうしてこんなことを……! 長い間みんなを騙すような……!」

「決まっている。ライドール家の再興だ」


 王女の問いにユザンは真剣な眼差しで答えた。もはやそこに敬いは欠片もない。


「一度は栄華を極めたが、大戦後の世継ぎと魔術継承が上手くいかずに我が一族は転がり落ちていった。再びあの世界に返り咲くには力が必要だった。他者を屈服させるような圧倒的な力が……!」

「そこで瘴気の卵に目を付けたというわけか」センリが眉根を寄せる。

「偶然の産物だったが、それに縋った当時の長が百年越しの計画を立てた。我らはこの国に名を伏せて潜り込み、古くから伝わる火の神信仰を利用して儀典の一族となった。王家に取り入って地位を確立し、神殿を建てて卵を安置する。全ては盤石となった」


 七賢者の末裔が名利のために人々を欺き、敵対していた魔族に救いを求める皮肉。変わらぬどころか堕ちるところまで堕ちたと、もはやセンリは口にすることすらしなかった。


「ところが問題が起きた。孵化させるために人々から魔力を集めていたが、機嫌がよろしくない。どうも多くの人間は微量ながら退魔の力を持っているようで、祭りの時のように大勢から一度にかき集めても吸収の効率が良くないことが分かった。だから、我らは探し出した。生まれつき退魔の力を持たぬ最適性者を」

「……それがセレネ。巫女というわけね」


 アルテが睨みつけると、ユザンはにっこりと笑った。


「集めた魔力を巫女の体で綺麗にろ過することで吸収の効率化を図り、不特定多数の目に触れ続けることも免れた。たまにいたんですよね。依代の正体に気づく厄介者が。特に知識を蓄えた移民連中は本当に目障りだった」


 嫌悪から唾を吐き捨てたユザン。移民が世論以上に不当な扱いを受けていたのは計画の妨げになることを恐れた彼ら一族の根回しによるものだった。


 醜悪な様を見てセンリは彼が放ったような火炎弾を掌から撃ち出した。


「そんなもの」


 直前で攻撃は弾かれた。ドス黒い影によって。


「通用しませんよ。本体を使役する私には」


 弟よりも密度が高い影を身に纏う兄はケラケラと笑ってみせた。


「じゃあ私はどうしてッ! 巫女じゃないのに、ずっとお城に閉じ込められて! これもあんたたちのせいなんでしょう!?」


 どこかへ消えそうなユザンをアルテが渾身の叫びで制す。


「ああ、ただの保険です。万が一の暴走に備えて退魔の力が強いあなたをね。巫女の精神的な支えになってくれるとも思ったので。賢いでしょう?」

「――ッ」言葉を失うアルテ。

「ですがこの子は気に入らなかったようで、事あるごとにあなたを殺そうとした。だから私がずっと守っていたんですよ。お城の中で」

「……城の中で雑魚をけしかけたのはお前か。恐怖を植え付けて外に出ようと思わなくさせるために」


 センリが口を挟む。外でならともかく魔術障壁の内側で襲われることにずっと疑問を感じていた。


「あいつらは低級も低級。退魔の力の有無でしか人間を判別できないのでね。あなたたちが来てからは間違えっ放しですよ。……さてと、時間稼ぎはもう十分。いよいよ、我らの時代が再び始まる」


 ユザンは身をひるがえした。すると地中から現れた黒い影の束がその全身を覆って一息に引き込んだ。


「追うぞ。場所は分かってる」


 センリはアルテを抱き上げて神殿近くの家屋に向かった。扉を開けると中にはエスカとサンパツがいた。


「予想通りに進んでいる」開口一番にセンリが言う。

「そうですか。こちらは順調にみなさんを別の地区へと誘導しています」

「祭事行列は東で止まったし、タダの物で釣ったら意外とみんなホイホイついていくのな」


 エスカとサンパツは有事に備えて南地区の住民をどうにか誘導しようとしていた。成果は上々だが、せっかく場所取りをした露店や屋台店の店主はやはり動こうとしなかった。


「ここからは俺の番だ」

「待って。私もつれていきなさい」

「断る。邪魔になるだけだ」


 センリは一呼吸も置かずにアルテからの要求を拒否して家屋から出ていった。


「アルテさん。ここはセンリさんに任せましょう」

「化け物と戦うんだろ。無理だよ。大人しくしとけって」


 エスカとサンパツがなだめるも、


「やっぱり嫌っ! あいつの末路を見届けないとすっきりしないわっ!」


 アルテは制止を振り切って家屋から走って出ていった。


「あっ!」

「おいおいっ!」


 エスカとサンパツは慌ててその後を追いかける。


 その頃、神殿の前に到着したセンリは腕を組んで待ち受けていた。ほどなくして地鳴りが始まり、周囲の魔素濃度が異常なほど跳ね上がった。


『もがけイグニアよ。絶望し憎悪し我らの糧となれ』


 どこからともなく発せられた人の声。それとともに神殿そのものが、弾けた。


 ###


 同時刻。北地区の外れに向かって駆けるルキとクロハは遠くから聞こえる噴火のような音にびっくりした。


「なんじゃ! 今のは!」

「始まったんだろっ! 神を語った悪魔との戦いがっ!」


 身軽なクロハと違ってルキは人を抱きかかえたまま踊るような心地良いリズムで風の流れに乗っていた。


「……センリ様」


 抱きかかえられた本物のセレネは心配からぽつりと呟く。


「――あの音は我らの悲願」


 前方から聞こえた声にハッとして一行は足を止めた。


「ようやく見つけたぞ。本物の巫女を返してもらう」


 目の前に現れたのは弟のハザンだった。もはや仮面を被る必要もない。


「ユザン……!」


 アルテ同様セレネは驚いたが、すぐに別の人物であることを雰囲気から察した。


「ほう。どこかで見た顔と思えば……」


 名前が引き金となってクロハは思い出す。


「それは私の兄。つまりあなたと同じですよ、セレネ王女」

「……まさか、双子……」

「家訓に勝る伝統あらず。元から我らはこの国に属していない。だが外聞や計画のために私は陰に隠れて生きてきた。しかし、これでようやく解放される。ここから私の人生が始まるのだ」


 ハザンは詠唱して炎の槍をその手の内に召喚。鋒を同じ境遇のセレネに向けた。


 悲しいかな。出会い方が違っていれば良き理解者になり得たかもしれないのに、もうその線は決して交わらない。


「巫女は絶対に渡さん」


 ルキはセレネを下ろしたあと、彼女を背後に押しやって構えた。


「我も加勢する」


 クロハも前に出て指を打ち鳴らした。バチッと威嚇の電撃が指先で跳ねる。


「2人かかってきたとて同じこと。どちらも始末するだけだ」


 呼吸を置き去りにしてハザンの姿が消えた。センリが特別なだけで本来ならたやすく捕捉できない速脚。


 息を吸った瞬間にその喉もとへ刃が差し迫った。直感により間一髪で避けたルキ。逃した視界の端に侵入する補いの二撃目をさらに回避して得意の風魔術をカウンターの要領で打ち当てた。


「――ッ。やるな。素人にしては」


 目立った負傷はない。が、見た目に反して油断ならない相手であることを理解した。


「俺を誰だと思ってやがる。魔術学院時代に成績首位を取り、嵐の舞踏と呼ばれた男だぞ」


 老いてもその目は輝きを失っていない。恐れを知らず勇猛に挑まんとする。

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