ep.60 帰するところ血筋か

「やけに詳しいな。何者だ」


 やはり只者ではないと見てセンリは眉根を寄せる。


「名乗れば死んでくれるか?」

「馬鹿が。釣り合わん」

「残念だ。だが教えてやらんでもない」


 挑発的な男は仮面を元に戻し、なぜか炎槍を虚空に消すと屋根の端へ。そこから下へ身を投げた。


 駆けつけたセンリの眼下には人の行き交う通りの真ん中で手招くやつの姿が。


「……追いかけっことは実に知性的じゃないか」


 センリは鼻で笑う。短剣を逆手に持ち替え、風を身に纏った。全身に広がっていく粘着質な炎を一切合切かき消して屋根から飛び下りる。


 煽りに乗ったと判断して男は身をひるがえした。走る途中で誰にぶつかろうが、跳んで馬車の荷台を蹴り倒そうが、飛び移って2階ベランダの洗濯物を払いのけようが関係ない。


 崩れ落ちて散らばる果物の山よろしく慌てふためく人々をよそに仮面と黒の二兎が忙しく駆ける。


 けれど先読むセンリが距離を詰めていく。追いつくまでは時間の問題。


 前方で女の悲鳴が上がった矢先、男の足が酷く鈍った。好機と見てセンリは圧縮した風を弾いて急加速した。一気に寸前まで迫り、氷の短剣を突き立てようとした時、その手が不自然に止まった。


 刃の先端が触れる間際に浮かぶ赤子の顔。男が、道ゆく女から無理やり奪い取って盾にしたのだ。


「帰するところ血筋か」


 泣きわめく赤子の背後で仮面が喋る。


「なんだと……?」

「破壊の勇者は子供を殺せなかったそうだ。それが凶器を手にした敵であったとしても」

「真に殺意を向けたならそれが子供であっても俺は容赦しない」

「憎しみの時代はその在り方を捻じ曲げたか」


 あろうことか男は赤子を宙へ放り投げた。母親の悲鳴が上がり、センリは横目で赤子を捉えて風の鳥を飛ばした。と同時に利き手から短剣を落として片一方に持ち替え、迫りくる殺意に溢れた大人を迎え撃つ。


 飛び立った半透明の鳥は建物にぶつかる直前の赤子を優しく咥えて無事に母親のもとへ。


「――豈図あにはからんや日照りはづ。れ、炎子えんしの招来」


 唱えた男の正面から豪炎を纏った人型の分身が現れた。


「――ッ」


 氷の短剣を突き刺したのはそちらのほう。温度差で激しい火花が弾けて周囲を閃光で包み込む。


 本体は素早く背後へ回り込み、燃え盛る手刀を構えた。


「捉えた」


 肉焦がす黒煙の軌跡がわずかに停滞し、急所目がけて一気に伸びてくる。


 かたや分身のほうは冷めた身体を抱擁しようと両手を広げて覆い被さってくる。


 煙火の独り挟撃。


 判断は一瞬。動きは一連。どちらを取るか。


「――くだらん」


 否、センリは両方を取った。隆起した地面が目にも留まらぬ速さで全身を覆い、双方からの攻撃を受け止めた。


 硬化した土殻つちからに阻まれる手刀と抱擁。あまりの強度に焼け焦げた跡だけが残される。


 仮面の裏で歯軋りが鳴り、その矢先に土殻が勢いよく弾けた。


 飛び散る欠片に混じって氷の切っ先が光に反射した。男はとっさに回避行動を取るが、


「遅い」


 間に合わず。センリは短剣をその胸に突き立てた。


「凍えて砕け散れ」

「がッ……がっ……が……」


 刺さった場所から波紋状に凍結していく。男は最後の力を振り絞って炎の分身に指示を与える。が、センリは空いた手を後方に、パチンと指を鳴らして強風を起こした。


 為す術もないままにかき消えていく炎の人形に男は目を見張った。


「……ん」


 全身凍結まであと寸秒といったところで、どこからともなく黒い影が現れた。それは瞬く間に男を巻き込み、黒い蒸気となって霧散した。


 仮面と衣装だけがその場に取り残される。


「……ふん。逃げやがったか」


 氷の刃にべっとり付着した黒い液体。センリは払ったあと短剣自体を溶かして水に変えてしまった。流れ落ちる先の地面では道化の仮面が目で嘲笑あざわらう。


 センリはそれを拾い上げて確信した。改変された歴史の裏には組織的な思惑が存在している、と。


 ###


 感謝祭に向けて交錯し絡み合う様々な思い。形見の特技に磨きをかける者。運命に闘いを挑むべく奮起する者。悲願のために暗躍する者。寛大な慈悲を祈る者。敬いを捨て自身に問いかける者。そして、悪意の破壊を望む者。


 日は流れて感謝祭の前日になった。この日は当日の雰囲気をより一層盛り上げるための前夜祭が民間でおこなわれる。よって神事の関係者はすでに大忙し。


 謁見の間の背後にある控室では綿密な打ち合わせが秘密裏におこなわれていた。国王を筆頭にアルテとセレネ。儀典官のユザン。護衛団団長のカルメン。着付けや作法担当のポリーン。国の裏事情を知る面々が同じ目線で椅子に座り輪になっている。


「――以上が当日の主な流れとなります。もし何かあればどうぞおっしゃってください」


 感謝祭の段取りを長々と説明したのはユザンで、周りに意見を求めた。すると妙齢の女がおずおずと手を挙げた。


「何でしょうか? ポリーン」

「なら私から1つ。アルテ様とセレネ様にお使いする化粧の原材料についてですが、やはり今からでも変更できないでしょうか……?」

「申し訳ないがそれはできない」


 ユザンが答えると、ポリーンは伏し目気味にため息をついた。


「私からすれば非常に心苦しい思いです。アルテ様のほうは消毒性が強すぎて、逆にセレネ様のほうは毒性が強くて、どちらもお肌に、お体によろしくありません」

「あなたの気持ちは察します。ですがそういうしきたりなので。それに魔の者からお守りするという大事な役目もあります」


 伝統を守り続ける儀典官としてユザンは一切ぶれない。


「お気になさらないでください。私たちは大丈夫ですから」

「ええ。ずっと塗ったままというわけでもないですし」


 セレネとアルテは心配をかけまいと彼女に微笑みかけた。


「化粧なんぞのことは置いといて。まずは目先の脅威だろう。例年になく不穏な動きがある」


 筋骨隆々の女戦士、護衛団団長のカルメンが強い口調で意見する。


「それは誠か?」国王が問う。


「西地区の住民に反乱の兆しがあります。娯楽の一件が知れたのでしょう。連中はこそこそと街中を動き回って何やら画策している様子」

「……ううむ」


 忌み子の呪いが国王の脳裏をよぎる。


「お父様。西地区の方々が反乱を起こすようにはとても思えないのですが……」

「セレネ。まともに会ったこともないのによく信じられるわね」


 言ったそばから「あっ……」と声を漏らすアルテ。この前センリに言われた言葉をふと思い出したからだ。


 面と向かってまともに話したことがなかった。なのに疑っていた自分はまさに自身の言葉に刺された形となる。ただ信疑の方向が違うだけ。


「どうされましたか?」

「い、いえ。別になんでもありません」


 小さく取り繕うアルテを、カルメンは怪訝な表情で見ていた。


「どちらにせよ、祭事行列のりは厳戒態勢で敢行します。たとえば……他国からの襲撃でもない限りは万全でしょう」


 不安を和らげようとしたのか、ユザンは現実的にありえないことを言ってみせた。しかしながら国王にとってそれは逆効果だった。


「……アガスティア」

「お父様。考えすぎです」


 横からアルテが馬鹿馬鹿しいと一蹴。一方でセレネは誘拐計画を知っていながらこの時も言い出すことができなかった。

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