ep.61 さあ、行きましょう

 日差しを浴びる小さなバルコニーに椅子を持ち出して読書にふけるセンリ。すぐ目の前で同じく椅子を持ち出してじっと空を見上げているエスカ。部屋の中ではクロハが気持ち良さそうに二度寝をしていた。


「――あっ」


 エスカがふと声を漏らす。空の彼方から魔術で象られた鳥が小包を咥えて飛来した。それはセンリの読んでいる本の上にちょこんと降り立った。


「……この反応は」


 センリが小包を取り上げると鳥は役目を終えて消滅した。本をパタンと閉じて膝の上に載せる。


「もしかしてアガスティアからですか?」

「ああ」


 小包を開けると中には便箋と硝子製の小さな円筒が5本。それから紅石の付いた耳飾りが片一方だけ。


 折り畳まれた便箋を広げると、下部にネフライの名があった。


「わあ、お手紙ですね。どなたでしょう」


 興味津々なエスカとは裏腹に、センリは神妙な面持ちで文字を読み進める。


 手紙はまず付属した品の説明から始まった。硝子製の円筒は血液を採取し保存しておくためのものだった。


 過去に勇者の一族を庇ったことで他の七賢者から呪いをかけられたネフライの血族はその解呪のために彼ら子孫の血を必要としていた。


 耳飾りはその子孫に反応するという。正確には後世に受け継がれる魔術的性質の一端を利用して、もし近くにその人物が現れれば、呪われたネフライの血をもとに生成した紅石が反応を見せるというのだ。


 センリは半信半疑でその耳飾りを左耳に付けた。するとエスカが驚いて立ち上がった。


「セ、センリさん。その耳飾りはいったい……」


 どうやら送り主のことが気になっているようで、もしや自分の知らない女なのではと勘繰っていた。


「黙ってろ。まだ読んでる途中だ」


 そう言われるとエスカはしゅんとして腰を下ろした。が、まだ気になっている様子。


 無視して黙々と読み進めたセンリが最後にたどり着いたのは本題の問い。あの神殿に安置されている神の依代について。


「……ッ!」


 返答を見てセンリは静かに驚いた。そして、


「――くっ、ククッ、ハーハッハッ!」


 堪えきれずに高笑いした。


「だっ、大丈夫ですか……?」


 急なことにびっくりしたエスカはすかさず心配する。二度寝していたクロハも意識が浅いところまで上がってきた。


「……はあ、実に傑作だ。読んでみろ」


 センリはエスカに手紙を手渡した。


「よ、よろしいんですか?」


 送り主が分かると期待して読み始めたエスカ。序盤の説明から近況報告を通して耳飾りの意味が分かるや否やほっと胸を撫で下ろした。しかしそのあと、センリが高笑いしたところで不意に目が止まった。


「……えっ、こ、これは……そんな……」


 エスカがざわつく胸を押さえてゆっくり顔を動かすと、さきほど大笑いしていた男が目に入った。


 その横顔は、たとえるなら超大作の喜劇を観賞したあとの満足感に包まれていた。


 ###


 日が沈んだその時から前夜祭が始まる。ところがすでに街中がお祭り騒ぎだった。人工の明かりが燦々と照らす中、多くの屋台店や露店が道端に並び、客寄せ用に雇われた大道芸人たちが技を競い合っている。


 祭りのために遠方からわざわざ王都へ足を運ぶ人々もたくさんいて、街中の宿はぎっしりと埋まっていた。千客万来。一時の好況を目当てに商売人は気持ち前のめりで慌ただしくしていた。


 それとは対照的に城内はしんと静まり返っていた。警備に関わらない数多くの使用人が特別休暇を取っているのだ。今頃、彼らは家族と温かな時間を過ごしたり、友人とともに街へ繰り出したりしていることだろう。


 愉快な喧騒からかけ離れた部屋に寂しく一人ぼっちでいるのは王女のアルテ。片割れは巫女として特別な祈祷に出向いている。


 扉も窓も閉め切られているせいか、そこがただ美しく装飾されただけの牢獄にしか見えない。


「…………」


 抱えたぬいぐるみを遊ばせて虚ろに暇を潰す彼女。もうそんな歳ではないというのにそういう時間の潰し方しか知らないその姿は実に痛ましい。


「……はあ。何しているんだろう、私……」


 人形遊びが馬鹿らしくなってアルテは他に何かないかと部屋中を見回す。本はすでに読み飽きた。縫い物もやめた。魔術の練習も疲れる。寝るにはまだ早い。


「……?」


 何か聞こえた気がしてアルテは振り向く。けれどそこには誰もいない。こういうことは子供の頃から何度もあった。寂しさによる幻聴だとかかりつけの医者は言っていた。


「気のせいよね」


 ため息をついてベッドに横になろうとした時、不意に部屋の扉が開いた。


「いい部屋に住んでるじゃないか」


 無遠慮に部屋へ入ってきたのはセンリだった。それを見てアルテは仰天する。


「ちょ、ちょっと、あんたっ! こっ、ここは立ち入り禁止よっ!」

「あいつは、セレネはどこにいる?」

「セッ、セレネなら今は私の中でぐっすり眠ってるわ。それよりもほら、早くここから出ていって」


 どうにかセンリを部屋から追い出そうとするアルテ。


「その茶番はもう飽きた。双子なのはとうに分かっている」

「そ、そんなわけないでしょう。馬鹿じゃないの!」

「あいつはもっと素直だったが、お前はすこぶる頑固だな。いや、臆病なのか」


 心の急所を抉るように言い放たれたその言葉にアルテは酷く動揺した。


「まあいい。お前が代わりに来い」


 センリは彼女の手を引いて強引に部屋から連れ出した。


「あっ、ちょっと……! どこへ行くつもり!?」

「来れば分かる」


 強力な魔術障壁を難なく通り抜けて到着したのはセンリの自室。中では身支度したエスカとクロハが待っていた。


「ええと、セレネさん。お待ちしていました」

「いや、待て。エスカ。もしやアルテのほうではないか?」


 エスカとクロハはどちらが来たのか分からずに困惑していた。


「こいつはアルテだ。セレネは不在だった。おそらく神殿だろう。巫女だからな」


 それに納得するエスカとクロハを見て目を泳がせるアルテ。


「ま、待って。どうして私たちが双子だってことを知っているの……?」


 言ったあとにハッとして口を押さえたがもう遅い。


「実はセンリさんから教えてもらいました」

「最初は隠すほどのことかと思ったが、そういう事情があるなら仕方あるまいな」


 2人とも柔軟に事情を汲み取っていて非常に落ち着いていた。この国の伝統とは関係のない部外者だからかもしれない。


「どうかお願いですから誰にも言わないでください」


 そう懇願するアルテのもとへエスカが歩み寄る。


「大丈夫です。誰にも言ったりはしませんよ。そのことも、今夜のことも」

「え……?」

「これからみんなで街へお出かけするんです。一緒に行きましょう」


 エスカは戸惑うアルテの手を優しく、そして安心させるようにぎゅっと握った。


「で、でも、私が外に出ると良からぬものが近寄って……」

「強力な魔除けの術でもかけておけばしばらくは問題ないだろう」


 そう言って人差し指を向けるセンリ。次の瞬間、鋭い光が迸って彼女の中に吸い込まれていった。


「さあ、行きましょう」


 無垢な笑顔のエスカに押されて、アルテは何も言わずに小さくうなずいた。

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