ep.59 その力
西地区を後にして2人が向かった次の場所はルキが足しげく通い、サンパツの妻が働いている香草の店。
店に入ると店主が笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ」
「飲んだくれのあいつは来ているか?」
「ルキさん、のことでしょうか? でしたらしばらく来ていませんが、その代わりに……」
店主の視線を辿ると、そこには酒に溺れたのかテーブルに顔を伏せる女がいた。
「ク、クロハさん……!」
慌てて駆け寄るエスカ。起こそうと揺すってみるも気持ち良さそうに熟睡している。
「馬鹿め。何をしている」センリは舌打ちをした。
「香草酒は体質によって向き不向きがありますが、まさか1杯であのようになられるとは思ってもみませんでした」
店主は申し訳なさそうに話した。彼女の背中にかけられた薄布はせめてもの補償か。
「起きろ」
強くいけないエスカに代わってセンリが彼女の頭を叩いた。テーブルから頭がずり落ちそうな勢いの激しさでクロハは目を覚ました。
「な、なんじゃ……」
目をパチパチさせながら視界に顔馴染みを捉える。
「お、おう。センリにエスカ。もう夕食の時間かえ?」
「まだ寝ぼけてやがるな」
「あ、これ。お水です」
店主の厚意で置かれていたコップを手渡すエスカ。クロハは受け取って一気に飲み干した。
「はあー……。夢心地で酔っておった。どうやら、この地の香草酒とは特別相性がいいようじゃ……ひっく」
しゃっくり交じりでクロハは話す。少なくとも平常に近いところまで戻ってきたようだ。
「寝坊はする。何もしたがらない。酔い潰れる。駄目人間に近づいてきたな」
「よいではないか。せっかく旅をしておるのだ。満喫せねば損じゃ損」
お気楽にセンリの肩を叩くクロハを見てエスカは少し心配していた。
「――うっす」
「いらっしゃいませ」
扉を開けて現れたのはルキだった。白髪交じりの髪は整えられ、無精髭は綺麗に剃られている。酒のせいでぼんやりしていた目つきも弛まずに引き締まっていて見間違えるほどである。
「ル、ルキさん。その姿は……」
「久しぶりの大仕事だ。シャキッとしないとな。そうだろ、兄ちゃん」
そう言ってルキはセンリのほうへ目をやった。
「てっきりまだ酒に溺れてると思ったが」
「酒ならもう断った。おい、適当に茶を淹れてくれ」
「あ、はい。かしこまりました」
店主は驚きつつも香草茶の支度を始めた。その横顔は今にも涙が出てしまいそうなほどに潤んでいて嬉しそうだった。
「嬢ちゃん。酒の飲みすぎはいかんぞ。ほどほどにな」
椅子に座る際にルキが声をかける。それを聞いて、
「そなただけには言われたくないわ」
クロハは怒った顔で頬を膨らました。
「わざわざ顔を見せにきたってことは本当にやるんだな、あれを」
「当然だ。そのためにこうして動いている」
「ただの二枚目野郎だと思ってたが、だいぶ肝が据わってるじゃねえか。感謝祭の日に火の巫女を連れ去ろうなんてな」
最後の発言に周囲がどよめく。
「他言無用だと念を押したはずだが」
「なあに。ここにはお前さんの仲間とこいつしかいない。こいつは信頼の置ける魔術学院時代の後輩だ」
ルキが見やったのは何を隠そう店主だった。
「ルキさんには昔からお世話になっています。魔術の指導から開店資金の援助まで本当にたくさん。ですから私にとってはただの先輩ではなく、まさに人生の師と呼べる方です」
だからこそ堕落したルキを見ていられなかった。再起した姿を見て涙を浮かべるほどに嬉しく思った。
「まあいい。ちょうどあんたにも一枚噛んでもらおうと思っていたところだ」
センリが言いだすと、店主は少し仰け反ったが「私にできることがあるなら」とすぐに快諾した。そのあと用心のために入り口の札を『閉店』に切り替えて内鍵を閉めた。
「だがなあ、万能感に浸ってた当時の俺が失敗したんだぞ。しかも今はさらに警備が厳しくなってる。どうするつもりだ」
「警備は問題ない。力業で突破する。問題はそのあとだ。当時のあんたもそこで失敗した」
「……黒い影か。実際あれは予想だにしなかった。どこから現れたのか。どこまで逃げても追いかけてきやがった」
そこから先の記憶は奈落の底。悪夢に変わり果て日々うなされることになったのだ。
「今回もその不測の事態が起きる可能性は十分にある。怖気付いて逃げださないだろうな」
「……馬鹿言え。俺はもう十分すぎるほど逃げてきた。どんな形であれ、あの日をやり直したいとずっと願っていた。その願いの上に今、俺は立ってるんだ。逃げだす理由がねえ」
そんな日はきっと来ないと後悔していた日々に差した一筋の光。暗闇にうずくまっていた死にかけの男は命がけで立ち上がり、その光に身を投げた。
「今度こそ必ず救ってみせる」
「……いい返事だ」
センリはルキの決意を認めて静かに口角を上げた。
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今日の用事は終わった。センリがそう告げてからクロハはどうにか寄り道しようと無駄な努力をしていた。2人の腕を引っ張って駄々をこねる様は幼子のようで、エスカが母代わりにそれをなだめていた。というよりはもう2人きりになれないなら寄り道をする理由もないと言わんばかりであった。
城に戻る途中でふと、センリは足を止めて言った。
「お前たちは先に戻れ」
唐突なことに他の2人はポカンとしている。
「急用ができた」
それだけ言い残してセンリは一瞬にしてその場から姿を消した。
「――消えた」
少し離れた屋根の上で男が呟いた。
「俺ならこっちだ」
センリが背後に出現すると男は驚いた。彼は帽子と長い丈の服で全身を覆い、顔を仮面で隠している。しかしながら布の上からでも分かるほどにその身体は鍛え上げられていた。
「久しぶりの再会、と言うにはまだ早すぎるな」
「……やはり朽ちても勇者の末裔か」
醜悪な娯楽の場で大臣を一時庇っていた仮面の魔術師、その人だった。
「目的は何だ?」センリが問う。
「我らが悲願の前にお前の存在は心底邪魔なのだ」
「だから消えてもらうってわけか」
「――火の精霊よ。
返事無視の上級魔術。それも詠唱を省略した呪文飛ばしの使い手。掌から伸ばすように取りだした炎の槍が空を焦がす。
「お前如きこれで十分だ」
対抗してセンリが取りだしたのは氷の短剣。詠唱破棄により一分の隙も生まれない。
煽りの台詞を吐くより先に仮面の男が動いた。構えた槍を振るって鋒の狙いを心の臓に定める。慈悲なし五分なし一撃必殺の腹積もり。
「――ッ」
避けた際にかすった炎が腕に纏わりついた。振り払っても逃げるそぶりを見せずにじわじわ広がっていく。
つまり槍に纏う炎は身を焦がす足止めの下心。柄をもたげて今度は鋒が頭に向く。
「その炎は一度触れたが最後。骨の髄まで燃え尽くす。絶対に逃さぬぞ」
「それは本当か?」
センリは息を吹きかけて纏わりつく炎の一部を消してみせた。にわかに仮面の裏が歪む。
「全て消してしまってもいいが、このひと時、制約として楽しもうじゃないか」
「……面白い」
仮面の男は身を揺らして踏み込んだ。跳び、センリの懐へ。握った柄を打ちだすようにして突く。眉間に面する鋒は氷の短剣で弾かれ、横に逸れた。
炎と氷が衝突して一息に白い蒸気が上がる。油が焼ける音と紛うほどに激しく。
「甘いな」
隙を見つけたセンリが相手の足先を踏む。あえて退かせず。漆黒に
「ぐふッ……」
判断を誤った男は強引に抜けだして後退。別の家の屋根に飛び移った。
「う、ごふッ……」
仮面の縁から溢れだした大量の血。内側から破壊される感覚に戸惑い、震える男はとっさに手を横へ伸ばした。するとどこからともなく黒い蒸気が噴き出して濃い影へ形を成した。
男は仮面をわずかに持ち上げて影を一気に吸い込んだ。
ゴクン、と。喉が波打ったあとに男の震えは止まり、
「……その力。破壊の勇者の末裔だな」
口もとの血を拭ってから言葉を発した。
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