ぶらり途中懺悔の旅 -4-
出発の日。別れの挨拶を済ませてくると言って出かけたクロハは出発の時刻を過ぎても野営地に戻ってこなかった。
「どうしたのでしょうか。出発までには帰ってくると言っていましたが……」
「……ったく。挨拶如きに時間をかけすぎだ」
心配するエスカと苛立つセンリ。騎士団の団員たちも出発はまだなのかと首を長くして待っていた。
そんな心配や苛立ちをよそにクロハは約束通りの河原でムートを待っていた。が、しかしいつまで経っても現れないことを疑問に思っていた。
その時だった。河原の上から1人の男児がこちらへ向かって走ってきた。一瞬ムートかと期待したがそれは全くの別人だった。
「あ、あの時のお姉ちゃんっ!」
男児は肩で息をしながらクロハのもとにやってきた。その男児はムートを苛めていたうちの1人。ではあるが手を上げることに最も消極的な子だった。
「き、来てっ! ムートがっ!」
「な、何事じゃ」
クロハはその男児に無理やり手を引かれてどこかへ連れていかれた。河原から町の中心部へ。さらにそこから町の片隅まで行くと神社へと続く石段が現れた。それは見るだけで嫌になるような長さと傾斜のきつさだった。
2人はどうにか石段を上がって社のある高台までやってきた。着いた時には2人とも息が上がっていて次に踏みだす一歩が重そうだった。
「あのうしろに崖があるんだ!」
「崖じゃと……?」
何か嫌な予感がしてクロハは歩みを速めた。
社のうしろに回り少し歩いた先に地面の途絶えた場所があった。そこが崖だ。崖下を覗くようにして子供たちが四つん這いになっていた。その中にはあの主犯格の男児もいた。
「つ、連れてきたよっ!」
その声で子供たち全員がうしろを振り向いた。まさかそこにクロハがいるとは思わずみんな同時に目を見開いた。
「……おい、誰が人を連れてきていいって言った。余計なことをするな」
主犯格の男児はやってきた2人をきつく睨んだ。
「何があった。どうしてみなで崖下を覗いておる」
クロハは臆さずにずかずかと歩いて崖下を覗いた。
「なッ……」
断崖の途中、突き出た木の根にムートが引っかかっていた。彼はピクリともせず気絶しているのか死んでいるのか分からない状態だ。
「おいッ! ムートッ!」
試しに呼びかけてみるが反応はない。
「なぜこうなったのか、説明せよ」
「……あいつの大事なペンダントを投げてやったら崖のほうに飛んでいったんだよ。そしたらあいつがそれを追いかけて崖の下に……」
クロハの問いに答えたのは主犯格の男児だった。さすがにここまで追い込むつもりはなかったようで声に覇気はなく不安と恐れを抱いていた。
「そうまでしてなぜそなたはムートを憎む」
「だってあいつの母さんが宝を盗んだせいで俺の父さんが……。この神社の神主をしてた俺の父さんがみんなからたくさん悪口を言われて死んじゃったんだよ……」
先祖代々受け継がれてきた町の宝。それのおかげで五穀豊穣の恵みを拝受できていると町の住民は頑なに信じていた。それがなくなったことで住民の間に大きな不安が広がり、彼の父は神主としての管理責任を問われた。
「なぜそなたの父が責められねばならんのだ」
「……知るかよ。そんなの。父さんはみんなから毎日毎日悪口を言われるせいでどんどん痩せていった。それで部屋から出てこなくなったから母さんと一緒に部屋に入ったら……」
部屋の中で首吊り自殺をしていたのだ。
本来ならば怒りの矛先は犯人に向けられるが今ここにその犯人はいない。そこで町民が何をしたかと言うと落ち度がある者を探しだしたのである。いない者をいくら叩いたとしても悔しさが込み上げるだけで心は満たされない。
けれど目の前にいる者を犯人の代わりとして叩けば幾ばくか心は満たされる。つまり怒りや不満の捌け口として彼の父は町民に利用されたのだ。
そして今、父を亡くした男児は怒りや不満の捌け口としてムートを死の淵に追いやっていた。それは残酷な悲しみの連鎖。
「さぞ辛かったであろう。そなたの父君を死へと追い込んだ犯人とやらは乱暴で思いやりがなく自分のことしか考えられん上に無関係の人間を巻き込む最低の屑じゃな」
「あんた分かってるじゃねえか。だったら一緒に」
「聞け、小童」
クロハは恫喝的な声色で喋る男児を黙らせた。
「その犯人がやったこととそなたがやったこと。どこが違うと言うのだ。答えてみよ」
「…………」
男児は答えることができずに俯いて唇をわなわなと震わせた。
過去の愚かな自分がここにいる。そんな感覚で今一度深く後悔したクロハはサッと振り向いて崖下のムートを助ける頭へと切り替えた。ここで黙って見ているわけにはいかない。
ムートのいる位置は崖の中間より少し上。絶妙な均衡で支えられているので下手に魔術を使おうものなら彼を真っ逆さまに落としてしまう。針の穴に勢いよく糸を通すような精密さを出せれば魔術による救出も可能だろうが、クロハは自分の力を過信せずに確実だと思う策を選んだ。
それは両手両足に魔力を纏い、その魔力を粘着性の高いものへと変化させて壁に張りつきながら崖を下りていくというものだった。
少しでも時間が惜しい。クロハは一切躊躇せず可及的速やかに崖を下りていく。ドレス姿なら邪魔になり危うかったかもしれないがワンピース姿なのでまだ体の自由が利いた。
突き出た木の根まで辿り着くと引っかかったムートへ慎重に片手を伸ばして腕に抱えようとした。ムートの手にはしっかりとペンダントが握られている。そのペンダントは誕生日に母からもらった大切なものだった。
「……もう、少し」
クロハはムートを腕に抱えてじりじりと手前へ引き寄せていく。
「――ッ!」
ガクン、と突然視界が下がった。それは木の根が折れたせいだった。あわやムートを落とすところだったがクロハは体の平衡を崩して支えた。しかし腕のほうに限界がきてとうとう壁から手足が離れてしまい、2人はともに崖下へ落下した。
地面までは数秒程度。ここでムートを手放せばクロハは体勢を変えて無事に生還することができるだろう。けれど彼女はそれをせずに少年を一瞬で手繰り寄せて頭からぎゅっと抱きしめた。過去の罪滅ぼし。それでもいい、覚悟は決まったと静かに目を閉じた。
地面に落下する直前、2人のそばを黒い影が横切った。
数秒経って痛みがないことに驚いたクロハは目を開けた。
「……センリ」
そこには間一髪のところを助けてくれた男の横顔があった。
「馬鹿が。挨拶に時間かけすぎだ」
「……すまぬ」
センリは謝るクロハを地面にそっと下ろした。
「――ッ! そうじゃ!」
クロハはハッとして胸に抱いたムートの状態を慌てて確認した。
「……良かった。生きておる」
胸に耳を当てると心臓の鼓動がしっかりと聞こえてきた。それでクロハは一安心した。
仰向けに寝かされたムートはしばらく経って気絶から目を覚ました。
「……あれ、ここは……。僕、どうなって……」
ムートは目を何度もパチパチさせて状況確認をした。
「気がついたか?」
「あ、お姉ちゃん。どうしてそこに?」
「主はあの崖から落ちて気を失っておったのじゃ」
クロハが指差す先の断崖絶壁をムートは見て驚いた。
「……生きてるんだ、僕。体、大丈夫かな」
試しに起き上がろうとすると体中に激痛が走った。ムートは苦しげに顔を歪めて元の体勢に戻った。最初は全身打撲に各所の骨折と酷い有り様だったがクロハが懸命に治癒の魔術をかけたことによりここまで回復したのだ。
「これ、無理をするな」
「……うん。やめとくよ。体のあちこちが痛いんだ……」
「無理をせずとも我が家まで連れていってやろう」
クロハが抱き上げようとした時、センリが屈んで人差し指をムートの額につけた。そこから膨大な魔力が彼の体内へ流れ込み全身を駆け巡った。
「……あれ、痛くなくなった」
ムートは不思議そうに手足を動かして自力で起き上がった。まだ傷跡や痣は残っているが体の機能はほぼ完全に回復していた。
「頼ることを覚えるな。立って自分の足で歩け」
センリはそう言い残して大きく跳躍しその場から姿を消した。
「……ありがとう。お兄ちゃん」
ムートは彼の消えた空に感謝してクロハとともに自宅へ戻った。
家に戻るとムートの父親が出てきた。ムートは取り戻したペンダントをその手に握りながら何があったのかを父に話した。
ムートの父は話を聞いたあと、クロハに何度も頭を下げて感謝した。
「さて、名残惜しいがこれで主とはお別れだ」
「……うん。色々教えてくれてありがとう。お姉ちゃんのこと絶対に忘れないからね」
「我も忘れぬ。これからも主には辛いことがあるやもしれぬが、負けてはならんぞ」
「大丈夫。僕にはこれがあるから」
ムートは教えてもらった魔術を自慢げに示した。クロハはよく言ったと言わんばかりに力強く頷いてみんなが待つ野営地に帰った。
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「主よ。どうして我のいる場所が分かったのだ」
ようやく走りだした馬車の荷台の中、クロハは問うた。
「魔術の気配をほとんど感じないこの町で魔力を垂れ流してる馬鹿がいたら面を拝みたくもなるだろ。たまたまそれがお前だったという話だ」
「過程がどうであれ我はまた主に救われた。……いたく感謝しておる」
「お前が素直に礼とは気持ち悪いな。明日は槍でも降るんじゃないか」
「茶化すでない。我は本当に感謝しておるのだ」
「……そうかそうか。勝手に感謝しとけ」
センリはいい加減面倒臭くなって読みかけの本を開いた。
「……むうう。エスカ。せっかく感謝しておるというのになんじゃあの態度は」
「それはその、きっと感謝されることが苦手なのだと思います。ラボワの時もそうでしたから。言葉で伝えなくても態度で示せば大丈夫だと思いますよ」
「ふむ。言葉が駄目なら接吻の一つでもくれてやろうかのう」
「そ、そそそそれは駄目ですっ!」
四つん這いで近づこうとするクロハをエスカは慌てて引き止めた。
それを一瞥してセンリは「馬鹿馬鹿しい」と言葉を漏らした。
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