ep.28 最低っ
空腹を城の食堂で適当に満たしたあと、部屋に戻ってネフライの書斎から借りてきた本を開いた。ベッドの上、枕を背もたれ代わりにして読んでいる。
ある時、コンコンと部屋の扉が叩かれた。このノックの仕方はエスカと同じだった。センリは特に気にすることなく読書に集中した。
「夜分遅くに失礼します」
しかし扉を叩いた人物はエスカではなかった。
「……こんな夜更けに第一王女様が何の用だ?」
そう。その人物はエスカではなく姉のエルサだった。正装ではなく普段着用の機能的なワンピースを着ていた。
「お願いがあってここへ来ました」
「お願いだと?」
「単刀直入に言います。エスカにはもう関わらないでください」
エルサは抑揚のない声で言い放ちセンリを睨みつけた。
「それはまた唐突だな。何か気になる報告でも上がったのか?」
「先日の街での騒動。そのすぐ近くにエスカがいたと聞きました。それだけではありません。騒動の原因があなたにあるということも聞きました」
「それは語弊があるな。正確には頭のいかれた連中が俺を原因に仕立て上げた挙げ句、勝手に騒動を起こした、だ」
「それでもあなたがエスカを危険に晒したことに変わりはありません。どうかあの子のそばから離れてください。危険な目には遭わせたくないのです」
「それはあいつに言え。お門違いだ。それともなんだ近づくたびに蹴り飛ばせとでも言うつもりか?」
「その必要があれば。しかしその程度のことではあの子はめげないでしょう。ですからあなたにはエスカの手の届かない場所へ行ってもらいたいのです。できるだけ、遠くに」
「……この国から出ていけと、消え失せろと、そう言いたいわけか」
「そのような解釈で結構です」
エルサは一歩も引かない堂々とした態度で言い放った。それにはさすがのセンリも、と思いきや当人はいたく失望している様子だった。
なぜならそれは勇者の一族への二度目の追放宣言に他ならなかったからだ。しかも当時の関係者の血縁による。
「馬鹿馬鹿しい。聞いて損したな」
センリは心の底から大きなため息をついて読書を再開した。
「なっ! もう一度、今度ははっきりと申し上げます。よく聞いてください。エスカのためにこの国を出てください。そして二度と私たちの目の前に現れないでください」
エルサは怒りを堪えながらはっきりと言い直したがセンリはそれを無視した。
「本当にあなたという人は……ッ! いいですか。私の話を聞きなさい。これはもはやお願いではなく命令です」
それでもなお無視し続けているとエルサはベッドのわきまで歩いてやってきた。そしてなんとベッドに土足で上がりセンリから本を取り上げて投げ捨てた。
「これでようやく聞いてもらえますね」
見た目に反して勝気な彼女は高飛車に出た。
そこまでされて黙っているセンリではない。エルサの腕を掴み強引に押し倒した。
「な、何をっ……!」
「いいぜ。その話を呑んでやるよ」
「そ、それは良かったです。取り上げた甲斐がありましたわ」
予想外の行動にエルサは若干の動揺を見せた。
「だが無条件でその話を呑むわけにはいかないな」
「……つまりこの私と取引がしたいと。よいでしょう。申してみなさい」
「…………」
センリは何も言わずエルサのワンピースの裾から内側に片手を差し入れた。
「あ、あなたいったい何をっ!」
「この晩、俺を満足させることができたらその話を呑んでやる」
「ふ、ふざけないでっ! そんなことが許されると思って……んっ……」
思わず出た声に驚いたエルサは慌てて自らの口を塞いだ。
「そそる声も出せるじゃないか」
「ち、違いますっ! これはあなたが……!」
嫌でも反応してしまうエルサ。抵抗しようにも圧倒的な力で肩を押さえつけられていて逃げることができない。なんとかしようと足をぎゅっと閉じてはみたが意味をなさなかった。
「こ、こんなことをしてただで済むと思っているの……?」
頬を紅潮させながらもエルサはセンリを睨みつけた。
「娘のお前が俺に国を出ていけと言ったなんて国王が知ったらどう思うだろうな。土下座して命を懸けてまで詫びたというのに」
「そ、それは……っ!」
「さて、そろそろか。だいぶマシになったしな」
「い、言わないでっ! そんなことっ!」
「高飛車な第一王女様の唇はさぞかし高貴な味がするんだろうな」
センリはゆっくりと顔を近づけていく。
「い、嫌っ!」
エルサは顔を背けて必死に抵抗した。しかしそれでも止まらないことに絶望し潤んだ目から涙を流した。
「お願いッ! やめてッ!」
最後の叫び。もう無理だと分かっていても足掻いた。唇が触れ合うまであとわずか。
そこでピタリとセンリの動きが止まった。
「えっ……?」
「やめて、と言うからやめたまでだ。取引の話もなかったことにする」
「ーーッ! ま、待って……!」
離れていくセンリを、エルサは手で強引に引き戻した。
「そ、その条件を呑みます。ただし、そのあかつきには必ず約束を守ってください」
「満足させることができたらな」
「あなたのような男ごとき、私にできないと思いまして?」
「……傲慢な女だ」
その一言のあとにセンリは取引の再開をした。
「ーーっ」
口を塞がれたエルサは声を失う。抵抗が無意味なことを本能的に理解し、これを受け入れれば愛しい妹から悪魔が遠ざかってくれるかもしれないという微かな希望に縋った。
男が女に覆い被さる。紅い華が散り、軋む寝具、躍動する身体に荒い息だけが木霊のように繰り返される。助けは求めない。目の前の男のうしろには愛する妹がいるから。たとえこの身が汚されようとも構わない。
王女は体から力を抜いて現実を受け入れた。思わず出そうになる声を必死に我慢して自らは何もせずに終わりの時を待つ。それは男に対する小さな抵抗。尊厳からくる精一杯の抵抗だった。
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「……これでもう……満足していただけましたか……」
ようやく終わりの時を迎えてエルサは解放された。が、目の前の男は事の始まる前よりも不機嫌な顔をしていた。
「何が満足だ。笑わせる。喘がぬ、動かぬ、何もせぬの自惚れが」
「……え?」
「自尊心が邪魔したか? 所詮、お前のあいつに対する覚悟はその程度のものだったというわけだ。結局我が身可愛さで保身に走る」
「……そんなことは……」
「実につまらないものだった。これなら娼婦でも買ったほうがマシだ」
センリは服を着直して何事もなかったかのようにベッドから降りた。
「ま、待ってください! や、約束は……ッ!」
「妥協すらできないお粗末なもので約束など守れるものか」
「……そ、そんな……」
「他人には泥沼に頭から浸かれと言う。そのくせ泥が跳ねることすら自分は拒む。それがどれだけ理不尽なことなのか、そもそもお前は理解しているのか? いや、そもそもそういう認識すらないのか」
「……も、もう一度だけ機会をいただけませんか? お願いいたします。今度はちゃんとしますから……」
「二度目はない」
「…………」
エルサは口をつぐんで静かにベッドから降りた。乱れた服を着直して部屋の出口へ。その目は赤く充血し頬には涙の流れた跡が。
「……最低っ」
エルサは吐き捨てるように言って部屋から出ていった。乱暴に扉を閉めたせいで辺りに大きな音が響いた。
その音のせいでふたつ隣の部屋からクロハがやってきた。ネグリジェ姿で眠そうに目を擦っている。
「主よ。ついさきほどこの付近からすごい音がしたが」
「扉の閉まる音だ」
「なるほど。扉の音か。もしや誰か来ておったのか?」
「…………」
「うーむ。その顔は本当に誰かが来ていた顏。おそらくエスカではないな」
クロハはセンリの顔をじっと見て言い当てた。いわゆる女の勘というやつだろう。
「驕り高ぶった生娘ほどつまらんものはないな」
「……それだけ言われても分からぬ。まあよい。何かあったなら話を聞いてやろう」
「結構だ。部屋に戻って寝ていろ」
センリは風の魔術でクロハを部屋の外へ押し出して扉を閉めた。
「……ぬう。せっかく来てやったというのに」
閉ざされた扉の前でクロハは不満そうに頬を膨らませた。
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