ep.23 マナサ家の繁栄と衰退

「――ッ!」


 エスカは声にならない悲鳴を上げて反射的に起き上がった。


「あ、あのあの、これはその、つい出来心で。す、睡眠の邪魔をするつもりは。そそそそれよりも朝食はいかがですか?」


 慌てふためくエスカに対してセンリは冷静にこう言った。


「もう昼過ぎだぞ」

「そ、そうでした! で、では昼食はいかがですか?」

「昼食はいい。腹は空いてない」


 センリは上半身を起こして背伸びをした。


「あの……本当にごめんなさい……」

「謝るくらいなら最初からやるな」


 センリは冷めた目つきでベッドから降りて上着を羽織った。


 怒られるという予想が外れてポカンとしていたエスカだったが、外出の準備を整えるセンリを見て我に返った。


「あのっ! センリさんっ! 天気も良いですし一緒にお出かけしませんか?」

「1人で行け」


 センリはコップに水を注いで渇いた喉を潤した。


「散歩をするのも良いですし。商店街に行くのも良いですし。そうそう。先日素敵な古書堂を見つけたのです。もし良ければそちらにも」

「古書堂だと?」

「はい。見たことがない本がたくさんあって、絶版で今はもう手に入らないものもありました。入り組んだ場所にあるので私がご案内します」

「…………」


 センリはそっとコップを置いて考えた。古書という非常に興味を引かれる言葉。王都の古書堂とあって品揃えは期待できる。闇に葬られた貴重な書物もあるかもしれない。どうするべきか。


「……俺をそこへ連れていけ」


 得るものの大きさを考えた結果、センリはエスカとともに行くことを決めた。


「はい! 一緒に行きましょう」


 エスカはパッと笑みを浮かべた。


「さっさと行くぞ」


 センリがそう声をかけるとエスカは慌ててベッドから降りて服と髪を整えた。


 2人は部屋を出た後、城の者が普段の出入りに利用する裏玄関に向かった。その途中で暇を持て余すクロハとばったり顔を合わせた。


「主ら、どこへゆく?」

「今からセンリさんと街の古書堂へ行きます」

「ほう。面白そうではないか。我も加えよ。退屈でたまらん」

「え、あ、はい。私は構いませんが」


 そう言ってエスカはセンリの目を見た。


「どうせ来るなと言ってもついてくるんだろ」

「分かっておるではないか。ではともにゆこうぞ」


 クロハはにやりと口端を上げて裏玄関のほうへ歩きだした。そのうしろでエスカは小さくため息をついた。


 裏玄関に着くとエスカは使用人から慣れた様子でローブを借りた。街では顏が知られているので身分を隠すために使うのだそうだ。


 3人は裏玄関を出てから裏門を門番に開けてもらい、そこから街に出かけた。緩やかな坂をぐるりと下って城下までやってきた。ローブを目深に被った王女に気づく通行人は今のところいないが、クロハの派手なドレスはよく目立ち周囲の視線を集めていた。


「こちらです」


 案内役のエスカに先導されて迷路のような路地を抜けると古ぼけた看板が見えた。古代文字で『古書』の名を掲げるその店の佇まいは重厚でそれと知らずに訪れた者も引き寄せてしまいそうな雰囲気がそこにはあった。


「風情のある古書堂じゃのう。我の国にこのようなものはおそらく存在せぬ」


 クロハは古書堂を見上げて言った。


「さあ、中に入りましょう」


 エスカは頭を覆ったローブを脱いで一足先に中へ入った。続いてセンリとクロハも中に入った。


 古書堂の中は埃っぽく本の経年による独特のすえた臭いがした。エスカやセンリは平気そうだがクロハは顔をしかめていた。


 並み立つ背の高い本棚には大きさも形もまちまちな古書が収まっていた。現代の書物は当然として近代の書物から時代や著者も不明な書物まで数多く揃っていた。


 センリとクロハの2人が本棚の間を通って奥へ行くとエスカがいた。エスカは古書堂の持ち主と台を挟んで話していた。


 古書堂の持ち主はドワーフで長く立派な髭を蓄えていた。身長はエスカの半分ほどだろうか。人の倍近く生きるが故に見た目から年齢を窺い知ることはできない。


「うしろにいるのはお友達かい?」

「はい。そうです」

「そうかい。好きなだけゆっくり見ていきなさい」


 店主のドワーフはセンリとクロハに向かって声をかけた。穏やかなその声は響くことはなくそっと掻き消えた。


 ドワーフは血を好まぬ平和主義の種族で基本的に争い事には絶対に加わらない。気性は穏やかで鍛冶や工芸を得意とし魔術にも造詣が深い。寿命は長いが生殖能力が極めて低いがためにその数は多くない。


 またこの世界では異なる種族がともに暮らすことは珍しい。大抵は種族ごとに固まって生活している。そのほうが種族間の余計な亀裂を生まずに済むのだ。


 大国アガスティアにも様々な異種族が住んでいるが、全体から見れば彼らはほんの一握りでしかない。


 珍しい店主の元を後にして3人はそれぞれが好む本を探すために別れた。センリは魔術書や歴史書を見に、エスカは小説を見に、クロハは服飾関係の本を見にいった。


 本を夢中で探し読むセンリとエスカに対してクロハは早くも飽きかけていた。その時に何か面白いことを閃いたのか悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「エスカ。これを見てみい」

「はい? なんでしょう」


 呼ばれて振り向いたエスカは途端に顔を真っ赤にした。


「や、やめてください」

「くふふ。良い反応をするではないか。ほれほれ、もっとよく見よ」

「お願いします。やめてください」


 顔を背けるエスカにクロハはしつこく何度もそれを見せた。


 クロハが手にしていたのはいわゆる猥本であった。その猥本は内容が過激すぎるあまり絶版になった一品。好む者からすれば喉から手が出るほどほしい珍本である。


「もうっ!」


 エスカはとうとうその場から逃げだした。


「初心じゃのう。どれ、買って帰ってまた遊んでやるとしよう」


 クロハはくすくす笑いながら本の裏表紙に目をやった。がしかしそこに貼られていた値札にきょとんとしていた。


 一方でセンリは真剣な眼差しで本を探していた。今まさに本棚から1冊の本を取ろうとしている。とその時、目的の本と一緒についてきた隣の本を落としてしまった。それを拾い上げて戻そうとすると本の題名が視界に入った。


「……マナサ家の繁栄と衰退」


 センリはふと手を止めて題名を読み上げた。目的の本を本棚に置いてからその本の表紙を捲ってみると目次があった。目次の中で最初に目を引いたのは悲しき運命に囚われた短命の一族という文字。


 センリはその本を流し読みした。それだけでもマナサ家に関する多くの事実が見えてきた。


 マナサ家はたびたび出現して人々に様々な悪影響を及ぼす黒い濃霧の正体を突き止めた功績で財を成した。その黒い濃霧は今では瘴気と呼ばれており、魔術の源となる魔素が何らかの要因によって過剰に増殖し突然変異したものだとされている。


 さらにマナサ家は得た財で英才教育を施し逸材を輩出した。その内の1人は賢者の位まで上り詰めた。


 ところがここからマナサ家の衰退は始まる。それ以降の当主と血縁者はみな短命で早ければ20歳、遅くても30歳にはその命を落としていた。世界でも類を見ないほどの早さで世代交代を繰り返した結果、何も成功を掴むことができずに以後名家としての力を失い没落した。


 センリは最後のページを確認した。発行年月日は不明。著者はアレクサンダー・フィンボルト。冒険家だ。


 次にセンリは裏表紙を見て値段を確認した。驚くなかれその価値金貨5枚なり。どうやら絶版本のようだ。


 本を脇に挟み懐の革袋から有り金全てを掌の上に落とした。金貨3枚と銀貨が6枚と銅貨が2枚。為替にもよるが銀貨は10枚でだいたい金貨1枚分の価値。そのため全て合わせても金貨4枚にも満たなかった。


 本来ならもっとあったはずの持ち金をじっと見つめながら悩むセンリ。この金を内金にして取り置きをしてもらうか。一旦帰ってあとで戻ってくるか。そんなことを考えていると突如として上から金貨2枚が降ってきた。


「これで足りますか?」


 振り向けばすぐ隣にエスカがいた。


「借りを作る気はない」


 センリは施しの金貨をエスカに返した。


「本当によいのですか? とてもほしそうな顔をしていましたが」

「…………」

「もしこの後も付き合ってくださるなら返済せずとも帳消しで構いません。せっかくのお出かけ。ここだけで終わりは寂しいですから」


 興味のある古書堂から出ればセンリが城に帰ってしまうことをエスカは予期していた。


「……いるだけでいいんだな」

「はい。あともう少しだけ私のそばにいてくだされば」

「分かった。だが借りた金は必ず返す。それはその利子分だ」


 センリはエスカから不足分の金貨2枚を受け取り店主のもとへ向かった。


「一応、礼は言っておく」ふと背中越しに聞こえてきた無機質な声。


 おざなりだったがセンリに初めて感謝されたとあってエスカはその場で大いに喜んだ。


「はい。どういたしまして」

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