ep.22 どうかあの夢のようにはならないで
数時間に及ぶ戦いの末にセンリは元手の十倍近い金を手に入れた。これだけあれば1か月は楽に暮らせるだろう。
外はすでに暗くなり歓楽街は賑わいをみせていた。昼間の倍以上の人々が行き交い、街灯は艶めかしく光り人々の欲望を掻き立てているかのようである。平民だけでなく貴族もお忍びで遊びに来ていた。
「……さて」
これから何をしようかとセンリは歩きながら考えていた。懐にしまった大金があればこの街で存分に遊ぶことができるだろう。
「あ、あの、いかがですか。あ、あの、もし良かったら」
通りで花を売る女。それがセンリの目に留まった。
歓楽街で花を売る者は疑う余地もなく娼婦である。花売りは客を引く話術に自信のない者や表だって誘惑する勇気のない者がする行為。彼女もまたその1人だった。
「あの、お願いします。ど、どうか一本だけでも」
女は何とかして通行人を引き止めようとするが誰も彼女には見向きもしない。女の体つきは貧相で豊満な肉体が好まれるこの場所では特定の層にしか需要がないのだ。
その昔、センリが血反吐を吐き這いずるようにして生きてきた場所でもこの手の商売は盛んで、女だけでなく男娼もいれば別種族の娼婦もいた。
かつてその中に親しくしていた者がいたことをふと思い出し、センリは彼女に歩み寄って、懐から大金の入った革袋を取りだした。
「全部でいくらだ?」
「あ、はい! 全部買っていただけるのならいくらでも。……でもできれば銀貨でお願いしたいです」
「客の言い値に任せると買い叩かれるぞ。稼ぎたいならはっきりしろ」
「は、はい。そうですね。じゃあ銀貨5枚でお願いします」
おどおどする女にセンリは銀貨5枚を支払った。籠に入った花を全て買う行為は一晩を買うという意味合いになる。センリは女の一晩を買ったのだ。相場からして値段はやや割高だが妥当の範囲内。
「あ、ありがとうございます」
女は笑みを浮かべて礼を言った。センリはそこからさらに革袋の紐を緩めてその女に大量の金貨を見せつけた。
「もしほんのわずかでも俺を満足させることができたら追加でこれもやる」
「ほ、本当ですか……! これだけあれば弟たちが……」
女はくすんだ目を輝かせて嬉しさを表した。
「ちゃんと聞け。少しでも俺を満足させることができたら、な」
劣悪な環境で生きてきた仲間への善意でも同情でもない。あくまで客の1人として機会を与えるだけ。
面倒な客が来たかもしれない、と女は不安そうな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直した。全ては家族のため。
「は、はい! それは分かっています。精一杯頑張らせていただきます」
街に詳しくないセンリは宿まで女に案内してもらい部屋を一晩借りた。
そうしてその晩、センリは銀貨5枚の女を抱いた。
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明朝に城へと帰ったセンリはバルコニーから自分の部屋に戻った。睡眠を欲する体を横たえようとベッドまで歩いていくとそこにはぐっすり眠るクロハの姿があった。我が物顔で布団に包まり穏やかな寝息を立てている。
いっそのこと外に放り出してやろうか。そのようなことをセンリが考えているとクロハは人の気配に気づいて目を覚ました。
「……ぬう。誰かと思えば主か」
「自分の部屋に戻れと言ったはずだが」
「主の申した通り一度部屋には戻ったぞ。着替えてからまた戻ってきたが」
「屁理屈にも程がある。そもそもお前の部屋はふたつ隣だろうが」
「別によいではないか。これだけ広ければ我1人が寝ていたとて邪魔にはなるまい」
寝起き特有のゆったりとした話し方でクロハは両手を広げて見せた。それでもベッドにはまだまだ十分な余裕があった。
「どけ。そういう問題じゃない」
「嫌じゃ。この心地良い温もりを手放しとうない。主が添い寝をしてくれるのならば考えてやらんでもないが」
「ふざけるな」
センリはネグリジェ姿のクロハを強引に抱き上げた。軽く抵抗はするもののクロハは満更でもなさそう顔をしていた。
「……む。酒と女の臭い。主よ、どこへ行っておった?」
クロハは射殺すような目つきでセンリを見上げた。
「…………」
センリは何も答えずに足で扉を開けて廊下に出た。
「のう。教えてくれてもよいではないか」
「俺が何しようと勝手だろ」
「そんなに隠すことでもなかろう。それとも我やエスカを気にしておるのか」
センリは無言でクロハの二の腕を抓った。
「痛っ、……むう。我は心を入れ替えてこれほど心を開いておるというのに、主はちっとも応えてくれぬ」
クロハは不満そうに足をバタバタさせた。
「……これがかつての暴虐の姫君とはな。その名も形無しだ。つまらんな」
センリはため息をついてクロハの部屋の扉をまたもや足で開けて中に入った。
「そうさせたのは主であろう。責任をとれ」
「お断りだ」
センリは即答してクロハをベッドに下ろすとすぐに踵を返した。
「……意地悪」
クロハは天井を見上げながらぽつりと呟いた。
邪魔者がいなくなりこれでようやく眠れるとセンリは自分のベッドに横になった。睡魔はすぐそこまで来ていて意識が落ちるにはそう時間はかからなかった。
昼過ぎになると意識が浅いところまで上がってきた。丁度その時に部屋がコンコンと軽くノックされた。聞こえてはいても動きたくないのでセンリは無視した。
そのまましばらく放置していると取っ手が勝手に動いて扉が開いた。扉の隙間から姿を現したのはエスカだった。
「あ、あの、センリさん……?」
エスカは恐る恐る部屋の中に入り辺りを見回した。そうしてようやくセンリがベッドで寝ていることに気づいた。
エスカは抜き足差し足でベッドに近づいた。だがベッドが大きいが故にそこからではセンリの顏はよく見えない。
「……よしっ」
エスカは勇気を出してベッドの上に乗り、センリの顔がよく見える場所まで静かにすり寄った。目を閉じていても声でエスカが来たとセンリは知っていた。
「……ふふ、安らかな寝顔」
添い寝するようにして横になりセンリの寝顔を見つめるエスカ。
「……あなたは私の勇者様。私はあなたのお姫様。こうして出会うことができたのは天の巡り合わせなのでしょうね」
エスカはふと昔のことを思いだした。
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幼い頃、母の実家に遊びに来ていたエスカは姉とはぐれて迷子になっていた。広い家の中を彷徨っていると開かずの間への上り階段を見つけた。母に危ないから行ってはいけないと注意されていたが、好奇心から階段を上がった。
階段を上がった先にあったのは明らかに他とは違う装飾が施された扉。それには魔術的な錠をかけられていた。秀でた魔術の才があった幼いエスカはそれを解いてしまい、部屋の中に入ってしまった。
そこで目にしたのは家宝として大事に保管されてきた1つの石版。部屋の中央に飾られていて不思議な空気を漂わせていた。
幼いエスカはあとで怒られると分かっていてもなぜか歩みを止めることができず、何かに導かれるまま石版に手を触れた。その瞬間、ある女の悲しい恋の記憶が頭の中になだれ込んできた。
当時の彼女にそれが理解できるはずもなく混乱した末にその場で気絶した。
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でも成長した今なら分かる、あの時に見た長く果てしない悲恋と後悔の旅。そしてその思いを。
「……どうかあの夢のようにはならないで……」
エスカが手を伸ばし髪に触れようとした時、センリはパチッと目を開けた。
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