ep.17 その新しき人生を
広場での一件から1週間が経過した。クロハが謝罪したという知らせは瞬く間に広がり国中の知るところとなった。民間が発行している新聞には今でもなおその一件が大きく取り上げられていた。
渦中のクロハには国王より直々に国外追放の処分が下された。それは謝罪だけでなく正当な罰を受けるべきという国民感情に配慮した結果だった。そのおかげで未だにクロハを赦せないとしていた民も納得の感情を見せた。
大変革による大混乱が起きる前に発つよう国王に促されてエスカたちはこの日出発することになっていた。
宿の前で出発準備が行なわれている最中、遠くからクロハが馬車を引き連れてやってきた。
「あ、クロハ様。丁度良いところへ」
「クロハでよい」
「では、クロハさん。お加減のほうはいかがですか?」
「身体のことを言っているのなら元より大した怪我ではない。それよりもあの男は何処に?」
「センリさんのことですか? それならあの馬車の荷台に」
エスカが指差す先、厚い布で何重にも覆われた荷台の中ではセンリがあくびをしながら街で購入した小説を読んでいた。
「邪魔をするぞ」
クロハはすたすたと歩いて荷台に上がり込んだ。センリは一瞥して再び手もとの本に目を落とした。
「この1週間。我は幾度となく顧みた。そのたびにそなたへの憎悪は薄れていった。それはなぜかと我は自らに問うた。そしてようやく理解した。そなたが我にとって最善の道を切り拓いていたからなのだと」
「……馬鹿馬鹿しい。そんな話をするためにわざわざ来たのか」
「そなた……いや、
「…………」
「我はこう考える。主は最初から我に救いの手を差し伸べていたのではないかと。この身を打ったことも。わざわざ謝罪させたことも。悪逆無道な振る舞いも我への憎悪を自らに向けるための計算だったのではと」
「……実に下らんな。言いたいことはそれだけか」
「それだけだ。最後に会えて良かったぞ。さらばだ」
終始目を合わせることなく終わった会話。クロハはそれでよいと満足げに踵を返した。
「待ってください!」
エスカは自分の馬車に戻ろうとしたクロハを引き止めた。彼女は振り返る。
「主とももっと言葉を交わしてみたかったがもうお別れだ。我はこれより国を出る」
「違うのです! あなたにこれを」
エスカはクロハに駆け寄ってある物を手渡した。それは丸められて封蝋で封じられた書状だった。
「……これは開けてもよいのか?」
「はい」
クロハは封蝋を外して丸められた書状を開いた。
「……こ、これは……!」
「お二人が謁見の間から去ったあと、陛下にこの話を提案されました。私としては陛下のお力になりたいと思っていましたので、ぜひという気持ちで署名させていただきました」
クロハの受け取った書状にはアガスティアの王家がクロハの身柄を引き取るということが書かれてあった。最後にはクシャナ国王とエスカ、両人の署名が直筆でなされていた。
「主の一存で決めてもよいのか?」
「私の父、アガスティアの王は心の広いお方。事情をお伝えすれば必ずや理解してくださるでしょう。いざとなれば頼れる方もすぐそばにいます」
エスカはふふっと笑ってセンリのいる馬車のほうを向いた。
「……しかし、我が行って本当によいものか。たとえ罪が赦されようともそれを犯したという事実は変わらぬ」
「クロハさん。今あなたが生きている場所は過去ですか? 違うでしょう? 昔の愚かなあなたはもう死にました。今から新しい人生を始めるのです。そのためにもしっかりと前を向いてください」
「……主よ」
「私のことはエスカと呼んでください。クロハさん」
「エスカ。主の助言に感謝する。我は歩もう。罪滅ぼしとともに、その新しき人生を」
「この先、きっと辛いことがたくさんあるでしょう。けれど直向きに生きていれば良いこともたくさんあるはずです」
「父上の歩まんとする道を思えば、たとえ何が起こったとしても我は強くいられる」
「そうでした。陛下はこれから……」
「心配せずともよい。父上は英明でお強い。そう易々と死にはせぬ」
「……そうですよね」
「仮に我がここに残ったとしても何もできることはない。それにあの方にとって我は絶対的な弱みでしかないのだ。かつての母上のように」
クロハが国外追放をすんなりと受け入れた理由。それはこれから大変革を引き起こす父の重荷にならないようにするためでもあった。
「ともに行きましょう」
エスカはそっと握手を求めた。クロハは頷いてその手を優しく握った。
「して、我は主らについてゆけばよいのか?」
「はい。隊列に沿っていただければ」
「我の行動の自由については。制限はあるか?」
「基本的には自由ですが、単独行動だけは避けてください」
「了解した。ならば我はあちらへ移ろう」
「あちら、とは?」
首を傾げるエスカをよそにクロハはすたすたと来た道を戻った。そしてセンリの乗る馬車の荷台に上がり込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
エスカは慌てて追いかけた。
「今日からここで世話になる」
再び現れたクロハ。センリは誰か確認するや否や眉間にしわを寄せた。
「クロハさん。どうしてここへ」
「ここ以上に安全な場所はあるまい。違うか?」
「そ、それは確かにそうですが……。ここは私たちの馬車ですので……」
元々強気な性格のクロハにエスカは弱気な姿勢を示した。
「おい。俺専用の馬車を寄越せ。俺はそっちに移動する」
センリは本をパタンと閉じてエスカに要求した。
「申し訳ないのですが、馬車に空きはありません。なにぶんにも必要最低限の数で来ていますので……」
エスカは言葉通り申し訳なさそうに目を伏せた。センリは次にクロハへと目を向けた。
「お前、王族なら馬車の1つや2つ持っているはずだろう?」
「如何にも」
「ならその内の1つを俺に寄越せ」
「それは構わぬが、主が移れば我もそこへゆくぞ」
「なんだと?」
「我は主がおるからここへ来たのだ。主が移れば当然我もそちらへ移る」
「そ、それなら私もそちらへ移動します」
「……エスカ様が行かれると言うのであれば私もついていきます」
エスカだけでなく荷台の隅でじっとしていたオルベールも声を発した。
「……なんなんだこいつらは。気持ち悪い」
舌打ちのあと、センリは不貞腐れて横になった。もう関わるなと言わんばかりに顏を壁のほうに向けていた。
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清々しい朝に相応しい小鳥たちのさえずり。日の光を目一杯享受した花々は芳しい香りを放つ。ここは庭園。アガスティア城内に存在する王族専用の空間。周りは塀に囲われ規模も小さいが誰にも邪魔されることのない安寧の場所。
そこにいたのは中老の淑女。椅子に腰かけて穏やかな表情を浮かべるその淑女は艶やかな銀色の髪をしていた。テーブルの上には読みかけの小説とティーカップ。カップに注がれていたのは透き通った琥珀色の紅茶。淹れて間もないのかまだ湯気が立っている。
「おはようございます」
静かな庭園に来訪者。年若い彼女もまた銀色の髪をしていた。その長い髪を揺らし深緑の瞳を淑女に向ける。
「今日は良い天気ですね。こんな日は素敵なことがあるに違いありません。そうは思いませんか、エルサ」
「すでに存じていたのですね。母様」
「風が教えてくれたわ。今日はあなたがより笑顔になれる日です、って」
エルサという年若き女に母と呼ばれた淑女は紅茶を一口飲んで、置いたカップの取っ手を親指の腹で優しく撫でた。
「帰ってきたということはともに在るのですね。勇者の一族の末裔と」
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