ep.18 みな殺された
クシャナ王国から約3か月を経てとうとうエスカ一行は王都に帰還した。表向きには遠征となっていたが、ラボワの一件で事実になってしまった。その結果、王都の民はエスカ王女とその騎士団が魔族の軍勢に勝利したと大いに盛り上がっていた。
エスカ一行が街に入るや否や全身に響き渡るような歓声が起こった。まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった一行は困惑しつつも城へと進んだ。その様はまさしく凱旋パレードであった。
騒々しい外が気になってエスカは荷台から顔を出した。それに気づいた人々は、
「エスカ様だ!」
「エスカ様!」
「姫様ーッ!」
などと声を上げて手を振った。エスカは驚いてすぐに顔を引っ込めた。
「これは一体どういうことなのでしょうか……」
「おそらくは魔族を討伐したというラボワでの一件が伝わったからでしょう。同盟国のアルーダが陥落し壊滅的な被害を受けたという出来事は記憶に新しい。いつ何時この平和が崩壊してもおかしくはないのです。民はそれを心の内に理解しているからこそ、このたびの勝利に大きな意味を見出しているのでしょう」
オルベールはそう話す。絶対の安全圏に住む王族・貴族と不確かな安全圏に住む平民・貧民とではそもそも危険に対する認識が違っているのだ。
「つまり私たちは民に希望を与えることができたのですね。これも全てはセンリさんのおかげです」
「主が活躍したという話か。我も実際に見てみたかったぞ」
高価な椅子に座ったクロハは組んだ足を入れ替えた。今日の装いは金薔薇の刺繍をあしらった深紅のドレス。クシャナ王国にいた頃からすると、言葉や表情から刺々しさが少し消えていた。
「……集中できん」
外の騒々しさにセンリは本をパタンと閉じた。傍らには本が数冊積まれている。
「センリ殿。城へ着くまでの辛抱です。それにここは王都。お好きな本も数多く見つかることでしょう。本以外にも様々な娯楽がここには存在しています」
苛立ちを隠せないセンリをオルベールがたしなめた。
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城までの長い道のりを経てようやく馬車隊は到着した。あとのことは他の者に任せてエスカ、センリ、クロハ、オルベールの4人は謁見の間へと通された。
玉座へと続く赤い絨毯の左右には兵士がずらりと整列していた。4人はその間を堂々と歩いて王の袂へ。
2つある玉座のうち1つは空席だった。それは王妃のためのものであったが今ここにその姿はなかった。その代わりなのか王のそばにはエルサと呼ばれる女が立っていた。
4人の中で唯一オルベールだけは跪いて頭を垂れた。エスカはまだしも残りの2人が一向に跪かないことに周囲はざわついた。しかしさすがは国王。余裕の笑みで手を叩いて騒ぎを迅速に収めた。
「よくぞ帰った我が娘エスカよ。長旅ご苦労であった。オルベール。その方もよく尽くしてくれた。感謝する」
アガスティアの国王は威厳に満ちた態度で声をかけた。エスカの父親だけあってその顔にはどこか面影がある。色の抜けた真っ白な短髪で綺麗に整った顎鬚を蓄えていた。瞳の色は深緑ではなく蒼色だった。
「ただいま戻りました。父上。姉上もお元気そうで何よりです」
「……エスカ。ああ、私の大事な妹。無事に帰ってきてくれて本当にありがとう」
エルサは目の前の小さな階段を下りて、妹の存在を確かめるかのようにぎゅっと抱きしめた。
「苦しいです。姉上。そういえば兄上はどこに」
「兄様なら魔族の生息域を調査するために東の国へと。常々あなたの安否を心配していましたよ」
「……そうですか。母上はいつもの場所に?」
「ええ。そのほうがゆっくりとお話できるからって」
「あとで伺います」
「母様が待ちくたびれてしまう前にね」
姉妹の再会が一段落したと見ると国王はクロハに視線を送った。
「その方が件のクシャナ王国の姫か」
「お初にお目にかかる。アガスティアを総べる偉大なる王よ。我はクシャナ王国の第一王女クロハ・エン・ローズクォーツと申す」
クロハは名を名乗り深く一礼した。
「事情は聞き及んでいる。歓迎しよう。ようこそ、我らがアガスティア王国へ」
国王は快くクロハを受け入れた。
「そしてその方が勇者の一族の末裔か」
次に国王が視線を送った時、その場の空気が一瞬にして張り詰めた。
裏切った者と裏切られた者。数百年に及ぶ因縁の対面である。
「名は何と申す」
「センリ」
「良い名だ。名づけた父君や母君は存命か?」
「みな殺された。お前たちのせいでな」
「…………」
国王は言葉を失った。数百年という時を経てしても続く憎しみの連鎖にそんなまさかと驚愕し深く心を痛めた。
「何もかも失った俺は汚い場所を這いずって生きてきた。憎悪をこの胸に抱いてな」
その言葉を聞いた瞬間、兵たちはすぐさまセンリを取り囲んで首元に槍の先端を突きつけた。
「武器を下ろせ」
国王直々の命に兵たちは困惑しながらも武器を下ろした。
「先祖の犯した罪。それを見逃してきた我らも当然罪に問われる」
国王は玉座から立ち上がり階段を下りてセンリの前までやってきた。そのまま両膝をついて頭を深く下げた。その姿に周囲は目を疑った。
「申し訳なかった。もはや謝罪の言葉が意味をなさないとしても、どうか謝らせてくれ」
真摯に謝罪する国王。センリはあろうことかその頭を踏みつけた。その行為に周囲は再びどよめいた。
「まあ、なんと野蛮な……」
エルサは両手を胸に当てて父の頭を踏みつける男を軽蔑した。一方でエスカやクロハは動揺を見せなかった。オルベールというとすでに立ち上がりじっと様子を見ている。その目は王としての器を測っているようでもあった。
「償いになるかは分からぬが、我らの罪を記した石碑を建てよう。そしてその方の望みをできる限り何でも叶えると誓おう」
「ならば今ここで俺が何をしようとお咎めなしというわけだ」
兵は言葉を失い、エルサは悲鳴を上げた。さすがのエスカもそれには少なからず動揺を見せた。
「その方が望むならそれで構わぬ。私にはこの国を託すことができる跡継ぎと優秀な臣下がいる。たとえここで命尽きたとしてもアガスティアは回るだろう。さあ、やるなら一思いにやってくれ」
「……その感じ。親子揃って実に不愉快だな」
センリは足をどけて国王の髪を掴み上げた。危機を察して再び兵たちはセンリに武器を向けた。一触即発の状況。
「センリさんッ!」
その時だった。しんと静かな空間に声が響いた。声の主はエスカだった。
センリはそちらを向いた。目が合おうとも彼女は何も言わない。悲しそうな顔でじっと見つめているだけだ。
彼女との約束がセンリの脳裏をよぎった。命と引き換えにした、その取るに足らない約束を。
しばらく見つめ合ったあと、センリは手を放して国王の顔面に激しい膝蹴りを入れた。蹴り飛ばされた国王は玉座にぶつかり倒れ伏した。
「邪魔だ。どけ」
踵を返したセンリがドスの利いた声で言い放つと兵たちは怯えた表情で道を開けた。彼はそのままその先にある扉を手荒に開けて出ていった。
エスカやエルサ、オルベールを含む兵たちは倒れた国王に急いで駆け寄った。
「父様! 大丈夫ですか!?」
エルサが抱きかかえようとすると国王は自力で立ち上がった。潰れてしまった鼻から血を垂らしていて、右目の下に濃い痣もできているが命に別状はなさそうだ。
「だ、大丈夫だ……。心配はいらない……」舌を噛んでしまったのか、喋りながら血を吐いている。
「大丈夫ではありません! 今すぐ手当てします。あなたたちはすぐにあの者を追って捕らえなさいッ!」
エルサは兵に命令をしたが、すぐさま国王によって制された。
「エルサ。その必要はない」
「なぜです? あの者は父様を殺そうとしていたのですよ…!」
「お前には実感がないのかもしれないが、そうさせるようなことを我らはやったのだ。これ以上彼を追い詰めるようなことがあってはならない」
「ですが、もしあの者が父様の前に再び現れたら……。周りの者に手を出さないとも限りません」
「姉上。確かにセンリさんには暴力的なところがあります。ですが無関係の人間に何の意味もなく手を出すほど下劣ではない、と思います……。なのでどうか誤解なさらないでください……」
センリが好き放題言われることに我慢ならずエスカは横から口を挟んだ。
「エスカ……。どうしてそんな……」
愛する妹が父を殺そうとした男の肩を持ったことにエルサは酷く動揺し、戸惑った。
「……この悲しき遺恨は必ずや私の代で終止符を打とう」
血に塗れたその手で自分の胸を強く握った国王。それは改めて強く決意したことの表れだった。
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