ep.16 それ以上言うな

 街に出たセンリは自警団の兵士を見かけるたびに声をかけた。その内容は大きく分けて3点。クロハが直々に謝罪するということ。自警団の兵士は広場に集合すること。民にも声をかけて広場へ行くよう促すということ。


 日を改めず当日にしたのはクロハの逃亡を未然に防ぐためだろう。


 自警団の兵士はみなセンリのことを不審がっていたが、抱きかかえられた王女の顔を見るや否やそれを信じた。


 下準備を終えて広場にやってきたセンリ。その昔断頭台として使われていたという台の上にクロハを下ろした。


「どうした? 元気がないぞ」

「……そなたより受けた屈辱。我は死しても忘れぬぞ」


 悔しげに唇を噛んだクロハ。その目は据わっていた。


 最初は人影まばらな広場であったが、自警団への声掛けが功を奏して1時間も経てばもう満杯の盛況となった。センリは駆けつけた自警団の兵士に護衛を任せた。彼らは断頭台をぐるりと囲うように配置された。これで民衆が必要以上に近寄ることはないだろう。


 そしてとうとうその時は訪れた。


「これよりクロハ・エン・ローズクォーツによる謝罪の儀を行なう! いいか! 心して聞け! そして刮目しろ!」


 センリが声を上げると民衆は喝采してクロハに注目した。


 クロハは一歩前に出て両膝を地につけた。そのまま腰を下ろして両手もついた。しかしなかなか王族としての尊厳が邪魔をして頭を下げられない。その状態がしばらく続いていると近くでそれ見ていたあの男が動いた。


「頭が高い」


 センリは近寄るや否やクロハの後頭部を踏みつけて無理やり頭を下げさせた。


「……貴様ァッ、ふざけるなッ」

「そんなことよりも言うことがあるだろ。声はしっかりと張れ」

「……くッ……」


 耐えがたい屈辱クロハは唇をきつく噛み締めた。そのせいで唇から一筋の鮮血が流れ落ちた。


「……クシャナ王国の第一王女クロハ・エン・ローズクォーツは! 国民の皆様に多大なるご迷惑をおかけし! 暴虐の限りを尽くしていたことをここに認める! 誠に! 申し訳なかった!」


 クロハは一言一言を噛み締めるようにして謝罪した。


「おい! ちっとも聞こえないぞ!」

「ふざけんじゃねえぞこの人でなし!」

「謝っただけで許されると思ってんのか!」

「誠意が伝わってこねえぞ! もう一度だ!」

「元気だった頃の夫を返して!」

「あんたに受けた怪我どうしてくれんだよ!」


 抜粋するにはあまりにも多すぎる罵詈雑言の嵐。それはこれまでの行いを顧みれば当然の報いであった。


 憎しみで覆い尽くされた広場の中、ある1人の少年が兵士の防衛網をかい潜って断頭台の前までやってきた。兵士はみな大人ばかりを見ていて身長の低い子供には監視の目が届いていなかった。


「お姉ちゃんに酷いことをしないで!」


 十にも満たない齢の少年はセンリに向かって声を張り上げた。突然の出来事に民衆は一瞬にして静まり返った。


「でもな、坊主。こいつはたくさん悪いことをしたんだぞ」


 センリは台の上から少年に答えた。


「……うん、そうだけど……」

「分かったなら帰りな」

「でもでも! 酷いことをしたら今度は僕たちが悪い人になっちゃうよ! そんなのは嫌だよ!」


 その言葉を聞いてセンリはほんの一瞬だけ口もとを緩ませた。


「おい坊主。悪いことをしたらちゃんと謝るってお母さんやお父さんに教わらなかったのか?」

「お姉ちゃんはもう謝ったよ! ちゃんと聞こえたもん! だから許してあげてよ!」

「こいつは確かに謝ったさ。でもな、まだたった1回なんだ。悪いことをした数だけきちんと謝らないと、ここにいる人たちは許してくれないんだ」

「そんな……」


 少年は悲しい顔をして振り返った。その先にいた大人たちは全員、少年から顔を背けて視線を合わせようとしなかった。


「ここにいる人たちはな、こうして! こんなふうに! 何度も! 何度も! 謝らないと! 許して! くれないんだ!」


 センリはクロハの後頭部を何度も何度も激しく踏みつけては床に打ちつけた。


「やれやれッ! もっとやっちまえ!」

「いいぞ! そうだそうだッ!」

「もっと苦しめてッ!」


 観衆の一部から応援と受け取れる野次が飛ぶ。


「そら、お言葉に甘えて」


 センリはクロハの髪を掴んで持ち上げると、再び床に打ちつけた。そのあとも容赦無く殴る蹴るの暴行を加えて彼女の顔や身体に血が滲んでいく。


 それはあえて残虐な様を見せつけているような。その身に嫌悪の矛先を向けているかのような。


 思わずクロハが虐げていた張本人であることを忘れてしまいそうな光景に見ていられなくなった観客たちは目を背けている。


「お兄ちゃんもうやめてッ! みんなももう許してあげてよッ!」


 孤立無援の少年は涙ながらに必死に訴えた。そうすると民衆の中から、


「……もう許してあげてもいいんじゃないかな」


 そういう声がぽつりと生まれた。その一声を起点にして赦免する雰囲気が輪のように次々と広がっていった。もちろん断固として赦さない者もいたが、民衆の大半はちゃんと罪の償いをするなら彼女を赦してもいいのではという答えに至った。


 センリの暴力的な態度に対してはいくらなんでもやりすぎではないかという意見が多く挙がり物議を醸した。やっていることはクロハと変わらないという声やクロハよりもむしろセンリのほうが暴虐的に見えるという声も多々あった。


「ずいぶんと嫌われたものだな」


 言葉とは裏腹にそうなることを望んでいたとでも言わんばかりにセンリは鼻で笑った。


「坊主。こっちへ来い」


 センリは少年を呼んだ。少年は恐る恐る断頭台に近づいた。そうするとセンリは少年を台の上に引き上げた。


「喜べ。お前のようなやつにも手を差し伸べるやつがいたぞ」


 センリは少年の背を軽く押してクロハのもとへ行かせた。


「お、お姉ちゃん。もう大丈夫だよ。だから……顔を上げて」


 少年の優しい声にクロハはゆっくりと顔を上げた。


「痛くない?」

「……痛くはない」


 クロハは血で滲んだ自らの額を触った。


「……少年よ。我は救われてよい人間ではない。それだけのことをした。そなたの父君や母君もそう思っていることだろう」

「ううん、そんなことないよ! 僕だって間違うことあるもん!」

「間違い……か。始めはそんな可愛げのあるささいな間違いであった。だが弾みがついてからは自分自身が抑えきれなくなってのう……こんなことになってしまった。……王族としての名誉は完全に崩れ去った。我はもう死すべきだろう」

「死んじゃ駄目だよッ!」


 クロハの言葉に少年は怒声を浴びせた。それにクロハは驚いた。


「死んだら友達と遊べなくなるし、おやつも食べられなくなるし、ごめんなさいだってもう言えなくなるんだよ!」


 少年は泣きながらに訴える。汚名を被った嫌われ者の彼女のために。たった1人で。


「……泣くな。みっともない」

「どうして!? お姉ちゃんだって泣いてるじゃんッ!」


 民を散々苦しめてきたクロハの双眸から流れ落ちた雫。それは民衆を驚愕させるほどの衝撃的な光景だった。


 かつて暴虐の姫君と呼ばれ、心ない悪魔として恐れられた女もやはり涙を流す1人の人間だったのだ。


「ねえ! もう死ぬなんて言わないで! 死んだら」

「それ以上言うな」


 クロハは人差し指で少年の口を塞いだ。少年は改めてクロハの顔をよく見た。


 言葉なくとも答えはもう出ていた。止め処なく溢れ出る涙がそれを表していた。

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