ep.14 クロハ様の御前であるぞ

 騎士たちは物資の補給のために朝から街へ買い出しに行っていた。遅めに起きたセンリは用意されていた寝間着からいつもの服に着替えて部屋を出た。廊下を歩いている時に出会った使用人に朝食のことを尋ねられたが街で適当に食べると答えた。


 宿の外に出て食事ができそうな店を探したがどこも高級な料理屋ばかりでセンリの手持ちではとても行けそうにない。


 手持ちは金貨1枚に銀貨が数枚。紙幣は国によって違うので使用できない。使用できたとしてもその国の紙幣に両替をしないといけない。金貨や銀貨はどこの国でも同じ重さであれば価値は変わらないから安心である。


 やれやれとセンリは貴族街を出て平民街に行った。やはりと言うべきかそこではお手軽な価格で食事ができる場所が多くあった。それらの中から選んだ結果、センリはパン屋に向かった。そこでいつも食べていたパンに似たものを頼み、食べながら街を散歩することにした。


「おーいッ! そこのガキを捕まえてくれーッ!」


 商店街を歩いている時、センリの耳にそんな男の声が響いた。前方からは小さな男児が走ってくる。腕に抱えた数個の装飾品。窃盗だ。


 センリはその男児が横を通り過ぎようとした時に首根っこを掴んで止めた。


「くッ! 放せよッ!」


 センリは暴れる男児から装飾品を奪うとその内の1つを彼の懐にスッと忍ばせた。男児は「えっ?」という驚きを見せた。


「ありがとよ、兄ちゃん! さあ、そのガキをこっちに引き渡してくれ」


 遅れてやってきた被害者の男は息切れを起こしながら言った。センリは無言で装飾品を男に返した。


「助かったぜ。さあ、そのガキもこっちに」


 そう言われたセンリは男児に向かって顔をクイッと動かした。その動作は他ならぬ「行け」という合図だった。男児はそれを察してその場から逃走した。


「あ、こいつッ!」

「盗んだ物は返したはずだ。追うのはやめておけ」


 センリは追おうとする男を手で制した。


「あのガキには盗んだ罰を与えんといかん! 邪魔をしてくれるな!」

「お前が与えなくともいつか罰が下る」

「いつかじゃねえ! 今! 俺が! 罰を与えるんだ!」


 男は守銭奴のようで盗まれたことに対して怒りが収まらないようだった。そんな男を見てセンリは冷静な顔のままスッと手を引いた。


「そんなに追いたければ勝手に追え。もう間に合わないだろうが」


 逃げる時間は十分に稼げたと見てセンリはその場から去ろうとしたが、うしろから肩を掴まれた。


「おいッ! お前のせいで逃げられたじゃねえか! どうしてくれんだよ! あいつの代わりに責任をとれ!」

「馬鹿馬鹿しい」


 センリは男の手を払い、ひょいっと店の屋根に飛び乗った。そのまま屋根伝いにパンを食べながら歩いていった。下から罵声を浴びせられながらではあったが。


 うるさい男を振り切って散歩を続けていると今度は貴族風の男が女に因縁をつける光景を目にした。


 話を聞く限りだと女の子供が泥遊びをしていたことが原因のようだ。そのせいで男の高級そうな服に泥がべっとりと付着していた。男の言い分は服を弁償しろというもの。だが女は弁償するだけの金がないと必死に訴えつつ平謝りしていた。


 騒ぎを聞きつけて駆けつけた自警団の民兵2人はそれを何もせずにただただ見ていた。


「騒ぎを治めるのがお前たちの仕事だろ」


 屋根から飛び下りてセンリは言った。民兵たちは顔を見合わせて渋い表情をした。


「あの方は貴族。我らは平民。どうすることもできない」

「私たちには妻や子供がいるんだ。下手に関われば職を失い家族を路頭に迷わせることになる」

「……そういうわけか」


 センリは納得した。到着した時から感じていたこの国に漂う陰鬱な空気。それは格差が生みだした負の感情のせいだった。呆れるくらいに優雅で豪華な貴族街と貧困が故に犯罪に手を染める者が跋扈する平民街。この国は末期状態だった。


「なあ、どうしてくれるんだよ。弁償しないならそのガキを売り飛ばすぞ。って、なんだお前は」


 センリは取り込み中の男に近寄ると泥の付着した服を奪い取った。男が「あっ!」と声を出した直後、その服は火の魔術によって焼却された。


「お、俺の服がーッ!」


 男は四つん這いになり灰も同然となった服を触った。


「ぬあああああああああああああああああッ!!」


 業火の残した熱に触れて火傷した男は転げ回った。ほんの一瞬しか触れていないので傷の程度はそこまで大きくない。過剰な痛がり様だった。


 センリは足で踏んで服に止めを刺した。もはや原形を留めていないそれは足を動かすたびに崩れていき、やがてただの灰になった。


「お、お前ーッ! 私とその服になんてことをッ! ただで済むとは思うなよッ!」


 男は涎を垂らしながら立ち上がりセンリに向かって吠えた。


「何を言ってる。その指の火傷は自分でやったものだろ。そもそもその服とやらは今どこにある?」

「ふ、ふざけやがってえーッ! おい! お前たちは見ていたはずだろう? 決定的な瞬間をッ!」


 男は民兵2人に視線を向けた。


「も、申し訳ありません。よそ見をしておりました」

「私は近視なのではっきりと見ることができませんでした。お力になれず非常に心苦しい限りです」

「こ、こ、この役立たずどもがッ! クソッ! そこのお前ッ! 顏はしっかりと覚えたからなッ! 次に会った時必ず後悔させてやるッ!」


 男は火傷した手を押さえながら捨て台詞を吐いて逃げた。


「あ、あの、助かりました。なんとお礼を言ったらいいか……」


 女はほっとした顔で子供をぎゅっと抱きしめた。センリは子供を一瞥して何も言わずにその場から去った。


 屋根という高い場所から見下ろす街はいざこざで溢れていた。さきほどの揉め事も窃盗も特段珍しいことではないのだ。


 その中でも一際異彩を放つものに惹かれてセンリはそこへ見に行った。城へと続く大通りの両端で人々が正座して額を地面につけていたのである。誰もいない中央を威風堂々と通っているのはなんと玉座だった。比喩でもなく本当に玉座が通っているのである。


 センリは目を凝らした。煌びやかな玉座は車輪の付いた台に設置されていた。それを取り囲むようにして兵士たちが歩いている。玉座を載せた台車は魔力で動いているわけではなかった。みすぼらしい格好をした男たちが梶棒を牽いて動かしていたのだ。そのため台車の速度は実に遅い。


 玉座に座った者の顔を間近で拝ませてもらおうとセンリは屋根から飛び下りた。その時だった。突如として誰かに頭を押さえつけられた。


「おいあんた! もうすぐクロハ様がやってくるぞ! 早く姿勢を整えるんだ!」

「……クロハ様?」


 センリは話を聞くためにここはあえて男の言う通りにした。


「ふう、危なかったなあ。あんたよそから来た人だろ。たまにいるんだよなあ。何も知らずにやらかしちまう可哀想なのが。クロハ様が前を通り過ぎるまでこの姿勢を維持だ。いいな? 絶対に頭は上げたらいけないぞ」

「玉座の主はクロハと言うのか。なぜこんな馬鹿なことをしている」

「……俺には理解できねえが、聞いた話だとクロハ様は俺たちを屈服させて優越感に浸るのがお好きらしい」

「なかなかいい趣味してるじゃないか」


 センリは鼻で笑った。


「あ、そろそろ来るぞ。額は地面につけておけ」


 男の合図でセンリは額を地面につけた。それほど遠くない場所から車輪の回る音が聞こえてきた。それは徐々に近づいてくる。


「クロハ様。も、もう体が……」


 男の声。それは梶棒を牽く者の1人だった。手を止めてその場にへたり込む。声を聞いただけでも分かるほどに疲弊していた。


「誰が休んでいいと言った!」


 へたり込む男に兵士の鞭が飛んだ。バチンという炸裂音に似た音が鳴り男の呻き声が聞こえてくる。


「早く立たないともう一発いくぞ!」

「ううう……」


 次の鞭を恐れてその男は壊れかけの体を再度奮い立たせて梶棒を再び握った。車輪は再びゆっくりと動き始めた。


「……もうそろそろ大丈夫だろう」


 隣の男に言われてセンリは顔を上げた。玉座は完全に通り過ぎていた。向かいの人々も近くの人々も顔を上げてほっとした表情を浮かべている。


「あんたも知らないやつを見つけたら教えてやれ……ってあれ?」


 男が気づいた時にはもうセンリの姿はなかった。


「その面、今度はしっかりと拝ませてもらうぞ」


 センリは気配を消し屋根伝いに駆けて先回りした。その後、大通りに下りて堂々と中央に立った。そのことで周囲の人々はざわついた。ざわつくだけで何もしないのは巻き込まれたくないからだ。


 ほどなくして台車がピタリと止まった。センリの前で。


「そこの下郎! クロハ様の御前であるぞ! この場より退き平伏せよ!」

「……驚いたな。まさかこんなやつが玉座の主とは」


 センリの視線の先、玉座に座していたのはゴシック調の赤いドレスを着こなした若い女だった。齢は16から18の間。エスカと同じくらいだろう。束ねられた金色の長い髪を揺らし射殺すような紅の瞳でセンリをじっと見つめている。

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